対話、最後の
正教新暦1731年8月
一人の貴族会付帯法院判事が王宮への招待を受けた。
サンテネリ当代の国王グロワス13世は、即位後比較的早い時期から各界の著名な人物を茶会に招き、交流を行うことを常としていた。そのため今回の招待もまた特段人目を惹くものではない。
午後の定刻ちょうどに茶室に姿を現した王が見たのは、部屋の隅で両膝を付き、頭を垂れる男の姿だった。
「ああ、レスパン殿、楽にして欲しい。話をしよう」
王の声は素っ気ない。茶室の中央に設えられた長椅子に男を招く。
男は立ち上がる。
鍛え上げられた鋼の棒。油を塗り込められ、鈍い黒灰の輝きを秘めた姿。黒づくめの上着には薄手の羊毛、それも目の細かい上質な布地が使われている。胸から垂らす
金糸縁取りに略綬と比較的装飾の多い王の国軍装と、その装いは好対照をなしていた。
「グロワス王陛下。神の御裾の元ご健勝にあらせられますこと、お喜び申し上げます」
「丁寧なご挨拶痛み入る。上級判事殿。貴殿も神の御裾の元壮健であられるな」
設えられた長椅子にそれぞれ腰を下ろし、至極まっとうな挨拶を交わす。
ジュール・レスパンが初めて王と出会ったとき、彼も王もまだ20代の若者だった。肌つやもよく、四肢は快活に動き、舌は情動を以てよく回った。
今、約15年の時を経て対峙した二人は、互いの顔に刻まれた年月をじっと観察する。
「あなたは男ぶりを上げられたようだ。貫禄がある」
ジュールは王の賛辞に軽く頭を垂れた。
女性と見まごう繊細な美貌はその面影を残しつつも、骨張った顎筋と眉の直下に収まる黒い瞳が成熟した男性の頼もしさを主張する。
彼と比すれば王の姿は貧相に映る。目の下の隈は深く、頬は張りを失いつつある。
対等なのは瞳だけ。
昔から変わらぬ底なし沼の翠眼。
しかしジュールにとって容姿など些事だった。彼が欲するのは中身だけだ。王の。
「お褒めの言葉、ありがたく。非才の身ゆえ外面ばかり賞賛を受けますが、中身の方はとんと変化がありませぬ」
「ああ、なるほど。若き日の真心は今も御身の中に燃えておられると。それはよいことだ」
「臣の身で僭越ながら、陛下は少しお痩せになられた由。無論その偉大な精神の輝きには一毫の欠けもないものと拝察いたしますが」
ジュールが最後に生身のグロワス王を見たのは遙か昔、グロワス9世校の学位授与式の折である。ただし王の似顔絵は新聞の挿絵で簡単に見ることができた。無論現実の存在を完璧に写しているわけではないが、最低限の特徴は掴んでいる。
「酒の量が減ったからだろうか。年のせいか昔のように飲めないのでね」
王は薄く笑った。笑って机上の茶椀を持ち上げ、口を付ける。
「ああ、そういえば、ポルタ教授のこと、遅ればせながらお悔やみ申し上げる。思えばここにかの御仁をお招きして語らったのが始まりだった。偉大な方を我々は失った」
「陛下よりそのようなお言葉を賜ったこと、師に代わり御礼申し上げます」
二人を引き合わせたエリクス・ポルタ教授は数年前にこの世を去っていた。膨大な蔵書をジュールに残して。王は葬儀への出席を考えたが結局取りやめた。王の弔問となると大げさになってしまうからだ。
子を残さなかったポルタ教授の葬儀は教え子達によって営まれた。彼の元から巣立った学生達以外、誰一人招待されていない。
「彼は誠に、素晴らしいものをこの世に遺された。私もそうありたいものだと近年特に思う」
「素晴らしいもの、とは?」
「あなたや私の中にあるものだよ。あるいは中央大陸の人々の頭の中に残ったものだ。彼は観照の学を倫理に転換した」
ジュールは王の短評が極めて正確なものであることに安堵する。やはりこの人は分かっている。そう思いを新たにした。
