第1部「自由への道」 第3章 自由の刑に処せられている
大回廊の勅令
ぼくがサンテネリに現れてからもうじき三年が経つ。
大体のところ上手くやってきたつもりだ。少なくともまだサンテネリ王国は滅んでいないのがその証左だ。
皆の力を借りて、この国の将来が少しでも良くなるようにいくつかの選択をしてきた。完全に実現したものは一つもないけど、どれも効果の有無を観測するのに最低でも10年はかかるような大物ばかりだから仕方がない。
気長に待つ。ただ、今のところ大過なく変革は続いている。
ぼくの視点からはサンテネリ王国は、少しずつ良い方向に向かっているように見えたんだ。周りの部下達は皆能力と忠誠心を備えた素晴らしい人たちばかり。
そして四人の妻。少なくともぼくを好いてくれていると思う。ぼくも彼女たちを好いている。
つまり端的に言えば、ぼくは成功した。そう自負してきた。
だからこれまで、その成功の足跡を語ってきた。傍から見れば順風満帆に思われたかもしれない。ひょっとしたら、ぼくは有能な名君だと勘違いされたかもしれないね。
だからこれからは、失敗について語ろう。
ぼくが衒いも謙遜もない、純然たる無能者であることの証を語ろうと思う。
◆
ぼくがこれまで閣議と呼んできたものは、正確には
政府の枠組み自体が私的なものなんだから、任命された各卿も建前上はルロワ家政内の役職に過ぎない。彼らが討議を重ねた意見が国王顧問会に上がり、王の決裁を受けて勅令となる。
サンテネリ王国においては、この「勅令」が公的に認められた唯一の政治行為だ。前にも話したように、勅令は
ぼくはこの国王顧問会を廃し、新たに公的な意志決定機関を設置することを決めた。だっていつまでもルロワ家の家族会議では不味い。サンテネリ王国の命運はサンテネリ王国の会議において決するべきだと思ったんだ。
新しい機関は名を
国王顧問会との違いは二つある。
一つ目は、枢密院閣僚の任命には貴族会の承認が必要となる点。
ぼくがルロワ家の関係者を気分次第で任命解任することが法的に不可能になる。それは同時に、サンテネリに存在する貴族全てに国政参加の道を開くものだ。国王顧問会は形式上ルロワ家の家族会議だから、実態は他家の人間によって構成されていたとしても、建前上はルロワ家当主が家内の人間を自由に取り立てることはおかしくなかった。でも枢密院はルロワ王家とは関係の無い国家の機関だ。王家との関係性にかかわらず、その成員はサンテネリ王国の貴族全ての中から選ばれなければならない。
二つ目は、旧来の勅令に代わり枢密院令が法となる点。
これも大きな変化だ。王は国家を拘束することが可能な法令を発布することが不可能になる。もちろん枢密院の主催者として意見を言うことはできる。でも、枢密院閣僚の同意がなければ何も出来ない。そして、枢密院閣僚の就任には貴族会の承認を必要とするため、逆に枢密院令そのものに対する貴族会の承認副署は廃止される。つまり枢密院令は何者に掣肘を受けることもなくそのまま国法となる。
枢密院閣僚の指名任命権と罷免権は王が持つ。
閣僚の職務範囲はおおかた旧国王顧問会のそれを踏襲している。
内務卿、外務卿、軍務卿、財務卿。これらは過去のものとほぼ同じ。違いがあるとすれば、旧来の陸軍卿と海軍卿が軍務卿として一本化されたこと。そして財務監が財務卿へと権限強化の上昇格したこと。このくらい。
枢密院に新しく設置するのは首相と宮廷大臣、そして参与の3ポストだ。
首相は旧来の家宰に近い存在だけど権限は強化される。枢密院閣僚会議で意見の一致がなされない場合における最終決定権を付与されている。初期案では閣僚の指名権と罷免権も付与する予定だったけど、それだと変化が急激すぎる。王命ならまだしも、アキアヌ大公がガイユール大公を罷免とかやったら内戦一歩手前になるからね。
宮廷大臣はようするに王家のお世話係。枢密院主催者である王に助言を行い補佐する役職。ちなみに宮廷予算とかもここの管轄になる。
そして最後。最後にして最大の変革が参与の設置になる。
これはね、要するに平民のためのポストなんだ。参与のポストは国家によって売りに出される。お金さえあれば身分にかかわらず買うことが出来る。ただし、その売買は”全閣僚”の承認を得なければならない。そして、一度このポストを得たものは自動的に貴族籍が付与されるから、参与の地位を離れても貴族会に議席を保持することが可能になるんだ。
ちなみに参与には閣僚会議の投票権はないから、どちらかというと貴族籍付与がメインだね。
