第3話

「いいなあ、つるちゃんとしずちゃんは技の練習ができて」

休憩中、ぐでーっと脱力する満子に閑は「まあまあ」と宥めた。

「満子ちゃん受け身の練習頑張ってるじゃない」

「でもこの一週間ずーっと受け身ばっかりだよ!?私も早く投げる技を覚えたいよー!」

嶋先生が満子に与えるメニューは、基礎の筋トレ、受け身、ルールの勉強、受け身、受け身、受け身。ひたすら受け身だった。

受け身は大切と分かっていても、他の部員がバシバシ柔道しているのを横で見ていると歯痒いのだ。

「最初はみんなそんな感じだよ。それに、受け身の練習はどんなにベテランでも絶対やるし」

閑の言う通り、準備体操の中に受け身は確かに取り入れられている。それを思い出すと、受け身が大切であるという嶋先生の言葉に説得力が増した。

「なんだよ満子、そろそろ辞めたくなってきたか?」

太郎がにやにやしながら寄ってきたので、「絶対辞めないから!」と頬を膨らませる。

「つーか満子、お前どこまでできるようになったんだよ」

「前に行くやつ。名前なんだっけ?」

「前に行くやつ?前受け身か?」

満子は首を捻りながら立ち上がり、助走をした。

「は?なんで助走?」

「えーと、こうやってぇ」

片足で踏み込み、その足で畳を蹴る。ふわりと宙を回り、少し前に手をつけてくるりと回転する。半身で受け身を取り、流れのまますくりと立ち上がる。

「お前、それ前受け身じゃなくて前方回転受け身じゃねーか!?」

「あ!それそれ!名前長くて覚えられなかったの!」

「全然長くねーわ!」

太郎は幼馴染のアホさに頭を抱えた。

その一方で、閑と美弦は唖然としていた。

「え……満子ちゃんもう前方回転受け身できるようになったの……?」

「しかも飛び込んでる……」

二人が驚いてる理由が分からず、満子はキョトンとした。

「あー、コイツ昔から運動神経だけは馬鹿みたいに良かったからな。前方回転受け身も二人分くらいなら余裕で飛び越えられるだろ」

そう言いながら太郎は数希を呼び寄せた。

太郎と数希は二人並んで四つん這いの体勢になった。

「満子!さっきの前方回転受け身で俺らのこと飛び越えてみろ!」

「オッケー!」

満子はさっきと同じように軽く助走をつけ、そして畳をぐっと蹴り出した。さっきより上に飛び、高さをつけてくるりと回転する。

「出来てる……」

「しかも躊躇なく……普通、初心者は人を飛び越えるの怖がるよね……?」

閑の言葉に美弦は頷いた。

「な、馬鹿みたいに運動神経だけはいいだろ」

そう言って立ち上がる太郎はちょっとドヤ顔だった。

「みんな集合してください」

道場に戻ってきた嶋先生の元に、俊介の「集合!」という号令で駆け寄る。

「次の土曜日、川中高校が合同練習に来てくれるのでよろしくお願いします」

はい、と部員達は頷いた。

「安藤さんはどうする?合同練習できないから休みでもいいけど」

「休みません!」

「じゃあ土曜日も受け身ね」

やっぱり受け身か……!ガックリ項垂れる。

「りこ先輩、川中高校に私みたいな初心者っていますか?」

「どうだろう?いてくれたら嬉しいね」

にこにこ微笑む莉湖にきゅんとなる。今日も安定に可愛い~!

