王の旅 2

 バロワの首府ヴァノーを後にして4日後、ぼくたちの一行はデルロワズ公領の首府ルエンにたどり着いた。


 宿泊地となった小規模な町を除けばずっと灰色の田園風景が続く道中だった。

 東京のようにどこまでも都市が広がる世界を知っているぼくとしてはなかなかに新鮮で、かつ退屈だ。地方に行けばサンテネリと似たような場所はたくさんあるけど、日本の場合移動手段が車だからね。流れていく景色の速度がもう全然違う。

 その上、季節は冬。農作業にいそしむ人影もない。だから基本無人。町に入れば住人総出で歓迎というか観覧に来てくれるんだけど、道中はまさに無。


 そういえば、実際に街道を走ってみて気づいたことがある。

 幹線道路でも大きめの馬車が二台すれ違ったら一杯一杯の幅なんだ。ということは、一般的な道路事情は思ったよりも悪いんだろう。アスファルト舗装なんてもちろん望むべくもない。

 そこで色々察した。これは軍隊の規模が制限されるわ。

 人口三千万を超えていながら、国の総力を挙げた本気の戦争でも動員7〜8万が限度って、随分少ないものなんだなと思っていた。でも、この道路事情を見るに、集められる兵員数ではなく”まともに送り込める”数の上限がその辺りなんだろう。一気に万単位を動かすのが厳しいから自然とコンパクトな連隊が基本単位になる。

 こういうのを見ていくと国家運営の難しさを痛感する。目に付いた一つの事例を改革すると、その事例を生み出していた状況そのものの変革を促さざるを得ない。例えば軍の規模を拡大したければ、同時に道路網の整備が必要になる。気が遠くなるような大金が必要だし、一朝一夕に済む話じゃない。百年単位で見ていく必要があるっぽいね。つまり、自分が生きているうちに完成を見ることが出来ない事業ばかり。


「ゾフィ殿はデルロワズ公領に赴かれたことがおありか?」


 ぼくは隣に座る少女に声をかけた。窓の外を眺めるのもちょっと飽きてきた頃合い。

 女性陣の中で一番旅行の経験が多いのは実はゾフィさんらしい。ブラウネさんは故郷のフロイスブル家領首府モンフェルとシュトロワの往復、メアリさんはバロワ家領内であればあちこちに行ったことがあるようだけど、そもそも家領自体の規模が小さい。

 一方ゾフィさんは幼い頃からガイユール公お父さんに連れられて広大な領地の都市群を一通り見て回っている。ぼくも含めた四人の中で、海を見たことがあるのも彼女だけだったりする。ガイユール領は西海に面しているからね。


「はい。シュトロワに参上するときは必ずルエンで宿を取ります」

「そうか。どのようなところなのかな」

「そうですね…えっと、特別目を惹くものはありません。お城が町の中にありますけど、それは他のところも変わりませんし」


 そう、これも意外なんだけど、サンテネリの都市ってどこも見るべきものがあまりない。正教の大きな聖堂があるとかせいぜいその程度。

 郷土博物館も特徴的な繁華街も皆無。かろうじて広場に偉人の銅像が建ってるくらい。

 そもそも「公共施設」自体がないんだ。美術館や博物館、あるいは一般公開される史跡、そういうのは全部お客さんあっての代物なんだよね。残念ながら我がサンテネリには気軽に旅行を楽しめるようなお客さんはほとんどいないので、当然施設もない。

 客の不在に輪を掛けて「公共」の概念自体もほぼ存在しない。

 例えばデルロワズ家は我がルロワ家の登場とほぼ同時期に生まれた古い家だ。元々は王の庶子が分封されたのが始まり。その長い歴史から考えるに、宝物庫には先祖伝来秘蔵の宝物が大量に眠っているだろう。それを一般公開すれば名所になる。

 そう思うけど、彼らにとって宝物は純然たる「私物」なんだ。この感覚はルロワ家うちも同じだね。富の独占とかではなく、素で”他人にそんなもの見せて意味あるの?”と感じてる。

 だから街にあるのは城と住居と教会、そして市場と広場、時々銅像付き。人口が多いところだと各種商店もあるね。ただ、対象は都市の平民中間層なので、いわゆる高級品がおいてあることはまずない。いいものが欲しければ商人なり職人を呼んでオーダーするのが一般的なんだ。

 この状況を知ると、ゾフィさんがシュトロワのルー・サントル巡りを楽しみにしていたのも納得出来る。あそこは恐らく大陸全体でみても稀な「高級な既製品を扱う商店」が連なる特殊な場所だから。


