邂逅 1
外交について何か気の利いたことをいいたいよね。ほら、格言みたいなやつ。
でも残念ながらそんな知識は欠片も持ち合わせていないんだ。
サンテネリで王をやり始めてから、外交儀式の経験はそれなりに積んだ。
大使引見とかああいうやつね。
あれはいいね。流れがガチガチに固められているから小粋なトークとか必要ない。定型文をひたすら言うだけ。あとは笑顔で座っていれば終わる。
少し踏み込んで個別会談となると難易度が上がる。世話話が必要になるから。
思えば日本に生きたときも苦手だったあの手のスモールトーク。どうでもいい当たり障りのない話題。一応時事情報を仕入れたり頑張ったんだけど、どうもその無意味さが受け付けない。でもまぁ冒頭の10分くらいだからなんとかがんばった。
それがここサンテネリではね、個別会談の9割はスモールトークだからね。スモール感欠片もない。
結局これもまた結論ありきの面通しなんだ。会談の場で何かが新しく決まることはまずないよ。むしろ起こったら結構不味い。
公的な場でなされた王の言葉は取り消せない。一度発してしまったら、それは
理想の会談は10割スモールトーク。
こんな感じのお仕事を何度かこなして、”それっぽく見せる”形式だけは身についた。でもね、今回ぼくがやらなければならない仕事はちょっと趣が違う。
トップ同士が顔を合わせて、その場で結論を出さなければならない。
サンテネリにおいて、同格の君主が公的に顔合わせをすることはほぼない。戴冠式や結婚式のようなセレモニーに出席することもない。例えば
だってそもそも場所が決まらないから。
帝国諸侯の領域にぼくが出向く、あるいはサンテネリに皇帝が訪ねてくる。どちらも非現実的だ。おもに面子の問題で。
さて、そんな寂しい我々君主なんだけど、立場を着替えると途端に身軽になる。
ぼくの場合なら「ルロワ大公」の立場、皇帝なら「エストビルグ大公」の立場を名乗り、互いに一貴族家の長として会うことは可能。
ほら、あるでしょ。プライベートで行ったゴルフ場でばったり、とかさ。そういうタイプのアレ。
要するに、国家ではなく家、つまり私的な身分で動くことは可能なんだ。これは各国の成り立ちがまさに「家」を出発点としていることの利点だよね。
ぼくが今回行おうとしているのもこのパターン。
ルロワ大公がお隣さんで親族でもあるシュトゥビルグ大公の領地に遊びに行ったら、そこにたまたまプロザン大公さんも来てて、ちょっと家長同士親交を深めた、みたいな感じになる。
互いに随行員は最小限。プライベートなゴルフだからね。1ラウンド回れる人数いればいい。
この「楽しいゴルフ」を実現するために、外務卿の部下達が総動員で日程調整に走るわけです。シュトゥビルグ家とプロザン家に。もちろんエストビルグにも話を通します。
同時にエストビルグとは主に家宰さん中心に大同盟構想を持ちかけていく。
仮にエストビルグ側が難色を示したとしても、我々の行動を差し止めることは出来ない。何度も言うけど「公的な行事」ではないので。
あ、ゴルフは比喩です。サンテネリにそんなスポーツはありません。
鉄の塊の付いた棒を振り回すなんてそんな危ないことはできません。うっかり相手の頭に叩きつけてしまう危険性があるので。
これ冗談じゃないんだ。
サンテネリの人々、中央大陸も含めて結構気軽に
こうして考えてみると平和にゴルフができる社会って素晴らしいな。
昔、半ば仕事で駆り出されていたときは何が楽しいんだかよく分からなかったけど、今ならよく分かる。隣の人の頭をクラブでフルスイングすることが許されない社会。それがもたらす果実をぼくたちはむさぼってたんだ。
◆
時間はないのにやるべきことは多い。
中央大陸の常識にはいささか馴染まないハードワークを部下の皆さんがこなしてくれたおかげで、小旅行の準備は一月ほどで済んだ。
サンテネリ北東部とプロザン西端の間に申し訳程度に突出したシュトゥビルグ王国の都市イーザンが「ゴルフ」の舞台だ。
随行は50の近衛騎兵のみ。
サンテネリ北東部の街道地域にはあらかじめ国軍の重点警備が敷かれている。なんでって? 野盗が出るので。野盗はどこにでも湧きます。汲めども尽きせぬ泉。
ガイユール公領への旅は公式行事。王の姿を人々に見せるためのいわばパレードなので進行は至極ゆっくりしたものだったけど、今回は違う。
道程はどうでもいい。要するに、都内から高速道路をおおっぴらに公言できない速度で飛ばして茨城県央のゴルフコースに、みたいな感じだね。
日本はよかった。野盗いなかったから。
高速旅行には当然わけがある。
1ヶ月後には念願の貴族会が予定されているからね。そっちはそっちで忙しい。
元々は貴族会の仕切りは家宰フロイスブル侯爵の予定だったのが、急遽エストビルグ方面担当を兼任するはめになり、結果、貴族会工作はアキアヌ大公が中心となった。
議題はシンプルに「勅令の承認」のみ。そしてその承認は彼の権力への道を拓くものだ。首相以上の何かになりたければ、後はぼくを廃位する以外にない。そして貴族会は廃王の権限を持たないのだから。
