シュトロワ騒乱

 人のために尽くす者は尊い。ぼくはそう思う。

 その篤志ゆえにではない。

 尽くそうとした当の相手に憎まれ、罵倒され、侮蔑を受けながら、なお尽くすからだ。


 よかれと思ってやったことが悉く裏目に出たとき、その落胆を、その裏切られた恨みを押さえ込める人はそう多くない。

 ぼくはね、抑えられないタイプなんだ。


 ぼくはこのサンテネリという国をできる限り多くの人に担ってほしいと思った。王とかいうよく分からない若造の一存で興廃が定まるような制度は、端的に公正ではない。同時に、そのよく分からない若者もそんな責任は背負えない。

 だからぼくは王の大権を枢密院に——つまりは貴族と、やがては平民に——委ねようとした。政治参加は皆が望んだことのはずだった。利害は一致している。浅はかにもそう思っていたんだ。


 現実はどうなったか見てみよう。

 まず、シュトロワにおけるぼくの評判は悪くない。

 ”王は民への慈愛あふれるご立派なお方”。

 それはそうだね。

 いかに取り締まりが弱いとはいえここは独裁国家だ。王をストレートに誹謗するならば、文字通りの意味で首を斬られる覚悟がいる。だから「王は素晴らしい、正しい人」という建前は大前提なんだ。


 そうなると後の筋書きも定まってくる。

 ”民を想う若き王をたぶらかして、神聖なるがいる”

 我々人類が身分制なるものを発明して以来、とても便利に使われてきた「君側の奸」ロジックが発動する。


 いやいやいや。

 その”民を想う若き王”がやろうとしていることなんだ。別に周りの人に誘導されたわけじゃない。

 もちろん官報に書いたよ。枢密院制度の意義と利点を。

 だからいわゆる「知識層」は理解をしてしているっぽい。でも、この制度によって直接恩恵を受ける可能性が高い富裕な平民層——これは現在のサンテネリではほぼ知識層とほぼ同義だけど——ですら全面的な賛成ではない。”今後の展開を見守りたい”みたいな。


 で、今吹き上っているのは市民達、そして無産市民達。

 彼らにとって今回の勅令は”どうでもいいこと”のはず。彼らの生活に特に大きな影響はない。

 でも、なぜか反対者が多い。新聞がガンガンキャンペーンかけてるからね。

「我らがルロワの王をたぶらかし、サンテネリを乗っ取ろうと企む悪いやつがいる」って。

 政府系の新聞はもちろん反対の論陣を張ってるけど、残念ながら力負けしつつある。政府系新聞の力量不足ではなく、「悪いやつがいる」と誰かを生贄に捧げる戦術自体が強いんだ。

 分かりやすくて、かつ気持ちよくなれるから。


 今回槍玉に上がった悪いやつって誰だと思う?

 ガイユール大公です。


 正直ぼくは甘く見ていた。本当に甘く見ていた。

 シュトロワはルロワ家の首府であり、そこに住む市民達はルロワ王家の領民であることを誇りに思っている。そして記憶の基層には未だに「敵」の存在を潜ませている。

 さらにやっかいなことに、ガイユール領の繁栄ぶりやそこに住む人々の理想的な生活が「うわさ」となって流れてくる。ここからの発想は一足飛びだ。

 ”ルロワ王朝の下で本来我々が得られるはずだった富と栄誉を、サンテネリにするやつらが不当に吸い取っておいしい思いをしている”。

 ちなみにガイユールと肩を並べる外様諸侯の代表格アキアヌ公は無傷。

 別にピエルさんが何か工作をしたわけではない。ただ単純に現在のアキアヌ大公家はルロワ家の分家なので、シュトロワの民からすればアキアヌは「ルロワ家が乗っ取った」土地であるという理屈なんだ。


 状況がこんな風に推移することを読めた人は政権中枢には誰もいなかった。ぼくもガイユール公も家宰さんも内務卿も。

 実はアキアヌさんあたりは気がついていたんじゃないかと、ぼくはうっすら疑っているけど、それも彼がこの騒動によって特に被害を被らないという結果から逆算した邪推だ。


 この流れを全く見落としたまま、ぼくは近衛を市街に入れた。

 民衆は青い制服の一団、大陸に「サンテネリの青」と名高い偉大なる近衛軍を喝采をもって迎え入れた。

 ぼくの意図は近衛による造反貴族の圧迫だった。

 でも市民達はこう考えた。


 ”グロワス陛下はついに目を覚まされ、仇敵ガイユール大公を誅することをご決断なさった!”