「師は我らの乗る大船の行く先を変える、その舵を取りました。この世界が何であるかではなく、所与の世界で我らがどう生きるか、それを主題に据えられた」
「そのようだ。そしてあなたのような方が生まれ出た。——レスパン殿、私は時折思う。我々はあるいは、主体ではないのかもしれぬ」
張りのない、低い、しゃがれた声で王は囁く。
対峙しながらジュールが感じたものは独特の空気だった。彼は生涯において三度、それを経験したことがある。
「思想こそが主である、と?」
「願望ともいえる。私はこの世に何を残せるか。子はいるが、彼らもやがて消える。妻たちも、諸卿も、あるいはこのサンテネリも」
王は節くれ立った手を組み合わせ、床に視線をおとしたまま動かない。それは吐露であった。ジュールは黙したまま言葉を待った。王は返事を欲していない。
「途方もないことだ。我々の世界には目的がない。レスパン殿、見たことがあろう。編まれた縄を。我らの世界はあれと同じ様態を持っている。苦心の末得た成果は、将来の不幸をもたらす種となる。そして辛酸の不幸はまた、将来の幸福の元となる。より合わさって当て所なく続く。これは惨いことだよ」
鼻を鳴らして不満げに王は言った。それはつまりグロワス13世の治世そのものであった。よかれと思って成したことが惨事を招く。サンテネリの政治的、経済的一元化を目指し、大陸の協調と平和を願ったがゆえに、二重戦争は起こった。
「私が最も嫌悪しつつ、心惹かれる話がある。聞いてくれるだろうか」
「お聞かせください。心底興味を抱きます。陛下の物語に」
ジュール・レスパンの返答に虚飾はなかった。この王が最も嫌悪しつつ、心惹かれる物語とはなにか。知りたかった。
「あるところに、罪を犯した一人の男がいた。神々を欺いたのだ。神々は怒り、男に罰を下した。自分の背丈をも超える大きな岩を、高い山の頂まで押し上げる苦役」
王の物語は正教のそれではない。聖句典を全て暗記しているレスパンはそのことにすぐに気づいた。さらに、”神々”という複数形の使用も正教ではありえない。
しかし彼は糺さなかった。王が”作った”物語の出所を。
「彼は疲労困憊、全身全霊で岩を転がし頂上を目指す。あと一息でたどり着く。すると岩は呆気なく、轟音を響かせて転がり落ちていく。麓にね。彼はとぼとぼと岩の後を追って山を下りる。岩は最初置かれた場所に戻っている。男はため息をつき、また転がす。全身の筋力を酷使して。そして頂上一歩手前で再び岩は滑落する。これを永遠に繰り返す。——それが罰だ」
一気に語り終えて王は再び茶を口に含んだ。喉の隆起が液体の動きをレスパンに教える。部屋の主が口を閉じればそこは無音だ。
8月のサンテネリは暑い。
熱のゆえか、あるいは話題のゆえか、空気が鉛のように二人の男の肩にのしかかった。
「陛下、それはあまりにも残酷な苦役です。徹頭徹尾無意味な行動だ。その男は——なぜ自らを裁かないのです。命を絶たぬのでしょう」
「あなたはやはり素晴らしい。私もそこに悩んできたよ。…ずっと」
「答えは見つかりましたか?」
王は小さくかぶりを振り、否定の意を示した。後ろに流した金の髪が無秩序に揺れる。
「レスパン殿はどう思われる?」
逆に問われ、男は自身の心を探る。
答えはすぐに見つかった。
それは怒りである。
もしも自分がその男の境遇に至ったならば、猛烈に怒り狂ったことだろう。どんな罪を犯したかは知らないが、それにしても酷すぎる罰だ。
見返してやりたい。
天空から自分の空しい行動を見て笑う「神々」どもを。不条理を課す者たちを。
「陛下、私はやはり永遠に岩を押し上げ続けるでしょう」
「その動因は?」
「見せつけてやるのです。私はちっとも気にしていない。岩が何千回、何万回落ちようが気にも留めない。鼻歌交じりに押し上げましょう。それを見た”神々”がほぞをかむように。悔しがるように。屈辱を味わせてやりましょう。”彼ら”が屈服せしめることができない魂の存在をもって」
