敵 3
アキアヌさんのところに限らず、こういう小夜会用の部屋にはいくつもの小部屋が隣接している。話が盛り上がりグループが出来上がるとそちらに移動して、酒や葉巻をやりながら少し込み入った話をする流れなんだ。
政治的に重要なことが結構そこで決まったりもする。例えるなら喫煙所会議みたいな。
「さてポルタ殿、そちらの御仁を紹介いただけるかな」
「こちらはジュール・エン・レスパン。我が講座の期待の星といいましょうか、私の思想をよく理解し、思考を助けてくれる助手のような存在でございます」
ポルタさんが紹介してくれた男は、まあなんというか、とびきりの美少年だった。イケメンには評価が辛くなる傾向にあるぼくだけど、これは素直に認めざるを得ない。どうやったらこういう顔の人が生まれてくるんだろうね。
「お目にかかれて光栄です。師ボルタよりご紹介いただきました、ジュール・レスパンと申します」
この少年、美形もさることながら、この物言い!
普通「陛下のご尊顔を拝する栄誉に浴し〜〜」みたいな長い挨拶が始まるところを「光栄です」で終わり。
大勢の客の前なら少し不味いことになるところだけど、幸いここには三人しかいない。ちらりとポルタさんを観察してみるも、何というか、諦めた感じ? あるいは腹をくくっているのか。
「レスパン殿は貴族の出か? ポルタ殿がエン号を付していたが」
「はい。確かに俺は貴族の生まれです。ですが、そんなものに何の価値がありましょう」
こういうタイプは新鮮だ。
多分サンテネリで生きてきて初めて出会う。
貴族の地位に価値がないという発言は特級の不敬だからね。なにせぼくは貴族たちの親玉なので。
ただの無思慮な若者なのかと思ったけど、ポルタ教授が認める才能だ。自身の発言が含むリスクを分かっていないはずがない。そして教授もまた、この少年がこういう性格と分かってぼくの前に連れてきたんだ。何か意図があるんだろう。
「なるほど。表だっては言えないが私も同感だ。レスパン殿が貴族であるかどうかなど、どうでもよいよ。——ただ、その言が含む意味は当然理解しておられよう。師であるポルタ殿に累が及ぶ可能性も」
長椅子に腰掛け、目の前の師弟にも勧める。
「もちろん。しかし陛下のあの演説を聴いた後では俺は自分を偽れません。お聞きしたいことがあるのです。だから無理を言って先生に同伴させてもらいました」
「ジュール君がどうしても陛下にお会いしたいというものですから、ご無礼を承知の上で、裏道を辿って連れて参りました」
「ポルタ殿は私を買いかぶっておられる。彼の物言いに私が激怒するとは思われなかったのかな」
「微塵も。陛下はお気になさらないかと」
「その読みを違えたら、二人ともいささか不幸な境遇に陥っていたかもしれないぞ」
エリクスさんの瞳がたるんだ瞼に包まれて、細く小さくなる。
「構いませぬ。もとよりこの世に惜しむものなどございません」
「そうか。ならばいい」
要するに、死んでもいいと思っていると。
聞く限り彼は独身で子も居ない。老境に差し掛かり、書くべきものも書き上げて思い残すことはないのかな。あるいは、最後の思い残しがこの少年なのか。
それにしてもあれだね、ぼくにはこういう自爆志願者を引きつけるオーラが出ているのかもしれないね。
「ところで先ほど演説と言ったが、レスパン殿もあの場に?」
「おりました。その上で、どうしてもお聞きしたいことがあったのです」
「なんだろうか」
ジュール少年がぐいと身を乗り出してくる。
彼は見たところまだ十代。
大分若いね。若さゆえ全ての瑕瑾が見逃されうる最後の時期だ。
まぁぼくも肉体年齢は彼とそう変わらないんだけど、精神的には結構な歳なので、若気の至りを許してしまいたくなる。
「陛下は民をどうお考えです? 陛下は彼らを煽り立てました。それはつまるところ、彼らの命を王の道具にすることです。陛下は人を道具として扱っている!