でもね、やっぱりちょっと心配なので、
具体的には旧近衛の兵で
今のところデルロワズ公を軍務卿、その配下にバロワ伯爵を置いている我がサンテネリ軍。でも実際はデルロワズ連隊はジャンさんが動かし、旧近衛はバロワ伯爵が動かすというアレな体制をとっています。
で、ぼくが「ここは抑えておきたい」と思った肝心の状況では結局旧近衛軍とお義父さんを頼るというね。
一つ言い訳させてもらえば、まだ勅令は承認されていないので、ぼくには”完全な”国王大権があるんだ。だから今は予行演習。
幸いバロワ伯爵はデルロワズ公のことを認めている。多分代替わりが進めば上手く統合されていくんじゃないかな。
そして当の軍務卿の仕事は単純だね。戦争準備。
即応できるのは近衛やデルロワズの常備連隊群だけだから、不幸な出来事が起こった場合当座は彼らで凌いでもらう。問題は、その後諸侯軍を動員する際の段取りだったり期限だったり。これを詰めてる。まだ行動には移してないよ。お金掛かるので。
内務卿さんはまぁ平常通り国内の治安維持に忙しい。具体的には”他国からの旅行客”の監視。今うちは色々なところが大きく動いている最中なので、変な横やりは可能な限り排除したい。
そしてガイユール公には主にアングラン対応と、これが最も重要なところなんだけど、資金調達の段取りに奔走してもらっています。
覚えているかな、徴税請負人組合。ガイユール公と繋がりが深い金融家が何人も所属しているんだ。アキアヌさんのところもね。この辺と話を付けつつ、ある偶発的な状況が発生した場合どのくらいお金を出せるかを打ち合わせてる。主に国の発行する国債の引き受け額だったり、組合債の追加発行だったりそういうの。
超重要でしょ。
さて、ここまで長々話してきた理由、お気づきだろうか。
つまり、ぼくは今回一人なんだ。
初めての
◆
速度が出ている馬車というのはある種の拷問器具に近い。もう尻が痛いとかそういう次元を超えて、背骨にダメージが来てる。
そんな最悪の場所で、暇を持て余したぼくは持参した紙の束を読んでいる。
正確には読み返している。
ぼくが十代の頃から交わしていた、あるおじさんの手紙。
いや、全部記憶にはあるんだ。あるんだけど、改めて読み返して、改めて目眩を起こしそうだ。
心底今のぼくとは相性が悪いタイプなんだよね。フライシュ3世。
”人の頭が唯一のものであるがごとく、国にもそれは一つしか必要ないのです”
とか、こういう文章、本当にしんどい。
他にもあるよ。
”完璧。完璧。完璧であること。これこそが王の存在意義であると私は信じています”
はい。
”王太子殿は戦場の経験がおありだろうか。飛び散る土と硝煙と血の中で、翻る軍旗を背負い、最初に歩を進めるのは誰でしょう。それは王をおいて他にありません。国家においても同じこと。王にとっては宮廷も野原も同じです。草が生えているか人が立っているかの違いに過ぎません。どちらも王のみが演じ立つ偉大なる舞台なのですから”
そうですね。
ご高説の通り。
この人のサンテネリ語、超流暢なんだ。
語学ってさ、読むのと聞くのはまあなんとかなる。でも書くとなると辛い。文法の正しさ以上に、その文脈において適切な単語が使えているかどうかの判断が難しいんだ。
サンテネリ語は中央大陸の知的階級共用語なので、幼い頃から学んでいればほぼネイティブレベルに達するだろう。でも、完璧主義のフライシュさんのことだから、書き終えた後にネイティブチェック入れてるかもしれないね。
完璧主義といえば筆跡も本当に美しいよ。罫線ないのに綺麗に水平出てる。しかも文字一つ一つのサイズが寸分違わず。これは300年後くらいにコンピュータ発達までこぎ着けたらフォントに使える。フライシュ3世フォント。
こんな風に手紙一つとっても、フライシュ3世の性格は概ね世評通りだと分かる。
後は実際のところどんな顔をしているのか見てみたいよね。
肖像画というか、新聞の挿絵を見たことがあるんだけど、強くカールの掛かった長髪をなびかせて、鋭い眼光で遠くを眺める壮年のイケメンでした。歳はだいたい四十代後半なのかな。
戦場の逸話には事欠かない人なんだ。部隊壊滅寸前のところを陣地に留まって自ら大砲撃ったり旗持って突っ込んだり。勝利の後は一兵卒と肩を組んで酒を酌み交わすとかね。
きっと筋骨隆々なんだろうね。
デルロワズ公に聞いたところ、フライシュ3世はガンガン攻めていくイメージに反して、意外にも負け戦に強いタイプとのこと。凡将なら全滅必至の状態を辛敗くらいに収めるのが上手いらしい。それがどれほど凄いことなのかぼくにはピンとこないけど、まぁエストビルグと延々やり合って生き残ってるし国も破綻してないから、実際とんでもないんだろう。
これはあれかな、日本でたとえれば証券会社のエグいマネージャータイプかな。あるいは超ワンマンの不動産社長。もしくは炎上したプロジェクトに満を持して投入される凄腕SEか?
