敵 2

 夜の大通りは人通りがない。

 等間隔に立てられたオイルランプの灯柱は最近サンテネリに導入された最新の照明設備だ。現代日本の夜景を知るぼくからすると全く以て光量不足なんだけど、ここの人々はその明るさに驚いているらしい。

 でも灯柱が立っているのは主要な大通りだけ。一歩逸れればそこは完全な闇の世界だ。だからだろうか、基本的に民衆は夜間外出を避ける。

 夜を比較的安全に出歩けるのは、馬車と護衛を用意できるものだけ。つまり貴族であり富裕な平民達であり、そういう人々だ。


 ぼくもね、ことさら夜間徘徊したいとは望まないよ。

 でも、昼間の枢密院会議——勅令は今だ宙に浮いたままだから自称だけど——を終えた後、アキアヌさんが誘ってきたんだよね。一杯飲みに行こうって。

 ちなみにサンテネリには王や貴族が利用できる酒場なんて存在しません。

 つまり家飲みの誘いだ。


「陛下、今夜は面白い御仁を何名か招待していますからな」

「前のように劇場の踊り子たちではないでしょうね。あれはこまる。煌びやかなお嬢様方の前に立つと緊張してしまう」


 前にアキアヌさんに呼ばれたときは確かブラウネさん同伴で行ったね。男同士のサシ飲みとか許されないので。

 食事が終われば男女混じって歓談。そこから個別に話したい相手とじっくり別室で、みたいな流れなんだけど、奥さん側は奥さん側でお付き合いがあるんだ。

 要するにサロンだね。


 で、そのときは彼がハマっている踊り子たちを連れてきた。多分劇場の大スターなんだろう。で、ありがたいことにぼくに紹介してくれる。彼はそういうのフランクだよ。まぁ、恐らく女の子達の誰かが愛人なんだろう。


 ぼくはいい。軽くお相手の美貌を褒めて後は解散、みたいな感じでいける。

 ただね、横に立つブラウネさんから発せられるオーラには本当に驚いた。

 なんと形容すればいいんだろう。

 上品な笑顔なんだけど、踊り子達をまぁ凄く「下」に見ている。向こうから挨拶されても返事もしない。にこやかにうなずくだけ。——取り立てて言葉を交わすほどの相手でもない。ごく自然にそう考えているんだろう。


 こういうところから、このサンテネリとぼくの生きた世界の本質的な差異を感じる。

 ブラウネさんがとりたてて権高い女というわけではないんだ。この世界では、侯爵令嬢にして王の側妃は平民の踊り子のような卑しい身分の女とは口を利かないのが当たり前なんだ。多分メアリさんであれゾフィさんであれアナリゼさんであれ似たような反応を示したはずだ。

 この感覚がどれくらいエグいかっていうとね、例えばぼくが踊り子の皆さんのうちの一人を気に入って、一晩を共に過ごしたとする。日本なら修羅場だね。でも、サンテネリでは妻達は何も思わない。ようするに、性欲処理に”道具”を使った、くらいの感覚。

 この辺りの違和感は多分ずっと残り続ける。もはや個人の問題を超えているからね。頭の中でこねくり回した観念の表層を貫いてにじみ出る無意識の部分。いい悪いの問題ではない。


 で、とても複雑な気分を味合わされたこともあって、踊り子の皆さんとかはちょっと敬遠している。


「いやいや、今回はまた趣向が違う。お隣のお国からのお客様なのです」

「新しく着任したアングランの大使殿か。アキアヌ殿のところに一目散とは目端が利く方のようだ」

「然り! そこで陛下、もしよろしければ…」

「ああ、アナリゼ殿を同伴しよう。サンテネリの”上品な”小夜会を体験してもらうよい機会になります」


 アキアヌさんがにやりと笑う。悪い顔させると天下一品だよね、この人。

 ぼくとしても都合がいい。つい最近派手にアングランを煽ったばかりだからね。相手がどう捉えているのかを見る絶好の機会だ。


 そんなわけでぼくはアナリゼさんを誘ってアキアヌ屋敷まで馬車に揺られている。


「シュトロワは…とても明るい都なのですね」


 車窓から外を眺めるアナリゼさんの姿は年相応の好奇心をあらわにしている。これもまた形容しがたいんだけど、彼女はキリッとした猫っぽさがあるね。気まぐれな感じじゃない、シュッとした子猫。

