充血

地ノ有線

充血

 目が覚めた。寝汗というやつが体にまとわりついて、また、身体が重くて、姿勢を起こそうにもその気にならない。こういうときに二度寝の誘惑に微睡みながら考えるどうでもいいことに意外と世の中の真理は隠れているのかもしれない。


 私はいわゆる”安全圏”の中で高校まで育てあげられてきた。そんな果澄かすみちゃんには、大学生という肩書きにどこか憧れるフシがあったようで、無理を言って実家を抜け出したが、そこには世界の広さを実感して間もなく、無事にダメ人間の一丁あがりという結末が待っていた。

(何もしていないのがかえって苦しい。生きていればいいことがあるなら、死んだほうがいいこともあるものだ)

 一日に幾度もそういったことを考える癖に、鉛の様に重く動かないでのうのうと腹を空かせる私のことだから当分は生きているだろう。起きて顔を洗った。目は少し充血していた。




 大学2年生は割と時間に余裕があるものだ。身の丈に合わない都会暮らしのおかげ か通学時間は1時間と掛からない。

「おっはよー、果澄かすみ!」

「お、おはよう」

 彼女は中高と一緒だった、奈月なつきである。騒がしい性格だが、地元が一緒ということもあり割と頼りにしている。

「カスミンなんか疲れてない? 奈月、心配だよ〜」

「いや・・・ただ夜寝るのは遅かったけど」

「もーやっぱ疲れてるじゃん。目も充血してるし」

 確かに、けさ顔を洗うとき少し気になったが云う程だろうか。悪化するのも嫌だし目薬を買って帰ることにした。





 その晩、いつものように歯を磨いていると、鏡に写った自分を見てふと違和感を覚えた。昨日の自分にあった”ナニカ”が消えたようなそんな心地で、なんとも落ち着かない。

(奈月の言ってた通り、疲れているのかなぁ)

 流石に夜も遅いので、ベッドに入って無理やり目を閉じた。




(うーん 今何時だろ?)

(喉も乾いたし、一旦起きるか・・・・)

 たまたま冷蔵庫に麦茶があったのを思い出し、おもむろに部屋の明かりを点けた。

 目覚めはとても良いものとはいえなかったが、それよりも最悪な事に気がついてしまった。化粧用でリビングに置いてある(というより、放置されている)鏡に自分が写っていないのだ!

「え、うそでsy って、痛っ!」

 あまりの動揺で舌を噛んでしまったようだ。思わず顔に手をやると、犬歯が異様に伸びているのか、それが唇に突き刺さって大量出血していた。

「ちょっと、え、、、」

 今すぐ思考を放棄してベッドに飛び込み、夢オチというやつにしたかったが、流石に傷口から血が止まらないのでとりあえず洗面所まで洗いに行った。


 小一時間経っただろうか、出血も収まり、自分でも驚くほど冷静になってきていた。洗面所の鏡にも勿論自分の姿はなかった。

(もしこれが漫画なら、私は吸血鬼にでもなっちゃったの?・・・・・)

 妙に冴えていた頭にとうとう限界が来たからなのか、それとも、”吸血鬼もどき”にはさっきの出血は耐えられなかったのか、程なくして底なしの眠気に私は溺れた。





 次に目を覚ましたのは洗面所の中で、今度こそ朝が訪れていた。寝ぼけ眼をこすりながら節々が痛む身体を起き上がらせると、鏡にいつも通りの疲れ切った顔が写っているのに気がついた。

(あれ・・昨日の傷、無くなってる)

 昨夜のパニックは何だったのかと考えを巡らせる前に遅刻しそうな時間であることを知ってしまい、私はとりあえずその顔に応急処置メイクをして大学へと向かった。目は充血していなかった。





 それからの1ヶ月は、課題の提出間近ということもあってか十分に休眠の取れない環境でサプリメントに頼る生活を送った。ほとんど記憶に残らないほど忙しい日々だったので、後は自分をいたわるために奈月と焼肉を食べに行った。

「カスミン、レバーも食べてよ〜〜ちゃんと栄養摂ってよね!」

「もー奈月が食べたくないだけじゃん!!」

「えへへ、バレたか〜」

 まあでもレバーは嫌いじゃないし、頭の片隅に置いておこうとして完全に忘れていた吸血鬼の自分のためにもと思って、鉄分レバー2





 そろそろ季節が変わろうとしてきたこの頃、花粉のせいだろうかなんだか体調が優れていなかった。目も少し充血しているような状態が続いていた。

(目薬、あんま効かないなぁ、、、 やっぱり眼科いかないとかな、、)

 なんて思いながら過ごしていたら、1週間経っていた。

 その晩、いつものナイトルーティンをこなしていざ寝ようとしたとき、いきなり立ち眩みに襲われた。普段こういうのはない私にとって、ここまで日頃の自堕落な生活を呪ったことはなかった。




 少し落ち着いたので、鼓動がいつもより速い気もするままゆっくりと立ち上がってみた。するとどうだろう、数ヶ月前に見た、いや正確には見えなかった、自分と同じように鏡に写っていないではないか。流石にこれが現実なのはごめんなので、そこは置いといて考察してみた。

(吸血鬼ってことは血を欲しているんだよね、、)

(最近食事はカロリー補給バーに頼っていたし、鉄分が足りなかったとか?)

