邂逅 4 -大サンテネリ-

 前にも話したとおり、ぼくは対等、あるいは格上の相手とシビアな交渉をした経験を持たない。

 これは日本に生きた頃も同様だった。ぼくが創業者なら話は違ったんだろう。色々な局面でエグい交渉をしなければならなかったはずだ。

 相手としてすぐに思い浮かぶのは銀行と地方公共団体の担当者かな。資金調達と仕事の受注。どちらも向こうにこちらから「お願い」しなければならない案件だ。

 でもね、三代目になるとどちらも必要なくなる。一応利益は出ていたから銀行に頭を下げる必要もない。むしろ向こうが融資実績のために「借りてくれ」と頭を下げてくる。仕事の方もね、もう何十年も付き合いがある担当部署なわけで、ある種持ちつ持たれつ。民間企業との取引も同じで、これまでのお得意様がある程度決まっている。

 要するに、ぼくが頭を下げて相手を口説き落とさなければならない局面が存在しない。

 その意味で言えば広告代理店にいた頃の方がエグかった。

 でも残念ながらそっちでは責任者じゃなかったからね。1スタッフに過ぎなかった。自分の交渉一つで会社が吹っ飛ぶ、みたいな案件にアサインされることはなかったし、仮にあったとしても究極的な責任はぼくにはないから気楽と言えば気楽。


 で、サンテネリで生きている今の方が、個人として頑張らなければならない局面は明らかに多い。

 例えばガイユール大公やアキアヌ大公、あとはデルロワズ公なんかも真剣勝負をしなければならない相手だった。ああ、今もね。

 ただし、皆「内輪」の話。ぼくはサンテネリ王権を手にしている。彼らは皆部下だ。半分形式的とはいえ、あくまでも部下。ぼくの言を素っ気なく突っぱねることなど出来ない。

 つまり、”配慮”されていた。


 だから今回のプロザン王フライシュ3世との会談は、本当の意味で「初体験」なんだ。

 酷い話だと思うよ。

 日本で例えるとね、中小企業の盆暗若社長(世襲)がいきなり日本を代表する超大手自動車会社の社長に据えられて、アメリカを代表する某電気自動車ブランドのCEOと二人きりで社運をかけた会談してる状態だからね。

 議題は「世界の自動車業界再編」。あー。

 会談冒頭からさ、CEOは別会社でやってるロケット作りの苦労話とかさらっと混ぜてくるわけだ。

 気圧されないわけないでしょ。


 ぼくのナーバスな心境を許してほしい。


 で、これまでの状況を整理してみよう。

 なんてことはない。フライシュ3世は時候の挨拶と未熟な若者への軽い助言を終えて会談の導入を作っただけ。跡継ぎや両家婚姻の話も正教の話も日本だったらハラスメント認定だけど、ここ大陸では「最近よく雨が降りますなぁ」とか「そういえば例の日経記事読まれました?」みたいなノリだよ。

 つまり、彼は殊更変なことは言ってない。

 おかしいのはぼくだ。

 不幸なことに、彼の時候の挨拶はぼくの地雷を見事に踏み抜きまくっている。


 ここは迷うところだよね。

 フライシュ王は「あえて」踏んだのかどうか。


 意図的ならばそれは挑発だ。

 同時に、ぼくが頑張って隠してきた幾つかの「苛立ちポイント」を、彼は遠くプロザンの地から的確に掴んでいたということになる。

 要するに、かなり高位の人間——例えばぼくの妻達や枢密院閣僚レベルの——がプロザンと通じていることを示している。

 今この瞬間に疑い始めたらそれこそ正気を失うので、希望的観測を込めて意図的ではないだろうと思うことにしよう。


 となると、彼のやった行為の中で特徴的なものは戦傷の強調くらいだ。

 最初の一撃にはちょうどいいね。彼の輝かしい武名を考慮に入れれば、戦争なんて欠片も知らない若造を萎縮させるに十分な仕掛けといえる。


 相手を呑む。

 これは大切なことだ。

 ことに力関係で劣っている側にとっては唯一といってもいい武器だろう。だからこれまでぼくは自身でそれをやったことがない。だって力関係で常に上位にあったから。最悪でも対等だ。

