邂逅 2 -贈与について-

 教会の椅子は座り心地が悪い。

 これにはたぶん理由があるんだろうね。ふかふかだと退屈な説教の最中に信徒が寝ちゃうから。

 ちゃんと聞かせるためには肉体的苦痛を与えておくのが重要だ。


 イーザンの大聖堂はその名声に比して建物自体はそれほど大きくない。

 抜本的な建て替えを行わず、創建された第8期当初のものを改修拡張してきたためだろうか、屋根のアーチを支える起点となる柱の間隔が狭い。縦長の室内に二列、ずらりとならんでいる。


 大扉から演壇へと続く花道の左右には、ごく粗末な木製の長いベンチの行が連なっている。

 大きさはなんだろう、ちょっと大きめな結婚式場のチャペルだろうか。悲しいことにオーシャンビューとか無いけどね。


 代わりに演壇の背後上方にはステンドグラスの絵画が見える。

 それが不思議な構図なんだ。

 絵の中心にはドレープが掛かった白い布とおぼしき図柄がどんと配置されていて、その右下に小さな人型が跪いて布の端を握っている。


 正教のことを知っていれば意味はすぐに分かる。

 正教において、神は「足」で表される。

 なんでそうなったのかはさっぱり分からないよ。でもとにかく足が象徴シンボルなんだ。で、その足を覆い隠す長衣の裾。その側で裾布に包まれて憩いのときを過ごすのが人の幸福らしい。

 だから挨拶の定型句は「神の御裾の元、ご健勝でいらっしゃいますか?」とか、そういう表現になる。

 ようするに、巨大な庇護者の足下で守られる感じなんだろうか。

 正教における原初的な「神」概念は、ひょっとしたら大木たいぼくがモチーフなのかもしれないないね。


 さて、そんな骨董品めいた聖堂のベンチ中段に腰掛けて、ぼくは人を待っている。

 一人で。


 会合の場所をどこにするかは結構悩ましいところだった。

 建前上は二人の貴族家当主が出会うだけだから、ぼくとしては適当な飲み屋でよかったんだけどね。

 そもそも適当な飲み屋が無い。

 というかまともなレストランすら無い。上質な食事を外で飲み食いできる経済力を持った人間は、その金でマイ料理人を家に雇っているので。

 前にも話したけど、街にあるのは広場と市庁舎あるいは領主の館、正教会。あとはひたすら人々の家です。個人商店らしきものもあるけど、比べれば日本の寂れた地方都市のアーケード街が巨大に感じられるくらいの規模。

 だから候補に挙がるのは市庁舎と、ここ大聖堂くらいのものだ。


 市庁舎はちょっとまずい。政治的過ぎる。

 だから消去法で大聖堂ということになる。

 ただし、お相手は正教会の権威を「至上のもの」とは見なさない聖句典派を信奉なさっているので、正教会の建物を使うのはあまりよろしくはない。

 でもね、ここしかないんだ。

 他の街にすればいいと思うかもしれないけど、大陸津々浦々よほどの大都市でない限り状況は変わらないというね。

 広場、市庁舎、教会。以上。


 もう一つの選択肢として、野外で一緒に狩りをするという方法もあった。

 これはぼくが受け入れられない。


 理由第一はぼくのスキル不足。つまり、馬にことは出来ても主体的にことはまだできないんだ。


 第二はね、完全に相手の得意分野に引きずり込まれてしまう。方や戦場を駆け巡って何十年のベテラン。対するぼくは銃に触ったことすらない。

 は馬にも乗れたし銃も撃ったことあるんだけどね。

 だから知識はあるよ。その経験を覚えてもいる。でも要するにはそれは本で読んだのと同じなんだ。の意識が自覚的に行ったわけではない。身体が覚えるって言い回しがあるけど、ぼくに限っていえば「覚えている身体」を動かす意識がフリーズしてしまってダメだった。

