第4話
「女子の練習試合再開します。集まってください」
嶋先生は莉湖と知穂の名前を呼んだ。
「りこ先輩の出番!」
「莉湖先輩の相手は川中のキャプテン、70kg以下級の
閑は引き続きノートを取りながら満子に説明してくれた。
「70…?え、りこ先輩と全然違うじゃん!」
48kg以下級の莉湖と70kg以下級の知穂では体格差がかなりある。組み合うとそれがいっそうはっきりと分かる。
「これだけ体重が違ったらりこ先輩不利じゃん!」
いくら満子が初心者で柔道のことを何も知らなくても、体重がこれだけ違えば力も違うということくらいは分かる。柔道の試合に階級があるというのも納得だ。
「確かに格闘技において体重差は不利になることが多いけど、柔道はそうじゃないこともあるんだよ」
「え?」
「莉湖先輩の柔道をよく見てて」
閑に言われ、莉湖と知穂の試合をじっと見る。
莉湖は素早い足さばきで知穂を翻弄していた。知穂は莉湖についていくのていっぱいいっぱいだ。そして、知穂の隙をつき、莉湖はその懐に飛び込んだ。
ふわりと知穂の両足が浮く。そして、ぐるりと莉湖の背中で一回転した。
ドン!と畳の上に知穂の背中がつく。
「一本!それまで!」
嶋先生の判定を聞き、投げられた知穂は悔しそうに起き上がった。
「また負けたー!ほんと強いな莉湖!」
悔しそうだが知穂は楽しそうで、カラカラと笑う。莉湖もにこにこしながら知穂に手を差し伸べた。知穂はその手を掴み、立ち上がる。
「『柔よく剛を制す』って莉湖先輩のための言葉なんだろうなって、この高校に入って思ったよ」
「じゅーよくごーをせーす……」
「小さな人でも相手の力を上手く利用すれば大きな人を投げられるってこと」
閑の説明は分かりやすかった。まさにさっきの莉湖の試合だと思った。
「やっぱり私、りこ先輩みたいになりたいなあ」
「いいね。満子ちゃんの目標は莉湖先輩だね」
「うん!」
次に呼ばれた閑はノートを美弦に渡した。美弦は黙ってノートに記録を取り始める。……気まずい。
「あ!りこ先輩!お疲れ様です!」
戻ってきた莉湖にタオルを渡す。莉湖はにこりと微笑み「ありがとう」とタオルを受け取った。
「さあ、次は閑ちゃんと
「紗穂さんは何kg級ですか?」
美弦は莉湖に訊ねた。
「最近階級を上げたらしいから今は70kg級かな?お姉ちゃんの知穂と同じね」
どうやら知穂と紗穂は姉妹だったらしい。言われてみれば雰囲気が似ている。
「知穂さんとどっちが強いんですか?」
「同じくらいかな。二人とも強いよ」
莉湖がそう言ったのと同時に閑が投げられた。「一本!」と嶋先生の手が上がる。
「次、田中さんと柴田さん」
名前を呼ばれ、美弦はすくりと立ち上がった。
──『私、柔道嫌いだから』
美弦の言葉が蘇る。あんなことを聞くと、一試合目のように「がんばれ」なんて言えなかった。
「はああ、紗穂さん強かった……!なんにもさせてもらえなかったぁ」
戻ってきた閑がガックリ肩を落として座った。
「お疲れ様しずちゃん!」
「ありがと満子ちゃん~」
私ももっと頑張らなきゃ、と言いながら閑はノートを記入し始めた。
「えっと、つるちゃんの相手は三年生の
「彩絵は52kg以下級だよ」
「ありがとうございます」
莉湖に教えてもらい、閑はノートにメモをした。
「彩絵さんって確か高校で柔道始めたんですよね!」
満子の言葉に莉湖は「そうそう」と頷いた。
「すごいよね。高校から始めて、ちゃんと黒帯も取ったんだから」
「高校から柔道始めても黒帯取れるんですか!」
「頑張れば取れるよ。満子ちゃんも黒帯目指して稽古頑張ろうね」
「はい!」
莉湖も憧れだが、全くの初心者である満子にしてみると彩絵も憧れの存在である。彩絵の黒帯が誰よりも眩しく見えた。
試合の結果は、美弦が合わせ技一本で勝利だった。
「えーっと、つるちゃんが足払いと体落しで合わせて一本っと。書けた!」
閑は記録を書き終えたノートをパタンと閉じた。
顧問二人の前に部員全員が並ぶ。
「では、これで合同練習は終了です」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
両校向かい合って礼をする。朝から行われた合同練習は昼前にお開きとなった。
挨拶が終わると高校生同士、友達のような雰囲気になり、一気に道場が賑やかになった。
「安藤さん」
嶋先生に呼ばれ、満子は先生のところへ駆け寄った。
「今日は練習試合を見てみて、どうでした?」
「めっちゃ勉強になりました!りこ先輩のじゅーよくごーをせーすとか、めっちゃかっこよかったです!」
「柔よく剛を制すね。安藤さんも小柄だから、佐川さんの柔道スタイルをとりあえず目指してみるのはいいかもしれませんね」
「はい!りこ先輩みたいになりたいです!」
満子は拳を突き上げた。
「早く私も試合に出られるようになりたいです!」
「試合出てみたいって思ったんですね」
「はい!」
楽しいことばかりじゃないのは美弦を見て分かった。苦しいことも辛いこともきっと起こる。
だけど、今の満子にはこれからのことに対してワクワクしかなかった。みんなのように、強くなりたいと思った。