 逆に呑まれそうになったことは星の数ほどある。稀に微妙な人もいるけど、大体ぼくのところまで直談判に来るのは凄い人たちばかりなわけで。

 今では半ば家族化して気安いフロイスブル侯爵だって日本で言えば内閣総理大臣なんだ。オーラあるからね。ぼくの視点では部下だけど、他の人たちから見れば彼の一言で国が動く雲の上の人。

 もっと言えば、最近よく晩酌してるブラウネさんとか、いわば旧財閥創業家直系の令嬢だよ。本来ならぼくは家でも直立不動で顔色を伺わなければならない立場だ。

 皆すごい「雰囲気」があるんだ。


 そんな地獄をぼくが乗り切ってこられたのは、無敵の衣を一枚だけ纏っていたからだ。昔ゲームにあったよね。最後のボスには一切攻撃が通らなくて、その理由は闇の衣? だっけ。

 つまり「王」の看板だけ。


 で、この闇の衣が無効化されてるわけです。今。

 そうすると呑まれる。

 でも、ありがたいことにイイ感じでぼくの苛立ちスイッチを踏み抜いてもらえたので、雀の涙ほどのささやかな闘争心が蘇った。





 ◆





 ぼくは腰を上げ、長椅子に腰掛けたフライシュ3世の対面に立ち見下ろす。

 実は若干膝が笑ってるけど、そこは気合いでなんとかする。


「さてプロザン王殿、私の心境を聞いてほしい。私は若き日よりあなたの雄姿に憧れ、いつかはあなたのような”偉大な”王になれたらと願い日々を過ごしてきた。一方で、我が国の外交的必要からの姫を迎えるにいたり、今ではその妻を心から愛している」

「”大陸一の騎士”殿にそう持ち上げられると少々照れるな。いやいやいや、ルロワ殿は立派な若武者にして…」

「しかし! 悲しいことに、私の心は今引き裂かれんばかりだ。憧れの御身のお国と最愛の妻の祖国が互いに干戈を交えんと剣を研いでいる。そう聞くからだ。この状況の中で、このちっぽけな若輩に出来ることは何かないだろうか」


 フライシュさん、放っておくとまたエンドレスに話し始めるので、失礼ながら強引に切っていくしかない。

 彼はぼくの大声を受けて左の眉を微かに上げた。そして薄い薄い笑みを残して口をつぐんでいる。


「私は思う。プロザン王陛下がなされたように、戦場において我がサンテネリの栄光を示す道もある」


 じっと彼の瞳を見つめる。

 最初ぼくの突然のギアチェンジに若干戸惑いの色を見せていたけど、今は彼も意識を切り替えたようだ。ぎょろりと存在感を放つ真っ青な瞳がぼくの視線と交わった。


「だが、栄光はなにも剣と銃によって為されるばかりではない。不幸なから不幸な状態に陥った我が最愛の二国が再び睦み合う手助けを出来れば、それは戦勝に勝るとも劣らぬ誇りとなろう」

「なるほどなるほど。グロワス殿はまことに真の仁王よ。広大なサンテネリのみならず、我らプロザンのことまでも気にかけている。素晴らしいなぁ。素晴らしい。我が不肖のにも見習わせたいものだ。若者はかくあるべし!」


 冷静に考えればね、プロザンの立場はうちの上位にあるわけではない。ぼくが人死も経済も気にせず戦争を決めれば困るのは彼らの方なんだ。

 にもかかわらず、フライシュ王はあくまでもこの場の「主」として話そうとする。年長者として、そして希代の名将という世評を持つ者として、若輩ぼくの心を屈服せしめんと欲している。