 で、デルロワズ公領首府ルエンもそんなよくある街の一つ。それ自体には見るべきものはない。


 ただし、この都市の近郊には一つだけ、中央大陸全土に名の通った名所がある。

 ”針鼠の巣テリ・エン・スール

 サンテネリ国軍の中核部隊”黒針鼠スール・ノワ”の本拠地だ。




 ◆




 ”黒針鼠スール・ノワ”部隊の閲兵式は、まさにその”針鼠の巣テリ・エン・スール”で行われた。


 ここはね、駐屯地というよりも一つの街です。

 中央の広場から放射線状に板状の宿舎が幾重にも連なっていて、遠目には巨大な城壁のように見える。

 面白いのが、ここ黒針鼠の巣には、兵達とその家族だけではなく士官も住居を構えているところ。公家類縁の上級士官はルエンに本邸を持つけど、中堅士官まではここがまさに我が家なんだ。士官と兵の区別が貴族と平民という排他的社会階層と重なるサンテネリにおいては非常に珍しい仕組みだろう。

 ちなみに宿舎の中には貴賓棟もある。バロワ領では街でお留守番だった女性陣は、今回この貴賓棟にお世話になった。


 居住区画のさらに外縁部には生活用品を扱う各種商店が軒を連ねている。数万人の人口を支える商業区画なので規模もかなり大きい。

 広場に始まり居住区、商業区と円形をなす中心部から、少し離れて各種兵器工廠も備わっている。備わっているというか中心部と同じくらいのスケール。ちょっとした工場だ。

 それもそのはず、ここではサンテネリ国軍全体に(できる限り)支給される銃と大砲の製造が行われている。つまり事実上の国立兵器工廠です。

 とはいえ、まだ正式なものではない。あくまでもデルロワズ公領で生産された物品を国が買い上げる形を取ってる。兵器の開発研究も公領独自に行われている。国は補助金を出すだけ。

 今まではこの形態に手を付けることができなかった。軍事はデルロワズ家の家職だから、例え王家といえども気軽に手を突っ込むことは許されない。


 でも、今後はそれも変わる。施設全てを段階的に国立化していく。

 士官学校、工廠、理工科学校。

 デルロワズ家とバロワ家の秘伝を国家のものにする。王国全土に人材を求め、家ではなく国の名の下で育成する。そこで育った専門家達は国から給与を受け、国のために働く。そんな未来を描いている。

 土台は全て揃っている。ノウハウも技術も人も。あとは「枠」を外すだけなんだけど、結局一番難しいやつが最後に残るんだよね。


 そんなことをぼんやり考えながら、ぼくは閲兵式に臨んだ。

 まず広場で士官諸氏を集めて挨拶。主役はぼくだ。

 実態は明らかにデルロワズ公に招かれた来賓なんだけど、建前上、国軍総司令官は王なので、ぼくが主催者ということになる。


 演台から望む士官達はざっと二百人程度。どの職位までで区切ったのかはよく分からない。いずれも金の刺繍が入った黒い軍服に身を包み、各自適当な場所で両膝をついて頭を垂れている。軍隊って綺麗に整列をしているものかと思っていたから、この乱雑さはちょっと意外。


「諸君、楽にして欲しい」


 ぼくが声を掛けると男達が一斉に立ち上がる。皆現役の軍人だけあっていい体をしている。下は20代から上は50代まで、幅広い年齢層だ。


 演説の内容については定型文を述べるだけ。

 まず正教の神への感謝から始まり、デルロワズ公領の歴史を讃える。そしてこの部隊がサンテネリの誇る最精鋭であることを認識している旨を示し、最後に王への忠誠を求める。

 言い回しも大体定まっているから、ぼくが独自の内容を織り込む箇所はない。文章をひたすら読む。


 マイクなんてないからね。後ろまで届くように腹の底から大声を出しつづけるのは結構大変だよ。でも、ここで威勢良く見せないと”弱い”イメージが付いてしまうから必死だ。ぼくは手に持った原稿を読み進めつつ、時折沈黙を入れて皆を見回す。そして再開。これを繰り返す。

