イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件

大濠泉

第1話 イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件

◆1


 自然豊かな小国、ベントブルグ王国ーー。

 現在、この王国の最大の悩みは、王子の結婚がなかなか決まらないことであった。

 いつも微笑みを浮かべている父王と、王妃の顔がくもるほどであった。


 一粒種ひとつぶだねの王子に問題があったわけではない。

 彼はスマートな容姿をしており、いつも微笑みを浮かべ、女性に優しく、へだてなく人に接する。

 学生時代は成績も優秀で、人気があり、生徒会長もしていた。

 当然、したっていた女性も多く、十年以上前から、実際に何人もの婚約者候補が存在した。

 にも関わらず、婚約にまで至る女性は一人もいなかった。


 王子とお付き合いする女性は、将来的には王家にとつぐことになる。

 そのため、当然、身分は関係する。

 お相手が平民というわけにはいかない。

 男爵や騎士爵など、低位貴族とよしみを深く通じるわけにもいかない。

 お相手は、公爵や伯爵など、高位貴族出身者に限られていた。


 それでも、小さな王国とはいえ、候補者は十人を超えるほどもいた。

 ところが、彼女たちはいずれも婚約前に突然、人となりが激変し、周囲の者を困らせる〈悪役令嬢〉になってしまうのだ。

 結果、彼女の親が婚姻反対に転じたり、彼女本人が病気と言い立てたり、密かに誓いを立てたオトコが現われたりして、とにかく話がまとまらない。


 王子は子供の頃からの日課で、昼食後に、母親であるきさきとお茶を共にする。

 最近、そのお茶の席での居心地が悪くて仕方なかった。


 王子にとっても、母親から悲しまれるような事態になるとは思いもしてなかった。

 もう二十歳にも手が届こうという年齢だ。

 さっさと婚約を済ませ、年若い婚約者と昼食後にくつろぎたいーーそう思う年頃に王子はなっていた。


 妃は問い掛ける。


「レント公爵家のご令嬢とは、どうなってるの?