 内務卿からの報告を受けて、ぼくは近衛の一部をシュトロワのガイユール館に差し向けた。彼らを暴徒から護るために。


 対して市民たちはこう思った。

 ”やはり陛下はガイユール公を誅されるのだ”と。


 ぼくは大きな失敗をした。

 ぼくは市民達を、民衆を、大衆を、民を、自分の意の沿うように操縦できるものと驕った。口では「自分は無能だ」と言いながら、心の底には薄っぺらい自信を潜ませていた。日本の片隅の中小企業一つまともに動かせず逃げ出した自分の身の程を、ぼくは気持ちよく忘れていた。


 王。陛下。偉大なるグロワス13世。

 そう言われて「いやいやそんなことはないですよ」と肩をすくめるポーズを見せながら、実は自負していた。自分は優秀なんだ。自分はできるんだ。自分には価値があるんだって。


 正直全てを投げ出してしまいたい気分に満ち満ちている。でも、ここで踏みとどまれるかどうかにぼくの尊厳が掛かっている。そして、ぼくを信じてくれた人々や好いてくれた人々が掛かっている。

 そのためにも、手を汚す選択をしなければならない。




 ◆




「皇帝陛下はお案じになっていらっしゃいますぞ。”婿殿はいつ共に立ってくれるのか”と」


 ぼくを目上から諭すかのようなバダン宮中伯の口調は、サンテネリの感覚に照らしたときはっきりと「無礼」の領域に足を踏み入れていた。


 今回の面会は謁見の間で行っている。

 ぼくは王の正装、つまり巨大な大判布カルールを巻き、これまた巨大な王冠を被り、座り心地の悪い玉座に腰を下ろしている。

「正教の守護者たる地上唯一の王国」国王グロワス13世として、帝国の全権大使を謁見している形だ。

 周囲よりも一段かさ上げされた玉座部の左右には、今後枢密院を構成することになる各卿が皆正装で揃っている。要するにサンテネリ王国の中枢メンバーを全員集めた。


「皇帝陛下にはご心労をおかけして申し訳ない。私が至らぬばかりに」


 ぼくは無表情にそう返した。

 ぼくたちは彼らの望むプロザンへの派兵を渋った。すると彼らは我が国の貴族会の食い詰めた連中に金をばらまき鼻薬を嗅がせて混乱を導いた。これは外交なので、やったらやりかえされる。そこに感情はない。

 今やりかえされたところなので、今度はこちらが番だ。


 バダン伯はその恰幅の良い身体を反らし、さらに言葉を重ねる。


「このように婿殿が不甲斐ないのでは、アナリース様をお預けするのも不安を感じざるを得ぬところ。義理の父として、陛下はそうお考えになるかもしれません」

「それは困った。アナリゼ殿は我が正妃。大切に大切に扱っている。それを皇帝陛下にもお分かりいただきたいのだが」


 本心ではある。ぼくはアナリゼさんを好ましく思っている。最近他の三人ともちょっとずつ打ち解けてきたところ。特にゾフィさんは年が近いこともあってか仲良くしているようだ。