民は愚かだ。陛下はいとも簡単に彼らを操られた。——実を言えば、俺だって強く引き込まれました。このように偉大な王が我らの王なのか、と。誇らしくすらあった。…しかし、やっていることは醜悪です。民を自身の利欲のために操っている! グロワス陛下の行いは”不正”でしょう。権利なく利を享受している」
彼はその長髪を振り乱し熱弁を振るう。
ぼくがやろうとしたことを理解はしている模様。その点ではいわゆる知識層の資格はもっている。ちなみにサンテネリにおいてその資格を得るためのハードルは結構低い。読み書き計算ができて、娯楽ジャンル以外の本をちゃんと読めればそれで知識人といえる。逆を言えば、それができない人たちの方が圧倒的多数なんだ。
将来こういう人たちがもっと増えて、より洗練されて、侃々諤々の議論をできる公共の場が生まれればいいな。
血を流さずに。
心からそう願う。
「レスパン殿の意見は理解した。——私の考えを言おう」
この少年がどのように成長していくのか楽しみではある。このサンテネリの将来のために。
一方で、今この場で殺しておいた方がよいのかもしれないとも思う。ぼく自身と家族の命のために。
「民は愚かだと貴殿は言う。私も同意する。彼らは愚かだ。しかしそれは彼らの罪ではない。教育を与えられず、情報を与えられず。つまり思考の養分を全て奪われているのだから。あなたの言うように、操るのはたやすいよ。彼らが求めるものは分かりやすい。それを与えてやればよい」
「それが王の言葉ですか?」
「まさに。これがサンテネリ国王の言葉だ」
薄い唇をへの字に曲げてジュール少年は何かを堪えている。怒りなのか侮蔑なのか。あるいは自身の中に潜む矛盾なのか。
彼は民の味方を装いながら、無意識のうちに民を見下している。なぜなら彼は民ではないのだから。彼はジュール・エン・レスパンなんだ。
「民は愚かだ。だが賢い。私はそう思う」
「意味が分かりません」
「ではレスパン殿、”賢い”を定義してみよう。物事のあるべき姿を正確に認識できるものは”賢い”。そうではないか?」
「はい。それは同意します」
「では、この世界の”あるべき姿”を認識できるものは”賢い”。これも認められるか?」
ぼくの言葉に罠がないかを慎重に検討した上で彼は同意した。別になんの仕掛けもしていないのでそんなに疑念を抱かないでほしい。
「では、レスパン殿はこの世界の”あるべき姿”をどのようなものと認識されている?」
「全ての人間が生まれながらに等価の存在として認められる世界」
「ユニウス思想にあるように?」
「ええ。そうです。ユニウスの描く世界。王も貴族もいない。人間は皆侵すことができない権利を持つ」
「ならばレスパン殿はその”あるべき世界”を認識できる賢い者だ。ところで、現状とおよそかけ離れたその世界を、貴殿はどのように実現される?」
「俺は仲間を作ります。皆にユニウスの理想を説き、力を借りて」
「誰の?」
「皆のです」
語気荒く振る舞う弟子を横目に、エリクスさんは瞑目したままじっと佇んでいる。
「皆とは誰だ?」
「民です。民衆。市民! 陛下が見捨てた旧市街の人々。それが皆です」
ぼくが対峙するこの少年の瞳からは強い意志が見える。客観的に見てどうあれ、彼は自身の想いと言葉を信じている。それは分かる。
「なるほど。では貴殿と私は同じだ。私もまた、私が認識した”あるべき世界”のために人々に訴えかける」
「違う! 陛下、違います。俺は自身の身など捨ててもいい。よりよきもののために」
「待たれよ。我々が”どう思っているか”など、今は関係ない。構図の話をしている」
「いいえ。いいえ! ”どう思っているか”が重要です。俺は旧市のあばら屋に住んでいます。近所では毎日赤子が生まれ、その日のうちに死んでいく。道を歩けば腐乱した遺体に出会う。空腹の余り座り込んだまま動けぬ者もいます! 陛下は見たことがないでしょう。彼らの姿を。泣き叫ぶ母親の姿を」
「ないな。では、私が旧市に赴けばよいか。そして今あなたがしたように、嘆き悲しむ素振りを見せればよいか。それで私はあなたと同じ”思い”を持っていることになる」
「それはただの見せかけに過ぎません。真情ではない!」
立ち上がり、ぼくを見下ろしにらみ付ける少年の姿はちょっと常軌を逸しているかもしれない。普通ではない。
でも、このくらいアレな精神構造をしていないと大きいことはできないんだろう。彼がこの狂気を上手く隠す素振りを身につけ、かつそれを保持し続けることができれば。
「見せかけかどうか、なぜ分かる。私は心底あなたと同じように感じているかもしれない」
「…陛下は王です。王には分からない」
「では、レスパン殿が先ほど述べた”すべての者の等価”は嘘かな。私以外の者は理解でき、私にのみ理解できないのだとすれば、私には他者の持つ能力が欠落していることになる。等価ではあるまい」
レスパン君が黙り込んだ。この系統の話は深くて複雑だ。
でも、始発点はこういう素朴な感情の発露だったんだろう。ぼくは今、一つの思想の「始まり」を見ているのかもしれない。
「話を戻そう。民を煽る私と、同じく民を煽る貴殿。形は変わらない。では、どちらが”正しい”と思う?」
「俺です。俺は少なくとも、彼らを戦争に駆り立てたりなどしません」
「それを判断するのは誰だ?」
「民。市民。シュトロワの市民が俺を支持するはずです」
