第9話 私の気持ちはきっと高田さんには届かない

 過去と他人は変えられない、という言葉がある。



 私がしたことを、変えることはもうできない。だから後悔しても仕方がない。


 それでも、自分のしたことをどう思っているかと訊かれれば、後悔していると答えるしかない。


 一人きりの部屋。私はベッドで横になりつつため息をつく。制服を着替える気にもなれない。



 あれから何日か経った。けれど、高田さんは一度も私の部屋には来ていない。


 彼女の〝お願い〟は、一度も聞いていない。学校では話さないから、自然と彼女との接点がなくなった形になる。



 こうしていても仕方がない。


 テレビをつけて、ゲームを起動。あの日、高田さんがしていたRPGだ。


 彼女が言ったとおり、上書きしたというのはウソで、私の大切なセーブデータは無事だった。



 こうしてプレイしていると、彼女のことを思い出す。


 楽しそうな顔。レベル上げをしているとき、たまに退屈そうにしていたり。からかうような表情も。


 

 楽しくない……


 お気に入りのゲームのはずなのに、すこしも楽しくなかった。テキストの内容も頭に入ってこない。


 私たちの関係は有限だった。いつかは終わる。それがすこしはやまっただけ。それだけのはずなのに……



 私、どこまでも陰キャだなぁ。


 なんだか自分のことがキライになりそうだ。


 だんだん薄暗くなってきた。部屋の電気をつけるのも億劫で、私の心みたいな重苦しさだ。



 そのとき、ピンポーンとチャイムが鳴った。


 お父さんかお母さんなら鳴らすはずはない。だれかが来る予定もない。じゃあ、宅急便? セールスマン?


 いずれにしても、チャイムに応えるだけの気力すら湧かなかった。


 ほっといてゲームを続けていると、何度かチャイムが鳴ってやがて止んだ。


 そして、今度はスマホが鳴った。電話の着信音。初期設定から変えていないものだ。



 だれだろう? お母さんたちかな? 遅くなるのかな?


 と思ってスマホの画面を見ると、そこには高田さんの名前が表示されていた。


 私たちは、いちおう連絡先は交換していた。でも、電話したり、メッセージを送ったりしたことはほとんどない。学校で高田さんから〝お願い〟される。それなのに――



「……はい」


 居留守を使おうかとも思った。でも、気づいたら私は電話に出ていた。


『あ、よかった! でてくれた!』


 高田さんの安心したような声が聞こえてくる。


『いまどこにいる? ひょっとして外?』


「うぅん、家にいるけど」


『え! じゃあ、なんで出てくれないのさ。さっきからインターホン鳴らしてるんだけど』


 ひょっとして唇を尖らせたのだろうか。そんな様子が伝わってきた。



『とにかく、ちょっと出てくれない? 渡したいものあるからさ』


 電話に出てしまったからには、無視するわけにもいかない。


 ただそれだけの理由だ。高田さんがまた私の家に上がっているのは。


 もう来ないでって言ったはずの彼女が、また私に家にいるのは。



「はー。やっと入れた。もう、なんで無視したの?」


「セールスかなにかだと思って。ごめん」


 適当に誤魔化す。高田さんはとくにそれ以上は追及せず「そっか」と言った。


「渡したいものってなに?」


「これ。本だよ。返し忘れてたから」


 それは、いつか高田さんに貸した推理小説だった。



「あ、うん。読み終わったの?」


「やー……私にはあんまり合わないみたいでさ。やっぱり活字は苦手」


「そっか……」


 おかしなことに、ガッカリしている自分がいた。本を読んでくれなかったことにじゃない。


 私はなにを期待していたんだろう。彼女を遠ざけたのは他でもない自分自身だ。それなのに、勝手に期待してガッカリして……



「じゃあ、私帰るね」


 わずかな沈黙。それを破ったのは、高田さんの短い言葉だった。


「うん。さよなら」


 後ろ髪を引かれる思いで、私は彼女を送る。


 一度は背を向け、ドアの取っ手に手をかけた高田さん。しかし、そこで動きをピタリと止め、振り返らずに訊いてくる。



「あのさ、私なにかしちゃった?」


「えっ?」


 突然のことに私は固まる。高田さんの言葉の意味が分からなかった。


 だって、なにかしたのは私のほうだから。



「安芸、いきなり言ったでしょ。もう来ないでって。だから、私がなにかしちゃったのかなって」


 振り返った高田さんは、いままで見たことがないような顔をしていた。


 困ったような、悲しそうな、苦笑い。


「私、ときどき言われるんだよね。馴れ馴れしいって。ひょっとして怒らせちゃった? だとしたら……ごめんね」



 ああ、私はバカだ。


 届かないからと、掴めないからと、勝手にあきらめて。


 その結果は、彼女を傷つけただけ。


 本当に、私は……



「怒ってない。そういうんじゃない」


「じゃあ……迷惑?」


 そんなわけない。


 ずっとだって来てほしい。もっといっしょにいたい。


 でも、そんなこと言えるはずもない。言ったら、本当に全部終わってしまう気がするから。


 伸ばしかけた手を、そっと止める。



「ゲーム。やっていったら? やりかけでしょ」


 今度は、高田さんが「えっ?」と目を丸くする番だった。


「まだクリアしてないでしょ。来ないとできないよ」


 ソフト貸してもいいけど。そんな臆病風に、私は危ういところで踏みとどまった。



「いいの?」


 コクリとうなづく。すると、高田さんはすこし安心したような顔になった。


 ……うぅん、違う。私だ、安心しているのは。


 まだこの関係が続くことに、安心しているのは。



「よかったぁ。ずっと気になっててさ」


「考えすぎだよ。このあいだのは、その……あんまり来すぎると、ご両親が心配すると思って言っただけ」


 私は自分の気持ちを見て見ぬふり。そっと背をむけて自分の部屋にむかって歩き出す。



「もう、紛らわしい言いかたしないでよ」


「ごめん」


 私の気持ちは、きっと高田さんには届かない。


 私の手は、きっと高田さんを掴めない。


 でも、それでも……



 いまは、感謝しよう。


 この時間が、続いてくれることに。

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