「プロザン王太子殿はとても英明な方と聞く。御国の未来は安泰だ。”大フリーフリー・グロー”に単身会談を持ちかける考え無しの無能者を見習わせては、珠の輝きも曇ってしまう」


 皮肉を返してみた。王太子さん、18歳くらいだったかな。ぼくの一世代下。多分優秀なんだろう。ぼくなんかよりずっと。でも、サンテネリ王やエストビルグ王と単独会談はできないよ。

 ぼくには頼りになる”闇の衣”があるからね。

 あなたの息子と同列に扱ってくれるな。


「将来の”大グロワスグロワス・グロー”に褒められるなど、息子には過ぎた褒美だな。さてさて、では”大グロワス”は、不幸な行き違いに陥った一組の夫婦の仲をどのように取り持って下さるのかな。御身は四人の高貴な姫をお持ちだ。さぞや素晴らしい”仲直り”の策を与えてくれるのだろうな」


 フライシュ王もいい感じでとげとげしてきたぞ。

 そう、そうなってほしい。聞き分けのない子どもをあしらう大人の態度に終始されては困る。

 なぜならそれは誤認だから。状況の誤認は関係者全員に損害を与える。


「若夫婦の失敗談をお話するのは恥ずかしいが、ここはあえて身を切りましょう。妻のうち二人は年上なのです。そこで、私は時折冗談めかして”ブラウネ姉さん””メアリ姉さん”と呼びかけることがあります。ある日それがちょっとしつこかったのでしょう。妻の一人にムッとされてしまいました。”私は陛下の妻であって姉ではありません!”と」


 この辺りから本題なのでね。柔らかくいこう。冗談めかしてね。

 ちゃんとフライシュ王も笑ってくれたよ。


「いやいや、それはグロワス殿、女性にょしょうの気持ちは分かるまいよ。姉と言われて気分がよいときもあれば、それに苛立つときもある。我ら男衆とは複雑さの度合いが違う」

「それがそうでもないのです。しっかり話を聞いてみると、妻は実はそう呼ばれるのがずっと嫌だったようなのです。私は反省しました。そして謝罪し、今後二度とそう呼ばないことにしました。”メアリ殿、私を許してほしい。あなたの優しさと度量に甘えてしまっていた”と」


 フライシュさんの目がすっと細まる。


「それで奥方は、ルロワ殿を許して下さったのかな?」

「ええ、我が妻は心根優しく温和な女性です。ですがここだけの話、彼女は武門バロワ家の娘でして、剣や銃を扱わせたら私など太刀打ちできぬ猛者です。だから仲直りできてよかった」

「よい奥方をお持ちだ。なかには男のたった一度の過ちを許さず、終生恨み、攻撃を続ける女もいる」

「本当に幸いなことです。もう少し妻自慢を続けさせて下さい。私が真摯に謝罪したところ、妻はご褒美をくれたのです。ああ、言い忘れたのですが、彼女は手芸が趣味でしてね。動物をそれはもう上手く作る。だから私も他の妻達も、メアリ、ああ、私の妻の名ですが、彼女手製のぬいぐるみを欲しくて仕方が無いのです」


 興味深そうに頷きながらフライシュさんはコップにウィスキーを注いで、一口で飲み干した。ぼくにも一口くれないかな。


「メアリは私が欲しがっていた黒い犬のぬいぐるみをご褒美にくれました。ただ、彼女はしっかりものですからね。ぼくに釘をさすことを忘れません。その犬にはのですよ。尻尾はどうしたかと聞くと、”陛下の謝罪のお言葉が行動で示された暁には、いつか尻尾を付けて差し上げます”」