 子供の頃から、よく知ってる方よ。

 お花に詳しくて、お優しい子。

 加えて、三ヶ国語をたしなみ、外交の席に出しても恥ずかしくない、充分に務めを果たせる優秀なお方とうかがっております」


 王子は紅茶を口にしながら答えた。


「彼女とは幼馴染ですからね。

 三つ年下ですが、僕が最終学年だった際に入学してきました。

 学園でも、よく噂を耳にしました。

 現在、人となりを含め、慎重に調査し、事を運んでおります次第です。

 近いうちに、吉報を届けられるかと思います。

 ご安心ください」


「そう……」


 母の妃はティーカップを静かに置いて嘆いた。


「早くあなたのお相手と、お茶をしたいわ。

 女性にとってティータイムをご一緒するということは、何物にも変え難い喜びですのよ」


◆2


 王子は自室に戻る。

 その途端、貼りついたような笑顔をがし、深い溜息をついた。


「僕のような年頃で、女性と出会うのに、これほど緊張をいられる者はおるまいな」


 着替えをはじめ、細々とした諸用を請け負ってくれているのは、子供の頃から王子に仕えている侍従のパークスだ。

 彼は幼少時から王子のかたわらにあった。

 加えて王子よりも四歳ばかり年長なので、今まで弟を可愛がるようにして接してきた。

 今も、王子の愚痴に付き合う態勢に入る。


「レント公爵令嬢とは顔馴染みです。

 気負われる必要はございますまい」


 王子は吐き捨てる。


「何を言う。

 それを言うなら、今までの婚約者候補のすべてが顔馴染みであったわ。

 それに、今日、僕が出向くのはレント家の庭先なのだぞ」


 今日は、婚約者候補であるレント公爵令嬢とデートをする日だ。

 向かう先は、学園近くの、行き慣れた森林である。

 だが、その森林の最終的な管理責任者は彼女の父親、レント公爵だ。

 つまり、王子にしてみれば、婚約者候補の庭先にじかに訪問するようなものであった。


 今まで十二人もの婚約者候補と付き合って破綻(はたん)していた。

 今度こそは、と王子も思う。

 でも悩みがある。

 再び、深い溜息をついた。


「僕は、あの子をよく知っていたつもりだった。

 草花をでる、優しい子だった。

 一緒に子供の頃、捨て猫を拾ったことすらある。

 とても信じられないがーー噂は本当なのか?」


 王子の問いかけに、侍従のパトリックは低い声で答えた。


「はい、何人もの人物から同様の報告が上がっております。

 ここ最近のことだそうですが、お人が変わられたようで……」


 王子はガックリと肩を落とす。

 ようやく婚約にけた相手ーーレント公爵令嬢について、悪い噂ばかりが耳に入ってきていた。


 彼女は王子より三つ年下なので、今現在、学園の最高学年だ。

 美貌の持ち主で、成績は優秀。

 ところが、今年に入ってから、素行が怪しくなった。

 いつも良からぬ取り巻きに囲まれ、身分の低い女性に嫌がらせをする。

 特に、ある平民女を目のかたきにしていた。

 一つ学年下である彼女の行動を監視し、彼女の私物を隠したり、クラス中に悪い噂を流したりする。

 ひどいときには、取り巻きに男子生徒を扇動せんどうさせ、平民の女生徒に石を投げつけさせたりもした。

 そうした噂を、平民女性のクラスメイトから聴かされていたのだ。


 それゆえ、王子はレント公爵令嬢との街中デートの際、平民女性に対する嫌がらせをやめるよう注意した。

 王子にしては、随分気をつかって、慎重に言葉を選んで忠告したつもりだった。

 ところが、令嬢は激発する一方だった。


「やはりあの女、あなたに頼ったのね!」


 身分をわきまえず、彼女が王子に懸想けそうしたのが悪い。

 王子が優しく声をかけたばかりにーーと怒り狂う。


 王子には、まったく身に覚えがなかった。

 僕の方から、彼女に話しかけたことは一度もない、と訴えても、令嬢には聞く耳がなかった。


 街中の喫茶店で、お忍びデートの最中だったので、悪目立ちして、とても恥ずかしかった。

 本来、王子の知っている公爵令嬢の性格からしたら、自分以上に恥入って顔を赤らめるはず。

 それなのに、今では目を吊り上げ、甲高い声を張り上げるばかりになっていた。

 すべて「王子が悪い」「王子のせい」となじられ、ウンザリしてしまった。


 どうして、こんなことになっているのか。

 何か原因があるのかもしれない。


 王子も、さすがにそう思い始めていた。

 レント公爵令嬢だけではない。

 今までの婚約者候補もみな、自分と婚約しようとすると、感情がささくれ立ち、人となりが豹変ひょうへんしてしまうのだ。


 王子はパンと自らの頬を打ち、気合を入れた。

 何事も、自らに課された試練であるーーそう教育されてきた彼は、なかなか婚約に至れない現状も、積極的にとらえ返すことにした。


「いつまでも愚痴っていても始まらぬ。

 今回は良い機会だと思うことにするぞ。

 彼女のテリトリーに足を踏み入れるわけだから、より深く、彼女の変調の原因を探ることができるやもしれぬ。

 パトリック、お前も気をつけてくれ。

 僕への配慮など気にせずに、公爵令嬢に注目し続けてくれ」


 鏡の前で背筋を伸ばす王子の傍らで、侍従のパトリックは胸に手を当て、深々とお辞儀をした。


「かしこまりました」


◆3


 季節は春ーー。

 黄色や白の花が咲き誇る。

 緑豊かな庭の中で、王子と公爵令嬢は落ち合い、小川に沿ってゆっくりと歩きながら、やがて小さなコテージに入り、腰を落ち着かせた。

 色とりどりの果物や、クッキーなどの焼き菓子が豊かに配されたテーブルの席に着く。


 王子のかたわらには、侍従パトリックがついている。

 彼は王子にいささか不躾(ぶしつけ)な感じで視線を送る。

 王子もそれにおうじて、黙ってうなずく。


 彼ら二人は、公爵令嬢とその周囲の気配に、目が釘付けとなっていた。  

 怪しい黒い影が、彼女にまとわりついていることに気が付いたのだ。

 今現在は、鳥のような、リスのような形状で令嬢にまとわりつく。

 時と場所によって変形する、黒い煙のような存在だった。


 思い切って、王子はじかに彼女に問いかけた。


「失礼ながら、公爵令嬢。

 その黒い霧のようなものは?」


 すると、彼女はパアッと明るい顔になって、ほがらかな声を上げた。


「さすが王子様ね。

 お気づきになって?