語りながら興奮している自覚がある。ジュールの血は沸き立つ。
岩を山頂に到達させることに意味などない。失敗を繰り返しながら気にも留めぬその姿にこそ価値がある。
王は静かに目を閉じた。
「なるほど。あなたは頑強な人だ。…あなたは折れない。この先様々なことがあろうが、決して折れないな」
一言一言、噛みしめるようにグロワス13世は言葉を落とす。目を閉じたまま。
「はい」
答えは簡素に。肯定の一語を除いて語るべきことはなにもない。
王は静かに目を開いた。
落とした視線をゆっくりと上げていく。そしてジュールの瞳と交わる。力任せに眼球を押し込むような、強大な圧をもった想いの束を投げかける。
「では、あなたは生きられよ。ここで死ぬべきではない」
◆
王は付帯法院の勅令審査を打ち切るよう依頼した。
極めて簡潔に。直截に。このような些事は手早く済ませてしまいたい。そんな体で。
レスパン上級判事の答えは否であった。
法に則り事を成すべきである、と。
そして尋ねた。
中央大陸の平和が訪れようとする中で、なぜ貴族達を刺激してまで戦費調達に走るのか、と。
「あなたはサンテネリを愛するか?」
王は突然予想外の問いを投げかけてきた。答えは決まっている。男は戸惑わなかった。
「よりよいサンテネリを、愛します」
「もはや分かりきったことだが、あなたの定義を教えて欲しい。”よりよい”の」
「つまり、不正のないサンテネリです」
王は薄い笑みを浮かべた。想定通りの答えだった。
「では、”不正の多いサンテネリ”と”不正の少ないサンテネリ”ではいかがか。どうだろうか、上級判事殿」
「グロワス王陛下、多寡ではありません。存在するかしないか。それだけです」
ジュールは言った側から自身の失点に気づく。
恐らく王はそこを突いてくるだろう。
「不正の多いサンテネリから不正の少ないサンテネリへ。そして不正のないサンテネリへ。目的に至る過程の悪を、あなたは認めないのかな」
「認めないこともありません。しかし、一足飛びに不正のないサンテネリへ至る道を見つけたならば、その道程を選ぶべきでしょう」
「なるほど。ではどうだろう。あなたは今の地位を一足飛びに得たのだろうか。清廉な一学生が、その全面的な清らかさを保ったままシュトロワの上級判事となられたと。そういうことだろうか」
案の定失点を突かれた。
「陛下は個人の生き様と国家のそれを混同なさっておられます。私が一点の曇りなく清廉とは申せません。しかし事を成すためにはこの方法しかなかった。ですが陛下、国家は他の道を取りえるでしょう」
ジュールは苦し紛れの返答をせざるをえない。王は彼の内心を見透かしたように薄く笑う。
「ああ、レスパン殿。無理筋であることは自覚されていよう? もう建前はいい。つまり私が言いたいのは、今よりも”まし”なサンテネリを生み出すために戦費がもう少しいるということだ。そこに尽きる。そして恐らく、あなたも枢密院がそう望む方がよいと考えているだろう。分かっているよ。分かりながら、私は敢えて戦費を欲している」
これも予想通りと言える。ジュールは自身が”泳がされている”ことを明確に理解していた。
「確かに今回の枢密院令を通せばサンテネリの一部階層に混乱が生じましょう。それは否定できません。だからこそ、忠義ゆえにその混乱をおさえんと抵抗しているのです」
貴族への臨時課税を通せば貴族層に対する枢密院と王の求心力は弱まる。そしてそれは混乱を生む。
実のところ、レスパンが望むのもそこだった。王と枢密院に反感を持つ貴族達を巧みに引き入れるのが第一段階。
次に、彼らと富裕商人層を糾合して枢密院を突き上げる。例えばアングランの人民議院のようなものの創建を公約として。