こんな感じで色々決めたけど、三権分立とかそういうのは影も形もありません。司法は内務卿の職域だし、立法は枢密院のお仕事、行政は各卿の監督下にある様々な機関が担う。
でも、少なくともルロワ家族会議からサンテネリ会議へと名実ともに変わる。それだけでもだいぶいい感じになった。
この変化によって損をする人間は実は一人しかいない。王、つまりぼくだ。貴族も平民もその権限を拡大する。王が手放した権限を分配されるんだから。
組閣もした。
枢密院首相 ピエル・エネ・エン・アキアヌ公爵
枢密院財務卿 ザヴィエ・エネ・エン・ガイユール公爵
枢密院外務卿 ベルノー・エネ・エン・トゥルーム侯爵
枢密院内務卿 クレメンス・エネ・エン・プルヴィユ伯爵
枢密院軍務卿 ジャン・エネ・エン・デルロワズ公爵・サンテネリ王国元帥
枢密院宮廷大臣 マルセル・エネ・エン・フロイスブル侯爵
まぁ代わり映えのしないいつもの面子だけど、組織の改革は外側の変化よりも中身、つまり担当者を大きく動かす方が危険は大きいんだ。外務、内務、軍務は留任。内務卿クレメンスさんが子爵から一つ登って伯爵になったくらいかな。
首相はアキアヌ大公、財務はガイユール大公と、これまで明確に政権から距離を置いていた大諸侯を据えた。政府がルロワ家族会議だったときには面子にかけて参加できなかった立場だけど、サンテネリ王国の枢密院にならばポストを得ても面目が立つ。
で、ぼくが最もお世話になった家宰マルセルさんは宮廷大臣の座を用意した。本来の意味での家宰に最も近い役職といえる。ご本人はこの機に引退したそうな雰囲気出してたけどね。こっちには人質がいるのでそう簡単には逃げられない。娘は側妃。妻はぼくの正妃の女官長という。ここまで来るともう完全に身内なので一緒に地獄に落ちよう。
最後に、王が保持する権限をまとめておこう。
まず国王大権。要するに国家の政策全ての決定権。もちろん軍権も含まれる。これは形式上保持するものの枢密院に委任しました。
よって、ぼくに残された実権は枢密院各卿の指名任命罷免権と枢密院主催者の権利くらいかな。
例えばぼくと首相ピエルさんの間に意見対立が起こったとする。すると枢密院閣僚の全会一致が不可能になる。ぼくも枢密院主催者の地位で一票持っているので。するとピエルさんの最終決定権が発動する。でも、ぼくがその気になれば彼を解任し新しい人を任命することができる。ただし、ピエルさんが貴族会の支持を得ていた場合、ぼくが任命した新首相を貴族会が承認を拒否することで、ぼくの意図をくじくことが可能になる。
制度構築の討議を重ねながら最も頭を悩ませたのはここだった。
要するに、ぼくと首相が完全に敵対関係に至った場合、状況は千日手に陥ることになるんだ。
だから初期案では指名任命罷免権も手放そうと考えていたんだけど、それは家宰マルセルさんの強固な反対により妥協を余儀なくされた。マルセルさん個人がどうこうではない。彼はいわゆる「ルロワ派」つまり旧来の支配階層のとりまとめ役でもある。彼らからすれば、ぼくが指名任命罷免権を手放すとはつまり、アキアヌ公にルロワ派の生殺与奪の権を握られるのと同義だ。
一方で、アキアヌ大公やガイユール大公もここを問題視する。というか、最終決定権が宙に浮いた状態って誰がどう見ても不味いからね。
結果、まだ枢密院が開設されてもいないのに、関係者全員雁首を揃えて朝まで議論を繰り返すことになった。サンテネリ王国を良い方向に導きたいというぼんやりとした大目標は共有しつつ、一方で皆自分の権力基盤があり、その利益をしっかり勘定に入れなければならない。一時は貴族会の採決で決しようなんて案も出たよ。でも、現段階でそれをやるのは危険すぎる。何が起こるか予測が付かないからだ。
会議といいながら、当然お酒もガンガン入ってね。頭に血が上って殴り合い寸前になったこともあるし、時には妙にハイになって、ぼくが自慢した腕時計に新しい物好きのアキアヌさんが食いついて変に打ち解けたり、なんとも不思議な日々だった。
で、結論は至極平凡なものになった。
王”のみ”が反対票を投じている場合、首相の決定権優越が発動する。王を含む複数名の閣僚を反対している場合、王の罷免権が発動する。貴族会は一度は王の首相任命を拒否することが可能だが、二度目は王の決定が優越する。
ようするに、ぼく一人が反対の状態は国全体を敵に回しているのと同義なので、ぼくが意見を引っ込めるのが妥当。ぼく以外にも反対者がいる場合——これはつまり宮廷大臣率いるルロワ派のことなんだけど——、首相派はルロワ派と妥協して切り崩しを図って下さい、ということ。
現段階ではこれが限界だった。
色々と紆余曲折を経ながらもなんとか最終案が纏まる。
