第1部「自由への道」 第4章 出口なし
物騒な会議
本屋さんに行くと、大体お店の前面の一番目立つところにビジネス書が並んでいる。お恥ずかしながら、学生の頃はあの一角を半ば軽蔑していたんだ。
そんなハウトゥー本なんて低俗だ、って。
普段外国語の文献とか小難しい観念的な本ばかり読んでいたから、そのギャップもあったんだろう。
あるいは心のどこかに劣等感があったのかな。自分の学んでいることが目に見える形では社会の発展に繋がらないという事実への。
そんな嫌なやつのぼくが、就職して1年もするとハウトゥ本コーナーに入り浸るようになった。タスク管理やら社会人マナーやら新人の心得やら、そういう本を買いあさった。
特にタスク管理はね、色々読んだよ。任される仕事も徐々に増えてきて、シンプルに「回らない」状況に直面したから。
で、格好よさげなメソッドを試してみるんだけど、結局どれ一つ身につかなかった。どうしても「形」をなぞることに意識がいって身体に染みつかない。
分かるかな。タスク管理手帳を書くことが一つの目的になってしまって、道具として使いこなせない感覚。
次にあの辺のコーナーのお世話になったのは、父の会社を継いだとき。
「管理職の心得」「取締役のあるべき姿」「リーダーはどうあるべきか」みたいな本を読みあさって、案の定新卒時と同じ轍を踏んだ。
だからね、知識はあるんだ。知識は。
行動に移せないのが問題なんであってね。
そんなぼくが身につけた唯一の生きる術は、無駄に蓄えた浅い知識をベースにして、分かっている風を装うこと。
装い続けてもう何年になるだろう。いつも怯えている。
自分という生き物を二つに割ってみたら、中に何も入ってない。それが露見するのを。
前に話したね。ぼくは他者の目を恐れる傾向があるって。あれは要するに、自身の空疎を見抜かれて、取るに足らぬ存在と見なされることへの恐れなんだ。
この空っぽさが自分なのだと開き直れればいいんだけど、なかなかそうもいかない。
「自分を開示していく」みたいな文言は知ってるよ。ビジネス書によく書いてあるからね。
実行できないだけで。
◆
さて、それはそれとして、やらなければならないことがある。
三つある。
一つ目は大回廊勅令への承認を取りつける貴族会開催
二つ目はエストビルグ工作
三つ目はプロザン工作
一つ目は王の大権委任を目指すもので、二番目と三番目は対アングラン大同盟に向けた動き。全部お国のためということになっている。
でも一皮むけばそこはぼくの私欲の世界だ。
大権委任はもうお分かりのように、ぼくが楽になるための唯一の方策。
そして対アングラン大同盟は、アナリゼさんを手放したくないというよこしまな欲求とサンテネリの混乱を煽るアングランへの私怨の集合体だ。
ただね、この「一皮」が重要なんだ。
なんだかんだこじつけをして「それっぽく」する。
大同盟について、いきなり枢密院(仮)に図るようなことはしなかった。個別にぽつぽつ話したよ。メンバーそれぞれ傾向があるからね。
あ、アングランに対しては皆「死ね」って思ってるし、エストビルグにもプロザンにも「死ね」って思ってるのは変わらない。基本周囲は敵ばかりなので。ただ、その度合いが微妙に違うんだ。
例えば宮廷大臣(仮)で現家宰マルセルさんなんかは若干エストビルグ寄り。和約のとりまとめ役だからね。エストビルグを殺すのは最後にしてやる、って感じ。
逆に首相(仮)アキアヌさんは全方位叩き潰す派だけど、エストビルグとプロザンなら僅差でプロザン。
あとは、財務卿(仮)ガイユールさんはアングラン寄りかな。地理的にも近い商売相手だ。
内務卿プルヴィユさんはお仕事が国内メインなこともあって比較的中立。外務卿トゥルームさんも同様。外務卿ってそれこそ外交メインなんだけど、あくまで本国の政策を上手く実行する「道具」なので。
で、軍務卿デルロワズさんがね、ぼくが見るところ判断が難しい。理性では戦争回避を望んでるけど感情は恐らく異なる。そしてやるならプロザンとやりたいと思ってるんだろう。
