暗君とガイユールとデルロワズ

 ——この方は王の力を軽く見積もりすぎている。


 ガイユール大公ザヴィエがその思いを新たにしたのはロワイヨブルの夜を目撃したがゆえだ。にらみ合う近衛とデルロワズ兵の間に立ち、喉も枯れ果てよと大声で演説するグロワス13世の姿は、これまでサンテネリ王国が戴いてきた代々の王たちと比べてはっきりと異質だった。

 当代の王は部下に対しても兵に対しても理解を求める。しかしそれはサンテネリ王の正統な姿ではあり得ない。王は理解など必要としない。ただ命ずるのみ。裏では関係各所と長い折衝を重ねた上であっても、そんな素振りを見せてはならない。

 王はその理解も反駁も許さない断固とした命令によって神格化される。そして、逆に、神格化されるからこそ、王は命ずることが出来るのだ。


 当代ガイユール公たる彼は様々な政治家を見てきた。国内はおろか他国の王族とも面識がある。

 その経験を踏まえて、彼はグロワス13世に


 この王は繊細に過ぎる。

 サンテネリのように長い歴史を誇る国の王は、とても賢いか、あるいは底抜けに愚かでなければならない。状況を全て理解した上でそれら全てに知らない振りをできるか、または理解する能力自体がないか。どちらでもよい。それは名君だ。


 対してグロワス13世は中途半端にすぎる。

 状況を理解し、理解していることを隠さず、そこから自身が考えたことを過程まで含めて相手に語る。


 なぜか。他者の理解を求めるからだ。

 個人的に見れば美質ではある。しかし実はそれは王と他者の同等性を認めるのと同義だ。人は犬や猫に理解を求めない。対等の存在にのみ求める。つまるところ、王はサンテネリの民に対して「自分と君たちは本質的に等しい存在だ」と主張しているのと変わらない。隔絶した存在でなければいけない「王の地位」にとって致命的な問題だろう。


 にもかかわらず、ガイユール公は理想とほど遠い彼に希望を見た。

 王は自身の身の程を自覚している。その一点に於いて彼は王たり得ると思う。


 グロワス王から新政権の構想を打ち明けられたときの驚きは忘れられない。それは王の存在自体を棚上げすることで自身の有害さを消そうとする試みだ。当然ながら王の力は著しく弱まり、脅かされるのは王自身の命なのだ。

 彼は王の決断に敬意を表した。そして乗ることにした。さらに、大前提が大きく変化してなお、娘の最良の嫁ぎ先であろうと考えた。あるいは娘のためというよりも、この若く勇敢な王を助けたいと無意識に思ったのかもしれない。ガイユール大公女を妻とするという事実は周囲への重しになる。実権を手放したからとて、彼は路傍の石を蹴り飛ばすがごとく粗略に扱える相手ではないのだと。


 ザヴィエ大公は寝室の長椅子に身体を預け、昨晩の娘の問いを思い返した。

 まだ幼い娘。そう思っていた。

 少女がその陽気さに比してかなりの思慮を持つことを頭では理解しているが、やはり幼時から見てきた経験が邪魔をする。

 まだ子ども。


 しかし、昨晩の娘は父の知らない顔を見せた。何かを決める意志と覚悟を秘めた目。彼女は父の命令を聞きに来たのではなかった。決断のとして父の助言を求めてやってきたのだ。