 ぼくは彼の横に再び腰を下ろした。

 不意にぼくの手元にウィスキーカップが差し出される。

 そんなに物欲しそうな顔をしていたかな、ぼくは。

 まぁ、ありがたくいただくよ。


「それは手厳しいな! 全く以て厳しい! 奥方は貴殿のことを心から信じて下さらぬのか。いやぁ、私は短気だからな。そんなことを言われたら、もぎ取ってしまうだろう」


 ウィスキーはいいね。喉を焼くこの感じ。ワインはさ、口腔を暖めてくれる。

 ウィスキーは喉を焼く。


「フライシュ殿は剛毅なお方だ。我が家では無理です。実はですね、もう一人の妻がじっと見ているわけです。その妻は”姉さん”呼びをむしろ喜んでくれるタイプなんですが、一方同じ妻としてメアリと団結している。だから私がメアリに無体な態度をとらないよう、じっと観察しているんです」


 久しぶりにぼくは笑った。

 自分で言っておきながら、そういうところあるよね、あの二人。変な同志感。

 親友とかではまずないけど嫌いあってもいない。互いに相手を認めているけど負けたくはない。

 なんだろう、ぼくとアキアヌさんもそんな感じだろうか。ちなみにデルロワズさんは敵だよ。イケメンだからね。


 隣で”大フリー”が起立する気配がする。


 何れにしろ結論は出さなければならない。





 ◆





「サンテネリ王陛下。話にならぬ。話にならぬ! 犬は尻尾まで含めて犬だ。——シュバル公領は私と我が民が肩を並べ、血を流し手に入れた。エストビルグ殿を皇帝と呼ぶのは一向に構わんが、それはシュバル公領全ての併合承認と引き換えでなければならん」


 そこが焦点だ。

 シュバル公領のうち、プロザンの横腹に食い込んで飛び地状態を作っている部分を回収するのは構わない。ここまでは既定路線。

 そこからどこまで上積みするかが問題なんだ。


「国土の飛び地を解消することは君主の悲願、あるいは義務として理解できる。サンテネリ王はそれを認める。しかし、その正統な領地以上を求める行為は看過し得ない。プロザン王陛下」


 互いにシンプルな主張。

 そして互いに席を立つこともできない。


 ぼくたちは1分ほど無言でにらみ合ってる。もうこの時点で褒めてほしいよ。ゾフィさんに目をキラキラにして「凄いです! グロワス様!」って言ってほしいし、アナリゼさんに「私のために…うれしいです…」って呟いてほしい。

 冗談じゃない。

 あのフライシュ3世と対峙してるんだぞ…。


「尻尾を惜しんで本体すら危うくしては、プロザン王陛下の”物語”は悲劇に終わってしまう。それは避けたいものですね。あなたの”物語”の読者だった者として、終わりは幸せなものであってほしいと願います」


 目の前の男は左手にウィスキーの杯を持ち、右手であごひげを撫でる。”賢しげな子ども”の煽りによく耐えている。


「グロワス王は戦場いくさばの経験がおありか?」

「いいえ。全く」

「そうか。ならばお教えしよう。貴殿が家庭の心温まる逸話を語ってくれたように。規律ある兵と、そして有能な将。この三点が揃えば勝てぬ戦はない。この三つのうち、最初の二者を揃えられる国家こそが勝者となる。——お分かりであろうが、我が国には全てが揃っている」

「私も似たような話を進講されることがありましたが、それを実現なさった方の言葉はやはり真に迫って聞こえますね」

「戦を知らぬ者は勘違いする。数を揃えて圧倒すれば済む。そのように。だがな王よ。お教えしよう。実際の戦はそれでは済まぬ」


 至極当たり前の話だけど、今更ながらに痛感する。

 規律ある兵は内政の成功を、確たる支援は外交の成功を意味する。そして有能な将は目の前にいる。


 彼が酸鼻を極めたであろう自身の戦場体験を滔々と語り出してくれていたら、ぼくは華麗に聞き流すことができた。それはぼくの仕事ではない。例えば教師がIT技術者のデスマーチの細部を聞いたところで「うわぁ…」と思って終わりだ。