 銃はさておき、馬は怖いからね。口とか。

 大人しそうな顔してるくせに、稀に見せる野生の眼光が怖い。


 第三。これが一番重要なポイント。ぼくはシュトゥビルグ公と会いたくない。いや、別にご本人に隔意はない。いつでも会うよ。でもこの会談にはんだ。

 狩りをするとなると、このイーザン付近の草原がフィールドになるわけです。で、イーザンはシュトゥビルグ王国の領地。他人の領地で無関係の他人が集まって狩り。不味いでしょ。他人の庭でバーベキューみたいな暴挙だ。だから狩りをするならご当人、つまりシュトゥビルグ公もご招待しなきゃいけない。

 それは


 結局先方が譲ってくれて大聖堂に決定した。

 お、若い王ぼくに対する先輩のご厚意かな?

 そうだったらいいんだけどね。替わりにぼくが先に会場に入り、彼を「待って」いる。

 つまり格下の振る舞いをしている。


 サンテネリ王とプロザン王は王号を名乗るという一点においては同格。逆に言えば、それ以外は全部サンテネリ王の方が格上だよ。国の規模も家の歴史も。

 だから普通ならプロザン王がぼくを「待つ」。でも今回はバーターでぼくが待ってる。

 ここまでなら話が分かりやすくていいね。


 ちょっと複雑なのは、ぼくの「待つ」という行為にも建前がつけられる点なんだ。

 例えばある貴族がもう一人の貴族のお屋敷にお邪魔したとしよう。その場合、受け入れ側の貴族は相手の訪問を「待ってる」わけだけど、それは格下を意味しない。当たり前だよね。その場合、館の主はホスト、「主人」で、訪問側が「客」。

 この理屈を今回の会合に当てはめるとどうかな。

 ルロワ公は「主人」としてプロザン公を迎えた、という解釈が成り立つ。

 え? イーザンはシュトゥビルグ王国の都市でしょ? 

 その通り。

 でもね、昔話したことを覚えているかな。サンテネリとエストビルグに挟まれたシュトゥビルグ王国は、いつも両国から干渉を受けているって。

 つまり、サンテネリはシュトゥビルグ王国に対してある種の「権益」を持っているわけだ。王の選定に口を出せるくらいの。


 面倒くさいね。


 そんなわけでぼくはもう20分くらいこの固い木椅子に座り、ぼうっとしている。ステンドグラスを眺め、時計を眺め、時計を眺め、時計を眺め。

 別に焦れてるわけじゃない。

 フライシュさん、永遠に来てくれなくていいよ。時計の秒針が示す極極微細な刻みを観察しているだけで心安らぐからね。ずっと見ていられる。


 でも、泣いても笑っても嫌な時間はやってくる。

 ぼくの背後で大扉が軋み開く音がしたからね。





 ◆





「おお、おお! グロワス殿! 神の御裾の元ご壮健であられるか? いや、昨日街についたのだが、なかなか身体の疲れが抜けず遅れてしまった。いや、申し訳ない。それにしても50も近づくと身体は鉛。貴殿のごとき鋼の姿は過去の話よ。いやぁ、貴殿と初めて文を交わしてからもう幾年いくとせになろうか、この度やっとお会いすることが出来た。これほどの感興は今生もう無かろう————」


 扉の開く音を聞きつけて、ぼくはすぐに立ち上がったはずだ。振り向いて、ゆっくりと彼を迎えようと。


 なのにね、もう目の前に来てるからね。

 競歩の選手かな。

 しかも延々しゃべり続けてる。低く太い声。そしてとにかく音量が大きい。教会の音響効果を考えてもまぁ、でかい。


「ああ、これはプロザン王殿、お初にお目にかかります。神の御裾の元ご壮健…」

「いやいやいや、グロワス13世陛下! 想像通りの若武者振りではないか。それにしても長かった。本来であれば御身が御即位のときに、シュトロワに飛んで行きたいくらいであったものを——」


