死語保管庫 東店
『死語保管庫 東店』という看板に、足を止める。
店名の堂々とした明朝体と、その下にある3行程度の説明文から誤字とは思えなかった。
外から店内を覗いてみる。open、の掛札がドアノブにかかっているため恐らく入っても大丈夫なのだろうが、人気が感じらず、戸惑いを覚えた。
私は、この街のことをあまりにも知らない。いや、知ろうとしていない、が正しい。
この街に引っ越してきた時は興味深さに目移りしては気の向くままに散策した。言葉が見える景色たち。私は、言葉遣いに住人たちの人生を見た。言葉選び、話すスピード、伝え方。それが目に見える街――なんて素敵な所だろうと思った。この街を第2の故郷にしたかった。
でも、見知らぬ誰かに吐かれた『死ねよ』の3文字は強烈だった。
溢れんばかりに満ちていた私の興味を枯らすには十分で、この街のことを知ろう、言葉を交わそうとは思えなかった。あの何気ない3文字に、無邪気な私は殺された。
言葉は武器だ。扱いには気をつけなければ人の行動を変え、殺す。それは見えても、見えなくても同じであるには違いないと思う。
一呼吸置く。
だからこそ、気になる。死語という存在。この街における、死語とは一体何を指すのだろうか。ここに越してきたばかりのあの頃の私なら、こんなお店は絶対に放っておかないだろう。
丸く、鈍く輝いているドアノブに手をかけて回す。
ガチャリ、と聞こえ、扉を押し込んだ。古びて重たいその扉だけで年季を感じる。
薄暗い店内を見渡すと、沢山の箪笥があった。
木製の洋服箪笥のようなものから、金属製の重圧があるもの、おまけにオフィ机のようなものや学習机のようなものもあった。一見すると粗大ゴミの山のようだが、パッチワークのようだとも感じた。
決して広くは無いその店内に山のように、しかし完璧なバランスを保つようにそこにある箪笥たちの高さは、私の身長などゆうに越えている。そして、この店は縦に長いことに気がついた。だが、階段などはどこにも見当たらなかった。
いったい店主はどこにいるのだろうか、とキョロキョロしていると後ろからドアが開く音が聞こえた。
「いらっしゃい」
音と声に驚いて振り返ると、見覚えのある顔があった。
「あ……え?」
「なんちゃって。さっきぶりですね」
そこにいたのは、やけに飄々とした顔をした青年だった。彼には以前、というかついさっき――倒れた本棚を起こすのを手伝ってもらった。詳しい身の上は知らないが、色々な所を歩き回るのが好きらしい。
なんちゃって、と言ったということは、少なくとも彼の店では無いようだ。
「もしかしてお姉さんのお店ですか?」
「いや。違うけど」
彼はうーん、と言いながら顎に指を添える。いかにも黙考中、というポーズだなと思った。
「10分前くらいに自分もここに来たんですよ。でも、誰もいなくて」
「へえ、そうなの」
「ええ。で、人影が見えたんでまた来てみたんですが……となると店番のような人はいないのかな。好きなだけ見ていいよ的なところなんでしょうかね」
「そうかもね。openの札がかかってるのを見るに、管理してる人はいるんだろうけど」
そう言いながら、外のドアを見やる。
「ところで、お姉さんは見ました?このタンスの中」
ギィ、という音の後に木が擦れるような音がした。
音の方を振り返ると、あの青年はタンスを開け始めている。
「いや、まだだけど。見たい見たい」
そう言い放ち、自分の近くにあった金属製のタンスを開ける。
そこには、一冊の本が入っていた。年号と思われるものが書き記された付箋が貼られている。
「想像した通りのものがあると、それはそれで面食らいますね」
青年はパラパラと本を流し見しながら言った。期待したようなものが無かったのか、少しつまらなさそうに見える。
「そう?私はこんな風に保管されてるんだ、って噛み締めてるとこだよ」
「そうでしたか。それはお邪魔しました」
んー、と青年に空返事をする。今はただ、目の前の保管されていた本に集中したかった。
この場所はどんな意図で作られたのか。そして、店主がどうしてここにいないのか。そんな思考の海に浸かる度に初めてこの街を見た時の印象を思い出す。
時間に取り残されているような感覚。
人だけが忙しなく動き続ける風景。
それを思いながら、言葉の一つ一つを読み上げて、すくいあげる。声に出し、形となる感覚を楽しむ。意味を孕むのを吟味する。
青年がこちらに視線を向けるのを肌で感じたが、気にしない。彼はこの街の、忙しなく動き続ける側だ。
この街の構造と時間の流れは退屈に映る人。楽しみ方が、異なる人。
言葉の解説やら例文、背景、その言葉が使われた短編を読み上げ終わる。
視線を上げると、青年は微笑んでいた。
「楽しそうに朗読しますね」
「そう?そうかな」
「ええ、言葉が弾んでいましたよ。楽しげに。それはもう、生きているようにね」
「……なにを上手いこと言おうとしてるの」
「バレました?」
ジロリと見ると青年を見ると、彼はあはは、と愉快そうに笑った。
死語保管庫 東店
死語とは、時代の軌跡です。言われてみればあったような言葉、懐かしいと感じられる言葉、そして、誰にも思い出せなくなった言葉。そんな言葉たちの亡骸をしまってあります。ぜひ、お気軽にお立ち寄りください。
言葉が見える街 とりたろう @tori_tarou_memo
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