 伸びた背筋と頻繁に動く視線がそう感じさせるのかな。


「ああ、街灯をろうそくから油に変えたらしい。おかげで消えづらくなった。御国帝国ではどうだった?」

「ヴェノンの夜は暗いです。馬車でもなかなか外にはいけません」

「そうなのか。では、夜会もあまり?」

「はい。私自身が外に出ることはほとんどありませんでした。宮殿で催されたものに出席したことは何回かあります」

「では今回は珍しい体験になるね」

「実は…楽しみです。わくわくしています」


 至って平常運転に見えるけど、内心楽しんでくれているらしい。

 それはよかった。





 ◆





 アキアヌ邸の客間に向かう最中、先触れの召使いがぼくらの到着を告げて回る。


「グロワス13世陛下、正妃殿下、お渡りにございます」


 会場を見渡せば人はそう多くない。二〜三十名程度。

 奥の方で他のお客さんと話していたアキアヌさんが、また別の場所でご婦人同士話し込んでいた正妃さんと合流してぼく達の方にやってくる。


「これはグロワス13世陛下、そしてアナリゼ妃殿下。我が家にお運びいただき恐悦に存じます」


 言って片膝を着くアキアヌさんと奥さん。人前ではこの人きっちりしてるよね。一対一だとほぼタメ口なんだけど。


「ああ、アキアヌ公爵殿、そして公妃殿。楽にしてほしい。今宵はお招きいただき感謝に堪えぬ。我が妃アナリゼも道すがら楽しみだとこぼしていた」


 ぼくは即座に彼らに起立を促す。その言葉を合図にアキアヌ夫妻は立ち上がり、夫の方がいつもの芝居がかった口ぶりで答えた。


「なんと! それは光栄の極み。陛下には度々お渡り頂いておりますが、正妃様にお越し戴くのは今宵が初めて。陛下、我が妻を正妃殿下にご紹介差し上げても?」


 アキアヌさんはそう言いながら、隣に立つ女性を少し前に誘い出す。

 豊かな銀髪を大きく結い上げたアキアヌ公妃は年の頃40近い。夫よりもちょっとだけ年上な感じ。系統としてはメアリさんが年をとった姿に近いんだろうか。つまり、バリキャリから役員へ昇格したメアリさんっぽい。なんというか、迫力がある。


