邂逅 3 -物語論-
政治と宗教と野球の話はやめておけ。
よく言われる格言。最後の野球はサッカーになったり色々変わるけど、まぁ前二者は不動の面倒くさい話題だよね。
ぼくも社会人の端くれだったから、そんなこと知ってる。
でもまさかこんな風に展開していくとは思わないでしょ。
さっきまで暴風みたいにしゃべりまくっていたフライシュさんがいきなり重々しい雰囲気できっぱりと言い切るわけだ。
「ルロワ公、未来は分かる。未来は全て定まっている。神の綴られた物語の中に」
って。
第三者から見ると凄い場面だよね。
大陸でも有数の歴史を誇るイーザン大聖堂で、正統派の中心国家サンテネリ国王と聖句典派の主要国家プロザン国王が、長椅子に隣り合って座り神について語る。
二人だけで。
これは後世、確実に絵画に残る場面だよ。
ぼくが脳内で妄想している
そんな馬鹿な空想を頭で転がしてないとやってられない。
「では、プロザン公の仰るとおり、私が”未来は分からぬ”というこの状態もまた神の物語に記されているのでしょう」
半ば面倒くさくなって投げやりに反応した。
正教は神が描いた「物語」を重視する。良いことも悪いことも、それは神によってあらかじめ定められた物語なのだという、ある種の救いが中心にある。
正教が大陸における霊的覇権を確立したのはちょうど「諸民族のうねり」盛期。いわゆる民族大移動だね。要するに秩序がほぼ存在しない世界だ。我がルロワ家なんかも実はこの大騒乱の最末期までしか系譜を遡ることができない。文字通りの混乱期。
人々はその時期何を思って生きたんだろう。
”良いことも悪いことも”っていうけど、人生は9割9分”悪いこと”で占められていたはずだ。
辛いことばかりの日々に対して正教は「あなたのせいではない」と言ってくれた。「神がそう描かれた」のだと。
それは救いだ。
朝、日々の糧を得るための狩猟に出かけ、夕方帰ってきたら村は野盗に劫掠されている。妻は強姦の末殺され、子は戯れにいたぶり殺され、粗末な木の家は未だ燃えさかっている。
地に膝を屈しその光景を眺める男は何を思うだろう。
野盗を憎む。もちろん憎む。でも、同時に自分を責めるはずだ。
「もし今日狩猟に行かなければ」って。
正教はこの自責を救ってくれる。
「それもまた神がそうあるように描かれた物語なのだ」と。
男はかくも酷い惨劇を描いた神を責めるだろうか? 罵るだろうか? 恐らく責めず、罵らない。むしろ崇めるだろう。
何せ、自分を免責してくれる存在なんだから。
「礼を失する言だが敢えて言おう。グロワス殿の理解は少々浅いな。”未来は分からぬ”状態を放置することは罪だ。御裾に縋る価値のない行為ぞ」
ぼくにとって、この話の先は見えている。言い負かされる未来しかない。
なぜか。
運命論は最強だから。
それをひっくり返すには大前提を崩す以外にはない。大前提ってつまり「神の存在」だよ。ぼくが何を言っても「そういう物語だ」で返されるわけだから、反論は一つしかないでしょ。「そもそも”物語”を書いた存在などいない」って。
でもそれをやるとね、大陸では非常に不味いことになる。人間のカテゴリからはじき出されてしまう。
しんどいね。
「私は神学議論に疎いのです。大僧卿様の教えを忠実に守り、日々を過ごしています。我々は神の御裾に縋り、日々思うように生きる。その結果が”物語”となる。そう習いました」
正統派は「物語」にまつわる部分を論理的に突き詰めない。
日々頑張って生きなさい。そうすれば生が終わったときにそれが一冊の本になるよ、と。で、実はその本のあらすじは神によって予めプロットが立てられていたんだけど、そこはまぁ気にしなくていいよ、と。
もともと正教がやりたかったことは神学論争ではなくて、苦しむ人を救うことだからね。でも人の性格は十人十色。正教が広まり大陸に地歩を固める中で、中途半端な解説では納得しない理詰めの人種も出てくる。
そこから地獄が始まる。
「ではこの私フライシュがお教えしよう。まず聖句典を精密に読み込まねばならん。最初に”物語”こそが存在する。人の行為はそれをなぞるに過ぎん。全ては定められている。”日々思うように”など不遜とすら言えるだろう」
はいはい運命論。
