王の旅 3

 ”針鼠の巣テリ・エン・スール”を後にして三日後、我々一行はついにガイユール公領に足を踏み入れた。

 ガイユールの玄関口、ロワイヨブルはその年季の入った城門から始まって一直線に続く広場までの大道、そして市庁舎に至るまで、側道を埋めた民衆に完全に占拠されている。


 ——グロワス13世に栄光あれ! ——我らが王に神のご加護を!

 そんな台詞が熱狂の歓声に交じってぼくの耳に届く。

 ルロワの黒蛇紋が街路沿いの建物から垂らされている。


 王家によるガイユール侵攻時、最初に王軍に城門を開いたのはこの地だ。比較的早い段階で交渉が成立したため、当時の習いたる略奪もまあ常識的な程度で済んだらしい。占領下のロワイヨブルはガイユール首府リーユを攻略する際の前線司令部の役割を果たした。


 戦役から200年以上が過ぎ、ルロワ王家とガイユール公家の婚姻の折りにこの都市はガイユールに返還された。ただ、元々が王領とガイユール領の結節点という素晴らしい立地から富を蓄えてきた都市だ。どちらに偏るでもなく、その後の政治的荒波を上手く乗り切ってきた。

 だからぼくの行幸が歓迎されるのも故無きことではない。流石に一千年近く前の出来事を現在まで怨恨として引きずっているわけがないんだから。


 ぼくは城門の前で当代のガイユール公ザヴィエ・エネ・エン・ガイユールの歓迎挨拶を受けた。彼は騎行だから、ぼくだけ馬車の中というわけにはいかない。

 近衛が用意した白馬にまたがり轡を兵に取られながら、ザヴィエさんと一緒に大通りを進んでいく。

 ぼくには乗馬の経験なんてほぼない。サンテネリに来てから何度か乗ったことはあるけど、能動的に馬を操ることはできない。今回のように従者が手綱を引く気性の大人しい馬の背にだけだ。


「ガイユール殿、ここはいい都市だ。皆私を歓迎してくれる」

 ぼくは指呼の距離で併走する彼に声を掛ける。

 堂々たる体躯。上半身を覆う紫色の大判布カルールには青と白で四等分に塗り分けられた盾型が描かれている。青地に浮かぶ黒い小さな点は、近寄ってよく見ると魚の模様。ガイユールが海に向けて開かれた地方であることを表している。


「陛下の行幸を歓迎せぬ者などガイユールには一人もおりません。ここロワイヨブルも、リーユも同様です」

 事もなげに返すザヴィエさん。

 若白髪と言っていいのか、白いものが目立つオールバックの髪型がいつになく決まっている。堂々たる姿だ。


 ぼくと彼は沿道の観衆たちに時折手を振りながら、なおも話を続けた。


「なんだか不思議な気分だ。サンテネリ王国にいながら、つい異国に足を踏み入れた心持ちになる。あいにく査証を持っていないゆえ、法を犯したような後ろめたさがあるな」


 大きく笑顔を見せながら冗談を投げかける。半分は冗談だけど、もう半分は結構リアル。なんとなく感じるんだよね、異国感を。


「それはおそらく言葉でしょう。ガイユールの言葉は王国の島イレン・サンテネリとは発音が少し異なりますので」

「ああ、なるほど。それでか。言われてみれば語の区切りが鋭い。なんというか、とても響きだ」

「うれしいお言葉。我らガイユールの民の誇りの一つです。是非我らを存分にください」


 そう。ぼくが話すサンテネリ語はルロワ公領のアクセントであり、一応王国全体の基準発音となっている。単語一つ一つの区切りができる限り消しさられ一続きの旋律のように台詞が流れる様を、サンテネリの人々は”地上で最も美しい言葉”と誇る。自称に止まらず、アングランや帝国においてもその評判は大差ないらしい。

