第2話
「田中さん!一緒に道場行こ!」
ホームルームが終わるなり、満子は美弦に駆け寄った。そんな満子に美弦は露骨に嫌そうな顔をした。
「本当に入るんだ、柔道部」
「うん!もちろん!」
「……いつまでもつか」
どうやら美弦にはすぐ辞めると思われているらしい。沙耶と亜希にも笑われながらそう言われた。馬鹿にしなかったのは莉湖と母くらいだった。柔道部に入ると報告した時、母は「そう、やるからには頑張りなさい」とあっさり受け入れてくれた。満子は母のそういうところが大好きだ。
「ほら!早く行こ!」
「ちょっと!引っ張らないでよ!」
うざそうな美弦の手をグイグイ引き、廊下へと連れ出す。
和歌山県立月島高等学校の柔道部は創部13年のまだ比較的歴史の浅いクラブだ。月島高校の柔道部は強豪校というわけでもなく、部員数も多くない。むしろ年々減ってきているのが悩みらしい。
女子更衣室に入ると、昨日はいなかった女子が先に着替えていた。美弦が「三津谷さん」と声を掛けた。
「この子が昨日言ってた新入部員の安藤さん」
美弦に紹介してもらい、満子はピンと背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします!安藤満子です!」
「初めまして。同じ一年の
にっこりと微笑む閑は、ふんわりしたボブカットも相まっておっとりした印象だった。この子は絶対いい子だ、というのがすぐに分かる。
「満子ちゃんは柔道はじめてなんだっけ?」
「うん。だから柔道着もまだ持ってなくて、りこ先輩に体操服持ってきてって言われた」
「そっか。あ、このロッカー空いてるから使って大丈夫だよ」
印象通り閑は優しい。ありがとう!とお礼を言い、ロッカーを開けた。
「田中さんと三津谷さんはずっと柔道してるの?」
「閑でいいよ~」
「じゃあしずちゃん!」
しずちゃんと呼ばれた閑は嬉しそうに頷いた。
「うん、私も美弦ちゃんも黒帯だよ」
そう言いながら閑は黒帯を腰に巻いた。
「え!すごい!かっこいい!」
「かっこいいよね、満子ちゃんも黒帯目指そ」
「目指すー!」
拳を突き上げてはしゃぐ満子を横目に美弦は溜息をつきながら制服を脱いだ。
「早く着替えなよ。今日は一年が掃除当番だよ」
「分かった!ありがとう、つるちゃん!」
「つるちゃん……!?」
いきなり田中さんからつるちゃん呼びに変わったことに、美弦は困惑した顔をした。
「つるちゃんかぁ、可愛いねそれ。私もそう呼ぼうっと」
「ちょっと、三津谷さん!?」
満子に便乗した閑に、美弦は動揺した。
「ほら、つるちゃん、早く着替えないと~」
「~~~~!もう!」
美弦は呼び名を訂正したそうだったがそれをぐっと飲み飲んで、慌てて柔道着に着替えた。
道場へ移動すると、ちょうど男子部員も入ってきたところだった。
「あ、太郎だ」
満子の声に振り返った太郎は「マジで入部したのか……」とゲンナリした顔をした。
「金河、その子が例の幼馴染?」
太郎は一緒にいた男子につつかれ、渋々頷いた。
「コイツが安藤満子。幼馴染だけどコイツは全然柔道のこと知らないから」
「あ、ガチの初心者なのか」
そう言った男子は小柄な太郎よりも背が高く、がっちりしていた。
「俺は
そして数希の隣にいたのは更に大柄な男子だった。
「僕は
「高山くんと瀬尾くん!よろしく!」
同じ一年の男子部員もいい人そうで良かった。
「ほら、掃除すんぞ!」
そう言いながら太郎は箒を満子に渡した。
「まず箒で落ちた髪の毛とか埃を掃く。で、その後雑巾で水拭き。今日は男子が雑巾やるから」
「分かった!じゃあつるちゃん教えて!」
「……こっち来て」
唐突に頼られた美弦は何か言いたげな顔をしたが、仕方なさそうに頷いて道場の端へ満子を連れていった。
「ここから順番に箒で掃いていく。畳と畳の間が特に髪の毛とかが入り込みやすいから、こうやって箒の向きを変えて溝から掻き出す」
なるほど、と頷き、美弦の真似をして箒を動かす。