「そのためには、行動をもってアナリース様にふさわしい婿殿の証を見せていただかねばなりません」


 帝国はその方向で圧をかけるつもりなんだ。ようするに、ぼくがアナリゼさんを切れないことを見越している、と。


「どうしようか、アキアヌ大公。私は無能ゆえ皇帝陛下のお心に叶う行動が取れそうにないのだ」


 全く以て平然と、横に立つアキアヌさんに話を振った。


「困りましたな。陛下は心優しいお方。ことに兵を、民を慈しむ仁者でいらっしゃる。確かに陛下のご要望にお応えするのは難しい」


 アキアヌさんはこういう戦い大好きだよね。もうアドレナリン出てる感ある。かくいうぼくもボルテージ上がってきている。


「アキアヌ大公殿、陛下はまさにその点をご心配でいらっしゃるのですよ」

 バダン伯がアキアヌさんに向き直り言い放つ。


「もちろん理解しておりますよ。ただ、陛下にはご安堵いただきたい。我がサンテネリ国王陛下は仁者でいらっしゃるのですから、兵と同様、アナリゼ様を粗略に扱うようなこともなさりません」

「アキアヌ殿、我が主はであらせられる」


 この憮然とした反応はちょっと素が出たよね。アキアヌさん煽るの上手いから。


「ああ、ああ、そうですな。皇帝陛下でいらっしゃる。——ただ、貴国内にも皇帝位について一部がおありのようなので、時勢に疎い私はついつい迷ってしまうのですよ」

「異論などない。アキアヌ殿は大陸の情勢をご存じないようだ」

「そう。私は田舎貴族に過ぎませんのでね。だから帝国と言えば、大陸中に名の通ったさる英傑の名前くらいしか存じ上げない。たしか、フライシュ3世でしたか」


 このアキアヌさんの直截極まりない挑発に、バダン伯はその広い額を右手で拭い努めて冷静に返答した。アキアヌさんにではなく、ぼくに対して。


「皇帝陛下の名代としてこのような無礼は看過いたしかねるところ。グロワス13世陛下、どのようにお考えでいらっしゃるか?」

「私の考え。私の考えか。バダン殿が先刻仰ったとおり、私は”頼りない婿”ゆえ、特に考えをもたない」


 ぼくはにこやかに、快活と言ってもいい声色で言い返してやった。無礼と言えばそっちのほうがよほど無礼なので。

 対するバダンさんは無言。


「ああ、ベルノー殿。皇帝陛下は私を信頼して頂けぬようだ。どうすればよい」

 外務卿さんに振ってみる。


「玉座の間に信頼がなければ、我ら臣下も足並みが揃いません」

 いつもの生真面目な返答。何か言っているようで何も言ってない。


「グロワス13世陛下。どうかここはアナリース様のことをお考え下さい。夫たる陛下と父君たる皇帝陛下の間に信頼なくば、アナリース様の身の置き所がありません」

「その通り、アナリゼ殿もお辛かろう。ちょうど今の私のようだ。我が半身たる臣下たちに、夜も眠れぬ有様だ」


 ぼくはバダンさんの瞳から目を離さなかった。

 どのような返事が返ってくるか、ぼくは期待して待つ。返答次第でバダンさんがぼくをどのように評価しているかが分かる。しらを切るか認めるか。


「何やらがあったと小耳に挟みましたが、それとこれとは別の話。アナリース様の心をお慰めできるのは陛下をおいて他にいらっしゃいません」


 予想通りではあるけれど、やっぱりしらを切ってきた。


「なるほど。帝国のお考えはよく理解した。やはり私には手に余るようだ。というのも、私にとってアナリゼ殿は家族。そして貴族達もやはり家族だ。なにせ私はこの国の王なのだから。それが別の話となると、私には判断が付かない。——アキアヌ殿」


 少し語気を強めてぼくは仮の首相を呼ぶ。若干中年太りが出てきているけど、上背と整った容姿はこういう場に映える。切れ者感あるよね。サイコだけど。


「はい、陛下」

「アキアヌ殿。私は頼りない婿なので家族に手を付けられない。だが、貴殿ならば最善の道を見出してくれよう。どうすればよい」

「恐れながら申し上げます。バダン宮中伯の言葉を拝聴する限り、陛下はグロワス陛下を軽んじていらっしゃるご様子。一般論ですが、かように父親に祝福されぬ結婚は夫にとっても妻にとっても不幸の元となります」


 この場には帝国との同盟を主導したフロイスブル侯爵マルセルさんももちろんいる。本来ならばここは彼が口を挟んでバランスをとる場面だ。でも、そのマルセルさんの面目を思い切り潰したのが帝国の貴族会工作なのでね。