その通り。市民達は扇動される。でも誰に扇動されるかを選ぶのは彼らなんだ。もちろん意識的な動きじゃない。理屈では捉えられない雰囲気が一本の道を形成していく。
「そう。だから民は賢い。彼らが”正しい方”を選ぶのだ。ああ、もう少し正確に言うべきか。彼らが選んだ方が”正しい”。結局のところ、世界は彼らが選んだようにしかならない。わたしはそう思う」
ここまできてやっと教授が口を開いた。
「グロワス陛下は歴史になんらかの法則性を見出しておられるのですな」
「民の進む方向が社会の構造に規定されているという仮説が正ならば、あるいは」
「では、この先に我々を待ち受けるものはなんでしょう」
「分からないが、こうなってほしいと願うものはあるよ」
ぼくという存在が必要なくなる世界になってほしい。
できることなら人死を伴わずに。それは切なる願いだ。
最後にジュール君に言っておかなければならない。
「レスパン殿、一つだけ覚えておいてほしいことがある」
「なんでしょう」
「貴殿の想いは恐らく善いものだ。だからそれを、うまく実現するよう努めてほしい。慎重に、平和的に」
「それでは遅いのです」
憮然とした表情を彼は隠そうともしなかった。
「では思うようにされよ。ただし忘れてくれるな。あなたの望みが成就した後の世界には、全ての悪をなすりつけられる便利な存在はいなくなる。あなたの理想の世界を招来するために払われる犠牲はあなたの責任だ。誰のせいにもできない。あなたが背負え」
「当然です! 俺は逃げも隠れもしません」
ポルタさんはこの彼をぼくと引き合わせて何がしたかったんだろう。
教授として、少年の幼さに気づいていないはずがない。ぼくが何を言ったところで大した影響もない。彼が学ばなければならないものは他人から得られるものではないからだ。自分で経験するしかない。それを教授は分かっているはずだ。
とすると、これはひょっとしたらポルタさんの問題なのかもしれない。
レスパン少年がこの状態なのは理解できる。持て余した破壊衝動と純粋な憐憫の情に「理屈」が放り込まれたら、こうなる若者もいるだろう。
でも、ポルタさんはどうなんだろう。その知性を大陸中に知られ、サンテネリ随一の権威ある大学で講座を持ち、幾多の貴族達から持ち上げられるこの人の中には何があるんだろう。
「ポルタ殿、レスパン殿。私は諸君らがうまくやってくれることを願うよ」
◆
「今晩は楽しむことができただろうか?」
小部屋に二人を残して広間に戻ったぼくはアキアヌさんと明日以降の動きを確認して、アナリゼさんとともに帰途についた。一人、あるいは大人組の妻と一緒だったらもう少し飲むところだけど、今日は未成年が同伴しているので。
馬車の座面に伝わってくる突き上げは依然酷いものだ。申し訳程度についたサスペンションと座席のクッションでは石畳の凹凸を吸収しきれないんだろう。
「はい。アキアヌ公妃殿にはとてもよくしていただきました。公妃殿は帝国語をしゃべれるんです。驚きました」
「そうなのか。それは素晴らしいことだ。これから宮殿で顔を合わせることもあるかもしれない。仲良くできればいいな」
「ええ、そう思います。あとは…アングランの大使閣下にもお会いしました。アキアヌ大公のご紹介で」
アキアヌさん、ちゃんとやってくれてた。よかった。
サンテネリとエストビルグが少々揉めているのは政界では常識になりつつある。でも、今のところぼくとアナリゼさんがともに行動していることからも分かるように破綻には至っていない。うちもそうだけど、基本的に帝国にとって利のある同盟だからね。そう簡単には崩れない。
その状況をアングランにもちゃんと見てもらう必要があった。
「そうか。感想はあるかな?」
「感想…そう。とてもお優しそうな方です。あとは…大使殿も帝国語でお話しくださいました」
「ウェストフィールト殿は多才なお方だな。外交畑でもあるまいに。彼はサンテネリ語もそれは流暢に操っていた」
アナリゼさんにとっては久しぶりの母国語会話だったんだろう。蜂蜜酒の酔いと相まって、表情がいつになく緩んでいる。
不意に柔らかな花の香りと、そこに混じる極微量の酒精が鼻孔をくすぐる。
ぼくの肩にアナリゼさんが頭を預けたんだ。預けたというかもたれかかるというか。
酒が回ってきているのだろうとすぐに合点がいった。
そして婚姻式の日を思い出す。手を握っただけで鳥肌を立てていた少女。あれは罪悪感が凄かったね。
それが今では身体を触れあわせるまでに慣れた。互いに。
朝から晩まで芝居じみたことをやっているぼくだけど、根っこのところは普通の人間だ。他人と仲良くなり、距離が縮まればうれしい。
今日なんか特に、目下我が国最大の仮想敵の大物やら、将来自分たちの首を切り落とすかもしれない若者やらと話してきたところだから。立場上絶対に仲良くできない相手と詰め将棋みたいな会話をすると疲労がすごい。その疲れを彼女の深い茶色の髪が、柔らかい頬が鎮めてくれる気がしたんだ。
だからだろうか。
アナリゼさんの寂しげなつぶやきは自覚させてくれた。
”人を道具として扱っている!”
レスパン少年の言葉が脳裏を満たす。
「陛下はいつアナリースのところにお渡りいただけるのでしょうか。——グロワス様は私がお嫌でいらっしゃいますか」
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