妃たち 4
太い実家を持った人は”性格が良い”。
より正確には、その可能性が高い。
何というか余裕があるんだ。明日の食事を心配しなくていいのは当然として、周囲の人々の対応も違う。酷い扱いをされることが少ない。尊重されている、といえばいいんだろうか。
サンテネリと比べれば貧富や身分格差が極端に小さかった日本ですらそうだ。公立の小・中では
不都合な真実というやつだね。
学力試験で選抜されるわけだから、建前上は純然たる個人の能力の問題だ。でも、その「個人の能力」を形成せしめたものは何かと問われれば、そこには必ず生まれ育った環境がある。
そして大学に入るとさらに選別がなされる。
ぼくは公立の小・中を出て県立高校に通い、私立大学に進学した。高校受験と大学受験では1年間、塾にも通わせてもらったかな。
その経験を振り返ってみても、初めてこういう「社会の現実」を肌で感じさせられたのはやっぱり高校入学からだ。
生徒達がみな自分と同質性の高い。
いいやつもいればいやなやつもいたけど、それは性格の不一致が原因であって、小・中のように、まさに生きている世界——知覚している世界——自体が異なるタイプの人はいなかった。少なくともぼくは知り合わなかった。
前に話したとおり、うちの家業は建築系だから、ぼくが子どもの頃は時期的に会社も色々あったみたいだ。当時理由はよく分からなかったけど、なんとなく重苦しい雰囲気を感じてた。
でも、普通に食事はできたし小遣いももらえたからね。服を買ったり本を買ったりできた。
ぼくはちょっと背伸びしたいタイプのアレな性格だったから、大学に入ると一行たりとも理解できないのに色々な思想書を読みあさった。だってタイトルがカッコいいでしょ。海外の哲学書。
『精神現象学』とかさ。この世界の真理が書かれているような気がする。
でも、4年間かけてそういう”この世界の真理”を色々読みあさった結果、何が残ったかと問われれば答えに窮する。ただ一つだけ得たものがあるとすれば、それはものごとを意識的に抽象化、あるいは具体化する思考だろう。
ピントをずらす、といえばいいんだろうか。
太い実家を持った人は”性格が良い”。
この命題の中から「性格が良い」を掘り下げてみよう。
性格が良いと一言でまとめて表現される人間の様態は実に多岐にわたる。いちいち例を挙げたらキリがない。でも、それらの要素の根源にあるものを探してみると、恐らくそこには「社会に肯定されている」感覚がある。
本質的に、自身を取り巻く世界は善いもので、自分を助け愛してくれるものだという、言葉になる以前の直感。
だから、一般的な語義における性格の良さがぼくに当てはまるとは思わない。
どうなんだろうね。嫌なやつかな。
でも、確かに根本にこの「肯定されている」感覚はあった。逆にぼくの方も心の底では社会を肯定していた。この世界は「正しい」と。この常識は「正しい」と。
すると自然、他者に対しても性善説になる。
善い世界で生きている人間は善い人。善い人たちがより善い社会を作っていく。この思い込みは想像以上に根深い。
単純に「お人好し」とでも言えばいいんだろうか。
社会に出て他人を疑うことも覚えた。でも、裏切られることがあっても「きっと何か事情があったんだろう」とどこかで斟酌してしまう。
自分を肯定し、愛し、生かしてくれる世界に真っ向から逆らうような、そんな悪逆非道の人間がいるわけがない。だからきっと何か事情があるはず。そういうロジック。
さて、なんでこんなどうでもいい語りをしているかというとね。
ぼくは今まさに、自分を「肯定しない」世界に放り込まれているからなんだ。
最初のうちは意識しなかった。
超凄い体感ゲームの世界でロールプレイしている感じだった。むしろ半分楽しんでた。ゲームって本来そういうものだ。
でも、
ぼくはここで生きている。
「肯定しない」の意味が分かるだろうか。