 彼はドックス。私が名前をつけたのよ。

 ほら、可愛らしいでしょう?

 私の胸に、こうして頭を押し付けてくるのよ」


 彼女いわく、親であるレント公爵夫妻や、公爵家に仕える侍従や侍女、さらには学園での取り巻きたちには、気づかれていないそうだ。

 が、彼女自身は、この黒い存在に気づいている。

 それだけではなく、彼女はとても可愛がっていた。

 

「この子、飼うのに苦労しないわ。

 ほとんど何も食べないし、ほら!」


 公爵令嬢は目の前のイチゴをつまむと、黒い存在に押しつけようとする。

 だが、イチゴだけでなく、彼女の手もすり抜けてしまった。

 どうやら、この黒いものには実体がないらしい。

 明らかに不気味な存在だ。


 王国では精霊の話はよく聞くが、悪霊についても時折、話されている。

 悪霊を浄化するには相当な魔力が必要で、黒く可視化された存在を浄化するのは、よほど骨が折れると聞く。

 この黒い存在が、公爵令嬢ーーいや彼女だけでなく、今までの婚約者候補たちにまとわりつき、悪い影響を与え続けてきたのではあるまいか。


 王子は席を立ち、厳しい顔をして公爵令嬢に忠告した。


「レント公爵令嬢。

 それはあなたにとって、良き存在ではありません。

 一刻も早く距離をお取りになるよう、お勧めいたします」


 キッと鋭い目つきになって、公爵令嬢は立ち上がった。


「なんてひどいこと言うの?

 これほど私になついているというのに!」


 彼女は黒い霧のような何者かを胸に抱え上げると、目に涙を浮かべた。

 王子はそれでも諦めなかった。

 黒い物体を警戒しつつも、正面から迫って、公爵令嬢の両肩をつかみ、訴えた。


「わが国は精霊で満ちております。

 おかげで自然豊かであることは、諸外国にも知られているほどです。

 しかし、悪い精霊ーー悪霊と称される存在がいることも確かなのです。

 いずれは魔法省に連絡するかと思いますが、今のところは一刻も早く、このものを排除すべきなのです」


 王子は彼女に、この黒いモノを捨てるようにうながした。

 が、大反発を受けてしまった。

 この子は祝福の証だと、公爵令嬢は涙ながらに訴えるばかりだった。


「私、絶対、手放したくない。

 この子を捨てるぐらいだったら、あなたとの婚約を破棄いたします!」


(おいおい、まだ婚約もしていないだろう?)


 とツッコミを入れたいところだが、とてもそんなゆとりのある状態ではない。

 王子は眉間みけんしわを寄せ、くちびるむしかなかった。


◆4


 王宮奥の自室に戻ってから、王子は声をあららげた。


「あの影は何だ!?」


 侍従のパトリックは、首を横に振るばかり。


「わかりません」


「ひょっとして、魔物とか悪魔のたぐいではあるまいな?」


「私には、何とも。

 ですが、少なくとも、良き効果をもたらす光の精霊の類ではありませんでしょう。

 闇の魔法に属する存在かと思われます」


 公爵令嬢に悪影響を与えているのは明らかだ。

 その姿を思い出すだけで、寒気さむけがするほどであった。


(彼女はなぜ、アレを可愛がれる?

 神経がおかしくなってはいないか?)