「お父様は陛下をどうご覧になりますか?」


 不思議なことに、グロワス13世を卑下する言葉ばかりが口をついて出そうになる。本心では「悪くない」と思っているにもかかわらず、欠点ばかりが思い浮かぶ。

 長く政の世界に生きた者として感情を自在に切り離す術を体得していたはずだ。しかしこの瞬間、彼は明らかに感情に引きずられていた。

 だからしばし口を閉じて熟考する。

 つまるところ、あの若者にはゾフィに


 娘は王を好いている。少なくとも嫌ってはいない。

 ここ二年を見る限り、王もまた娘を粗略に扱う傾向はない。大切にしてくれるだろう。個人としては問題ない。家柄も問題ない。

 では、王としてはどうなのか。


 そこで思い出すのはロワイヨブルの夜だ。

 兵達は後であの夜の出来事を振り返って熱狂するだろう。

 神聖にして不可侵の存在である王が自分たちのために喉も裂けよと熱弁を振るったのだ。

 土地と民を護れ。それがサンテネリ国軍の使命である、と。

 それはごく常識的な内容に過ぎない。貴族が貴族たる所以が土地と民の守護にあるというのは古代からの習いで、王はそれをなぞったに過ぎない。

 ただ一つ違うところがあるとすれば、その範囲だろう。

 王が示す土地と民は「デルロワズ領」でも「ルロワ領」でもなく「サンテネリそのもの」であり、そこに住む全ての民だ。

 兵達は自身の存在意義を書き換えることを余儀なくされる。より大きなもの、まだ輪郭すら判然としない「国」という名の何かを護るのが自らの存在意義だ、と。

 このような概念の変化を促すことは王にしかできない。

 グロワス13世当人は恐らく軽視しているであろうが、ルロワ家の歴史とサンテネリ全土を覆う「力」だけがそれを成し遂げる。

 王の言葉は重いのだ。


 新政権が発足した後、グロワス王はできる限り自身の存在感を消そうとするだろう。しかし、もう既にその言葉は幾度となく発せられてしまっている。

 我々は皆サンテネリという「国」に生きる者である。今後は「家」ではなく「国」が主役になると、新聞や演説を通して直接的に、あるいは諸政策を通じて間接的に。

 どうあがいても起こるだろう混乱を鎮める責務を負うのは王ではなく新政権だ。

 旧来のサンテネリをよしとする者、改革を志向する者。大貴族と官僚貴族、富裕な平民と標準的な平民、そして無産の民。都市と農村。中央と地方。ありとあらゆるところで軋みが走る。その調整に奔走しなければならないのが、まさにザヴィエ達なのだ。


 言いたいことだけ言って後は人任せかと腹立たしくもある。

 一方で、それでこそ王だとも言える。

 つまり、信頼し任せること。


 グロワス13世はある程度の実務能力を持っている。しかもまだ若い。普通ならば何事も「自分でやりたがる」はずなのに、彼は至極真っ当にその権限を人事に行使した。驚くような抜擢は一切無いが、それが逆に恐ろしくもある。王太子時代に付き合っていた同世代の若者達など見向きもせず、経験と実力と権力を持った人間をしっかり揃えてきた。

 自身の地盤であるルロワ勢はフロイスブル令嬢を通じて、近衛はバロワ令嬢を通じて、さらにデルロワズ家に対してはバロワとの縁を繋ぐことで間接的ながら関係を構築した。

 残るはアキアヌとガイユール。今のところ王はこの二者と確たる関係を持たない。ただしアキアヌ家は名こそ違えどルロワの分家だ。決定的にルロワ家と敵対することはできないだろう。つまり、ガイユールのみが残る。


 ザヴィエ大公は逆に娘に尋ねた。

 陛下はおまえのことをどう言っている、と。


 娘の答えはとても興味深かった。

「陛下は私が意志を持つことをお許し下さいました。私の選択を尊重する、と」

 それはなんとも解釈に困る発言だ。ゾフィが父に逆らう選択をしたとしてもそれを尊重するとの意味なのか、あるいはごく個人的な、政治の絡まぬ言葉なのか。


 おそらく前者だろうとザヴィエはあたりを付けた。

 娘がグロワス王の側妃になることを望み、彼がそれに賛同しない場合、王は彼女の意志を。つまりザヴィエに何らかの圧力を掛けてくる可能性がある。その圧は新政権におけるガイユールの発言権に悪影響を及ぼすことになるだろう。それならばと政権の地位を投げ出すことは叶わない。これまでガイユールがある種孤高の存在であり得たのは、アキアヌやデルロワズなど他の有力諸侯の足並みが揃わなかったが故だ。新政権下で王の下に意思が統一されれば、ガイユール対サンテネリ王国という悪夢の構図が現出するだろう。

 一方で、娘が側妃を望まず彼が望む場合、今度は家庭の問題としてザヴィエは娘を説得することを強いられる。何せ王は娘の意志を尊重するのだから。

 最後に、ゾフィが望み彼が望む場合。全てが上手くいく。

 ガイユールはゾフィを通して王と繋がり、新政権で十分に力を発揮できるだろう。


 そこまで考えたところでザヴィエ大公は深くため息をついた。

 誰が絵を描いているのか。

 まず思い浮かぶのは家宰だが、恐らく違う。家宰の発想は常にルロワ家に縛られている。つまり根本は守旧派なのだ。ではアキアヌ大公か? 可能性はある。しかし、彼の立場からすれば、ガイユールの存在は小さければ小さいほどよいはずだ。あえて王との繋がりを強めてやる必要はないはず。