ちなみに、個別会談にも私欲もあります。そうすれば大義名分をもってお酒飲めるから。
最近ブラウネさんやメアリさんの視線が気になるんだ。
「え、また飲み会?」みたいな。
そのうちSNSに愚痴を書き込まれる可能性が高い。
「旦那がまた飲み会で帰ってこない。ワンオペつらい。…ほんとに飲み会なのかな。他に女がいるのかな」って。
ぼくだって出来ることなら妻達と飲みたいよ。でもね、ぼくがワインお替わり三杯目あたりから眉を顰められるんだよね。
「あれ? まだ飲むの」
そう顔に書いてある。
まぁそういうわけで一通りあらましをキーマン達と話したところで、会議の議題に挙げたわけです。
「どこまで事態を進める心積もりか、皆さんにお聞きしたい」
ガイユール公ザヴィエさんが一応の確認をとる。
ぼくが一人一人と話している間、おそらく皆さんも互いに打ち合わせを行っているだろう。だから大体の落とし所は皆分かっている。
「まずは戦を避けることでしょう。それこそが陛下のお心に叶う唯一の道です」
マルセルさんの答えによどみはない。というか、この場の共通認識だ。”陛下のお心”はさておき、単純にね、金をかけたくない。
「総意が取れるならばそれでいい。お分かりかと思うが、アングランと事を構えるのであれば、ガイユールは商いのみでなく、陸の戦いにおいても最前線になる」
対アングラン戦を想定した場合、海の戦いは考慮に入れなくていい。
というか戦えない。うちは船が無いので。
新大陸との交易を守りきることも恐らく出来ないだろう。ただし、いかにアングランといえど大陸の完全封鎖なんて不可能だから、勇気ある貿易商人の皆さんの頑張りに期待したいところ。
封鎖めいたことを実行しようとした場合、先方もダメージは大きいよ。自分たちの物品を売る市場を自分たちで封鎖するわけで。結構エグい連鎖倒産があるはず。
そしてアングランとの交易で潤うガイユール公領にとっても間違いなく痛手だ。だから、この案にガイユール公が消極的とはいえ賛成を示してくれたことは一つの政治的勝利と言っていい。
彼はアングランとの連携による公領の独立性維持ではなく、名実ともにサンテネリの一部になる道を選んだ。
「ガイユール公殿、ご安心を。
デルロワズ公ジャンさんがそう請け合う。
そして、自分が出向くというのだから、ジャンさんは今回、旧”
「元帥殿自らの指揮であれば心強い。頼りにしましょう」
ザヴィエさんとジャンさんの会話を見てるとさ、何というかビジネス雑誌の特集みたいだよね。老舗巨大企業の社長と新進気鋭ベンチャーのCEO対談、みたいな。
絵になる。
ぼくはこういう有能イケメンに嫉妬するタイプのアレなので、本来ならばねっとりとした猜疑の目を向けるべきだよね。こいつらもしや謀反を? みたいな。
ルロワ派閥筆頭のマルセルさんあたりが黒幕でね。ぼくに囁くんだ。
「ガイユール公とデルロワズ公が何やら親しげなご様子ですなぁ。もしや陛下の至尊の冠を奪う算段をつけているのやも」
なんて。
それがまぁ、ぼくは身の程を知っているので。彼らがその「至尊の冠」とやらを奪いに来てくれるなら喜んで差し出すんだけど、その様子は今のところない。
「状況次第ではございますが、場合によっては低地諸国自体への進軍も計画はしております。陛下のご決断があらば」
ぼんやりと会議室の壁を眺めていたぼくにデルロワズ公が尋ねてくる。
そう。アングランとやる「陸戦」はアングランとはやらない。
うちを荒らし回れるほどの陸軍を彼らは保持していないし、あったとしても揚陸させる能力が無い。上陸できたとしてもすぐに潰せる。
だから相手は彼らではなく、彼らが雇う傭兵達ということになる。低地諸国のね。
ガイユール公領北端を接する低地諸国は活きのいい傭兵の産地。傭兵と言ってもごろつきの親玉みたいなのじゃなくて、都市が編成した市民軍がまるごと他の国に雇われるという面倒くさいパターン。
デルロワズ公はこの際そこまで潰してしまおうと考えているわけだ。
なぜそんなことが検討できるかって?