 でも、彼の言はまさにぼくの仕事そのものだった。


 国家経営の舞台で自分に勝てるのか、そう問われている。

 答えはシンプルだよ。勝てない。そんな驕りは欠片もない。

 でも、うちには頼もしい部下達がいるので。ぼくの何十倍も優秀な皆さんが。

 万が一彼らが失敗したときに首を差し出すのがぼくの存在意義なんだ。

 ぼくはフライシュ3世にはなれない。


「全く以てその通り。ところで一つお聞きしたいのです。プロザンは傭兵業をなさっているのですか? 私はてっきり、我がサンテネリやエストビルグと同じく、この大陸の秩序を主導する大国と認識していましたが」

「傭兵?」


 怪訝な顔と表現すればよいかな。あるいはぼくの当てこすりを分かった上で腹を立てているのかな。


「ええ。アングランから給金と技術と資金を頂き、命じられるままに大陸を荒らして回る傭兵の親玉。今のお話を伺うと、私はプロザン王陛下の”物語”を少々誤読していたのでしょうか。傭兵をなさりたいのであれば、私は話し相手として適切ではないようです。我が国の財務大臣とお話していただきたい」

「——私はこの生涯の中で、これほどの侮辱を受けたことはついぞ記憶にない」


 これほどの侮辱、といいながらそこまで怒ってないね。織り込み済みだろうし。


「侮辱とは心外です。私はつまり、プロザン王陛下をお誘いしている。サンテネリ王国、エストビルグ王国とともに、”手を携えて大陸の新秩序を打ち立てましょう”と。昔御身がサンテネリの若い王子に下さった手紙の通り」


 ぼくは上着の懐から一枚の紙を取り出し、彼に示して見せた。


「先ほどプロザン王陛下が仰った二点目。確たる支援。それは”支援”ですか? あなたはこの生意気な若輩に腹を立てて、ここを立ち去ることもできる。そうなれば、生意気なくせに人一倍臆病な若輩は妻の伝手を辿ってエストビルグと紐帯を強めるほかない。プロザン王陛下が怖いのです。臆病者は臆病ゆえに攻撃的になります。そうして我々大陸の三国は血みどろの戦いを始める。外から眺めるには最高の出し物でしょうね」


 坏にウィスキー再充填。半分彼が飲み、残りをぼくにくれる。

 そう。そうあるべきだ。おいしいものはちゃんと分け合うべきなんだ。それだけでいい。


「つまり、三国の同盟を?」

「そう願っています。プロザンは飛び地を解消し、エストビルグは安定を取り戻し、サンテネリは平和を享受する」

「理想としては目映いが、エストビルグは損をするばかりではないか」

「そうでしょうか。プロザン王は帝国諸侯にして選帝侯でいらっしゃる。シュバル公領の一部がプロザン領となったところで、帝国自体は寸土も失わない。そしてエストビルグ王は”帝国の主”なのです。それとも、帝国への臣従をされるおつもりですか?」


 そう。プロザンが帝国を離脱するならば問題だけど、今のところ彼らは帝国諸侯なんだ。エストビルグと帝国は別のもので、今回の争いの発端は帝位を巡る物言いから始まった、帝国内の話だ。

 そしてアングランがプロザンに提示している対価の中には恐らく、”プロザンの帝国からの独立とその後の保障”も含まれている。


「私は皇帝の娘を娶りました。サンテネリは帝国と和約を為したのです。ですから帝国内で小領の所有権がどう動こうが、我々が特に口を出すことでもありません。しかし、例えばが帝国から独立するのであれば、それは同盟国として見逃せません。その国の王権には。どこの権威がその王を王に封じたのか」


 ぼくはもう一度手紙を押し出して、当の筆者の前面に突きつけた。


「プロザン王陛下は、”アングラン”の海外領諸侯プロザン公として”物語”を終えられるか? あるいは我々と”手を携えて大陸の新秩序を打ち立てる”か。どちらを選ばれます?」