これは地位や生活の諸々を意味しない。
もっとやっかいなことに、思考の土台自体がズレてるという意味なんだ。
◆
ブラウネさん、メアリさん、ゾフィさん、そしてアナリゼさん。
彼女たちは皆ぼくの妻だ。奥さんが複数いる時点から若干混乱を覚えるけど、そこはぐっとこらえよう。
本音を言うとね、ちょっとうれしいよ。
聡明で心根優しい(たぶん)お姫様が4人もいて、皆が(表面上は)ぼくは好きだと言ってくれる。
どうあがいても他者の心内に到達することはできないから「本当のところ」は考えても意味が無い。そもそも人間に「本心」なんて存在するのかっていう議論もできるくらいだし。
彼女たちの実家はどうだろうか。
お分かりの通り、めちゃくちゃ太い。
つまり、ぼくの仮説が正しければ、彼女たちの”性格の善さ”は「
そんな彼女たちにとって、いかに「演技」しようと、ぼくは「世界に真っ向から逆らう」タイプの人間なんだ。
ブラウネさんに、ぼくが考える「魔力」について話をしたことがある。
最近夕方になると執務室で軽く一杯やる習慣ができまして。
で、時々彼女が来るんだ。ワインを持って。そして一緒に飲む。実はブラウネさんお酒好きだからね。
酔ってくると心が軽くなる。ぼくの場合は自分の考えていることを語りたくなる傾向があるっぽい。正直一緒に飲んでも楽しくないタイプだろう。
でもさ、優しい美人の奥さんがニコニコしながら聞いてくれたら、その誘惑に耐えられる男は少ないはず。時々褒めてくれたりさ。だからついつい、どうでもいいことを話してしまうんだ。
きっとブラウネさんにとってはぼくという「異物」の生態調査なんだろうけど。
で、ボトルからワインをグラスに注いで説明した。
ボトルの中に残った多量のワインと、グラスに残った少量の(ぼくが飲みまくったので)ワイン。量の違いはあれどそこに「本質的な差」はない、って。
彼女はワイングラスを優雅に傾けながら聞いてきた。
「ですが、魔力は人を従える力を持つといいます。ならばその量にも意味があるのではないでしょうか」
「なるほど。正教の理論だね。私が不思議に思うのはそこだ。”人を従わせること”に何の価値があるだろうか」
「人を従わせることができれば、より大きなことを為すことができますわ。——グロワス様のように」
素で言われたら煽られたのかと勘違いしてしまう発言だけど、彼女のほんのり紅色にそまった首筋が全てを帳消しにしてくれる。男の
あ、ちなみにブラウネさんはお酒強いです。
「大きなことを為す存在には価値があると? 例えば私がアングランを攻め滅ぼし、帝国を攻め滅ぼし、そこに生きる人々を根絶やしにすることができたら、それは価値の証明になるだろうか」
「陛下が昔おっしゃっていらっしゃったように?」
薄い笑みだ。少し垂れた瞳が蠱惑的な色を帯びる。ちょっとしたからかいと媚態。
「ああ、そうだね。もう何年も前になるが、確かに私はそんなことを言っていた。ただ、少し成長した今の私は、その行為に価値があるとは思えなくなってしまった」
「では、現在の陛下は何を”価値”と思われますの?」
「少なくとも”人を従わせる”ことにはそれを見出していないな。よって”人を従わせる”魔力にも価値を見出していない」
「まぁ! それでは、陛下はブラウネに命令できなくなってしまいますわ」
薄々気づきながらも言わなかったことを、彼女は今、酒の力を借りて投げかけている。
そう、ぼくは矛盾の塊だ。最も”人を従わせる”ことを無意味と感じる人間が、最も人を従わせているんだから。
「そういうことになる。だから私はあなたに”お願い”するばかりだ」
「でもブラウネはその”お願い”に逆らうことができません。グロワス様が”ブラウネを手放さぬ”とお願いされたのですから」
でもブラウネさんも「自分を背負ってくれ」って言ってたよね。切り返したいけど、言ったら「いいえ、お願いされました!」と断言されて終わるパターンだね。
