【短編】女神の虜【2000文字以内】

音雪香林

第1話 女神の虜。

 現在、私は本来二人で片づけに行くはずの資料を一人で社会科準備室に運んでいる。


 無理やり両腕に抱え込んでいる大量の資料は重くて、我ながらヨタヨタと頼りない足取りだ。


 けれど、誰も助けてはくれない。

 いつものことだ。


 こんな、猫背でいつも俯いていて長い前髪で顔を隠している陰気な女子生徒になんて誰も関わりたくないだろう。


 これでも小学生の頃よりはましだ。

「デブ!」「いるだけで暑苦しいんだよ!」などの暴言は吐かれなくなったから。


 せいぜい無視されたり、こうやって仕事を押し付けられるだけだ。

 中学デビューするためにダイエットした甲斐があった。

 それでも、陰気な性質は変わらなかったんだけど。


(デブじゃなくなっても、欠点がへっただけで誇れるものが何一つないのは変わりないもんね)


 なんて、考え事をしながら角を曲がったのが悪かったんだろう。


「きゃっ」


 誰かにぶつかってしまい、私は資料をぶちまけ誰かは尻もちをついてしまった。


「ご、ごめんなさい!」


 私は猛烈に申し訳なくなって謝罪とともに頭を下げた。

 目の前がろくに見えないほど資料を積み上げていたから……。

 やっぱり面倒がらずに二回に分けて運べばよかった。


「いいえ、わたしも注意不足だったわ。それより、あなたこの量を一人で運んでたの? 無茶が過ぎるわ。手伝いましょう」


 上履きの色からするに上級生だろう女子生徒さんは、怒るどころか微笑みながら資料を拾って半分は私に、残りは自分の腕に抱えた。


「ぶつかったうえに手伝わせちゃうなんて悪いですよ」


 恐縮しきりで私はそう断るが「袖すり合うも他生の縁ってね」と押し切られてしまった。


「私は妃奈子ひなこっていうの。よろしくね」


 上級生あらため妃奈子さんの中学生とは思えぬ包容力と慈愛に満ちた笑みに見惚れてしまいぼぅっとしていると。


「行きましょう」


 と声をかけられ、そのまま二人で社会科準備室へと向かった。


 ***


 社会科準備室に到着し、所定の棚に資料を戻した後。


「ありがとうございました」


 私はお礼を伝えて頭を下げた。

 本来ならここでお別れだ。

 でも、なぜだか離れがたかった。


 この人と……妃奈子さんともう少し一緒にいたい。

 すると妃奈子さんが。


「ねぇ、ちょっと顔を上げてくれる?」


 と頼んできたので、私はうつむき加減だった顔を上げた。

 妃奈子さんはサッと素早くてのひらで私の前髪を横に流した。


 顔をあらわにされて、羞恥心で頬に熱が集まっていく感覚がする。

 しかし妃奈子さんは。


「あらっ、きれいな顔! 美少女じゃない。なんでこんな前髪で隠しているの? もったいないわ!」


 と、まるで理解できないことを言った。


(は? 私が美少女?)


 私はギュッとこぶしを握った。


「なんで……そんなこと言うんですか……」


 妃奈子さんは首を傾げた。

 私は今度は羞恥心でなく怒りでカッと頭に血をのぼらせた。


「私をからかって楽しいですか? あからさまに嘘とわかるお世辞ですよ! 私がうぬぼれて醜い顔をあらわにしたら嘲り笑うんでしょう!」


 痩せて中学生デビューしたばかりのとき、確かに男子生徒にはじめて告白されたことがある、でもあとでそれを知った女子に「かわいそうにね。あんな嘘真に受けて。騙されてるのにね」とくすくすと笑われて、件の男子生徒には苦々しい顔をされた。


 デブでなくなっても、私はからかわれるような、下等な扱いをされる人間なのだと思い知った。

 それから私は背を丸めて前髪を伸ばすようになったのだ。


「わたしは嘘なんか言わないわ」


 静かでやわらかな声に、ハッと意識が過去から現在に引き戻される。

 あたたかで華奢な両手が私の頬を包み、目線を合わせられる。

 真摯な瞳が私を射抜く。


「あなたはきれいよ」


 私はあまりにも真剣な声にひゅっと息を呑んだ。

 妃奈子さんは続ける。


「今まで、嫉妬や羨望で傷つけられてきたのね。これからはわたしが守ってあげるから、もう本当の自分を隠さないで」


「なんで……」


 初対面の私に「守る」なんて約束をしてくれるのか。

 妃奈子さんは私の疑問に気づいたのか。


「わたしは美しかったりきれいだったりするものが好きなのよ。あなたを守るのはわたし自身のため。わたしがきれいなものを損なわせたままでいさせたくないのよ」


 妃奈子さんは再び包容力と慈愛に満ちた微笑をくれる。


 女神だ。


 私はそう直感する。

 彼女は……妃奈子さんは私のために天が私につかわした女神なのだ。


「今はこれで我慢して頂戴」


 妃奈子さんはヘアピンを取り出して私の前髪をあげた状態で固定する。


「放課後にわたし行きつけの美容院に行きましょうね」


 やわらかな声は私にとっては啓示だ。

 頷かないわけがない。


 妃奈子さんは「いい子ね」と私の頭を撫でた。

 手つきもなにもかもが優しい。


 もう、抜け出せない。

 私は妃奈子さんという女神の虜になってしまったのだった。




 おわり

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