 対してガイユール方言は単語一つ一つをある程度独立して発音する。それがルロワ系とはひと味違う重みを感じさせてくれる。


「陛下にはこの行幸を通して、是非ガイユールを知っていただきたいのです。不肖このザヴィエと我が娘ゾフィがご案内いたしましょう」


「それは願ってもないことだ。今後の数日間、よろしくお頼み申し上げる」




 ◆




 旅を楽しむ。何事もなく。

 そんな希望はロワイヨブル入城当日の夜、即座に打ち砕かれた。


 護衛部隊の責任者たるデルロワズ公ジャンさんに告げられた一言。


「兵に騒乱の気配がございます。まことに恐縮ながら、是非御出座願いたく」


 聞けば街で黒針鼠軍と近衛の兵が些細な諍いを起こしたのが事の発端らしい。

 酒場で飲んで気持ちよくなって、ついどちらかが相手を煽ってしまったんだろう。そこから数十人の乱闘が始まった。話が酒場で済んでくれていれば問題は無かった。

 でも、終わらなかった。


 両者街の外の各宿営に戻り、自分たちが受けた侮辱を仲間達に話す。こうなると問題に加速度が付いていく。本来止めるべき下士官も加わる。

 平時の行幸護衛とはいえ一応軍事行動だ。で、サンテネリの皆さんは上も下も戦争になると人が変わったように「名誉」とか「誇り」とかに感染し出す。

 兵から下士官へ、下士官から士官へと「我が部隊の誇りが汚された」言説に感染していく。

 最終的に両者銃を握りしめ、ロワイヨブル城下でにらみ合っているというわけだ。


「ジャン殿、まだ元帥杖にその手は馴染まぬかな」


 皮肉の一つも言いたくなる。彼は一月ほど前、元海軍卿の退役に伴い名実ともにサンテネリ国軍総司令官となったばかり。


「恥ずかしながら。やはり近衛軍は陛下の軍ですので、恐れ多く…」


 顔を見やると確かに済まなそうな表情を浮かべている。でも、半分くらいぼくの反応を見てるっぽいね。

 こういうところで、ぼくの思いつきがまさに机上の空論だったことを思い知らされる。恐らく似たような事例は他の分野でも数限りなく発生しているはず。ただ、ぼくのところまで情報が上がってこないから表面上は上手くいっているように見えるだけで。


「その口ぶりでは、黒針鼠スール・ノワの軍ではないように聞こえるが」


 少し嫌みをぶつけてみた。

 ぼくの能力を測る前に職務を全うしてほしいというのが本音。


「決してそのような意味ではございません。陛下はサンテネリ国軍の総司令官でいらっしゃいます」


 とはいえ、いきなり意識は変わらないよね。頭では理解していても心が追いつかない。彼の頭の中においては「デルロワズの兵」と「陛下の兵」という概念が強く根をはっている。どちらも「サンテネリ王国の兵」だと分かってはいるけど、と言ったところ。

 別にジャンさんが悪いわけじゃない。そういうものだよ。


「少し意地の悪いことを言った。許してほしい」

「そのようなこと。私の失態にございます」

「いずれにしても現場に向かう。——ああ、夜分恐縮だが、ガイユール公にもお越し頂こう」

「ガイユール殿を? それは一体」

「見学してもらう。我々がやろうとしていることは、つまりどういうことなのか」

「しかし、それは陛下のご威光を損ねかねません!」


 ジャンさんが語気荒く言い募る。


「ジャン殿の中ではガイユール公爵は未だに敵か。はるか昔の征服行気分か? 私はデルロワズ殿もガイユール殿も等しくサンテネリ王の臣下であるという認識だが。私の認識に異論がおありか?」

「…滅相もないことでございます」

「では、ガイユール殿もお呼びしてほしい。ちょうどいい機会だ」




 ◆




 ぼくがロワイヨブル城外の宿営地に着いたとき、意外なことに状況はある程度整然としていた。依然兵達は銃を持ち、近衛と黒針鼠で固まって対峙しているものの、交戦寸前とまでは見えない。まさににらみ合っていると言ったところ。

 多分誰かが「王が来る」とあらかじめ伝達したのだろう。


 双方から部隊の責任者らしき士官達が歩み出てくる。

 それをぼくは手で制した。代表者に話をするだけでは何の意味も無い。当事者たちにこそ、言いたいことがあるからだ。


 ぼくはまず近衛軍とおぼしき青の制服を纏った一団の方を向き、喉も裂けよと声を張り上げた。


「私は近衛軍の諸君に言う! 私は諸君のことなど何一つ知らない!」


 初手から怒鳴りつけた。

 彼らは王の名の元に動く兵であり、忠誠は王のみに捧げられ王以外の命令は聞かない。にもかかわらず、まさにその対象たる王、つまりぼくが「おまえ達のことなんて知らない」と言ったのだ。