「なるほど。それは興味深いお話です。しかし、ご教説に弱い私は少し不思議に感じてしまいます。全てが定められているのであれば、努力など必要ないのでは? 例えば御身はプロザン王国の繁栄と拡大について人生をかけて精進されました。なぜです? ”物語”にかくあるよう描かれているのであれば、努力なさる必要などなかったはずなのに」
ぼくの質問を受けて鷹揚に首肯するフライシュ3世。
彼が浮かべた笑みに侮蔑の色はなかった。銃創の突っ張った皮膚が歪にゆがむそれはお世辞にも綺麗とは言いがたい。でも奇妙な”優しさ”がある。
賢い子どもが抱いた疑問を喜ぶ教師の顔。
酒が飲みたい。
ぼくは賢い子どもだろうか。それとも堂々と酒が飲める大人だろうか。
「然り! グロワス殿は賢いな。皆が抱く疑問よ。しかし、私が努力することもまた”物語”に描かれているのだ」
「そうなのですね。では逆に、私が酷い悪政を敷き、自己の利益のために他国を侵したとしても、それは”物語”ゆえということでしょうか。私はその獣欲を抑える努力をする必要などないということになります」
フライシュ王は喉の奥を詰まらせるように笑う。意外だよね。高らかな
「グロワス殿、それは悪だ! 神が貴殿の”物語”をそのように描かれているはずがない。貴殿は善なる”物語”の主人公だろう」
「あなたの”物語”も?」
「むろん。私の”物語”も善だ。ゆえに善行と悪行の選択に迷ったら善行を採る。神はそう描かれているに違いないのだからな」
「どうしてそうと分かるのです?」
王はコップに残ったウィスキーを一息に飲み干す。そして言い放った。
傲然と。
少なくともぼくにはそう見えた。
「分かるのではない! 分かるのではない! サンテネリ王よ。信じるのだ」
羨ましい。
ぼくもワインを持ってくればよかった。こんな話、素面でしたくないよ。
◆
”信じる”
自分は”善なる物語の主役”である。いわばヒーローの役を割り振られているのだから悪いことはしない。努力する。
なるほど。ヒーローは善を為すものだ。
で、神の”物語”において、自分がそんな素晴らしいキャスティングをされていることを証明するのは全く以て不可能。
だから「信じる」。
手指の先が冷えていくのが分かる。
ぼくは信じない。
ぼくの”物語”は定まってなどいないし、ぼくの役割も決められていない。
作者などいない。
”物語”を認めてしまったら、ぼくは責任から逃れられる。
でも、代償としてぼくは自身の存在価値を失う。
ブラウネさんと過ごす軽口混じりの酒盛りも、手芸や服を褒められて照れるメアリさんの姿も、庭を散策しながら一時も黙らず話し続けるゾフィさんも。
そして不安とおびえの殻を破り、勇気を出して話しかけてくれるアナリゼさんも。
ぼくを信じぼくを助けてくれる閣僚の皆も、ぼくと王国を守らんと命を張る兵達も、快適とは言いがたい労苦の日々の中で、ぼくの新聞を読み喝采をあげてくれるシュトロワの民も。
ぼくが自身の選択によってこの世界に与えた影響、その果実。それが全て無価値なものとなる。
”物語”の一言で片付けられてしまう。
信じる?
ぼくは信じない。
ぼくを操り人形にする神の存在を信じない。
ぼくは自由意志によって物事を選択する。その責任はぼくが負う。
フライシュ3世は自信満々だ。
彼はそれだけのことを成し遂げてきた。
でも恐らく心内は日々不安に満ちあふれていたことだろう。大国エストビルグを敵に回してシュバル公領侵攻の決断をしたとき、気が狂いそうなほど怖かったことだろう。
彼はそれを”信じる”ことによって鎮めたんだ。
言い換えれば、彼は逃げた。
失敗に終わればこう考えて自身を慰めただろう。
「それが神の描かれた”物語”だった」
ぼくは彼に劣っているだろうか。
”
このつまらない神学会話は素晴らしい副産物をぼくの心にもたらしてくれたよ。
思い出させてくれたんだ。
ぼくは大陸随一の国力を誇る「正教の守護者たる地上唯一の王国」の王グロワス13世だ。少なくとも今はまだ。
将来——あるいは今も——”
つまり、ぼくは
プロザン王国を抑え込む、大国サンテネリの主だ。
◆
「さて、フライシュ殿。神学のご教説はそろそろ終わりにしよう。私は御身と大陸の命運について話しに来た。我々個人の運命ではなく」
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