 つまるところ、絵を描いたのはあの若い王なのだ。先代譲りの豊かな金髪をなびかせた物静かな青年なのだ。


 だから彼は心を決めて娘に告げた。

「グロワス13世陛下は、王に戴くに値する方だよ」


 値するかどうか確たることは分からないが、ただ一つ確かなのは、彼らがグロワス13世を”戴かざるを得ない”状況が既に構築されてしまっているということ。その一点に尽きた。


「だからゾフィ。私はおまえの思いに賛成する。この先どれほど長く生きようと、陛下のような方には出会えないだろう」

「お父様! ではお許し下さいますか!」


 父の言葉を受けて少女の顔に満面の笑みが広がる。今にも飛び跳ねんばかりの喜びよう。


「ああ、もちろんだ。陛下に尽くしなさい。陛下はおまえを大切にして下さるだろう」


 そう。ザヴィエは自分に言い聞かせていた。

 グロワス13世は申し分ない男だ、と。

 彼と比肩しうる男がどこにいるだろうか。大陸屈指の名門ルロワ家の当主であり、大陸を二分する大国の王であり、そのうえ娘と年も近い若者だ。

 粗暴さも短慮もない真っ当な大人の男であり、娘を受け止める度量を備えている。

 さらに、業腹ながら、自分を悩ませる程度の政治力まで持っている。




 ◆




 デルロワズ公領の主にしてサンテネリ王国軍元帥。先祖達と同様、当代ジャン・エネ・エン・デルロワズもその重責を当然のこととして引き受けた。

 多少待たされはしたが、王は約束を守った。

 同時にバロワ家の次女との縁談も決まった。バロワの姉妹を結び目として王とジャンは個人的にも繋がることになる。


 兵達の騒乱を収めてロワイヨブル城市に戻り、割り当てられた部屋の中で彼は昔を思い出した。自身より十歳以上年少の若い王の即位に不安を覚えた頃のこと。

 父王の路線を継承し軍を重視する姿勢はありがたいが、若さ故の経験不足は兵の流す膨大な血によって贖われるのだ。そう思うとやりきれない。

 新王は恐らく軍を遊戯の駒のように扱うだろう。ある程度は仕方がないこととはいえ、ジャンにとって兵は家族だ。特に黒針鼠部隊などは一兵卒に至るまでデルロワズ公領の民。数字に還元できるものではない。


 しかし、そんな彼の予想に反してあるときから王は変わった。

 政策の変化もさることながら、一際ひときわ彼の興味を引いたのは王の視点の変化だ。

 想像以上に視野が広い。

 自分が二十歳そこそこの頃、果たして同じような物の見方が出来ただろうかと自問してみればその異常さが分かる。家職たる軍事の専門家として育成されたジャンが、自身の専門分野を経済や政治といった他の分野と地続きのものとして捉えられるようになったのは三十を過ぎたあたり。公領の運営を父から引き継いで初めておぼろげながら理解できた。

 軍事も経済も政治も全ては果てしない調整の産物だ。あちらを立てればこちらが立たずを延々と繰り返す営み。しかも全ての分野が密接に絡み合っている。軍事的には正しいと思われる政策が思わぬところに悪影響として出てくることもある。しかし、その欠点を上回る利点がまた他の分野に現れることも珍しくない。変数が大きすぎるがゆえに精密な予測など不可能だ。

 軍事の専門家たる彼は精緻な分析に基づいた推論を好んだ。物事を論理的に考える癖が染みついていた。しかし、人間の頭で推測できる規模には限界がある。それに気づいたとき、彼の視点は一段上がった。

 グロワス王は突き詰めた論理を求めない。最初ジャンはそれを王の欠点と見なしたが、やがて見方を変えた。大きく掴み、大きく舵を取る。そのためには、分析や推測、検討の類いを他人に任せる必要がある。王はその術を心得ていた。


 仕えるに値する王だ。

 ただ、問題は王が舵を傾けるその方向にある。

 王はデルロワズの家職たる軍を変質させようとしている。それどころか「国」の概念自体を別のものにすり替えようとしている。

 ジャンの朧気な恐怖は、王の方向性が妥当かどうか皆目見当が付かないところに源泉を持つ。このまま進んで良いものだろうか。ひょっとしたら大惨事を、あるいは破滅を招くかもしれない。