 ただでさえ冷え込む冬の夜に更なる冷気があたりを包む。青い制服を着込んだ集団が、等間隔に点されたかがり火にうっすら照らされている。


 返事はない。

 当惑か、あるいは抑圧された敵意か。失望か。たぶん色々な感情が渦巻いているんだろう。


「そして諸君に問いたい! 皆の中にこれまで私の顔を見知ったものはいたか? 話したものはいたか?」


 いるわけがない。ぼくはシュトロワにいて重臣連中に囲まれて生きている。バロワの地に生きる彼らとは文字通り一筋の接点もないんだ。


「いないだろう。顔も知らず会話を交わしたこともない人間に、なぜ諸君は忠誠を誓う? ”王の剣”を謳う? 私は諸君のことなど知りもしないのに」


「陛下のご尊顔を拝すること叶わずとも我らは近衛でございます!」


 先ほど近寄ってこようとした士官が言い返してきた。

 これは凄い。ちゃんと集団の意志を代弁しようとしている。その勇気がある。改めて近衛軍の組織としての強固さを感じる。


「なるほど。ではなぜ近衛は私を護る?」

「陛下はサンテネリ王国の王でいらっしゃいます。陛下をお守りすることはすなわちサンテネリを護ることに他なりません」


 偉丈夫と言ってもよい壮年の士官が堂々と言い放った。

 そう、その考え方をぼくはひっくり返したいんだ。とにかくそれに尽きる。


「私がサンテネリなのではない! サンテネリが私なのだ! 諸君、下を向いて地を見てほしい。慣れ親しんだ土だ。隣のものの顔を見よ。慣れ親しんだ顔だ。そして家で待つ親や妻や子を思え。慣れ親しんだ人々だ。それがサンテネリだ」


 後から思えばこのシーンも映画化してほしい。ただ、場面転換の後のシーンはぼくの処刑映像かもしれないけどね。

 それくらい、多分彼らには意味不明のことをぼくは叫んでいる。


「顔も知らぬこの小男がサンテネリなのではない。この男はサンテネリという偉大な巨人の頭に乗った王冠に過ぎない。諸君は王冠を護るという行為を通じてサンテネリを護っている。大地や人を護っている」


 予想通り返事はなかった。

 だからぼくはさらに続ける。


「諸君は栄えある近衛軍だ! その勇名は大陸中に轟き、ひとたび諸君が出征すれば敵は総毛立って震え上がる。その近衛軍たる諸君がすべきことは——もう一度言う。皆が見ているもの。つまり、土地と人を護ることだ。そして、土地と人を護ることが私を護ることに繋がる。皆が日々慣れ親しんだもののためにその命と勇猛さを使え。その行為によってのみ王冠は護られる。土地も民もない王に何の価値がある? 何の価値もない」


 うめくような、囁くような、集団の発する雑音が湧き上がってくる。


「諸君は王の近衛軍ではない! 諸君はサンテネリの近衛軍だ! それを忘れてくれるな」


 それだけ言い残して、今度は反対側の群に向き直った。こちらは黒い制服の集団。

 黒針鼠スール・ノワ部隊にも言いたいことがある。


「黒針鼠の精鋭諸君にも問いたい! きみたちはデルロワズ公の私兵か? それとも栄えある我がサンテネリ王国軍の中核か? どちらだ!」


 これも明らかに彼らを苛立たせただろう。側でぼくの怒声を聞くデルロワズ公もおそらく。でも構わない。いつかは言わなければならないことだ。


「もし諸君がデルロワズ公の私兵であるのなら、諸君はサンテネリの兵ではない! 領地に帰り戦に備えよ。あるいはここで私の首級を上げるがいい!」


「陛下! なんということを仰せになられます。我ら一同サンテネリの兵として自らを任じております!」


 こちらはデルロワズ公御自らの反論が来た。


「それはよかった! デルロワズ公はこう言ったな。諸君はサンテネリの兵だ、と。では問うが、サンテネリの兵権は誰の元にある? デルロワズ元帥か?」


 デルロワズ公にではない。ぼくはひたすら兵に語りかける。


「いいか。ここで明言しておく。サンテネリ王国の兵権はにある。諸君はデルロワズ公の私兵ではない。栄えあるサンテネリ王国の最精鋭部隊だ。近衛軍と並び、諸君はおよそ大陸全ての国々に畏怖される精強無比の黒針鼠スール・ノワ。諸君の司令官は私だ」