綺麗に見えた畳の上だが、こうやって掃除をしてみると案外髪の毛や糸くずが落ちている。毎日掃除をしても毎日激しく柔道していればこうなるのか。
ちょうど掃除を終えたタイミングで、ぞろぞろと他の男子部員が入ってきた。
「お疲れ様っス!」
「おー、お疲れ」
みんなが挨拶するのに倣って満子も頭を下げる。
「満子、先輩に挨拶いくぞ」
そう言って太郎に引っ張られて先輩たちのもとへ駆け寄る。
「この人がキャプテンの
「よろしくお願いします!安藤満子です!」
細身で爽やかな印象の俊介と恐らくこの部で一番身体が大きい崇は「よろしく」とにこやかに満子を見た。
「で、こっちが
「高山?数希くんと同じ名字だ」
「そう、数希のお兄さん」
なるほど、数希より身長が少し低いが、言われてみれば顔が似ている。
「あ、昨日莉湖に告白して振られた子だ」
「振られてません!安藤満子ですよろしくお願いします!」
決して振られたわけではないのでそこはきっちり訂正し、祐希に挨拶をした。
「満子?今年の一年女子はミツミツミツばっかだな」
祐希はククと笑い、満子をじっと見た。
「ややこしいから君はアンミツな」
「アンミツ」
あんどうのあんとみつこのみつでアンミツということらしい。
「祐希先輩ってちょっと変わってる?」
コソッと太郎に耳打ちをすると、太郎は渋い顔で小さく頷いた。
「で、こっちが二年の先輩の
「え!双子!?」
蒼と紅は同時に頷いた。顔も体型もそっくりだが、動きも一緒だ。双子、すごい。
「顔が怖い方が蒼でそうじゃない方が俺って見分けてね」
紅がにこにこしながらそう言うのを蒼は無表情で頷いた。性格は真逆のようだ。
「あ、満子ちゃん来たんだ!」
可愛い声に、はっと振り返る。首にタオルをかけた莉湖が道場に入ってきた。
「
莉湖が手を差し伸べてくれたので、「はい!よろしくお願いします!」と握り返す。やっぱり莉湖はめちゃくちゃ可愛い……。
「莉湖もう汗かいてるじゃん」
俊介に流れる汗を指摘された莉湖は「ちょっと走ってきた」と頷いた。
「莉湖先輩、美人で優しいけどすげーストイックだから。くれぐれも莉湖先輩の邪魔すんなよ」
ぎらりとした太郎の目に睨まれる。それを「はいはい」と聞き流す。
「安藤の指導はどうするの?」
崇に聞かれた俊介は「ああ。嶋先生に言ったら先生が面倒見るって」と答えた。
「嶋先生?」
「うちの顧問。
「顧問は女の人なんですか?」
「そうそう。先生も学生時代柔道やってたらしい」
柔道をやっていた女性。そう言われると、強そうでちょっと厳つそうなイメージだ。どんな先生なんだろうか。
ガラッと道場の戸が開いた。部員一斉に振り向き、「お疲れ様っス!」と礼をする。
入ってきたのは、眼鏡をかけた三つ編みのふわふわした印象の女子だった。見た目は文芸部の先生だ。
「あれが嶋先生」
「え!?」
イメージと全然違ったので驚いた。顧問をやるくらいなのだからちょっと怖そうな先生なのかと思った。
「あなたが安藤さん?」
近寄ってきた嶋先生はやはりおっとりした雰囲気で全く怖そうではない。
「はい!よろしくお願いします!安藤満子です!」
「女の子が増えて嬉しいです。ありがとうございます」
そう言われて、思わずえへへ、と頬が緩む。どうやら太郎と美弦以外からは入部を歓迎してもらえているらしい。
「じゃあ安藤さん、とりあえずみんなと一緒に準備体操してきてください。それが終わったら受け身から教えますね」
「はい!」
満子は元気よく返事をし、部員達に混ざった。俊介が正面に立ち、他の部員達は向き合うように何列かに分けて並ぶ。そして、俊介の号令と動きに合わせて簡単な準備体操を始めた。
「次は柔軟!二人組になって座って!」
俊介の指示で部員達は二人組を作る。満子の元には閑が来てくれた。
「先に満子ちゃんからやっていいよ」
「ありがとう!」
開脚して背中を閑に押してもらう。が、股も背中も全身がガチガチで、めちゃくちゃ痛い!