 火照った頬を撫でる。微細な手の震えが伝わる。酔いもだいぶ回りつつある。そろそろ理性的な思考が出来なくなる頃合いだ。


 いずれにしてももう終わり。

 お互い状況は分かってるんだ。


 ぼくはプロザンにシュバル公領の一部領有を公認することを明示した。その上で、三カ国の和約と同盟を提唱した。

 フライシュ王の思惑はシュバル公領の全土併合。ぼくがどこまで譲歩するかを見ている。ここで満足しておくべきか、あるいはもう一声ひとこえ譲歩を迫ってみるべきか。


 実を言うとね、即時の全土併合まで認める用意がある。そこがレッドライン。

 そうなればプロザンの完全勝利だね。


 酔いが回りだしてよかった。素面だと不安が顔に出るからね。

 おまけに酔うとちょっとハイになって強気にでられるんだ。弱者の知恵だよ。ドーピング。


 今度の沈黙は長い。

 出会った当初のハイテンションが嘘のように、”フリー・グロー”は黙考する。


 そしてついに口を開いた。


「サンテネリ王陛下。御身の言の保障は? エストビルグがあなたの言を呑むという保障はあるか? 威勢が良いのは若者の特権。しかし実が伴わねば意味が無い。サンテネリ王殿にその力はあるか? エストビルグを黙らせる力は」


 最後の圧かな。一言一言をねじ込むように、壮年の王はぼくに語りかけてくる。至って落ち着いた、重い重い声だ。


「ある」


 ぼくの答えは至って簡素だ。予定通り、落ち着いて。


「それは?」

「サンテネリは貴国によるシュバル公領一部併合のとして、ここシュトゥビルグ王国に対し我が国が保持する権益を放棄する」


 そう。シュトゥビルグに介入する権利を放棄し、その勢力圏をエストビルグに差し出す。

 仇敵エストビルグへの防壁をなぜ手放せるかって? 

 アナリゼさんを娶ったからだよ。


 ぼくの返答を受けた彼の反応は素早かった。彼の方でも色々な落とし所を検討していただろうけど、シュトゥビルグ権益の放棄は恐らく想像に無かったはず

 虚を突かれ、それならば、と満足した。

 相手の想定を超えて、かつこちらが許容できるギリギリを提示したとき、交渉はすんなり纏まることが多い。

 え? 意外とお得!って感じになる。今回の場合、シュトゥビルグ権益の放棄における直接的な利はプロザンに落ちない。でも、エストビルグがこの和約同盟の枠組みに乗るだろうとの確信は高まる。エストビルグがちゃんと乗ってくるならば、プロザンにとってこれは美味しい話だ。


「グロワス殿、では乾杯しよう」

「何にです?」


 残ったウィスキーをコップに全部注ぎ込んで、彼はぼくの方にそれを掲げる。

 そして破顔した。


「二つ。まずは三国の同盟に。——そして、”大グロワスグロワス・グロー”の誕生に!」


 綺麗に半分を一口で飲み干して、ぼくにコップを押しつける。


 これ以上呑むの? 帰れなくなるんだけど。

 でもまぁ、今日はブラウネさんもメアリさんもいないからね。侍従の皆さんには口止めしておこう。ぼくが調子に乗って酔い潰れたって奥さんたちに報告しないでね。


「三国の同盟に。——そして、”大フリーフリー・グロー”の英断に!」


 威勢良く音頭を返しながら、心中で付け加えておくよ。

 ぼくは”大グロワス”なんかじゃない。

 話の展開シミュレーションは全部、枢密院の皆で朝まで唸りながら考えたものなんだ。ぼくは会議時間の8割方時計眺めてたよ。


 だから正確にね。


「”大サンテネリグロー・サンテネリ”の誕生に!」

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