日本国憲法の下に生きた経験のあるぼくからすれば、王の力が強すぎる。やろうと思えばこれまで通り王は独裁することが可能なシステムだ。でも、ぼく自身はやるつもりがないし、ぼくの子どもが王位を継ぐときまでにはさらに権限を削いでいく予定。
まぁ、この「ちょっと変わった」くらいの塩梅だから皆も安心できるのかもしれないね。
そんなわけで、ぼくは旧来の国王顧問会において出来上がった案を承認し、勅令を発した。
国王顧問会最後のお仕事ということで、勅令発布は
「大回廊の勅令」
サンテネリ王国史上初となる王権の委任を定めた勅令だ。
しきたり通り、勅書はすみやかに貴族会に回された。
そして、承認を拒否された。
◆
「冗談を言っている顔ではないな、家宰殿」
執務机に放り出した両の手が小刻みに震えているのが分かる。恐怖でも驚愕でもない。怒りだ。
「はい。貴族会は承認を拒否いたしました」
「家宰殿。それはおかしな話だ。主立った者は皆抑えていると聞いたが」
「その”主立った者”の何名かが反対に回りました」
「そして家宰殿もガイユール殿もアキアヌ殿も、彼らの動きを認知していなかったと。そういうことか」
一言いいたくもなる。ルロワ派、ガイユール派、アキアヌ派、それぞれの領袖が雁首揃えて決定したことがひっくり返されるってどういうことなのか。
「事ここに至っては言い訳にしかなりませぬが、ルロワ家譜代の諸侯から理解と内諾は得ておりました。それが、俄に心変わりを…」
「先方の言い分はあるかな」
「コンディ公を中心にルロワの軍伯由来の者達が騒いでおります。彼らが申すには『貴族は王の下にのみ頭を垂れるが筋』と」
家宰さんはいつもの癖であごひげを撫でつつ、憮然とした表情でそう返した。
コンディ公。ここも遙か昔にルロワ家から別れた遠い親族諸侯だ。パターンとしてはデルロワズ公家とほぼ同じ。ただ、コンディ公家は確たる家職を持たない、歴史は古いが存在感は薄い家の一つ。当代は齢七十に近いこともあり貴族会の議長を務めている。
ご本人とは何度かあったことがあるけど、まぁしごく普通のお爺さんだったよ。あまり印象に残っていないというのが正直なところ。
「コンディ殿が主体ではあるまい? 誰だ」
コンディ公は主体性を持って政治を動かすタイプではない。これまでの70年に及ぶ人生で大きなことを画策した経験など一度も無いにもかかわらず、このタイミングでいわゆる「王命拒否」とは考えづらい。
ぼくはしばし無言で待った。家宰さんは何かとても言いずらそうにしている。こんなとき、普段ならばぼくが助け船を出すところだけど、あいにく今回は想像も付かない。
貴族情勢は複雑怪奇。
「…オルリオ公爵様にございます」
やがて意を決したマルセルさんがぽつりと呟いた。
「母后様の弟、我が叔父というわけか」
「はい」
当然ぼくも顔を合わせたことがある。小太りのおじさん。言われてみれば
雰囲気は同じ公爵で比べるならガイユール公よりもアキアヌ公に近い。でも、アキアヌさんのようなサイコな雰囲気は感じられない。派手好みではあれど強い野心や政治的手腕を持っているようにも見えなかった。
でもまぁ、ないこともないか。
彼は王の叔父だ。本来ならば政権中枢で実権を握ってもおかしくない立場なのに、
「オルリオ殿は大した人望家らしい」
「——陛下のご慧眼、心服いたします。恐らく裏に何者かがおります」
ぼくの言葉に込められた皮肉を家宰さんは正確に理解している。もう長い付き合いだからね。頼りになる。
「どこだ?」
「二択ですな。まだ調査中ではございますが」
「だろうね」
想像は付くよ。うちの政治中枢を混乱させることを望み、かつその能力を持つ存在は大陸には二つしかない。
「デルロワズ殿に近衛をシュトロワに寄越すよう伝えてほしい。貴族会が承認を拒否した以上、まだ大権はわたしにある」
「市内に、でしょうか?」
「そうだ。完全充足の連隊を。——私が手放そうとした力がどのようなものか、貴族会の皆に実際に見てもらおう」
「拘束をお考えでしょうか?」
「いや、家宰殿は説得してほしい。皆サンテネリ王国を案じ、王家のためを思う忠義の士だ。しっかりと話せば理解してくれよう。彼らは誇り高い我が国の柱石。まさか他国の犬に成り下がるなどあろうはずがない。——ただ、もしも、もしもの話だが、利己心から我が国を切り売りするような売国奴がいるならば、それはとても嘆かわしいことだと私は思う」
淡々と家宰さんに告げた。彼がぼくの言に異を唱えることはなかった。
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