第2話 そうと決まれば
ミハエル・フォーサイス。サフィラは自室で彼からの手紙を読み返しながら、再び高ぶった気持ちを落ち着けようとしていた。
『少なくとも一年の間は婚約者という形で、外部の者には一切知らせないこととします。誰にも知られずに、フォーサイス領にお越しいただき――』
いきなり結婚しないという提案を見る限り、サフィラと結婚することのリスクもきちんと考えているように見える。けれど不安なことには変わりない。馬車などで移動すれば必ず人目につくし、闇夜を縫って移動しようにも余計な誤解を招きかねないからだ。
『もし、あなたが結婚を承諾してくださるなら、使いの者をよこします。移動についてはその者に従ってくだされば結構です』
サフィラはため息をつき、手紙をしまう。一体何をするつもりなのだろう。あれこれ悩んだが、彼と結婚するほかに道はないのだ。この申し出を受け入れれば、必ず伯爵家に貢献することが出来る。サフィラは便せんを取り出して承諾する旨をしたためた。
『ありがたい申し出、感謝いたします。至らぬところの多い私ですが、どうぞよろしくお願いいたします』
堅苦しいやりとりに気づまりを覚えた。薄桃色の封筒に便せんを差し入れ、封蝋を垂らして太陽を現したミアストーン家の紋章を押す。ひらひらと手紙を振って乾かすと、急な疲れを感じた。
両親には相談していない。サフィラの独断だった。両親に報告すれば、気遣われてしまう。そうしたら、サフィラの決心もきっと揺らいでしまうから。両親には手紙を出した後に報告することにした。
アメリを呼ぶためにベルを鳴らす。サフィラは目を閉じて、ぽすんと背もたれに体を預けた。疲れていた。しばらくは何も考えないでおこう、とサフィラはぼんやりとした頭で思うのだった。
〇
フォーサイス家から使者が訪れたのは、それからすぐのことだった。日の高いうちからやってきた小柄な女性は、辺境伯付きの護衛だと名乗った。てっきり日が暮れてから忍ぶようにやってくるものだと思っていたサフィラは、動揺を隠しきれないまま彼女と向き合うことになった。
両親に迎えられ、応接室に通された彼女は、紅茶を一口飲んだきり膝に手を置いた。
「初めまして。私はモナ・ギルバートと申します」
サフィラをしばらく無遠慮に見つめた後、小さな手を差し出してきた。
「ええと、サフィラです。よろしくお願いいたします」
モナの手を握ると、彼女は思いがけず強い力で握り返してきた。その手は固くがっしりとしていて、サフィラの胸当たりの身長からは想像がつかない。さすが護衛の方だわ、と感心する。
「今日は伯の御命令で参りました。サフィラ様を安全にフォーサイスまでお連れするのが私の役目です」
「ええ。お聞きしていますわ」
「なら話がはやい。では、荷物を庭に集めてください」
「……庭に?」
きょとんとしたサフィラに、モナはしっかりと頷いた。
「庭に、です。なるべく一か所に固めておくようにお願いします」
「えっと‥‥‥」
何が何だかわかっていないサフィラをよそに、モナは近くに整列していた使用人たちに指示を出し始めた。
「サフィラ様のお荷物を全部下ろして、庭の真ん中に集めてください。転送できるのは最大で1箱5平方メートルまでになっているので、それ以上の荷物は小さくまとめてください」
呆然としていた使用人たちも、サフィラが状況を掴めないまま頷くと動き始めた。
「では私たちは先に庭に行きましょうか」
立ち上がって隣に並ぶと、彼女はやはり小さい。けれど、滲み出る威圧感からどこか巨大な存在に思えるのだった。黒髪をふたつに分けて縛り、濃紫のローブで全身を包んでいる。きりりとした紫の瞳は、どんな小さな獲物も見過ごさない鷹のようだ。
庭に出ると、モナはどこからか白いチョークを取り出した。あっけに取られているサフィラをよそに、彼女はしばふをぐるりと一周して大きな円を描いた。
「仕事が終わったらこの円は消滅しますから大丈夫です」
荷物を抱えて庭におりてきた使用人たちが目を丸くしてこちらを見つめている。
「あー、この円の中に置いてください!」
モナが指示を出し、衣装や小物などが入ったトランク、木箱が円の中心に集められた。いつのまにか隣に立っていたアメリが、咎めるような声でささやく。
「なにをするつもりなんでしょうね? こんなに庭を荒らして‥‥‥」
モナがぱんぱんと両手を打ち鳴らした。
「はいじゃあ本番始めます。念の為離れてくださいね」
そういうなり、モナは右手を持ち上げた。何をするのかと言葉もなく見守っているサフィラたちをよそに、ぱちんと指を鳴らした。
瞬間だった。モナが指を鳴らした瞬間、金色の光が円の淵に沿うようにして噴き上がった。まばゆい光にサフィラは目を閉じる。光が収まったのを感じて目を開けると、はっと息を飲んだ。隣でアメリも驚いたように息を短く吸い込む。積み上げられていた荷物が跡形もなく消えている。
「
モナは自分のことを護衛だと言っていた。モナのいう護衛とは、武器を持って戦うことではなかったのだ。彼女は魔術をつかうことが出来る。はるか昔に魔女と呼ばれる者たちが存在していたことは歴史を学んだ時に知ったが、今はほとんど絶えてしまったと聞いた。伝説となっていた「魔法」を目の前にして、モナ以外全員が固まっていた。
「はい、ではサフィラ様。こちらへどうぞ」
モナがひょいひょいと手招きし、サフィラはまばたきをする。
「私ですか?」
「はい。サフィラ様をお連れするために参ったのですから」
「空間移動で――?」
「はい」
サフィラの驚きに、不思議そうに肩をすくめたモナ。サフィラが呆然と歩みだそうとすると、アメリが引き留める。
「いけませんお嬢様。怪我をしたらどうするのですか」
「怪我なんてしませんよメイドさん。私の言う通りにしていただければ」
モナの淡白な物言いに、アメリが不機嫌そうに唇を引きしめた。
「じゃあこの輪の中に立ってください。私にしっかりつかまって。初心者は目を閉じたほうがいいです」
モナはてきぱきとサフィラを引っ張り、円の真ん中に立たせる。そして自分もサフィラに寄り添うように立った。
「ちょ、ちょっと待って。アメリも……」
今回の移動にはアメリも付き添うことになっているのだ。
「一度の人間の空間移動は二人までです。それ以上になると身体がばらばらになって空間のはざまに取り残されます」
ひゅっと息を飲み、サフィラは小さな魔法使いのローブをぎゅっと握りしめる。
「準備はいいですか? それじゃあ、えい」
ぱちん、と指を鳴らす音がした。次の瞬間、サフィラは光の洪水に投げ出され、軽いめまいを感じながら身体が下へ沈んでいくような違和感を覚えた。
白銀天使の二度目の結婚 七沢ななせ @hinako1223
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