「レスパン殿、ここには我らしかいない。だから忠義など、そのような修辞はいらない。あなたが描いた絵は大体理解している。よって抵抗の”素振り”も必要ない」
「お分かりなのでしたら、なぜ敢えて危険な方向に舵を切られます。枢密院令を取り下げれば”私の絵”は潰えます」
レスパンももはや意図を隠さなかった。ただ疑問は残る。分かっていながらなぜ? それは純粋な問いだ。
「”あなたの絵”が完成する危険よりも、より勝る危険を防ぐためだよ」
「それは?」
王はハの字に眉を落とし、寂しげに答えた。
「この戦争が続くことだ」
「プロザンと和平成れば終わりましょう」
「終わらない」
アングランはサンテネリ本土への侵攻が頓挫した今、往時の勢いに欠ける。プロザンも潮時と図っている。ジュールはブルノーを通じて各国の風向きを逐次仕入れていた。
今こそまさに好機のはずなのだ。
「相手はよくてもこちらが収まらない。残念なことに、この戦はサンテネリにとって何も成果をもたらさなかった。ああ、言葉を飾るのは良くないな。言い直そう。私はこの戦を通じて、何の果実も国にもたらせなかった」
あなたではなく枢密院ではないか。そう言いたくなる昂ぶりをジュールはかみ殺す。
王は全ての悪の源だが、この王は悪の中で最もましな悪だ。少なくとも理解している。自身の責を。
「よって、このまま終わらせることはできない。国民は納得しないだろう。貴族や富裕市民ではない。市井の民衆が。そして外に目を転ずれば、我が国の弱さは他国の欲望を加速させる。すぐに次の戦が始まる」
「それは陛下の予測に過ぎません。民は戦に厭いています」
言いながら、その予測がある程度正鵠を射たものであろうことにジュールは気づいていた。
「プロザンは我が国の弱さを見て開戦を決めたね。確かに我が国の人々は戦に厭いているだろう。だがそれは、代わり映えのせぬ、何も起こらぬ戦にだ。新大陸の戦いは本土からあまりに遠い。だから彼らには実感がない。負けた実感が。にもかかわらず、我が国は領土を失い栄光を失う」
「それは…陛下、つまり、あなたの責任逃れと人気取りのために新たな戦いを起こすと?」
「レスパン殿は本心からそう思われるだろうか。ならばそれでもいい。だが、これはあなたに伝えておかなければならないことだ。——内にも外にも気を配られよ。内が全てでもない。外が全てでもない。例えば人々の怒りが私に向く。それは内の話だ。外はどう反応するかな。騒乱のサンテネリに」
シュトロワで騒動が起こる。王と枢密院がどこかに避難する。軍が鎮圧に動く。その状況をプロザンとアングランは優しく見守ってくれるだろうか。それはありえない。王はそう言った。
「レスパン殿、あなたにもう一度問いたい。——あなたはサンテネリを愛するか?」
◆
二人の語らいは二時間を超えた。日の長い夏の、暑さの盛りが終わろうとしている。
夕暮れの気配がする。
日が暮れる前触れが。
王は長椅子を立ち、窓辺に寄った。
光の宮殿の中庭を一望する。
「レスパン殿、判事職の辞意は私がここで受けよう。明日発たれるとよい」
「私は辞職など…」
「お分かりだろう。あなたはよりよいもののために清廉さを捨てた。ならばそれを貫かれよ」
王の声は硝子に当たり、反射してレスパンの耳に届く。彼は驚くほどにその仕組みに苛立ちを覚えた。王の肉声をこそ彼は望む。
レスパンもまた椅子を立ち、王の横に歩を進めた。
男の動きを感じ取った王は小さく笑顔を浮かべてそれを受け入れた。
「こうして並ぶとあなたの背丈が際立つ。昔から自分より優れたものに嫉妬を禁じ得ない
冗談とも本気ともつかぬ声色だが、ジュールからすればそれこそ冗談としか思えない。
——あなたよりも優れた王がどこにいる!