 大した量がないのは幸いだった。ゆっくり読んでも多分5分かそこらで終わる。


 結語に差し掛かったとき、ぼくは一箇所だけ言葉を替えてみた。

 形式が何よりも重視される儀式でこういうことをやるのは良くないんだけど、今変えれば、それが先例となり今後受け継がれていく。どんな儀式にも始まりがある。それが今だ。


「——神の御裾の元、”正教の守護者たる地上唯一の王国”はかくも地上に栄光を表す。その礎たる、を、諸君が全霊をもって守護されることを願わん」


 空気が一瞬研ぎ澄まされたのが分かった。数百の視線がぼくを射貫く。

 いつもの定型句「」の順番を変更しただけ。それだけ。

 原稿の読み違えを疑った人はいなかっただろう。「その礎たる」のところで一旦休止を入れて、民、国土、王と一単語ずつゆっくり読んだからね。

 こんなものはただの小さな儀式に過ぎない。何かが劇的に変わるわけでもない。でも、ぼくがこの演説を通して伝えたいことは煎じ詰めればこれに尽きるんだ。

 王の軍隊から民の軍隊へ。いつかそうなってほしい。


 演説の終了後、デルロワズ公はこのささやかな改変に何も言わなかった。

 ただ、なんとも言えない複雑な表情を貼り付けていた。

 彼の気持ちもよく分かる。こんなところで言葉遊びをしても意味はない。ぼくは無意味なことをしている。

 彼はやるならやるでもっと大胆に物事を進めたいんだろう。ジャンさんにはそういう先鋭的なところがある。

 でも、ぼくは怖い。正直色々やり過ぎている。だから変化が怖い。

 ぼくは彼のような優秀さを持たないから、頭の中は恐怖で一杯だ。必死でそれっぽく装っているけど内心はいつもビクビクしている。


 日本に生きた頃と何も変わらない。

 人はそう簡単に変わらない。




 ◆




 周りの人が皆自分より優秀に思える瞬間ってないかな。

 よく「上司が無能だ」とか、そういう愚痴聞くよね。でも、ぼくはいまいちその感覚がピンとこない。もちろん広告代理店に務めていた頃は暴言を吐かれたこともあるし、パワハラ一歩手前の扱いを受けたこともあった。でも、上司である彼ら彼女らが自分より劣っていると感じたことは一度もないんだ。人格的に「どうなのこいつ」と思ったことは当然あるけどね。必ず自分よりどこかしら凄いところがあった。見方を変えれば上司に恵まれていたのかもしれない。


 サンテネリに来て、その思いはますます強くなってる。歴戦の政治家である家宰さんとかその辺は当然として、ぼくより歳下のブラウネさんやメアリさんにも凄いところがたくさんある。


 そして最近ふと思う。

 ゾフィさんもまた色々な美点を持っている。

 彼女はとにかく物怖じしない。どこに行っても誰に対しても。


 身分からすると当然に思うでしょ。だって彼女が頭を下げなきゃいけない人間なんてサンテネリには五人もいないんだ。堂々としていて当たり前。そう思うでしょ? でもね、彼女は別に地位をひけらかして傲慢に振る舞うわけじゃない。他人には至極丁寧だよ。

 ただ、こうありたいと思ったように行動する。それは究極的には自分の価値や能力を信じていなければできない仕草なんだ。

 ぼくは王だから、やろうと思えばどんなことも出来るんだけど、ついつい考えてしまう。自分のこの行動は部下の皆さんが割かなければならない労力に見合う価値があるんだろうか、って。ゾフィさんにはそれがない。自身のやりたいことには価値がある、つまり自分の発想には価値があると心の底から思っているからこそ、やりたいことをやる。もちろんお膳立てをする部下を労りはする。でも彼らに憚ることはない。


 閲兵式を終えた日の夜、ゾフィさんに散歩に誘われた。この時間から動くのはお付きの皆さんに負担になる。にもかかわらず、彼女はそれを敢えてやりたいと望んだ。


 ぼくたちは貴賓棟を出て、昼間演説をした広場にたどり着く。


 光源はわずか。

 先導してくれる侍従達が持つ手提げ灯籠だけが頼り。そして月明かり。


「ゾフィ殿、寒くはないか」

「大丈夫です! この外套、とっても暖かいんですよ」


 青系統の服が多いゾフィさんには珍しく深紅のコートを身に纏っている。首回りと手首のあたりに白い毛皮がたっぷりと縫い付けられたそれは、彼女の小柄な身体を見事にすっぽりと包み込んでいた。


「陛下はご存じですか。今日、私は一番乗りなんです」

「何がかな」


 広場中央の石畳に仁王立ちで彼女が胸を張って宣言する。


「ガイユール家の者で針鼠の巣こちらに足を踏み入れたのは、多分私が初めて」

「デルロワズ公領には何度も来たことがあると言われていたが?」

「はい。シュトロワに向かう際は必ず一泊します。でも、それは必ずルエンなんです。ここに近づくことは決してありませんでした」


 腕を広げ、半ば独語のようにゾフィさんは囁いた。上を向いて空を、月を見ている。


「それはそうだろう。ここは街のような規模だが、つまるところ兵舎だ、寄り道する理由もない」

「いいえ、不必要だからではありません。——ここは始まりの地だから」

「今日のゾフィ殿は謎かけをしたい気分かな」


 普段ストレートな物言いが目立つ彼女が発する回りくどい表現に、ぼくはちょっとからかいを含めて答えた。旅は人を変える。気分を高揚させる何かがある。そんなところだろうと当たりを付けて。