 建前上はその通り。

 でも実態は微妙なところだ。歴代の王はそこをはっきりさせてこなかった。”王の下にあるデルロワズ公の私兵”という状況を黙認し続けてきた。


「異論がある者がいるか? いれば構わない。領に帰って反乱の準備をするとよい!」


 ぼくはだめ押しで言い募る。もちろんこの場で異論が出るわけがない。王が彼らの司令官であるという言説の否定は反乱そのものだから。

 予想通り、誰も声を上げなかった。


「いないか! では今一度諸君に問いたい! 諸君の目前に対峙する青い集団は敵か? あの青い集団の司令官は私だ。そして諸君が今、異論無く認めたように、諸君の司令官もまた私だ。そこに違いがあるか? 私の兵である以上、諸君もまた民と国土を護るために存在する」


 上半身を大きく翻し近衛軍の集団を指さしながら、さらに黒針鼠スール・ノワ部隊に語りかける。


「そして彼らもまた、諸君と同様に民と国土を護る兵士だ。同じ司令官を戴き同じ目的を持つ二つの栄光ある部隊。彼らの間に妬みや恨みがあろうか。嘲弄があるか? 我が国最強と名高い二つの部隊に集う勇者たちに、そのような取るに足りぬ弱兵気質などあろうはずがないと私は信じる。諸君らのような光輝に包まれた兵士が持つのは敬意と勇気と誇り。それだけであろうと私は信じる。王グロワス13世は信じる!」


 冬の夜だというのにぼくは汗まみれになっていた。全身が熱い。両手を振り回し大声を上げ、そうして自分を熱狂状態に追い込んでいく。その熱狂が伝わることを信じて。


 もちろん両陣の兵たちからは何の反応もない。カッコよく演説をしたら皆がわっと叫んでやる気を出すなんて、そんなのは物語の世界の話だ。サクラを仕込むなら別だけど、今回はそんな小細工をする時間も無かった。

 至極自然な反応。


「栄光ある我が国の護り手諸君。明日も私と共に、諸君が護るべき土地を見に行こう。そのために今晩は取りあえず一杯引っかけて眠りにつけ」


 ぼくはそれだけ言い残して彼らの元を離れた。後は各自で整理を付けて欲しい。


 随行するデルロワズ公に頼み事を一つしておいた。


「申し訳ないが彼らに酒を振る舞ってやってほしい。私の拙い演説をご静聴戴いたささやかな礼だ」

「承知しました。すぐに手配いたします」

 デルロワズ公は余計なことは何も言わなかった。


 即席の演説で何かが変わることはない。こういうのは「誰が」しゃべったかが重要になる。兵達と寝食を共にし、共に戦場に赴いた者の言葉なら多分響いたことだろう。例えばフライシュ3世あたりが言えば兵は熱狂したに違いない。

 でも、いきなり現れたお偉いさんが何を喚いたところでそれは聞き流される。至極当たり前の建前しか言っていないから、強い反感を買うこともない。ただ「ああ、そうですね」と流されるだけ。

 だから今回のぼくの行動は、要するに「王が仲裁に来た」という事実そのものにのみ価値がある。日本の会社の社長と違って、ここサンテネリにおける王の権威はまだまだ根強いから。


「なかなか上手くいかないものだな」

「いえ、陛下のお言葉は兵達の心に深く刻まれたことでしょう」

「そうあることを願うよ。——ガイユール公、ご覧になられたように、あれが我が国の現状だ。私が決めた諸々の不本意な結末だよ」


 帰りの馬車はぼくとデルロワズ公とガイユール公の乗り合わせ。ぼくの対面に腰掛けたザヴィエさんにぼくは苦笑を投げかけた。


「何事も変化に反対はつきものですが、これほどの大事です、あの程度の小火で済んでいるのはひとえに陛下の御献身ゆえでしょう」


 ザヴィエさんもそう言ってくれるけどね。

 王の立場の辛いところって極言すればこういうところかもしれない。

 誰もストレートに本音を言ってくれない。いいことしか言ってくれない。だから表情や仕草を読むしかないんだ。でもジャンさんもザヴィエさんも優秀な政治家だから簡単に尻尾を出してくれない。そういう意味では目の前で比較的感情を見せてくれるマルセル家宰さんの存在は本当にありがたかった。まぁ、彼もまた熟練のやり手なので、感情を見せているようにだけなのかもしれないけど。


 こうやって君主は疑心暗鬼の沼に嵌まっていくんだね。


 まぁ、なんというか、しんどいの一言に尽きる。

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