アトラスの小部屋

@camposanto

アトラスの小部屋

 僕の母は大食い系ユーチューバーだ。いろんな料理店に行ってはそこの大食いメニューをたのむ。すり鉢めいた椀に山盛りに盛り付けられた10キロものラーメンや、小山ほどもあろうかというご飯に豚まるまる一頭を焼き豚にして上に乗せた豚丼など、母はそれらを食する様子を動画にとり編集してYouTubeにあげるのだ。それを生業にしている。ほっそりとして抱きしめたらぽっきり折れそうな百合のような母が餓えたバキュームカーのごとく料理を制圧していく様子にファンは多く、チャンネル登録者数は100万人を超えていた。

 あれは僕が今よりだいぶ若いころのことだった。ちょうどそのころ母はちょっと食事量が落ち、スランプ気味だった。それで山奥に今度新しくできるという創作料理店が開店フェアとして大食いチャレンジ企画を打ち上げたので、スランプ打破のきっかけになるかもと動画撮影を申し込んだところ店側はOKした。

 僕と母は片道三時間かけてくだんの料理店に出向いた。店側がいうには、あいにくその日は予約がいっぱいで客も多く、食事まですこし時間もかかるそうだ。だが、見たところ客は一人もいなさそうだった。別室にいるのだろうか。待つ間、店のサービスとして豪勢な風呂で入浴し、入浴後はオイルマッサージを受けさせてもらえるというので、母は賛同した。

 歓待を受け、肌つやもぴちぴちになった母は個室に通されいよいよ食事を給されることになった。手早くカメラを三台設置し前口上を撮影しているとさっそく一品目が運ばれてきた。

 一品目はコンソメスープだった。しかもとんでもない量だ。バケツ一杯分くらいはある。だが母はよほど腹が減っていたらしくこともなく飲み干すと間をあけず次の料理がきた。

 キノコのサラダだ。母は美味しそうにもりもりと食べる。つねに楽しんで食べるところを観客に見せる母のプロの仕事だ。給仕人が空になった皿をかたずけるとさっと次の料理を給し、それを母が、すわこれが「グルメ・デ・フォワグラ」かというようなスピードでかたずけ、また寡黙な給仕人が音もなく現れる。そのサイクルが何度か続いたのをカメラは見ていた。

 食事は続き、いよいよメインディッシュか、というところで、隣室に耳を澄ませていた僕は誰かが会話しているささやき声を聞いた。

 (あんまりにほそっこいんで心配してたんだが、なんのいい食べっぷりじゃあないか)

 (ああ、あれならデザートまで全部食べられそうだ)

 (おれはオーブンでクリスマスのターキーみたく丸焼きがいいと思うんだがお前はどうだ)

 (それは反対だな。なんといってもやっぱり痩せてるからそれだと油が落ちてしまう。ならいっそのこと油揚げにしてしまったほうがいいよ)

 (じゃあそうしよう)

 (そうしよう)

 おそろしい会話だった。どうやら隣室の何者かは母を料理して食べてしまおうと画策しているらしい。だが僕はそのことを母に教えるすべを持たなかった。そこで僕は腹の下から母の胃を持ち上げた。これ以上食べさせないためだ。

 母の箸がとまる。またスランプが来たのかと母は冷や汗をかいた。急にこれ以上食べられなくなり、それどころか戻してしまいそうだ。カメラの前で粗相をしてなるものかと母は我慢した。そんな我慢を知りながらも僕は下から母の胃を突き上げた。アッパーカットだ。断腸の思いのこぶしなのだ。許してほしい。母はたまらずこれまで食べたすべてを吐き出した。

 牛、豚、鶏、羊、馬、猿、蛇、猪。母の胃から吐き出された食材たちは逃げまどい、隣の部屋になだれ込んだ。そして暴れまわる激しい音がしばし続いた後、静寂がつつんだ。

 驚いた母は手早く荷物をまとめると、そのまま車に飛び込んで山を下りた。そして胃薬をのんで三日ほど寝込んでしまった。

 母が改めて調べたところ例の山奥の創作料理店というものはどこを調べても見つからなかった。ネットのどこにもその痕跡はなかったし、母が訪れた場所にはコテージが建っていて、電話をして尋ねてみたが身に覚えがないという。母もどこからその創作料理店のことを知ったのか覚えていなかった。だけど僕は覚えている。YouTubeのあのくそったれな広告に紛れ込んでいたことに。

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