「アナリゼ妃殿下、こちら、我が妻カミユにございます」


 カミユ妃は従来のアキアヌ家傍流の姫だ。現アキアヌ家は男系こそルロワだけど、奥さんは代々旧アキアヌの女性を娶る。

 夫に紹介されたカミユさんは軽く頭を下げて言をつなげる。


「カミユ・エン・アキアヌと申します。正妃殿下。お見知りおき下さいませ。——それにしても、噂に違わぬお美しさ。陛下は果報者でいらっしゃいますわ」


 イメージしてほしい。名刺交換の後、もらった名刺を何となく眺めながらどうでもいい一言付け加えたりするでしょ。あんな感じ。

 ぼくはカミユさんともう何度も顔を合わせているので、こうやって会話のダシに使われたりもする


「カミユ殿、初めまして。…私はアナリゼと申します。…あ、いえ、アナリゼ・エン・エスト…いえ、アナリゼ・エン・ルロワと申します」


 突然大仰に褒められて、迫力に気圧されつつ挨拶の台詞が飛んでしまったんだろう。ちょっと慌てた感じのアナリゼさんは結構可愛い。


「アナリゼ様、もしよろしければ、女同士少しくつろいでお話しいたしませんこと? あちらに美味しい蜂蜜酒もございますの」

「ええ、はい。もちろん…」


 少女の緊張を見て取ったカミユ公妃は流れるように彼女の手を取り優しく撫でながら、女性陣の集まる一角へ誘う。まぁ慣れたものだよね。

 アナリゼさんは少し不安そうにぼくを見る。ぼくの側に居た方がいいのか、カミユさんに付いていくべきか勝手が分からないんだろう。


「ああ、アナリゼ殿、公妃殿のお言葉に甘えよう。私やピエル殿と話しているよりも楽しめよう」

「はい。陛下」

「ではカミユ公妃殿、我が妻をよろしく頼む」


 ぼくは妻をアキアヌ公妃に委ねた。上手くやってくれるだろう。国内でも指折りのベテランホステスだからね。ああ、語義通り正真正銘の女主人ホステスね。


「我らは男同士、いつものように飲みますか!」

「そうしよう。アキアヌ殿の酒蔵は宝の山ですからね」


 ぼくら男衆は客間中央の人だかりの方へ連れ立って歩く。すると会話の輪を抜けた男性が一人、杯を持ちながら我々の方に向かってきた。

 ずば抜けて背が高い。

 多分190センチ以上あるね。ぼくとは頭一つ違う。細身だからといって巨漢ともみえない。痩せた老木。しかしみすぼらしさはかけらもない。堂々たる老木だ。


「陛下、例の…」


 耳元でアキアヌさんが囁く。

 ぼくは小さく頷き立ち止まると、新しいアングランの大使を待った。





 ◆





「グロワス13世陛下のご尊顔を拝し光栄に存じます。この度アングラン国王陛下より駐サンテネリ大使の任を拝命いたしました、ポール・オー・ヴェストフィールトと申します」


 流暢なサンテネリ語でご挨拶いただいた。アングラン語の「オー」はサンテネリの「エン」と同じ。領地の付号だ。だから訳せば”ヴェストフィールト地方を領有する家のポールさん”。

 駐サンテネリ大使のポストは結構重要度が高いから侯爵あたりかと思うでしょ。実は彼は男爵なんだ。


「ヴェストフィールト殿。貴殿の着任を歓迎する。——ただ、ここは非公式の場なのでね、格式張った話は後日宮殿でしよう」


 ぼくはいたって友好的に答えた。

 答えつつ、予習してきた内容をもう一度思い出す。このポールさん、爵位が男爵とかどうでもいい。アングラン議会の最大野党を率いる実力者だ。首相たるアルバ公爵とは互いに認め合う政敵。つまり、アルバ公爵と肩を並べるレベルの大物というわけだ。


「いやはや、アキアヌ公爵様にお誘い戴いて伺ってみれば、まさかグロワス陛下にお会いできるとは。素晴らしい巡り合わせですなぁ」

「私も驚きを隠せぬところ。かの有名なヴェストフィールト殿が我が国にいらっしゃるとは。アングラン王陛下のご厚意、感謝に堪えぬ」


 もちろん問題は王じゃない。アングランの王はことに政治の実権を持たない。彼を任命したのは首相だ。つまり彼の政敵だ。にも関わらず、彼は受けた。


「ときにヴェストフィールト殿、私は御国の政治の仕組みに明るくないのだが、確か貴殿と首相殿はいくつかの点で意見を異にすると聞くが?」

「そうなのです。我が国の首相殿は石頭。私も石頭。石頭同士いつも角をぶつけ合っております。ですが、一朝事あれば肩を組み共に進むこともできますので」

「なるほど。御国のためならば確執を捨て、というわけか。我らも見習いたいものだな、アキアヌ殿」


 この老人と視線を合わせていると首が痛くなってくる。なにせずっと見上げていなければならない。


「サンテネリとて負けてはおりません。あらば団結いたします」

 アキアヌさんがまたニヒルな笑みを浮かべている。


 要するに、今のサンテネリの状況、より正確に言えば、ぼくの”煽り”はアングランにとって与野党が挙国一致で臨む程度には脅威になっているということ。そしてこれ以上進めばアングランは対サンテネリで一本化する、との警告でもある。