アングランと戦端を開く場合、状況は二つしかない。
対アングラン大同盟が成立して、我々の圧力に耐えきれなくなった彼らが突破口を戦争に求めるシチュエーション。
あるいは、アングランからプロザンを引き剥がすことが出来ず、サンテネリ・エストビルグ VS アングラン・プロザンの中央大陸大戦が始まる状況。
前者の場合、我々は南西から、プロザンが東から低地諸国に圧力をかけることができる。
後者ならば逆侵攻なんて考えずに防衛に徹することにする。
「デルロワズ殿自らの指揮であれば心強いこと。ただ、低地諸国は私の手に余る。彼らは王を戴かない。枢密院発足後に、我々が”国家”としてそれを為さんとするならば反対はしないが」
デルロワズ公さん、実戦経験がそれほどあるわけじゃないからね。
だから本当に”心強い”のはデルロワズの「家臣団」であり、近衛を取り仕切ってきたバロワの「家臣団」なんだ。で、デルロワズの方はいいとして、旧近衛軍将校の皆さんを彼が手足のごとく使いこなせる可能性は低い。
低地諸国を本格的に切り取るとなったら総力戦だ。旧
現段階において、旧近衛軍の将校の皆さんを動かしうるのは誰か? 分かるよね。
無理でしょ。
「承知しました。ではそのように進めましょう」
「よろしく頼む、デルロワズ殿」
彼は特に食い下がることもなくあっさり引き下がった。多分彼も分かっているんだ。
「エストビルグは家宰殿、お任せしてよいかな?」
ぼくは腕時計を眺めながら、向かって左列、ぼくの直近に座るマルセルさんに語りかけた。
この席次も面倒くさいんだよね。
ぼくが部屋の中央奥にいて左右に閣僚の皆さんが列を作っている。ぼくに近い方が上座ということになるんだけど、今は国王顧問会から枢密院への移行期なので、依然家宰のマルセルさんがそこにいる。彼の対面には次期首相アキアヌ公。
「バダン宮中伯か、あるいは他の伝手か、外務卿殿と適切な窓口を検討しております」
「バダン殿は間違いなく忠義の人ですが、何事も自身が主導権を握りたがる性格です。彼を蚊帳の外に置くと面倒ごとが増えるでしょう」
外務卿トゥルーム侯爵はバダンさんと旧知の仲だ。一見うだつの上がらない中間管理職コンビ。でも敵に回すとすごい怖いタイプの。
「場合によっては正妃様のお力をお借りすることになるかもしれません」
相変わらずの生真面目な顔で髪の分け目を直すと、彼はぼくに許可を求めた。
「アナリゼ殿には話してある。彼女も賛同してくれた。その力が必要な際は遠慮なく言ってほしい」
バダンさんは忠義の人。それはたぶんそうなんだろう。主家は絶対。でも実権は完全に自分でコントロールしたい。そういうタイプの人。
色々思い出すね。主に実家の取締役の皆さんを。
散々辛い思いをしたけど助けられたことも多かった。創業家の直系男子であるというだけで、この無能な三十代の若者が社長の座を占めていることに彼らは全く異議を持たなかった。当然のことと見なしていた。”三代目を盛り立てる!”って。ぼくの拙い話も一応聞いてくれたよ。”三代目のご意見”だから。
アナリゼさんは主家の姫。日本にいた頃のぼくと似たような立場だ。だから彼女の言葉は多少なりともバダンさんの心象に影響を及ぼすかもしれない。まぁダメならバダンさんの反対派閥と繋ぐけどね。
「さて、問題はプロザンだ。アキアヌ殿にお任せしてもよいだろうか」
本当に頭の痛い問題がこれなんだ。
エストビルグやアングランとは相応の伝手がある。一方プロザンとの関係はいまいち薄い。例えば昔からの大企業はどこも利害に関わらず互いに交流を持っている。でも、ここ数年で爆発的に伸びたベンチャーとなると窓口がない。