 王子は忌々いまいましげに、親指の爪を噛む。


「魔法省の者に問いただしてみるか?」


 王子の提案を、パトリックは即座に否定した。


「いえ。それは問題ありましょう。

 王子が魔法省に働きかけたとの情報が世間に漏れたら、いかがあいなりましょうや。

 公爵令嬢が魔物に取りかれたと、噂が立ってしまいます。

 さすれば、ご令嬢のお立場を悪くするばかりでなく、たとえあなた様との婚約が成ったとしても、いずれは悪評を気にして婚約破綻されることとなりましょう」


「どうしたものかな」


 王子は歯軋はぎしりする。


「公爵家の方々も、王家に次いで身分のある方です。

 あの黒いものの影響がご令嬢ばかりでなく、お父上の公爵様にまで及んでおるかもしれません。

 だとすれば、今回の婚約の儀とも合わせて考えますと、これはもはや王国中枢の大問題といえましょう。

 やはり、父王様におうかがいを立ててはいかがでしょうか?」


 王子はパンと膝を打った。


「そうだな。

 父上は諸国にも聞こえるほどの博識で通っておられる。

 何か良い知識がおありかもしれない」


 翌朝ーー。


 政務にく前の国王に、王子は面談を申し入れた。

 時間はあまり取れなかったが、王の自室で人払いをお願いし、王様と王子、二人だけで膝詰めで対面することに成功する。


「どうした。何か重大事案でも起こったか?」


 父王の問いかけに、王子は真剣な面持おももちで答えた。


「父上。単刀直入たんとうちょくにゅうに申し上げます。

 レノア公爵令嬢のもとで、陰気臭いんきくさ瘴気しょうきはらむ黒い影を見ました。

 黒い霧が集まったり、離散したりするような存在です。

 小鳥のように羽ばたいて空を舞うかと思えば、リスのように小枝にまり、猫のように人にじゃれつく存在です。

 そうした黒い怪しい存在が、公爵令嬢のもとにまとわりついておりました」


 父王は顔をくもらせた。

 が、殊更ことさら、驚いた風ではなかった。


「そうか。やはりな」


 父王の態度に驚いたのは、王子の方であった。


「父上様。アレが何か、ご存知なのでありましょうか?」


「ひょっとしたら、と懸念けねんしておった。

 アレは潜在魔力が豊かな者にしか見えぬ呪いだ」


「呪いーーですか?