「はい!一緒に受け身したいです!」

合同練習楽しみ!と両手を上げる。




「こんちは!よろしくお願いしまっす!」

迎えた土曜日、ぞろぞろと道場に入ってきた川中高校柔道部の部員は月島高校よりも少し多かった。川中高校は男子は15人、女子は6人である。

先輩達は顔見知りのようで「久しぶり!」「ちょっと身体でかくなったか?」と楽しそうに会話をしている。

そしてそれは女子部員も同じらしい。

「莉湖ー!久しぶり!」

知穂ちほ彩絵さえ~!」

莉湖は二人と抱き合った。

「今年は女子部員増えた?」

「うん。3人も!」

「良かったじゃん!ずっと1人だったもんね」

知穂は後ろに立つ女子部員を振り返った。

「うちは1年が2人入ったよ。しかも、そのうちの1人は、あの江川真綾えがわまあや!」

その名前を聞いた瞬間、美弦はピクリと反応をした。

「江川さんってつるちゃんの知り合い?」

「……知り合いっていうか」

美弦は言いづらそうに口をもごもごさせた。「私も江川さん知ってるよ」と閑が入ってきた。

「柔道人口ってそこまで多くないから、友達とかじゃなくても名前は知ってるってこと多いからね」

「そうなんだ!」

「江川さんって小学生の頃から強くて、確か中学の時県内大会で63kg以下級の優勝してたよね」

「優勝!?すごー!」

後ろで髪をひとつにまとめている普通の女の子だが、そう言う話を聞くとすごく強く見えてきた。

「63kg級ってことは、つるちゃんと同じ階級だよね。試合したことある?」

閑に訊ねられた美弦は頷いた。

「何回か」

「だよね。県内だとどこかのタイミングで一回は対戦したことあるよね。田舎柔道あるあるだよね」

閑はのほほんと笑っているが、美弦の表情は硬い。

美弦のことも気になるが、満子には川中高校にまず聞いておきたいことがあった。

「あのぉ、川中さんは初心者の女の子っていますか?」

満子を見た知穂はまばたきをした。

「莉湖、この子マネージャー?」

「ううん。新入部員だよ」

「また柔道っぽくない可愛い子が入ってきたね。初心者?」

「はい!」

満子は元気よく返事した。

「うちは初心者の一年は入ってきてないのよね。羨ましい~!」

知穂の言葉に少しガッカリした。どうやら今日も一人きりで受け身練習のようだ。川中高校にも初心者がいれば一緒に練習できたのに、と期待していたのだ。

「でもこっちの彩絵は高校から柔道始めたんだよ」

「そうそう。一緒だね」

よろしく、と彩絵は手を差し伸べてきた。ようやく仲間を見つけた気持ちになり嬉しくなる。「そうなんですね!」と手を握り返す。

川中高校の顧問と話していた嶋先生が「聞いてください」と声を上げる。

「川中の皆さんは着替えにいってください。月島は分担して掃除。終わったら全員で準備体操をして、打ち込み、そのあと練習試合をやります」

はい、と全員が返事をし、それぞれ動き出す。

「安藤さんは打ち込みの間はいつも通り受け身ね」

「はーい」

練習内容はいつも通りとはいえ、いつもより賑やかな道場に満子もつられてワクワクしてきた。自分も早くあの中で一緒にやりたいという気持ちが高まる。


「安藤さん、受け身一旦ストップ」

こっち来て、と嶋先生に手招きをされ、満子は駆け寄った。嶋先生の周りには月島高校と川中高校の女子部員が集まっていた。

「これから練習試合を始めます。階級関係なく組んで、一人二、三試合ほどやりたいと思います」

嶋先生の出した練習試合という言葉に少しだけ空気に緊張が走った。

「タイマーは人数多いんで川中でやりますね」

「ありがとうございます矢野さん」

嶋先生は美弦、閑、莉湖を集めた。

「というわけで、今から練習試合です。佐川さんは普段通り。三津谷さんと田中さんは高校に入って初の試合形式ですから、今の実力をしっかり発揮出来るように頑張ってください」

「先生、私は?何を頑張りますか?」

「安藤さんは応援と、実際の試合を見てルールを覚えてください」

なるほど、それでまだ柔道着すらない満子も呼ばれたらしい。分かりました!と大きく頷く。

「ではまずは月島、佐川さん。川中、富岡さん」

はい、と返事をした二人が礼をして場内に入っていく。

壁際に移動し、満子は閑と美弦の間に座った。閑は嶋先生に頼まれて試合記録をノートにつけている。

「向こうは一年の富岡とみおかえみさんね。階級は莉湖先輩と同じ48kg以下級」

「中学は北中学だったと思う」

「さすがつるちゃん詳しい。私中学の時は柔道部なかったからそういう情報には疎いの」

そう言いながら閑はノートに北中出身と情報を書き足した。

「はじめ!」

嶋先生の声と共に莉湖とえみは距離を詰めた。そして、道着の取り合いが始まる。

「がんばれー!りこ先輩ー!」

先に襟と袖を掴んだのは莉湖だった。その次の瞬間。

えみの身体が宙を舞った。

「一本、それまで!」

えみの背中は見事に畳につき、嶋先生が手を真上に上げる。

「え、終わり?」

満子は美弦の方を見た。「一本だから終わり」と美弦は頷く。

「早い……!さすがりこ先輩!」

礼をして下がる莉湖の背中を見ながら震える。相変わらずかっこよすぎる!

