ウォレアイ環礁

🌳三杉令

 メレヨン島であった事

 北海道の片田舎、まだ30歳すぎた頃の私(=祖父)に召集令状が来て出征したのは昭和18年、戦争が始まって1年以上が過ぎ3人目の子供が生まれた頃だ。5才の長男(作者の父)に「行って来るよ」と言って私は出発した。


 昭和19年(1944年)になり私が派遣されたのは、サイパン・グアムの南方に遠く離れたメレヨン島という島だ。守備隊7000名がこの島を守る。結果から先に言おう。私は故郷に帰ることはできなかった。7月7日にサイパンが玉砕し、この島でも食料補給の途絶えた劣悪な環境下で栄養失調、風土病(デング熱、赤痢など)等で私を含めて5000名の将兵が餓死・病死したのだ。


 私がお世話になった中野軍医の日記の内容を断片的にお伝えしよう……


●1944年8月

 山田、川村中尉がアメーバ赤痢。先月爆弾でやられた自分(中野)の体は徐々に回復してきている。我々は毎日、補給船を待っているがなかなか来ない。米の割り当てはグラム単位で決まっている。空腹で毎日甘いものが欲しくて仕方が無い。珍魚やとかげを捕まえて調理することもある。

●9月

 赤痢患者多し。この診療所だけで連日のように患者が死んでいく。米軍が上陸する気配は全くない。敵にも味方にも見捨てられた島なのだ。大とかげを捕まえて皆大喜び。久々の新鮮な肉だ。欲望はただ一つ、食欲だけという凄まじいことになった。食糧船早く来てくれ。

●10月

 昼はコブラ焼き飯。久々の砂糖を乾パンにつけ実においしかった。学生の頃に小説を懸賞に出したり、仲間と集まって話あっていた事を思い出す。

 テニアン・グアムも玉砕したようだ。悲壮なり。10月なのに物凄い暑さだ。

●11月

 みなやせ細り、私も43kgだ。肋骨が浮き出ている。死人が続いている。畑を耕す。野菜を作るのだ。


◇ ◇ ◇


 私(祖父)は10月に赤痢にかかってしまった。元々このような暑い地は道産子の体に合わず苦手だったが、まさかこんなに早く病魔にやられるとは……


 それでも中野先生の治療もあり2ヶ月以上も持ちこたえた。しかし、運命は非情だ。私は徐々に衰弱し、重症化していった。


 1月。私の意識が遠くなっていった。帰りたかった。帰っておいしいものを食べたかった。家族にも会いたかった。しかしそれは叶わなかった。残念だ……

 私は病死となり若くして天国に赴くこととなった。


◇ ◇ ◇


 1945年1月のわずか一ヶ月間でメレヨン島では千人を超える死者が出た。ほとんどが栄養失調か病死である。さらに敵機の来襲、爆撃に襲われるようになった。連日の空襲が続く。


 そんな中待望の潜水艦が食糧を持ってやってきた。これで数ヶ月は持ちこたえることができる。しかし3月以降も死者が途絶えることはなく、8月にはついに5000名に達した。1年半の間に実に7割の者がこの地に散ったのである。 


 8月15日に日本が降伏したとの連絡が入った。

 9月19日に生き残った者がようやく帰りの船に乗ることができた。

 9月26日に別府に入港した。


◇ ◇ ◇


 私(祖父)の死後、妻(祖母)は3人の子供を育てあげた。そして未亡人として35年近くを生きて70歳で亡くなった。彼女は一度、夫が亡くなった美しい島を訪ねた。その地でいったい何を想ったのだろう。


 父を知らずに育った長男は自営業を継ぎ、25才で結婚し4人の子供を育てた。彼はすぐに仏間に飾られた写真の父の年齢を越え、生真面目に生き続けた。体はぼろぼろであるが、85歳の今も夫婦で健在である。まるで戦死した父の分も生きようとしているようだ。長男の2番目の子(=孫)は、何やら趣味で物書きを始めた様だ。奇特なやつだ。今これを書いているやつがそうだ。


 もう私が死んでから79年も経つ。どうやら日本ではその後戦争は起きていないらしい。良かったと思う。


 今年は日本もメレヨン島のように暑いようだ。また、何やらみんな、おいしそうなものを毎日食べて、太って困っているらしい。私達には羨ましい事だが、子孫のみなさんが平和に暮らしている証拠だと考えれば、喜ばしい限りだ。でも病気にならないように気を付けて下さい。


 私は空の上で妻と苦笑いした。「平和っていいよな」



 ――今もウォレアイ環礁(メレヨン島)は何も無かったかの様に美しい姿で佇んでいる。息子達3人が天国に来たら、家族5人でこの南のリゾートを空から眺めて楽しく暮らしたいと思う。



(追記8/20)

@osprey4691様から、福山の備後護国神社にメレヨン島の慰霊碑があるとの情報をいただきました。@osprey4691様、貴重な情報ありがとうございます。


そこでメレヨン島慰霊碑で検索しますと、下記のページにたどり着くことができました。ご参考まで

https://rekishinoashiato-west.amebaownd.com/posts/7697117

下記の記載があります。


昭和三十九年末メレヨン島からの生還者少数によって北海道メレヨン会が結成され翌々年四月現地への墓参と遺骨の蒐集を計画し民間自費で北海道は平野春栄氏東京は小関信章氏大阪は沖中慶ニ氏が現地に出発翌五月現地での任務を終って帰国した三氏は広島県福山に全国メレヨン会の建設した碑に納骨し続いて七月北海道地区は平野春栄氏の報告をかねて慰霊祭を行う ――引用終わり


福山の備後護国神社の他、札幌などにも慰霊碑があるようです。



―― 終わり ――


ご参考:エッセイです。

https://kakuyomu.jp/works/16818023212370451362/episodes/16818093082834388715

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