 何者による呪いなのでしょう?」


「それはわからん。

 我が王家の歴史も血塗ちまみれておるからな。

 いかなる者や一族からうらまれておるかは、わからぬ。

 だが、あれが不吉なしるしなのは、間違いない。

 余がきさきと婚姻を結ぶ際にも、黒い霧が立ち込め、妃を悩ませておった。

 余もその黒き霧を払うのに、苦慮くりょしたものだ」


 王子は背筋を伸ばし、目を丸くした。


「それは初耳です。

 母上様は男爵家の出自で、王家にとつぐには相応ふさわしくないという世論もあって、婚儀を進めるのにいろいろと難儀であったとうかがっております。

 それでも母上様が魔法省で活躍なさるほどの傑出した聖魔力の使い手であられたので、『王国の安寧のためにめとるのだ』と父上がおおせになって見事、結ばれたと」


「うむ」と、頬をきながら、王様は苦笑いを浮かべた。

 往時のロマンスを息子の口から聞いて、面映おもはゆかったようだ。


「妃が聖なる力を有しておったがゆえに、幸い、毒されずに済んでおった。

 が、レントの令嬢は、すでにかなり魔に魅入みいられてしまっておるようだな」


 王子はおっとりとした母親の風貌ふうぼうを思い浮かべて、眉間みけんに皺を寄せた。


「知りませんでした。母上も苦労なさったのですね。

 ではこのたびの件は、母上にもーー」


「いや。妃には、心労をかけさせたくない。

 余と妃にとっても、嫌な思い出なのでな。

 お前が何度も婚約に至れないのをみて、ひょっとしたらと余も妃も、陰ながら苦悶くもんしておったが、口には出さなかった。

 あの黒いモノを思い出したくなかったのだ。

 許せ」


「そうですしたか。ご心配をおかけいたします」


「やむをえんな」


 王は顎髭を撫で付けて思案する。


「宮廷魔法使いの中から、指折りの除霊師をレント公爵家に派遣しよう」


「ことがおおやけになりませんでしょうか」


「そうだな。表向きの口実を作っておこう。

 今年の秋に行う収穫祭を、此度こたびはレント公爵家の庭園を借りて行うという案件が持ち上がっておる、とでも言っておこうか。

 余がおもむく先に、事前に庭園や家屋敷を調べることは、当然のことだからな。

 吉報を待っておれ」


 それから三日後ーー。


 王宮の騎士団と侍従の集団が露払いとして、レント公爵家のもとを訪問した。

 この団体に五人の除霊師を中心とした宮廷魔法師団がひそかに同行した。

 もちろん、公爵令嬢にまとわりつく黒い霧をはらうためである。


 しかし、除霊に失敗した。

 逆に、除霊師たちの方が、おかしくなってしまった。

 彼らが苦悶の表情となって、いきなり騒ぎ始めた。

 そのため、事情を聞かされていなかった騎士団や侍従たちが対処できなかった。

 おかげで、レント公爵家での「非常事態」が公になり、結果、宮廷の除霊師の中の一人の「乱心」という形で、話をまとめるしかなかった。


 王子と父王は再び人払いをして、親子で頭を抱えた。

 王はやつれた顔でつぶやく。


「派遣した除霊師は、いずれも実績豊かな者であったのだが、よもや精神を犯されるとは。

 相当、強力な悪霊とみえる」


「公爵家の対応は、どのようなものでしょう?」


「令嬢がその存在を秘匿ひとくしておるようでな。

 レント公爵も、その奥方も、さらには侍従や侍女といった家中の者どもも、黒いモノの存在に気づいてはおらぬようだ。

 ゆえに、派遣した者に問題が発生したとせざるを得なかった」


「ご迷惑をおかけしました。

 もっとも、レノア公爵家が魔に魅入みいられたなどと噂されるよりはマシでした。

 ご配慮、感謝いたします」


 王は苦い顔をする。


醜聞しゅうぶんこうむった除霊師の家には、手厚い加護と保証を与えるよう、指示しておいた。それくらいしか、してやれぬ」


 もちろん口止め料を兼ねてのことである。


「仕方ありません。

 レント公爵家に問題があったとされれば、またも婚約に至ることができないところでした」


 悪霊にかれた家の令嬢を王家に嫁がせるのはまかりならんと、他の貴族が反発するのは必定ひつじょうだ。

 でも、王子は、今回の縁談こそは破談にしたくなかった。


 悩む王子に、父王が助け舟を出す。

 自らの腰にげた剣を、さやごと手渡した。


 王子は反射的にかかげた両手に、ズッシリとした重みを感じた。


「父上、これは……?」


「魔をはらう力があるといわれる〈破邪はじゃの王剣〉だ。

 本来は、王に即位したあかつきに相続させるものであるが、おまえに貸してやる。

 余は早く孫の顔が見たいのだ。

 きさきにもせがまれておるでな」


 王子は片膝立ち姿勢で、王剣を鞘ごと掲げた。


「ありがたき幸せ。

 腕に覚えはあります。

 お任せください」


◆5


 王子は、「先日の無礼のおびをしたい」とレント公爵令嬢に対し招待状を送った。