気弱なカモのぼくが買わされるのはクズ株か、あるいは利回りの終わってるワンルームか。
そんな馬鹿げた想像をしながら、ふとぼくはグロワス王太子のことを考えた。
手紙の返信をしたためながら、高揚した心を抑えられない夜を過ごした彼。ブラウネさんあたりは毛嫌いしていたっぽいけど、今のぼくはそんな彼のことを嫌いではない。
というか、最近不思議なことに彼の存在を感じる機会が増えているんだ。
ちょっと面倒くさい話になるけど、ぼくは彼を「上書き」したわけではない。だって彼の記憶も感情も全て残っているんだ。何一つ忘れていない。実感がないだけでね。
自分が自分であること、ちょっと難しい言葉で言えば自己同一性を証明するのは難しい。記憶の連続性がある以上、性格がどれだけ変わってもぼくはぼくだ。
彼が持ち得ないような様々な記憶を今のぼくは持っている。でも、構造としては普通の人間のそれと変わらない。例えば10歳まで日本に住んでいた少年が、親の転勤かなにかでアフリカの某国に移住したとしよう。昨日まで想像も付かなかった異世界をその少年は知ることになる。そこで数年過ごし日本に帰ってくる。少年は二つの全く異なった世界の記憶を持つ存在になるわけだ。
今のぼくと一緒だね。
ぼくの心内には二つの感情が相克している。
10代の頃に憧れた英雄に一目会ってみたい、英雄になりたいという瑞々しい憧憬と、少々すり切れて皮肉めいた物の見方をするひんやりした諦念。
この分裂は知らず知らずのうちに色々なところに現れている気がする。妻たちの前でかっこつけて嬌声を浴びたい少年の虚栄と、女の胸の中で甘えて過ごしたいという劣情混じりの依存。どちらもぼくだ。
幸せなことに妻たちとの逢瀬は日常になって久しいから、この分裂を自覚する機会はなかなかない。
ただ、今回フライシュ3世との会談というとびきりの異常事は、ぼくの中でぶつかり合う意識の輪郭を見つめ直す切っ掛けになるだろう。
もう一度言っておこう。
昔のぼくは今のぼくに上書きされていない。
◆
邂逅の地イーザンは元々正教会の大僧卿管区として栄えた地方の中心都市だ。時代が下りシュトゥビルグ王国に吸収された今でもその面影は残っているという。
その巨大な伽藍、イーザンの大聖堂に。
サンテネリ王とプロザン王の極私的な出会いは、まさにその大聖堂で為されることになっている。
正直なところ、ぼくは正教に対する思い入れが皆無だ。自由意志による選択に最大の価値を覚えるぼくにとって、正教の教えはほとんど論敵に近いものがある。
正教は人の「運命」を重んじる。そして「運命」は意志の否定につながるから。
一方のフライシュ3世は熱心な正教信者として有名だ。
中でも「聖句典派」と呼ばれる、教会を介さず聖句典から直接啓示を得ようと試みる一派の信仰を持っている。
そしてご想像の通り、旧来の正教主流派である「正統派」とこの「聖句典派」は仲がよくない。過去にはそこそこの規模で戦争も起こっている。例えば我がサンテネリはレムル半島の僧王を奉じる「正統派」の国。一方帝国内には「聖句典派」を奉じる公国や王国がいくつかある。プロザンはその代表的なものの一つだ。
とはいえ、流石に今この時代、宗教を動因とした争いは下火になりつつある。だから派閥違いでフライシュ王とぼくがぶつかることは恐らくない。
事はもっと深刻でね。
ぼくは「異派閥」どころか、ごりごりの無神論者なんだ。つまり正教信者から見れば「人間」のカテゴリに入れるべきか迷うタイプの生き物ということ。
もちろんおおっぴらに公言することはないよ。「神の御裾の元なんたらかんたら」とかそういう決まり文句の挨拶はするし、祈る振りもする。でも信仰はない。
フライシュ王には恐らく信仰がある。
冗談めかして表現すれば、経営者あるあるだね。彼ら、なぜかスピリチュアルに寄る人が多い。
気持ちは分からないでもない。
個人の力を超えていると思えるような出来事を体験する機会は誰しもあるだろうけど、そういうキツい何かに「責任者として」立ち向かわなければならない立場の人はそう多くはない。「運命」を信じたくもなるよね。
で、問題は、そういうスピリチュアル系の話を延々されると、ぼくの仮面にひびが入る可能性があることなんだ。つい反論したくなっちゃう。
無益と分かっているのにね。
考えれば考えるほど、今のぼくとフライシュ3世は正反対の存在だね。
こういう場合、「まあまあ」の関係は成立しにくい。やたら馬が合うか、あるいは不倶戴天の敵になるか。
極端に振れることが多い。
さて、我々はどちらだろう。
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