「家宰殿はどう思われる。奥方をアナリゼ殿の女官長として奉職させ、アナリゼ殿に我が国を象徴する王妃として過ごしてもらえるよう心をくだいて来られた貴殿は」


 マルセルさんも難しい局面だろう。完全に帝国と手切れというのはもったいない。ただ、我が国の中枢に無神経な工作をされるのもまた許しがたい。


「私は残念でなりません。結婚も同盟も信頼と敬意あってこそ。恐れながら傍から拝見する限り、陛下とアナリゼ様は互いに敬意をお持ちになり信頼を深められていらっしゃいます。にもかかわらず、陛下は我が国の国王陛下に不信を深めておいでとは」


 対帝国強硬派のアキアヌさんと”まだ”帝国に理解を示しているマルセルさん。この二人の言葉を帝国大使に聞いてもらった。

 そろそろ結論を出そう。


「バダン伯殿。私のような若く愚かな王は危険だ。操るのが簡単なように見えて突如制御不能の暴発をする。愚者は他の何物にも鈍感なくせに、侮辱だけは敏感に感じ取る。侮られれば後先も損得も考えず極端な行動に走るかもしれない。——どこに向かうか分からぬ愚者を操ろうとするよりも、政治の経験を積んだ我が臣下達と理性的な討議をされたほうが、両国にとって実りは多かろう」

「グロワス陛下の金言、ありがたく頂戴いたします」

「行動をもって、同盟にふさわしい信頼の証を見せてほしいものだ」


 ぼくはバダンさんを買いかぶっていたかもしれない。ここはもう少し柔らかく対応する局面のはず。”金言”と表現すれば、ぼくが”若く愚かな王”だと認めることになる。帝国の宮中伯が。彼もそれを当然理解しての発言だから、実は結構感情的になっているっぽいね。

 あるいは現在シュトロワに充満する不穏な空気を我々が収められないとタカを括っているのかな。


 民衆は分かりやすい敵を好む。分かりやすい筋書きを好む。

 知識は持っていたものの、今回の一連の出来事で改めて実感した。


 今のところガイユール公家が分かりやすい敵だね。

 でも、サンテネリ王国にはもっともっと分かりやすい、それこそ積年の敵がいるんだ。


 事実をそのまま流せばいい。

 エストビルグはプロザンとの戦争にサンテネリを巻き込もうとしたけど、王は大切な臣民が傷つくのが嫌だった。でも正妃を娶っている関係上表だって拒否できない。だから王は”民のためを思って”、自身の権限を枢密院に委任することで戦争を回避しようとした。しかし、何としてでも我が国を巻き込みたいエストビルグは貴族会で工作を図り、勅命を拒否するよう操った。妻を人質に取られた王を権力の座に留めることで参戦させようと図った。そして、市民達さえもその企みに巻き込もうと街中にデマを流した。


 ”自分たちはだまされた。よりにもよってあの仇敵エストビルグに!”

 愚者は他の何物にも鈍感なくせに侮りだけは鋭く感じ取る。民衆は愚者なんだ。ぼくと同じように。


 できればそこまではやりたくない。なんとか当初の予定通り最小限のお付き合い参戦で収めたい。

 なぜって、この筋書きは一人の少女を犠牲にすることで初めて成り立つものだからだ。

 もちろん彼女を殺したりはしない。離縁して送り返すだけ。だとしても、彼女は大陸屈指の大国同士の歴史的和約を破壊した女として象徴的に記憶されるだろう。


 実のところ一番手っ取り早く色々な問題を解決できるのはこの手だ。王国の一体化と人々の国家への帰属意識を促進できる。熱狂の中で負債の問題もうやむやにできる。その上、にも強気で対応できる。ただ、この熱狂をコントロールするのは多分難しい。


 でも帝国があくまで方針を変えないのならばそこまでやるしかない。枢密院ではなく、ぼくの手で。

 サンテネリにおいて本当に自由なのはぼくだけだ。だからその選択の責も当然ぼくが負うべきだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る