「次。月島、三津谷さん。川中、木山さん」

「はい!」

閑はノートを美弦に託し、立ち上がった。屈伸して、赤畳まで進む。

「二年の木山弓子きやまゆみこさん……三津谷さんと同じ57kg以下級か」

「ねえねえ、つるちゃん。柔道って体重で相手が決まるの?」

美弦は「そこから……?」と険しい顔をした。

「そうだよ、無差別っていうのもあるけど大抵の大会は階級別で近い体重同士で試合をするよ」

そう説明しながら先程一瞬で勝ってきた莉湖がすとんと満子の隣に座る。

「今日は練習試合だから階級は関係ないけど、一試合目は同じ階級でやらせようってことみたいね」

そう話しているうちに、閑と弓子の試合が始まった。

「しずちゃんがんばれー!」

「弓子ー!どんどん技出してけー!」

満子の応援に負けじと向こうからも声が聞こえてくる。

閑と弓子はしっかり組み合い、互いに技を出してはいるもののポイントにはならなかった。そのうちにタイマーが鳴り響き、引き分けで終わった。

「お疲れしずちゃん!」

「はあ~、木山さん強かったぁ」

閑は疲れた様子でへにゃりと座り込んだ。

「そりゃそうよ、弓子ちゃんは去年のインターハイ予選で当時一年生にして三位になったんだから。その子に引き分けたんだから閑ちゃん大健闘!」

莉湖に褒められた閑は「へへ、ありがとうございます」と照れくさそうに眉を下げた。

「次。月島、田中さん。川中、江川さん」

ピリッとまた空気に緊張が走る。満子は美弦を見た。今まで見たことないくらい顔が強ばっている。

「つるちゃ……」

満子が声をかける前に美弦は立ち上がってスタスタと赤畳の前まで進んだ。

「つるちゃんの相手は江川真綾さんね。中学柔道をしてない私でも江川さんのことは知ってるくらいだから相当強いはず」

「そうね。でも稽古してて思ったけど美弦ちゃんも結構強いよ」

礼をして開始線まで進む。互いに向き合い、礼をする。美弦の表情はやはり硬い。

「はじめ!」

嶋先生の声のともにタイマーが動き出す。美弦と真綾は組み手争いを始めた。

先に袖を掴んだのは真綾だったが、それをすぐに美弦が切る。美弦が襟を持つと、真綾は道着を利用して位置をずらす。

「激しい組み手争いだね」

「二人とも上手い」

なかなか良い位置に組めないようで、細かい技は出ているものの大きな技は互いにまだ出せていない。

「真綾!先に技を出す!」

「美弦ちゃん!連続!足技から!」

激しい攻防に、双方の応援にも熱が入る。

満子も何か美弦にアドバイスを出したいが、初心者の満子にできるアドバイスなんてひとつもない。歯痒くて、うーっと唸る。

「がんばれー!つるちゃーん!」

満子には大きな声で名前を呼ぶことしかできないのだ。

両者譲らない組み手争いに終止符を打ったのは、真綾だった。美弦に持たれた袖を切ると同時に袖と襟を取った。そして、上下に揺さぶりながら美弦を動かす。

「くっ……!」

美弦の表情が歪む。袖をずらそうともがくが上手くいかないらしい。

体勢を整えようとした美弦が引いていた腰を上げたのを真綾は見逃さなかった。美弦の懐に潜り込み、足を跳ね上げる。

「っ──!」

ドン!と美弦は横から畳に落ちた。それを見た嶋先生は手を真横に上げる。

「技あり!」

その判定のすぐあとにタイマーがピーッと鳴り響く。

「つるちゃん、負けちゃったんですか……?」

「うん。内股で技ありだね」

礼をして場外に出てきた美弦は肩で息をしていた。顔に悔しさが滲み出ている。

「一旦こっちでも男子の試合やるので、女子は少し休憩です」

美弦は一人で道場の外に出ていった。なんとなく放っておけなくて、満子もその後をついていく。

美弦は道場の外の水道で顔を洗っていた。まだ呼吸は落ち着いていないらしく、背中が大きく動いている。

「つるちゃん……」

恐る恐る呼びかける。美弦は蛇口を戻し、振り向いた。

「あ、良かったぁ。つるちゃん泣いてなかった」

「泣いてると思ったの?」

ほっとした満子を美弦は呆れた目で見た。

「泣かないよ、たかが練習試合で。どうせあの子に勝てないし」

「え、でもつるちゃん強かったよ?惜しかったよ!」

「惜しかった?あなたみたいな初心者に何が分かるの」

美弦は満子をキッと睨みつけた。

「柔道始めたばかりのあなたには悪いけど、この際だからはっきり言っておく。私、柔道嫌いだから」

──え?つるちゃんは柔道が嫌い?

美弦はタオルで濡れた顔を拭った。

「親にやれって言われてるから続けてるだけ。どんなに頑張っても私にはセンスがない。その証拠に小学生の頃から江川さんとは何回も試合してるけど一度も勝てたことがない」

美弦はふっと笑い、目を伏せた。

「莉湖先輩に憧れたからって気軽に柔道を始めて、毎日楽しそうなあなたと私は違うの」

そう吐き捨て、美弦は満子を残し先に道場に戻っていった。

満子は、咄嗟に美弦に何も言えなかった自分を恨んだ。

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