(というかスマホのカメラなら顔、見れるんじゃね)

 カシャ。

 写っていたのは確実に私のはずだった。しかし、その虹彩は朱く染まっており、また、牙のように伸びた犬歯はいかにも血を吸いやすそうであった。

 刹那、えも言われぬような高揚感と緊張感が私に走った。ただ深夜テンションでハイになっているだけとは違う、まるで夜が本来の活動時間のように感じられるような底なしの活力が湧いてきていた。時刻は深夜2時を回っている。何を思ったか、私は夜の街に繰り出していった。喉は無性に渇いていた。



 都会とはいえ治安が良い方の街を選んだので、公園にいるのは酔いつぶれた中年がいるのみである。吸血するつもりなどまったくなかったが、おじさんと一緒なのも嫌なのでそこをあとにした。



 大通りまで来てしまった。ほんの興味本位で外に出ただけなのに、面白いものを探していたら気づかずに繁華街に行き着いていた。時刻は3時半ごろだっただろうか。

「おねーさんこんなじかんにひとりでなにしてるの笑?」

「えっっっと・・・さ、散歩とか?」

 突然知らない男に話しかけられ、ふと応じてしまった。

「なにそれ笑 てか今暇ならさ、ウチの店来ない? 女性店員もいるからさ」

「い、いえ そういうのは」

「お酒飲むだけじゃん。 すぐそこだし」

 だんだん語気が強くなってきた。周りに人も多くなく、助けはほぼ呼べない状況と言って良い。男は諦めずに私を追ってくる。

 いよいよ身の危険を感じて走り出そうとしたとき、ある衝動に駆られた。強烈な喉の渇きに加え、今までに感じたことのないほどの胸の高鳴り。それはまさしく、私の中にいる血に飢えている吸血鬼のものだった。

「わかりました。 その前にちょっと付き合ってもらえますか」

「おっ、いいよ〜」

 この男の声が嬉しそうに弾む中、人を襲う側へと入れ替わった私の笑みは自分でも寒気がするほどだった。

 ここからの記憶はない。

 次の場面にはもう家に帰っている自分がいた。



 


 翌朝はいつもより早く目覚めた。そのまま洗面所に行って歯を磨いていたら、昨夜の出来事を時間差で思い出してきた。そしてあることに気づく。

(あれ、今日は鏡に映ってる?)

 そこにあったのは至って普通の自分の姿だった。虹彩は黒に戻っているし、犬歯も元の位置にある。なんなら、体調はいつもよりいいくらいだ。大体どうやって人間の姿に戻ったというのだろう。

(まだちゃんとした吸血鬼になれていないのかな、、)

(血が不足するとまた吸血衝動は起きるのとか、、、)

 そう考えを巡らせているうちに記憶がまたクリアになってきた。


  酔っ払いのいた公園まで男を連れ、そこで私は人間離れした力を使った

  人殺しにはなりたくないと理性が必死に止めようとしていた

  それでも少しは血を飲んだ


 ここまで明確に昨夜犯した出来事を思い出してくると、もはや愉快に思えてくる。私は、果たして彼は生きているのだろうかなどと思案するよりも、自分が吸血鬼になっていたことの方をなぜかとても深い満足感と共に噛みしめていた。何にもなれない、何も成し遂げられないと思っていた自分にができたのである。根っからの怪物はもしかしたら人間の自分の方かもしれないと少し感じた。





 それから数ヶ月経ち、町に吸血鬼が出るという噂が流れ始めた頃、私は変わらず数週間に1回の鉄分補給の日を楽しみにしていた。

「ねえ果澄、最近あんたの住んでる街で変な噂聞かない? 何でもかよわそうに見える女性に夜話しかけたら、中から狼だか吸血鬼だかが出てきて襲われるって話なんだけどさ。大丈夫なの?」

「あーそれね。でも襲われてるのいつも男ばっかだから心配ないでしょ」

「それがさぁ、最近は女の子もやられているみたいでね・・・」

「も〜奈月! 怖がらせないでよ」


 正直、心当たりがあった。今では血を欲する間隔が短くなってきて、また、吸血鬼の時の記憶もうまく思い出せなくなってきている。

 最初は、誰も殺さないで次の日からキマった状態で大学に行けるので重宝していた。そう思って理由をつけていた。しかし冷静に考えれば、それはただの日々の鬱憤を吸血衝動に任せて発散しているだけであり、なんならそれを楽しんでいるところも否めないのである。

 最近に至っては、まるでスマホを充電するかのように血を吸っていた。

 奈月の話では血を吸われ、未だに入院している人もいるらしい。

(流石にもうやめよう、そしてあんな快感なんか忘れよう)

 充電じゅうけつはそれだけ危険性を孕んでいるのだ。

 ここまで私は自己中心的な怪物なのかとつくづく思い知らされた。

 




 その夜、いつものように吸血鬼化した自分の首に銀でできたナイフをすべらせた。

 これが、この物語に於いて私が下した唯一の正しい判断であった。

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