王の旅 1
ぼくは旅が好きなタイプの人種ではない。未知に出会うよりも既知に囲まれて生きていたい方だ。言い換えればあまり好奇心がない。
そんなぼくだけど、数ヶ月前のあの旅行はさすがに心が躍った。
中央大陸で生活を始めてから、ぼくはシュトロワの外に出たことがなかったんだ。それどころか
用事がないと外に出たがらない生来の出不精が災いした。というのも、こちらが出向くのではなく用事の方がぼくのところにやってくるのが王という立場だから。
ただね、例え外出大好きな性格だったとしても恐らくほとんど行けなかったはず。だって本当に面倒くさい。
予定の調整。安全確保の人員配置。随行員の選定。
考えただけでげっそりする。ぼく自身が差配するわけではないけど、いちいち余計な仕事を部下に押しつけるのも嫌だ。さらにだめ押しの理由もある。
お金がかかるっていう。
でも、動かなければいけないタイミングというのは確実にある。
エストビルグから正妃が送り込まれてくる前にこちらも将来の見通しを立てておきたかった。国家内国家の解体と統合を目指す動きが可能なのかどうか、それを知りたかった。書類や口頭の報告からは流れ落ちてしまう、なんというか、実感のようなものを。
だからガイユール公を呼び寄せるのではなく、敢えてぼくが出向くことにしたんだ。
◆
ぼくのガイユール行は明確な国家行事として計画された。
サンテネリ首都シュトロワからガイユール公領首府リーユまで、往復で約一ヶ月程度の行幸だ。
シュトロワを出て、ロワ河沿いの大街道を進む。
まずはバロワ家領の首府ヴァノーに逗留。近衛軍の閲兵を行う。近衛部隊の一部がここから一行を警護する任務に就く。
次に、同街道をさらに西に進んでデルロワズ公領に入る。
公領首府ルエンで公と会談し、郊外の駐屯地”
ルエンから少し進むと、北から流れ込む支流グイヨン川とロワ河の結節点に位置するガイユール公領の玄関口、ロワイヨブルにたどり着く。この
そして、公領中央部の首府リーユまでグイヨン川沿いに街道を北上する。
ルロワ家の中核領と、サンテネリの歴史上最も早くルロワ勢力圏に入ったガイユール公領を巡る旅。いわば王国の心臓部ツアーだ。
この旅に家宰さんは同行しなかった。シュトロワで留守居役を務めなければならなかったから。
同行したのはブラウネさん、メアリさん、そしてゾフィさん。ブラウネさんとメアリさんは事実上の側妃として、ゾフィさんはなんというか、彼女の話をしに行く目的もあるので、主賓。
閣僚クラスの大物は内務卿さんと財務監さんが付き添った。内務卿は地方視察を兼ねて、財務監さんはガイユール公との打ち合わせのために。もちろん他部署の副官クラスが軒並み付いてくる。
ここにさらに近衛と黒針鼠部隊から合わせて500程度の兵が護衛に付き、士官達は騎乗で付き従う。
ちなみに諸侯領における旅費は先方持ちです。だから比較的お金にピリピリしなくていい。まぁ、全額王家持ちだったとしてもある程度派手にせざるを得ないんだけど。
だって、しょぼいと領民の皆さんがガッカリする。
娯楽の少ないこの世界では、王がやってくるって最高のエンターテインメントなんだよね。それなのに演出が安っぽかったらつまらないでしょ。彼らにとってぼくは「サンテネリ王国そのもの」なので、ぼくの貧相は王国の体面に関わる。
この辺の感覚は日本と大分違うね。
そんなわけで、ぼくが乗る馬車、バロワ家、ガイユール家、フロイスブル家の馬車、さらに随行各卿の馬車と車列だけでも結構な長さになる。それぞれ家の威信を賭けた豪勢な装飾が施され、周りには旗手を務める騎兵の集団。色と模様の洪水みたいになってる。
移動速度はそれほど速くない。歩兵の行軍に合わせてゆっくりと進む。これはまぁ、偉容を見せつける意味合いも込めて。
ちなみにぼくの馬車、6人くらい乗れるスペースを1人で占有してました。てっきり女性陣も一緒に乗るのかと思ったけど各自家の馬車があったんで、いい感じで一人旅気分を満喫した。
馬車の乗り心地はまぁよくない。
始終ガタガタ揺れてる。フカフカのクッションで埋め尽くされた車内だけど石畳の突き上げを消すには全然足りない。
でも、車窓から眺める初冬の田園風景に見とれていたら不快感も忘れてしまった。時折寝落ちしたり。
で、なんだかんだ初日の宿泊地に指定された街に着いたんだ。
用意された宿泊所に入ると女性陣が微妙に冷たい雰囲気を醸し出してる。何というか、団結して抗議される寸前の感じ。
よく分からないのでそのままにしておいたら、見かねた内務卿さんがこっそり教えてくれたね。同乗を誘えって。
いや、皆さん立派な馬車をお持ちなわけで、わざわざすし詰めにならなくても、と思ったんだ。でもそこが違うらしい。
王と妃が同伴で外出する際は同乗が基本。身内以外、つまり臣下の皆さんの場合、王からお声がけがあれば同乗可。
じゃあ正式な妃ではないけど事実上ほぼ妃の皆さんはどうなるか。
これ、向こう側から「同乗したい」とは言い出せない。ぼくから誘わなければならない。