 だから少女の答えは本当に予想外だった。


「もう何百年も前、ちょうどこの場所からガイユール侵攻が始まりました。当時のルロワ王太子様と、デルロワズの将軍達に率いられた軍隊によって」


 月光に照らされた横顔はついぞ見たことがない神妙さに満ちている。太古の巫女が宣託を下ろす様はまさにこんな感じだったんだろう。触れがたい神性をゾフィさんは纏っている。


「ガイユールは打ち破られ、リーユまで攻め入られ、軍勢に包囲され、ついに膝を屈しました。そしてルロワ家の臣下となったのです。私は今、ガイユールの女として、その始まりの場に立っています」


 ぼくは何も答えなかった。それはつまり、ぼくの先祖が彼女の先祖を下したという話だ。もう数百年も前の完全に歴史と化した出来事であっても、敗者直系の子孫である彼女には現実味が残っているのだろうか。ぼくには分からない。


「その後ガイユール家はサンテネリ王国の一部として繁栄しました。恐れ多くもルロワ家との血縁すらいただきましたし、過去にはデルロワズ家との血のつながりもあります」

「そのようだね。そうして歴史になった」

「はい。とても不思議な気分です。——あの時と同じように、陛下はここからガイユールに旅立たれます。ガイユールをために。そこに私がお供しているのは運命でしょうか」

「ゾフィ殿は聡い。私はそこまで考えなかった」


 ゾフィさんは本当に賢い。彼女はまだ16。でも、これから何が起こるのか大体のことを理解している。だからこそぼくはしっかりと向き合うべきだと思った。


「一つだけゾフィ殿の言に異を唱えたいな。…運命など無いよ」

「そうでしょうか」

「そうだ。これは私が決めたことだ。そしてゾフィ殿もまた、あの時シュトロワに残ることを選んだ。だから今ここに我々がいるのは我々の選択の結果だ」


 大分気温が落ちてきた。軽装で出てきたのが災いして手がかじかんでいる。ぼくは腕組みをして脇の下に手のひらをねじ込む。

 その様をゾフィさんは見逃さなかった。

 彼女は不意に距離を詰めて、組んだ手首を握りしめる。そしてぼくの素手を引っ張り出した。

 とっさのことに驚きながらも、ぼくは彼女のなすがままに任せた。彼女は柔らかい毛皮の手袋越しにぼくの両手を握りしめた。その両手で。


「では、陛下は今後も私の選択を尊重してくれますか?」

「尊重する。ただし、意志を以て選択をする以上、運命に逃げ込むことはできないよ」


 遙か昔ここに立った王太子も将軍達も、ガイユールを攻めることを意志したはずだ。運命やら物語やら、そんな正教の教えに縋ったはずはない。大量の血を流し、多くの街を戦火に供しても、得るべきものを得ようとする意志があったはずだ。


「分かっています。陛下がなさるように、私もします」

「私が?」

「はい。ずっと陛下のお側にいましたから。陛下がとても重要なことを決められたのは知っています。ガイユールのことも」


 今回の旅はガイユール公をシュトロワに引っ張り出すと同時に、ゾフィさんを”自由にする”ためのものなのだ。ぼくから直接説明をしたわけではないけど、幼い頃から貴族の婚姻の意味を教え込まれてきた彼女はすぐに理解したのだろう。


「一つお聞きしてもよろしいですか」

「もちろん」

「私がを持つことを、陛下はお許しくださいますか?」


 少女の黒い瞳はそれ自体が意志に満ちあふれている。

 彼女がシュトロワに残ることになったあの日から、最低でも週に一度は顔を合わせてきた。後見者の義務感も多少はあったけど、ぼく自身十分楽しんでいた気がする。

 街の名所を訪ねた話を聞いたり、共に夜会に出たり。ブラウネさんやメアリさんと三人で盛り上がっている姿を見たこともある。家のしがらみから来る隔意がゆっくりと角を丸めつつある。

 出会った当初のどこか作り物めいた明るさは姿を消した。やたら他人行儀になったかと思いきや、次に会うときは妙に近しく振る舞ってきたり。多分計算ではない。

 大人の女性陣が上手く抑制する心の上下動を彼女は素直に見せてくれる。ぼくも心を抑えるのが得意な方ではないから、そんな少女の姿に共感を覚えた。


 幼い少女が大人の女へと成長していく瞬間をぼくは横で見てきた。天真爛漫な気性はまだまだ名残を残している。でも、もう子どもではない。


「もちろん。ゾフィ殿はを持つべきだ。私はそれを妨げない」

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