 ぼくの挨拶すら断ち切ってくるというね。

 しかもぼくの前で右に行ったり左に行ったり、とにかく止まってくれない。

 凄いわ、これ。


 プロザン国王フライシュ3世。

 ここシュトゥビルグと大して変わらぬ弱小国を、一代にして国際政治の中心的プレイヤーにのし上げた英君。大小数十度の戦場いくさばに文字通り「参戦」し、勝ち負けを繰り返しながら領土を倍近くまで広げてきた。国をに。


 確かに肖像画通り、強くカールの掛かった栗色の長髪を肩まで垂らしている。口ひげとあごひげもある。

 でも、絵には描かれていなかった強烈な特徴が一つ。

 右頬の中心辺りにほぼ水平に入った長い切り傷。皮膚がそこだけ薄く突っ張り、縦に縫合痕とおぼしき微かな盛り上がりがある。


 ぼくの不躾な視線に気づいたのだろうか、フライシュ王は傷跡を撫でながら事もなげに言った。


「流れ弾よ。よく逸れてくれた。男の肌など何の価値もない。ああ、耳も」


 肩まで垂らした右の髪をかき上げてみせる。右耳が


「神はご照覧くださる。神の物語には描かれていた。このはかくも無価値なものを失い、対価として祖国に栄光をもたらした。耳など二つも必要あるまい。しかし栄光は絶対に必要だ。なあ、グロワス殿」


 ”フリー”。フライシュを簡略化した渾名だね。

 まぁ本人以外で彼に「小」を付ける人はいないだろう。一般には「偉大グロー」を付ける。”偉大なるフリーフリー・グロー”は数あるフライシュ3世の愛称の中でも人口に膾炙したものの一つだ。


 男ならこういう二つ名には憧れを抱かざるをえない。

 ぼくならどうだろう。”グロワス・グロー”

 微妙。

 それもそのはず、グロワスという人名自体がグローから派生している。直訳すれば「偉人」。だから日本語にすると「偉大なる偉人」になっちゃう。

 もう一つ、王はサンテネリ語で「ロー」。多分だけど、この「ロー」が最初にあったのかな。そこから”王のような”の意でグロー。さらに変化して人名。


 ”ロー・グロワス・グロー”。

 無いな。

 語感的にちょっとアレ。

 現実的なところでは多分こうなる。


 ”ロー・グロワス・ソー”

「ソー」って何か? 愚か者って意味だよ。


 で、想像通りぼくグロワス・ソーフライシュ王フリー・グローに気圧されている。


 想像と違ったのは彼の体格くらいか。

 ぼくよりもちょっとだけ背が低い。地球でいえば170センチくらい。ごく普通の身長だ。

 恰幅が良いとまではいかないが身体に厚みがある。深紅の上着に黒い大判布をストールよろしく纏わせているから、その下にあるのが筋肉なのか、あるいは年相応の贅肉なのかは判別できない。