「
「そうあるべきだからでしょうか。——陛下はブラウネの
台詞の後半は甘い。ぼくは彼女の底なし沼ような甘さが大好物だ。ただ、今回重要なのはそこじゃない。
”そうあるべきだから”。
夕食前の一杯は、文字通り一杯だけで留めておこうと決めていたのに、ついつい二杯目を手酌で注いでしまった。妻の咎めるような視線を受け流しながら。
「できることならば、”そうあるべきでない”世界で、あなたに好かれたいと願うよ」
魔力の実在などぼくもブラウネさんも真剣に信じてはいない。しかし身分秩序は厳然と存在する。職業上の地位じゃないんだ。人間の「価値」の上下が。
「では、ブラウネが例えば…劇場の踊り子であったとしても、グロワス様はブラウネをお選びくださいますか?」
「踊り子のきみを選ぶことができる社会になってほしいと、ぼくは切に願うよ」
思わず口を滑らせてしまった。二杯目のワインはやっぱり効く。ぼくはお酒弱いからね。
そして、ブラウネさんのなんとも言えない困り顔を見て、本当に後悔した。
「陛下は
ぼくは答えなかった。彼女はぼくの傾向を理解している。そしてできる限り歩み寄ろうとしてくれる。ただね、目の奥に微量の嫌悪がある。
ぼくはようするにこう言った。
”王の妃にしてサンテネリ王国宰相の娘と、場末の劇場で平民に春を売る踊り子が同等の存在であってほしい”と。
たとえて言えば、夫を愛するがゆえに世間的に
夫のために?
そんなわけない。より正確に言うべきだ。
彼女は差別主義者だろうか? 日本ではその
生まれながらに人の価値が異なることが常識である社会の中で、その社会構造が生み出す力を最大限に使える立場のぼくが、自身の力の源を壊したいと願っている。
ぼくが違う立場でサンテネリに飛ばされていたらこんな苦労はいらなかった。例えば
最初はあまりの常識の違いに戸惑うだろう。
その後はどうかな。果敢に反抗してボコボコに懲罰されてクビになり、旧市の路地裏で野垂れ死ぬんだろうか。あるいは命の危険を察してサンテネリに順応するかな。
下男のぼくは
結婚なんて大それた事は夢にも思えない。雇い主の娘だからでも財産の多寡ゆえでもない。
”人として価値が違う”から。
ぼくはそんな世界は不正だと思う。
ぼくは王であれ下男であれ、目の前のこの女性と結婚したい。
一方で、ブラウネさんはね、多分下男のぼくと結婚したいとは思わないだろう。口ではなんと言おうとも。
そんな社会を変えていく動因の一つを、今ぼくは握っている。
ただし、選択はどれほど慎重に行ったとしても混乱を生み、多くの人を不幸にする。
最も身近なところでは、妻達に倒錯的な行動を強いることになる。ぼくが耐えられないからという理由で。
例えばぼくが命令しなくとも、賢い彼女たちはぼくの意に沿うように動くだろう。いや、動かざるを得ない。それは強制と同じだ。
だから誰のせいにもできない。
◆
もう20年近く前だろうか。
大学生になりたてのぼくは生協の本屋で一冊の本を手に取った。
哲学・思想棚の上段に並べられたそれは、焼けた背表紙から大分長く売れ残った「不良在庫」であろうことが察せられた。
当時完全に”時代遅れ”と見なされていた哲学者の著作だから売れないのも当然だ。
だからこそ、ぼくは買ってみた。
ちょっと他人と違うことをしたくなる年頃だったんだ。
その本の中にこんな一節があった。
”人は、自由の刑に処せられている。”
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第1部第3章が終了しました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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