「いたたたたたたた!?」
「満子ちゃん硬いねぇ」
そう言いながらも閑は容赦なくグイグイと背中を押してくる。
「柔道は身体柔らかい方がいいから柔軟も頑張ろうね」
「そうなんだ……」
悲鳴を上げすぎて、ぜぇぜぇと息を荒らげながらぐったりする。
交代して今度は閑の背中を押すと、閑は簡単に前にペタンと倒れた。
「え!?しずちゃん柔らか!」
「そうでもないよぉ。つるちゃんの方がもっとすごいよ」
閑に言われ美弦を見ると、美弦は莉湖の補助なしでぺったりと畳に頭をつけていた。しかも、開脚もほぼ真横に脚を広げている。
「つるちゃんすご!」
「ね、すごいでしょ」
美弦のことなのに閑は誇らしげに微笑んだ。
「安藤さんと、……じゃあ、紅くんこっちに来てください」
嶋先生に呼ばれ、道場の隅に集まる。
「今から安藤さんに受け身教えるから、紅くんよろしく」
「女子じゃなくて俺ですか?」
「紅くんがこの部で一番受け身キレイだからね」
嶋先生に受け身を褒められた紅は少し照れくさそうにした。
「先生、受け身ってなんですか?」
「受け身っていうのは投げられた時に怪我をしないために、衝撃を吸収する体勢のこと。受け身を取らないと頭を打ったりするから、柔道をやる上で一番大切なことなんです」
確かに、昨日莉湖が太郎を豪快に投げているのを見てよく怪我をしないものだと思った。あれは太郎がちゃん受け身を取っていたからなのか。
「まずは後ろ受け身ね。紅くんお手本お願いします」
紅ははい、と頷き、足をついてしゃがむ姿勢を取った。そして、後ろに倒れる。両手で身体の横でバン、と畳を叩く。
「こうやって後ろに倒れた時に頭を打たないようにするのが後ろ受け身。紅くんの頭を見て、畳についてないでしょう」
「ほんとだ!ちゃんと浮かせてる!」
「じゃあ、段階を踏んで安藤さんもやっていきますね。紅くん、次は簡単バージョンで」
「はい。安藤、一緒にやろう」
紅の隣に並び、言われた通り足を前に伸ばして座る。
「顎を引いて頭を打たないようにして、後ろに背中をつけると同時に畳を叩く」
後ろに背中をつけた紅はバン、と畳を叩く。
紅に倣って満子も後ろ受け身をやってみた。畳を勢いよく叩いたつもりだったが、べち、となんとも言えない音が鳴る。
「あれ?紅先輩みたいな音じゃない」
「叩くタイミングだね。安藤はさっき手を着くのがちょっと早かったよ」
そう言って紅はもう一度手本を見せてくれた。
「ほんとだ。紅先輩と違って私は腰がついた時にもう手を着いてた!」
背中が着くと同時、を意識し、もう一度後ろ受け身に挑戦する。
少し背中を丸め、お尻、腰、背中の順で畳につけていく。そして、両手で畳を叩く──
バン!
「わ!やったー!」
今度はいい音が鳴った!
「上手い!」
身体を起こすと、紅先輩がグッと親指を立てていた。嬉しい!
「お手本ありがとう。紅くんは練習に戻ってください」
「はい」
みんなの中に戻っていく紅を見送った嶋先生は、くるりと満子の方を見た。
「じゃあ安藤さんは今の後ろ受け身をまずは100回」
「はい!って、ひゃく!?」
「うん。頑張って」
嶋先生はにっこりと微笑んだ。相変わらず口調と表情は優しいが、意外と厳しいのかも……?
「大変だなあって思った?」
嶋先生に言われ、少し図星だったがすぐに首を横に振った。
「でも受け身が一番大切なんですよね。だったら何百回でもやります!」
ちらりと莉湖を見る。経験者の部員達は組み合って技の練習に入っていた。もちろんそこには莉湖の姿もある。
早くあの中に入りたい。莉湖と柔道がしたい!
「早く受け身マスターしますね!先生!」
満子はえいえいおー!と拳を突き上げ、自ら気合いを入れた。
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