 彼女の方を王宮に招いたのだ。


 破格の扱いであった。

 個人的に王宮の奥の間に足を踏み入れられるのは、王族のみである。

 いかに婚約者候補の令嬢といえど、結婚前にはありえない事態だった。

 ところが、万事に横着おうちゃくするようになったレント公爵令嬢は、


「当然よね。

 私のドックスを捨てるように、などとひどいことを言ったのだから」


 とうそぶいて、招きに応じた。


 王子と侍従のパトリックは、レント公爵令嬢を王宮奥の間に招き入れた。

 その際、固唾かたずんだ。

 黒い霧が一段と濃くなって、令嬢の周りを取り囲んでいたからである。


 王子は侍従に向けてささやいた。


「まさかこれほどに育っているとはな。

 黒いヤツが根城にしているであろうレント公爵家から離せば、力が弱まると踏んで、慣例を無視して王宮に招き入れたのだが。

 これではかえって、王宮にまで危険を招いてしまったか?」


 侍従パトリックは瞑目めいもくしつつも、王子を叱咤しったした。


今更いまさら悔やんでも仕方ありません。

 目の前で、斬るべき相手と対峙たいじできたことを喜びましょう。

 勝負は一瞬です」


 王子も真剣な面持ちでうなずいた。

 そして、レント公爵令嬢に向かって手を差し出した。


「お嬢様。僕と踊っていただけませんでしょうか」


 公爵令嬢はキョトンとした。


「あら。私たち二人だけですのに。

 ここはパーティー会場じゃなくてよ?」


 確かに広さはある。

 王宮奥の間にある中庭である。

 そこに足を踏み出して、芝生の上で踊ろうと、王子が招いているのである。


 王子は公爵令嬢を正面から見据えた。


「これは王家にのみ伝わる秘伝の儀式でございます。

 僕の剣舞とともに舞っていただけたご婦人のみ、王家に招き入れることができるのです」


 もちろん、デッチ上げである。

 王子が狙うのはただ一つ。

 公爵令嬢にまつわる黒い霧だ。


 そうとは知らず、レント公爵令嬢は、自らの手でちょこんとスカートをたくしあげてお辞儀をした。


「お招きありがとうございます」


 そして、黒い霧に向かって声をかけた。


「ごめんね。ドックス、少し席をはずしていただけないかしら。

 私、王子様とまいを舞わなければなりませんの」


 言葉を解するのか、黒い霧が大きなかたまりとなって離れていく。

 以前は塊となっても子犬程度の大きさだったが、今は人のような体をして、両手足がある。


 王子は直感した。

 これこそが、伝説でしか確認されていない〈黒き悪魔〉に違いない、と。


 実際、黒い影は人型にはなったが、頭から角をニ本増やし、背中には大きな翼が生えているかのようなシルエットになっていた。


 黒い霧が離れ、レント公爵令嬢が王子に身を寄せた、その瞬間ーー。


 王子は剣を鞘から抜き放ち、黒い影に向かって横向きに突進した。

 剣先を輝かせ、〈破邪の王剣〉で黒い影に斬りかかる。

 幼少の頃より剣術を習い続けた王子の腕は確かで、騎士団長もうならせるほどの水準に達していた。

 接近したからには、斬り伏せることができる。

 それほど、近い間合いに入っていたはずだった。


 だが、敵もさるもの。

 黒い霧は、人型の塊となって、王子の剣の切先きっさきかわそうとして、瞬時にる。

 だが、王子は敵を逃すつもりはない。


「ハアアアッ!」


 気合を込め、さらに大きく一歩、足を踏み出して、剣を振る。

〈破邪の王剣〉は青白く輝き、黒い影に刃で斬り込むことに成功した。


「まだまだ! 逃すかッ!」


 王子は再び大きく踏み込んで、二の太刀を入れる。

 凄まじい剣技であった。

 人型となった黒い影の額を水平にで斬り、逃げようとするのを追いすがり、片腕に当たる部分を斬り捨てた。

 そのまま、音もなく、黒い影は霧のように無散した。


 レント公爵令嬢がドックス名付けた黒い化け物は、こうして姿を消したのである。


 瞬時の出来事で、令嬢は呆気(あっけ)に取られたままであった。

 王子は振り返って再び片膝立ちとなり、レント公爵令嬢の左手を取り、接吻(キス)した。


「ご無礼をお許しください。

 どうしても、貴女あなたを助けたかったのです。

 アレは魔の眷属に間違いありません。

 宮廷の除霊師を狂わせるほどの力を持った悪魔です。

 この〈破邪の王剣〉なくしてははらうことすらかないませんでした。

 どうか、僕の貴女への愛に免じて、お怒りなきよう、伏してお願いいたします」


 レント公爵令嬢は固まったように身じろぎもしなかった。

 が、しばらくして、目に力が宿り、パアッと頬に生気がみなぎった。


「いえ、こちらこそ、王子様のお手をわずわせ、大変失礼いたしました。

 あの黒いーードックスは、王子様との婚約のお話が出てきました頃以来、いきなり姿を現わし、私になついてきたのです」