そこには万感の思いがある。
勅令審査を引き延ばし枢密院の戦費調達を妨害しながら、実のところ狙いは貴族課税による国内の混乱。レスパンの計画はつまり、勅令審査が失敗に終わることを前提としている。
失敗となれば、事態を煽った彼自身も責任を追及されることになるだろう。言い逃れの方便は用意していたが、枢密院が本気を出せばそんなものは役に立たない。だが彼は恐れなかった。
それでも構わない。
ジュールは覚悟を決めていた。自身の逮捕、あるいは死は新たな火種となるだろう。それはサンテネリの”不正”を焼き尽くす業火の種となるはずだ。
一方で、心の奥底で、そうはならぬと予測した。
つまり、王を信じていた。
「国王陛下、私は今から無礼なことを申します」
王の佇まいの中から、彼は言語化できない何かを感じ取っていた。
今この瞬間、王に伝えなければならないことがある。伝えねば、次は恐らく無い。
「私はあなたを尊敬しています。私とあなたは通じ合っている。あなたは全ての悪の根源だが、最も偉大な悪だと、そう感じるのです」
彼は誤解されたくなかった。自分が王の真心に気づかぬ愚か者だなどと。
誰にどう思われようが気にならないが、世界でただ一人、この王にだけは理解してほしかった。
「それは嬉しい言葉だ。この世界に来てあなたと知り合えたことは本当に僥倖だった。——知己を得て、もう何年になるだろうか」
「1715年11月20日より。もうじき16年が経ちます」
ジュールは即答した。忘れることはない。決して。
「よく覚えておられる。それはジュール殿の武器の一つだね」
四つ年上の男。
無理に例えるならば、ジュールにとって王は兄のような存在だった。例え王がどう思おうが、それが彼の心内の事実だ。
「——私を捕縛されないのはなぜです。私はあなたにとって脅威にはなりえませんか」
彼は認めて欲しかった。兄に。庇護の対象としてではなく、肩を並べる存在として。
「いや、十分過ぎるほどに脅威だよ。だが私はそれをしないし、処刑もさせない。異論の者を殺すのはたやすいが、それは自殺と同じだ。確かに私とあなたは様々なところで意見を異にする。一方で、差異こそが可能性を産む。我らのどちらかが正解を引き当てる可能性が一つ。そして、我らの対立項を包含し昇華——
「…止揚」
矛盾する思想が衝突の果てに、互いの一部を取り入れながら新たな考えに変容していく様。王の思想と自身の思想が混交して新たな思想が生まれる。
それは不可能事であろうと彼は考えた。しかしあるいは、長いときを経て…。
王は不意に横を向き、ジュールの顔を見つめた。
そして語りかけた。
「ジュール殿、聞いてくれるだろうか」
「ええ」
盛りを過ぎたとはいえまだ気温は高い。降り注ぐ陽光は熱い。
だがジュールは熱を感じなかった。手指の先に至るまで涼やかだった。
王が口を開く。
「私にはね、夢がある。一つだけ。いつか私の子孫とあなたの子孫が
「…それは素晴らしい夢です。残念なことに私には子がおりませんが」
喉を詰まらせながら、彼は何とか言葉を返した。
「些細なことだ。あなたの思想は受け継がれる。あなたの身体は思想を乗せた舟に過ぎない」
「では書き残しておきましょう。私のことを。そして、サンテネリの偉大な王のことを」
王は苦笑する。頬に浮き出た皺を陽光がかき消した。
「ああ、それは恥ずかしいな。私のことなど大した価値もあるまい。——それよりもジュール・レスパン殿。私は今日、あなたに2つのことを伝えた。まず、内と外をともに見られよ。そして異論を大切にされよ。いつか、あなたが何かを導くことがあれば、この2点を思い出して欲しい。心よりそう願う」
王は軽く頭を下げた。そしてジュールの返答を待たずに席に戻った。足早に。
「さて、それそろ終わりにしよう。——最後にあなたと話せてよかった」
◆
正教新暦1731年8月
一人の貴族会付帯法院判事が職を辞しシュトロワを出た。
男はリーユへ向かい、カレスの港から船に乗り、そしてアングランにたどり着いた。
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