 全体的に見て筋骨隆々のたくましさは余り感じられないね。


 赤・黒・茶、そして少し日焼けした肌。

 としての彼はごく普通の中年男性だ。顔の傷や耳の損傷はあれど、まぁ普通。


 ただね、なんと言えばいいんだろうか。

 軽自動車にV8エンジンをぶち込んだような、この活力。動力。それに圧倒される。


「ああ、グロワス殿、立ち話もあれだ。少し座ろう。そうしよう。あなたとは話したいことが山ほどあるのだ。そうだな。喉が渇く。おい!!」


 ぼくに長椅子に腰掛けるよう勧める。自分も座る。しゃべる。そして大声で誰かを呼ぶ。これらの動作がほぼ同時に行われた。


「おい!!」のかけ声から30秒も立たないうちに、従僕とおぼしき兵士がぼくたちの前に両膝をついているというね。うやうやしく水筒を差し出して。


「よし! 来たぞ! すまんな、カレル。後でおまえたちも飲め。王が許す!——さて、これはルロワ殿、よい蒸留酒ですぞ。酒はたしなまれるか?」


 カレルと呼びかけられた従兵は短く頭を下げて、来たときと同様に怒濤の競歩で去って行った。

 プロザンの国技は競歩かな。


「ええ、もっぱら葡萄酒ですが」

「そうかそうか、御国おくには上質の葡萄酒が多かろう。しかし我ら東方の民も負けてはいない。蒸留酒に麦酒。もちろん葡萄酒も。選択には事欠かない」


 これもね、水筒を受け取る。蓋をコップにする。ウィスキーを注ぐ。自分で飲む。そしてコップをぼくに勧める。すべて同時です。話しながら。


 で、コップを受け取ったぼくは飲まざるをえない。

 断ると疑っていることになるからね、彼を。

 目の前で毒味までした彼を。


「これはありがたい。大フリーフリー・グローの酒を頂けるなど、帰ったら諸侯や妻たちに大いに自慢しましょう」


 ぼくはお酒あまり強くないので、蒸留酒をガンガン行くとすぐ回る。だから軽く舐める程度。


「妻! そう! そのことよ! ルロワ殿は四人の妃を持つと聞く。私は最近孫が出来たが、ルロワ殿にには歳がなぁ。私は悔しくてならん。」


 冗談だろ。断固お断りです。


「どうだろう。逆に貴殿のお子は? お子が早く欲しいな。そうしたらどうだろう。女ならば我が息子にいただけぬか」

「フライシュ殿はお気が早い。我が正妃とはまだ出会って1年も経ちません。私も色々と忙しい身の上故、なかなか」

「なにも正妃でなくともよい。側妃腹でも構わん」


 ああ、これは不味いな。

 お酒が入っているのがさらによくない。

 感情がコントロールできなくなる。


 むき出しの親族贈与論的世界が目の前に広がっている。知識としては知っていても、それを「体感」することになるなんて想像もしなかった。


  頭では分かってはいたことなんだ。

「家」や「共同体」を核とした社会では、どう取り繕っても婚姻は「贈与」の意味を持つ。

 道徳も法律も言語もない原始の時代においては、相手にとって”価値あるもの”を交換し合うことができた集団だけが生き残り、交換できぬものは交換によって関係を築いた大集団に滅ぼされた。そして、”価値あるもの”の最上は「女」だ。次代の労働力を「生産する」存在だから。


 この構造は文明と共に美しい覆いに飾られたに昇華したものの、本質は変わらない。

 そういう構造の世界に自分たちは生きていると理解はしていた。

 として。


 いつか生まれるであろう自分の娘が「贈り物」扱いされることに、ぼくは心底耐えられない。

 ”正妃でなくてもよい。側妃腹でも構わん”? ふざけるな。

 心内で吐き捨てる。


 でも、ブラウネさんもメアリさんもゾフィさんも、そしてアナリゼさんも、ぼくに「贈られて」来た。ぼくは無邪気にそれを受け取った。厳然たる事実だ。


 ぼくはを受け取ったんだ。分かっていたはずなのに。

 敬意だの愛情だの分厚い極上のオブラートで包んで、騙して、苦い真実を飲み込んだ。


 目の前のこの男は、恐らく意図せぬまま、ぼくにその事実を突きつけた。


 ”贈り物を受け取ったら、今度はおまえが贈る番だぞ。生き残るために”

 そう言われている。


「——プロザン王殿、未来のことは分かりません」


 ぼくは残る理性を総動員してそう返すに留めた。

 論戦するにも分が悪い。

 ぼくの言葉は感情論に終始するしかないだろう。だってここは中央大陸で、この世界の常識は彼の側にある。


 だからこの話は終わりにしたい。

 分かっているよ。この話題贈り物は完璧に政治の中核領域だ。でも、今回はを話しに来たわけだからね。


 だから、ぼくのお茶を濁した言に対するフライシュ王の反応は予想外の一言に尽きる。

 話題が変わったのは幸いだけど、同じくらいきつい別のテーマに着火してしまった。


「ルロワ公、未来は分かる。未来は全て定まっている。——神の綴られた物語の中に全て描かれている」


 ああ、もう!

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