「よくぞ言ってくれた、アキアヌ殿。——アキアヌ殿も殿も、そして私も、には団結する。あたかも大蛇を貫く断固たる槍のごとく」


 ルロワの旗は蛇を串刺しにした槍の紋章なので。柄にもなくちょっと修辞を弄してみた。


「サンテネリ王国は英邁なるグロワス陛下の元、ますます繁栄されることでしょう」


 そしてぼくの言葉はごく自然に受け流された。この人にはエピスブルグのバダンさんのような外連味がない。


「祝福の言葉痛み入る。できることならば、この平和が長く続いてほしいものだ。私は臆病者なのでね。少々威勢のいい言葉を吐いたが、内心は平穏を望んでいる」

「なんと。故国ではグロワス13世陛下は近年まれに見る武威のお方と情報が流れておりましたが、やはり他者からの伝聞は当てにならぬものですな」

「武威とは驚いた。なぁアキアヌ殿、私ほど平和を愛する王はおるまい」


 アキアヌさんは葡萄酒の杯から口を離し、然り然りと大きく頷く。ちょっと顔が赤くなってきているけど、彼、顔に出るだけでほとんど酔わないんだ。


「陛下はまれにみる平和の王でいらっしゃいます。そして仁王だ。我らがサンテネリ王国が。我ら臣下の役目は陛下の宸襟を安らがせ奉ること。貴国も同様でありましょう?」

「もちろんでございます。アキアヌ大公殿下。——私は参りました」


 しれっとそんなことを言われたのでね、皮肉の一つも飛ばしたくなる。幸い公式の謁見ではないから記録に残ることもない。


「それは素晴らしいことだな。ならば私も今後は群衆の前で下手くそな芝居を演じなくて済みそうだ」


 笑いながら杯に残った葡萄酒を飲み干す。結構根に持ってるんだよね。いや、結構じゃない、かなり根に持ってるからね。アングランの工作。


 ぼくの明け透けな発言にもヴェルトフィールト大使は動じなかった。深い皺の刻まれた、まさに老木の趣溢れる面構えは微動だにしない。


「グロワス陛下はお芝居をたしなまれるのですか」

「ああ、素人の手慰みだ。だが、意外と受けは良いようだ。なぁ、アキアヌ公」

「あれはシュトロワ中の話題をさらいましたな。サンテネリ統一戦争の英雄さながら。グロワス7世の再来と民は噂しております」


 ヴェルトフィールトさんの一言もまた堂に入っていたよ。


「それはなんと素晴らしい。がございましたらこの老体も是非拝見したいものです」


 ぼくは肩をすくめて苦笑するしかない。後はアキアヌさんたちにお任せしよう。こういうのれんに腕押し系はぼくには無理だ。


「アングランがお望みであればいつでも再演しよう。——ああ、私は失礼するが、今日は我が正妃も連れてきた。あとで是非会っていってやってほしい」


 それだけ言い残して、ぼくは二人から離れ歩き出す。

 取りあえず、彼らがこれまで通りうちを引っかき回す方針を変えるつもりがないことが分かった。敢えてそれを見せつけることで外交的な報復をしているのかな。

 いや、挑発か。

 アングランとの対決姿勢からぼくらが帝国と紐帯を強めれば、プロザンとの戦争は派手になる。サンテネリも帝国もプロザンも疲弊する。彼らにとって最高の状況が到来するわけだ。


 いっそプロザンも仲間に引き込めないかな。対アングラン大同盟とか組めたら最高なんだけど。


 苛立ちを押し込んで会場を見渡すと、そこには見知った顔が一人。

 貴族達が群がる一角の中心には、温和な笑みを浮かべて堂々としゃべる背の低いご老人。今日はご老人デーだね。

 ゆっくりと輪の方に近づいていくと、エリクス教授の即席講義に聴き入っていた若い貴族たちがぼくの存在に気づき、口々に挨拶の言葉をかけてくる。


「これは陛下! ご機嫌麗しゅう」

「ああ、皆、挨拶痛み入る」


 そんなやりとりのざわめきを受けてエリクスさんもぼくの存在に気づいた様子。


「グロワス陛下。お久しゅうございます」

 彼は両膝を付いて丁寧に挨拶をしてくる。前々から思っていたことだけど、この挨拶本当に面倒くさいな。

「楽にしてほしい。教授。——三ヶ月ぶりかな」

「はい。過日ご尊顔を拝しましたのはまだ暑い時分でございました」


 先ほどまでのささくれだった気分が和らいでいくのを感じる。

 ぼくはこのエリクスさんに好意を持っている。

 シンプルに話していて楽しいから。彼の哲学について語り合うのも刺激的だし、目下ぼくの中で大ブームを巻き起こしているユニウス思想について忌憚なく意見をぶつけ合えるのも嬉しい。

 彼の方がどう思っているかは分からないけどね。半可通と心内嗤われているかもしれない。いや、それはないか。

 彼は一本筋の通った学者だ。知的に劣っている相手を馬鹿にするような小物ではないだろう。


「皆、王の我が儘を少し良いかな。我がサンテネリの誇る碩学ポルタ殿と会える機会は貴重なのだ。彼と少し話したいのだが。——どうだろう、ポルタ殿」


 ぼくは観衆の皆さんに断りを入れてエリクスさんを誘った。

 久しぶりに別室で四方山話をしたい。


「もちろんでございます、陛下。私の教え子を一名同席させたいのですが、お許し頂けますか」

「歓迎するよ。お隣にいる方かな?」

「はい。私の講座生の中でも選りすぐりの俊英にございます」

「ポルタ殿にそう讃えられるなど羨ましい限りだ。ではポルタ教授とお連れの方、少し私の話に付き合ってくれ」


 ぼくはエリクスさんともう一人、飛び入り参加の若者を引き連れて小部屋に向かう。アキアヌ邸、結構頻繁に来ているからね。部屋の位置は大体把握しているんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る