もちろん公使館はあるし互いに外交官を派遣してはいる。でも、ただそれだけだ。
意思決定権者とのパイプがない。
個別会談でアキアヌさんに話を振ったときも威勢のいい返事は返ってこなかった。
「まずは我が国にいる公使に会いに行くところからですな」
なんて、いつもギラギラしている彼には珍しく弱々しい言葉を聞いたよ。
アキアヌさん艶消し仕上げ。
右の前列に座る彼と目が合う。
ニヤッとした顔。これはね、彼がもうけ話を思いついたときの顔だよ。
「グロワス陛下。そのお話ですがね、私はプロザンとは縁もゆかりもない生活を送ってきました。フライシュ3世など名を知る以上の知識がないのです。そこで私は考えました。我が国のどこかにフライシュ3世と親しい人間がいないかと」
「いるのならばその者に働いてもらおう。顔の広いガイユール殿か? あるいは軍事の縁でデルロワズ殿か?」
ぼくは油断していた。
「いえいえ! よくお考えください、陛下。グロワス陛下。若かりし頃よりフライシュ3世と親交を深められ、個人的な手紙のやりとりすらなさるお方がいらっしゃるではありませんか!」
ああ、うん。そうだね。昔のぼくだね。
「…」
「我らがグロワス13世陛下は
「会えと?」
「はい。もちろん手はずは我々で全て。王国に平穏を、そして我らが正妃アナリゼ様のお心を安らがせることが出来るのは、陛下のご威光をおいて他にございません!」
アキアヌさんがいつものテカテカした感じを完全に取り戻している。彼、一対一だとほぼタメ口のくせにね。羽振りのいい親戚のおじさんムーブするくせにさ。
「それは気づかなかったな。だが悩ましいところだ。フライシュ殿は希代の英君と聞く。私のような愚王を目の前にして、我がサンテネリの名誉が軽く見られてしまうのではないかと不安でならない」
精一杯の抵抗をしてみる。
「陛下、陛下! あの”ガイユール館の演説”を為された英君を前にしてそれを侮る者があるとすれば、その者はただの愚昧の輩に過ぎません。もしフライシュ3世がそれにあたるならば、いっそエストビルグと本気で手を組み、プロザンを小領に逼塞せしめることも可能でしょう」
出席者の皆さん、アキアヌさんの言葉に反論無し。
目眩がしそうだ。
ぼくが会うの? フライシュ3世に?
でも、こういう発言が不敬と見なされないのが枢密院なんだよね。王に「おまえ行ってこい」って首相が言える。なぜなら首相は王の家臣たるアキアヌ公領の主ではなく、サンテネリ王国という国の実務総責任者だから。
「使えるものは何でも使う。アキアヌ殿らしい」
心の底から嫌だけど、それが最適解であることは分かる。あとは皆さんの良識を信じるのみだ。出て行っても馬鹿にされない程度にはぼくは評価されているらしい。
ぼくは自分が信じられないので、有能な皆さんを信じることにするよ。
途方に暮れた心内を努めて押し殺して、ぼくはアキアヌさんをじっと眺めた。
突然彼は立ち上がり、ぼくを見下ろす。
そして言った。
「陛下。昔私に”王の器”の話をされましたな。——そろそろ自覚なされよ。御身に器が備わっているかどうかは誰にも分からぬが、ここに集う我々は皆グロワス様に従っている。器だのなんだの抽象的な問題ではないのだ。我々は行動で示している」
いつになく真剣な彼の視線を受けては、あえぐように、言い訳がましく答えるしかなかった。
「——諸君の忠誠を疑ったことはない」
アキアヌさんは大きく息を吐き、会場に参集する各卿をぐるりと見回す。ゆっくりと。
そしてぼくに向き直り、断固たる口調で語りかけた。
「では、ご自身を疑われるのもお止めなさい」
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