「満子ちゃーん、ちょっと来てー」
「はい!」
莉湖に呼ばれたので、嶋先生に「失礼します!」と礼をして離れる。
莉湖は彩絵と一緒にいた。「彩絵さん!」と駆け寄る。
「満子ちゃんってもう道着買った?」
「それがまだなんですよね。どこで買えばいいのか分からなくてー」
「じゃあ、私のお古で良ければ練習用にあげる」
「え!いいんですか!?」
彩絵はにこにこしながら頷いた。
「私、最初は48kg以下級だったんだけどトレーニングしたら身体大きくなって、道着のサイズも変わっちゃったの。その時の道着」
「えー!めちゃくちゃ助かりますー!」
嬉しくて思わずぴょんぴょん跳ねる。それを見た彩絵は微笑ましそうに目を細めた。
「そしたら、帰りに私が彩絵の家に寄って受け取ってくるね」
「りこ先輩そんな!いいんですか?」
「ちょうどこれから彩絵と知穂と遊ぶ約束してたから」
任せて、と莉湖はピースサインをした。
他校だが三年生同士仲良しのようだ。良きライバルという感じでいいなあと思った。
一年生同士は、と美弦と真綾を見比べた。美弦も真綾も一人で黙々と帰る支度をしている。……うん、この二人が先輩達のような関係性に今すぐなるのは難しそうだ。それに、無理に仲良くなる必要もないだろう。
美弦と真綾はそれでいい。しかし、満子は美弦ともっと仲良くなりたい。
「ねえ!つるちゃんしずちゃん!これからご飯行かない?」
閑は「いいね、ちょうどお昼だし」と賛成してくれたが、美弦は予想通り「私はいい」と目を逸らした。
「そんなこと言わずに!ね!」
美弦の腕をがっしりと掴み、逃がさないようにする。
「ちょっと……!」
美弦が振りほどこうとするのをどうにか押さえつける。
「どこ行く?ハンバーガー?ファミレス?」
「あ、私ハンバーガーのクーポン持ってるよぉ」
「ナイスしずちゃん!じゃあそれ!」
キャッキャと盛り上がる満子と閑の様子を見て、「……はあ」と美弦はため息をついた。どうやら抵抗を諦めたらしい。
「合同練習お疲れ様!カンパーイ!」
「かんぱーい!」
「……乾杯」
紙コップに入ったジュースで乾杯をし、ストローで吸い上げる。なんやかんや美弦もちゃんと乾杯に参加してくれたので嬉しくて笑顔が出る。
「練習の後の冷たいジュースさいこー!」
「あなたは受け身しかしてないでしょ」
「応援いっぱいしたから喉乾いたのー。でも試合をした二人の方がお疲れだよね!ほら、ポテト食べて食べて!」
満子に促され、美弦はため息をつきながらポテトを摘んだ。
「でも今日久しぶりに試合やって、自分ってまだまだなんだなぁって思い知らされちゃった」
閑はチーズバーガーを頬張りながら少し肩を落とした。
「三津谷さん、中学の時は柔道部に入ってなかったんだね」
美弦の言葉に閑は頷いた。
「柔道部がなかったから美術部に入ってたの。一応中学の間も昔から通ってた少年柔道クラブで稽古はしてたんだけどね」
「柔道部のある中学には行かなかったんだ?」
「家の近所の中学を選んだからね」
「あー、私はその理由で高校選んだ」
閑と美弦の会話をふんふんと聞きながら満子はフライドポテトを次々に口へ運ぶ。
「高校はなんで月島にしたの?ここに来ようと思ったら三津谷さん電車でしょ。私は歩いて十分くらいだけど」
「高校では柔道がやりたかったし、月島は進学科があるからね」
「うえ!?しずちゃん進学科なんだ!?」
大人しく話を聞いていたが、ついリアクションしてしまった。進学科に入れたということは結構勉強ができるということなのだ。閑はえへへ、と眉を下げて笑った。
「そういう満子ちゃんは?」
「私もつるちゃんと同じ!家から2kmくらいだったかなー」
「近いような遠いような絶妙な距離だね。自転車だっけ?」
「自転車持ってないから歩き!あ、でも走ったら十分もかかんないからつるちゃんと変わらないね!」
満子の台詞に、閑と美弦は顔を見合わせた。
「え、2kmを数分で走れるってこと……?」
「薄々気付いてたけど、満子ちゃんって身体能力結構すごいよねえ」
すごいことなのかな、と首を傾げながらハンバーガーをかじる。確かに昔から体育の授業ではそこそこ活躍していたが、なんせ運動部に入ったのが初めてなので自分の力というのがまだよく分からない。
だけど、今の段階で分かっていることもある。
「部活って楽しいね。練習もおもしろいけど、つるちゃんとしずちゃんとこうして部活の後にハンバーガー食べてるのも超楽しい!」
閑と美弦はぱちぱちとまばたきをした。そして、ふっと笑う。
「そうだね、私も楽しい」
閑がこう返してくれたのが嬉しくて、「しずちゃん~!」と抱きつく。
「ね!楽しいよね!また来ようね!」
閑はウンウンと頷き、美弦は返事はしないものの否定もしなかった。
閑と美弦の友達になれたこと。莉湖の近くにいたい、莉湖のようになりたいという目的以外の、柔道部にいる理由が増えた。
入部して良かった、と満子は心の底から思っているのだ。
やわらのあんみつ! 志柚 @shiyu1234
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