情動的なオレンジ

星太

ある暑い日のこと

 夏の夕暮れ、海岸通りを自転車で走る。

 後ろに乗る君の手が、僕の胴をぎゅうっと抱いている。


 中学生の僕らには、『愛してる』なんて仰々しくって。そんな借り物の言葉で、誤魔化したくなかった。


 君との思い出が、溢れて止まらない。


 ◆


 ◆


 ◆


「ソウくん、いっしょにブロックやろ!」

「いーよ! チイちゃん、なにつくる?」


 西陽差す遊戯室。僕らは家が近所で、保育所の頃からずっと一緒だった。どっちの家も親が忙しくて迎えが遅いから、いっつもふたりで日が暮れるまで遊んだのをよく覚えてる。


 まだちっちゃかったから。君が女の子だなんて、何にも気にしてなかったんだ。


 ◆


「ねー、公園で遊ぼ!」

「おけー、行こ!」


 小学校に上がっても、低学年のうちは一緒に遊んでたっけ。学校から帰ったら、鬼ごっこで遊ぶのがお決まりだった。君は足が速いから、全然追い付けやしなくて。べーって舌出していたずらに笑う君を、捕まえようと必死だった。


 僕は今も、君の背に手を伸ばしている。


 ◆


「『チイちゃん』だって! お前ら付き合ってんの~?」


 5年生にもなると、何だか皆男子と女子にわかれてたから、自然と僕も君と遊ばなくなった。でも、帰りの会の後につい『チイちゃん』って呼んだもんだから、囃されて。僕は恥ずかしくなって、思わず大声を出した。


「んなわけないだろ! ね、佐倉さん」


 君だって困るでしょ、何でもないよねって強調するつもりで、そう呼んだ。そしたら、君がガバッとランドセルを背負って、すごい勢いでクラスを飛び出していって。夕陽に染まる教室は嘘みたいに静まり返って、僕は一瞬フリーズした。


 でも、バッとランドセルを持って走ったんだ。

 廊下も階段も走りに走って、追いかけた。

 やっぱり君の足は速くて、とても追い付けやしないから。昇降口を出た所で、君の背に叫んだ。


「待って!! !!」


 君は立ち止まって、振り返る。遠目にもわかるぐらい、ぐしゃぐしゃに泣いていて。その間に僕は追い付いて、一緒に帰った。道中、君はぐしぐし泣き続けて。僕はずっと、「ごめんね」って謝った。


 あの時、思ったんだ。

 僕はもう、君を泣かせたくない、って。


 ◆


「ねえねえソウ君、『I love you』を日本語に訳してみて」

「何、いきなり」


 中1の夏。左手に海、右手には線路が伸びる通りを、毎日一緒に帰った。僕は徒歩なんだけど、君はわざわざ自転車をひいて、隣を歩く。


「いーから、ほら」

「『私はあなたを愛しています』でしょ?」


 君は片手をハンドルから離して、チッチッと指を振る。


「カタいカタい。もっと自然に」

「ええ? じゃあ『愛してるよ』、とか?」


 その時、ごおっと電車が横を過ぎて。君は聞こえなかったのか、耳に手を当てた。


「え? もう一回言って?」

「もう言わないよ、からかってるでしょ」


 僕はだんだん恥ずかしくなって、そう言った。そしたら君は、バシバシと僕の肩を叩いて。


「アハハ、ごめんごめん! 実は今日、面白い話聞いてね」

「どんな?」

「あのね、夏目漱石は『月が綺麗ですね』って訳したんだって! きゃー素敵って思って、教えたかったの」


 すっごいキラキラした目で君が言うから、へえと頷いた。あんまり、ピンと来なかったけど。だって、よく分からなかったんだ。何で『愛してる』が『月が綺麗』になるのか。


「……言われてみたいなあ」


 ぼそっと呟く君に、めちゃドキドキした。それってもしかして、とは思いつつ。そこから先は聞けなかった。だって、違ったら目も当てられない。せっかく良い関係なのに、崩したくなかった。


 自信がなかったんだ。情けない。今さら悔やんだって、もう遅いのに。


 ◆


「私ね、引っ越すんだ。明後日」

「は!?」


 中2の夏の、何でもない金曜日――つまり、昨日のこと。いつもの海沿いの帰り道で、君は明るくそう言った。


「お父さんの転勤でね。東京に行くの。私のクラスには、もう話してたんだけど」

「東京……」


 小さな港町に住んでる僕にとって、テレビの向こうの異世界だ。聞きながら、どこか現実に思えなかった。嘘だと思いたかったのかもしれない。何で明るく言うのかも、分からなかった。ていうか、君のクラスでは話して、僕には教えないなんて何だよ。そう思ったから、つい強く言葉が出た。


「何で? 何で教えてくれなかったの」

「……ごめん」


 君はピタと足を止め、僕も立ち止まる。さっきまで笑ってたのに、うつ向いて表情が見えない。ぼそぼそと君は言う。


「……だって……」

「何? 聞こえない」


 顔を上げた君の頬を、一粒の涙が伝う。


「言えなかったから」


 ぼろ、ぼろと涙が溢れ出す。


「言わなきゃ、言わなきゃって。でも、ソウ君にだけは、言えなかったから! それでも頑張って、笑って言おうって……!」


 大きな声で、わあっと君は泣き出した。

 だからもう、ビビるのは止めた。君の両肩を抱いて、勇気を振り絞る。


「あ、あのさ! 明日、僕と――」


 ◆


 ◆


 ◆


 そして今。

 僕らは、最初で最後のデートをしている。


 潮風で少し錆びた僕の自転車に、君を乗せて。僕らは朝から街中を巡った。保育所、公園、小学校、中学校――どこに行っても、君との思い出があふれて。お互い話が尽きなかった。


 アハハと笑う君がいて。

 泣きそうになる君がいて。

 ちっちゃい時から今までの、全部の君がいる。


 でも、明日から、いなくなる。

 太陽が、だんだん海へ落ちていく。


 君と帰るいつもの海岸通りを、自転車で行く。左手に海、右手には線路が伸びて。後ろに乗る君の手が、僕の胴をぎゅうっと抱いている。


「ねえ、ソウ君――」


 君が何か言おうとした時、ごおっと電車が横を過ぎた。


「何? チイちゃん」


 聞き返す僕に、君は少しだけ間を空けて、ぽつりと言う。


「夕陽、キレイだねって言ったの」

「……うん」


 薄く雲の広がる空も、穏やかに波打つ海も朱に染めて、でっかい太陽が沈んでいく。


 寄せては返す波音と、自転車の軋む音だけが響いて。ぬるい潮風が、僕らを撫でる。


 君はいっそう強く、僕をぎゅうっと抱いた。


 ああ、ちくしょう。

 本当、どうしようもないくらいに。


 夕陽が綺麗だ。



        ――『情動的なオレンジ』了

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