 例えば国軍による近衛の吸収は短期的にはデルロワズ家にとって利の大きい決定といえる。しかし、長い目で見れば軍そのものがデルロワズ家の手を離れることになるだろう。近衛という異物を飲み込んだがゆえに、その純粋性はもはや維持され得ない。これまで独占してきた様々な軍の重職が他家の者に取って代わられるのもそう遠くない。デルロワズ家の独裁は近衛という外部の存在が内に入り込むことで「当然」ではなくなってしまったのだ。


 それを分かっていながらジャンは受け入れざるを得ない。改革を行う「当事者」として、自身もまた国政に携わることになるのだから。


 来るべき新政権に参加しない選択肢はあり得なかった。

 参加せねば発言権を確保できない。それはつまり政府のいいようにされるということだ。

 王に命じられるのは構わないが、ガイユールやアキアヌに自らの命運を握られるなどとても耐えられない。

 いかに軍権を持とうと正統な政府の命に背くことは出来ない。それは完全な反乱である。デルロワズ家はルロワ家の分家筋であり、かつ、王家の藩屏であることを誇りとしてきた。古くは近衛と同様ルロワ家の剣だったのだ。謀反は自家の価値観の根幹を掘り崩してしまう。

 結局のところ新しい政権に居場所を確保するしか道はない。そして政権への参加は王の示す方向を実現する実務者の役割を担うことと同義だ。


 黒針鼠部隊に王が発した一言は実に強烈なものだった。それこそルロワ家が始まって以来一度もなされたことがないものだ。

 デルロワズの軍はサンテネリ王国の軍でありデルロワズ公家の私兵ではない。

 それは長年当然と見なされてきた「建前」。しかし、その建前を建前と理解しながら「実態」としようとする試みをルロワ歴代の王は避けてきた。デルロワズ家はいつの時代も十分に王に忠実だったからだ。何もないところに波風を立てる必要はないし、他家の家職に手を入れれば王といえどもただでは済まない。

 だが近衛軍との統合がそれを可能にする。国軍が近衛とデルロワズ軍の混合体となることで、王は軍への発言権を手に入れたのだ。


 向かう方向が正しければ、グロワス13世はグロワス7世や11世と並ぶ、あるいはマルグリテ女王と並ぶサンテネリ史上最高の英君となるだろう。


 各貴族が半ば祭りのようにはしゃぎ統制の取れない状況は姿を消して、一元的な指揮系統の下に高度な作戦行動を取れる”本物の軍人”が活躍するようになる。

 兵の質も変わる。

 ごろつきやはみ出し者、犯罪者の集団ではない。サンテネリ王国を護る意志を持った兵。退役後の年金を保証され、周囲から「国の誇り」として尊敬を集める、王国全土から選出された兵。プロザンで一部実施されるにすぎないこのような軍制が、もしも、大陸最大の人口を誇るこのサンテネリで実現されたとしたら。

 それは中央大陸史上初の「”大”陸軍」だ。


 しかし、当然のことながら失敗する可能性もある。

 今は比較的大人しい貴族達だがその権益が本格的に侵されるとなれば黙ってはいない。中途半端に勃興した平等思想は平民層をより先鋭化させるだろう。兵制改革は財源不足で頓挫し、最後の要たる王の権威は地に落ちる。大混乱が始まる。

 グロワス13世の名は未来永劫呪われる。亡国の王だ。


 サンテネリ国軍を預かる立場として、デルロワズ公は仮想敵たるプロザン王フライシュ3世の事績を研究してきた。自公領と大して変わらぬ規模の小国を国際政治の主役の一座に押し上げた英君。戦場の支配者。様々な戦役を勝ち抜き、アングランとサンテネリを引き込んで帝国をかき回し、危険な綱渡りの末に領土を広げた手腕はとても輝かしいものに映った。

 希代の英君。


 彼は机上の杯をじっと眺める。ろうそくの光に照らされてほとんど黒く塗りつぶされた葡萄酒が少し、底面に残っている。


 ”申し訳ないが、彼らに酒を振る舞ってやってほしい。私の拙い演説をご静聴戴いたささやかな礼だ”


 王の掠れ声が耳に残っている。

 絶叫が祟って喉を枯らした声が。


 ——フライシュ3世は英雄だ。だが、サンテネリうちの王もそう捨てたものではない。少なくとも博打好きでは肩を並べている。


 似ても似つかぬ二人の王の姿を想像の内に並べてジャンは薄く笑う。

 そして杯を空けた。







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第1部第2章が終了しました。

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