 王子は立ち上がると、正面から令嬢を見詰める。


「ご気分はいかがですか?」


 レント公爵令嬢は少し顔を赤らめ、うつむき加減で答えた。


「はい。このたびは王宮にお招きいただき、ありがとうございます。

 加えて王族ならではの剣舞を拝見させていただき、誠に感謝しております」


 丁寧な礼を述べてから、彼女は目をうるませ、王子を見詰め返した。


「ありがとう。ラント殿下」


 王子の名前はラントという。

 元々は、気安く名前を呼びあう間柄であった。


「こうしてラント殿下と笑い合うのは何年ぶりかしら。

 なんだか、気分がスッキリしました。

 頭の中のもやが晴れたみたい。

 今まで、あのような化け物にこだわっていたのが不思議なくらい……」


「よかった。昔の君に戻ったみたいだ」


 若いニ人は身を寄せ合い、強く抱き締めあった。


 その二人の様子を、王子の侍従パトリックは目を細めて眺める。


 若い男女を祝福するかのように、王宮奥の間の中庭に、明るい陽光が差し込んでいた。


◆6


 レント公爵令嬢の身から、黒い霧がはらわれた翌日ーー。


 今度は王宮奥の間に、レノア公爵家の面々が訪れた。

 婚約者とその両親が訪問したという形になっており、王様がじきじきに公爵を招いたものであった。


 レント公爵家夫妻と令嬢、そして王子とで席につき、正式な婚約式に向けて話を進める。

 もちろん儀式の段取りや参加者の席次など、細々こまごまとしたことを決めるのは両家の侍従たちである。

 主人たる彼らは、対面してくつろぎながら談笑するだけだ。


 ようやく結婚できると、喜色満面のラント王子。

 その様子を見て安堵する公爵家ご夫妻。

 彼らの一人娘は今、王子の隣に座っている。

 王子の許に嫁げば、娘に対して両親の方が臣下の身分となるのだ。

 いまだ婚約前ながら、王子の傍らにあることに慣れようと、令嬢は努力していた。

 それを公爵ご夫妻も喜んで応じていた。


 令嬢の父である公爵はティーカップを置いて、ふところから一枚の招待状を取り出した。


「殿下。お妃様から、招待を受けております。

 若い二人で参上するように、と」


 王子は公爵に向かって大きくうなずき、ついで傍らにいる令嬢に向かって微笑む。


「母上のアップルパイは、最高に美味しいんだ。

 これだけは、自らお焼きになられる」


「まあ。楽しみですわ」


 なごやかに語り合う、若い二人。

 それを娘の父母は暖かい眼差まなざしで見守っていた。


 公爵ご夫妻が王宮を去ってから、半刻後ーー。


 王子と令嬢は王宮奥の間のさらに奥ーーお妃様が起居する館に招待されていた。


 お妃様の館には、マーブル模様が付いた大理石の床と大きな柱がある。

 その館の中央、天井が高い部屋に、王子と令嬢は通された。

 赤い絨毯じゅうたんの上に、白い丸テーブルがある。

 正面に置かれた大きな椅子には、お妃様が座ることになっている。

 だが、まだ妃は来ていない。


 王子はおどけた声を出した。


「母上は張り切っておられるようだ。

 アップルパイを食べるのも久しぶりだな」


 令嬢もニッコリと微笑む。


「私も久しぶり。

 私、幼少のみぎり、こちらへご招待されて、いただいたことがありますわ。

 子供ながらに、とても甘くて、おいしかったと記憶しております」


 二人で手を取り合い、先にテーブルにつく。

 若い男女が語らい合っていると、妃のお付きの侍女がワゴンを押しながら入室した。


 ワゴンにあった大皿をテーブルに置き、かぶせられていた銀色のフタを取る。

 中からは、焼いたばかりなのだろう、湯気ゆげが上がったパイがあった。


「お妃様が焼かれたアップルパイでございます」


 かぐわしい香りが、部屋中に充満する。

 若い男女はお互い口にしないながらも、その匂いだけでも充分爽やかに感じられていた。

 大きな椅子の傍らに立つ侍女が、深くお辞儀をしながら声を上げる。


「お妃様のおなりでございます」


 やがて、奥の扉が開き、ゆっくりとした足取りで、王子の実母である王妃が入室してきた。


 が、一目見て、王子と婚約者は絶句する。


 なんと、王妃には片腕がなかった。

 そして、頭には包帯がぐるぐる巻きになっており、血がにじしていた。

 それなのに、いつも通り、お妃様はおっとりとした風貌ふうぼうで微笑んでいた……。


(了)


【あとがき】

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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 今後の創作活動の励みになります。


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