誘わないという選択肢、つまり気楽な一人旅の選択肢はあるんだろうか。
無いよ。皆無。
道中ずっと同乗を誘わないって、ある種の政治的なメッセージになる模様。
そんな”不文律”を教えてもらい、おどおどと誘いに行きました。一人一人。
ブラウネさん曰く
「ブラウネはとても辛く寂しい一日を過ごしました。しかし陛下がそうお望みでいらっしゃるのですから耐えて参ります」
メアリさんはね
「私どもとのおしゃべりでは陛下にお安らぎ頂けないのだとよく分かりました」
そしてゾフィさん
「別に無理にお誘いいただかなくても大丈夫です!」
もう付き合いも長いから、心の底から怒っているわけではなさそうなのは分かる。でもちょっと困らせてやりたい、みたいな。すねている感じなのかな。
ブラウネさんメアリさんのお姉さん組は”まぁこの人も一人になりたいときくらいあるか”と極微量の理解を含みつつ地味なボディブロー。ゾフィさんはね、もう少しストレートだったね。語気は強いんだけど俯いてる感じで、なんか申し訳なさがすごい。
結構反省した。
これ、気づいて良かったわ。あのまま何も知らずに進んでたら大問題に発展していた可能性がある。感情的にも政治的にも。
サンテネリには危険が至る所に潜んでる。
地雷原かな。
後で内務卿さんにお礼を言ったんだけど、彼も忠告を迷ったっぽい。政治的な裏読み、つまりぼくが彼女たちの実家と距離を置こうと考えているのではないかと勘ぐった模様。ただ、それにしては彼女たちに対する態度があまりにも自然なので「あっ、これは…」と気づいて囁いてくれた。
高性能な地雷除去装置だ。
翌日から、ぼくの馬車は大変賑やかになりました。
◆
バロワの首城はロワ河から少し離れた小高い丘の上に建つ。築城は今から900年近く昔のこと。大体シュトロワの旧城と似たような時代の遺物だ。つまり、
よって、現在バロワ家の人々は川沿いの平地に広がる城壁に囲まれた市街地の中に館を構え、そこを住居としている。一見典型的なサンテネリの地方都市の姿だ。
つまり、バロワ首府の特徴は街にはない。
周囲に立ち並ぶ兵舎と広大な空き地こそがその本体なんだ。
この家は気の遠くなるほどの昔からルロワ家の近衛として活動してきた。数百人規模の王の守備隊から始まって、王権拡大と共に巨大化し、ついに軍となった。
自前で歩兵、騎兵、砲兵を揃える巨大な連隊。
当然バロワ領だけでその規模を維持することは不可能だ。というよりも、そもそも兵の俸給は他の連隊同様、全て王家から出されている。
だから、バロワ家が提供しているのは軍隊において最も大切なもの。つまり人。
将校は全てバロワ家の係累と家臣からなり、兵もまた基本的に領民。普通であれば村に一人の軍役を、バロワ領内では三人四人と出す。兵役適齢期の男子を村から引き抜くことは土地の生産性低下に繋がる。それを補うのが湯水のごとく注ぎ込まれた王家からの資金というわけだ。
つまりバロワの地において兵役は他の家業と変わらぬ安定した「職業」であり、浮浪者や犯罪者を半ば連行する形で兵を揃える必要はなかった。
バロワ領にのみ適用されてきたこのシステムは国軍との融合によってやがて廃止されることが決まっている。でも、サンテネリ国軍が本当の意味で「国軍」となる際、その土台となるのは近衛軍とデルロワズ公領の軍が代々培ってきた士官教育法や砲兵育成法、命令系統、兵の訓練手法だろうから、見方を変えれば近衛軍式が全土に広がるのだとも言える。
ぼくたち一行は新市街のバロワ館に一泊し、翌日ぼくは近衛軍監とともに郊外の練兵場に赴いた。
閲兵式だ。
ちなみに女性陣はお留守番。
ここもまた面倒で、彼女たちが正式な側妃であれば、ぼくとともに出席するはずだった。王妃であるということは次代の王を生む可能性のある存在、つまり国母となり得る女性なので、軍が忠誠を捧げるにふさわしいとの理屈らしい。
まぁ、閲兵式が楽しいかと言われれば難しいところ。
地を埋め尽くす真っ青の軍服。規律と躍動に満ちた歩兵の行軍、新鋭の大砲、ルロワ王家の大蛇紋章旗を背負った騎兵の行進。
それは理性ではなく感情に働きかけるスペクタクルだ。
ただね、長いんだ。とにかく。
実はぼくは、サンテネリの軍というものを初めてこの目で見た。昔のぼくは頻繁にこの練兵場を訪れていたので、その時の記憶はある。でも、現在のぼくの意識が彼らを捉えるのは正真正銘これが初めて。
一万人近い人間の集合体ってすごい。無秩序な群衆じゃない。完全に統御され、意志を持って動くそれは、もう何というか”一個の生命体”のように感じる。
同時にぼくが”王の器”にないことを改めて自覚もする。ぼくは目の前を這い進むこの生き物を使役して何かをしたいとは全く思えない。出来ることならいつまでもこの練兵場にいてほしい。そう思う。
分かるだろうか。
例えば美術品のような美しい日本刀を渡されたとき、それで何かを斬ってみたいと思うかどうか。ぼくには到底思いも付かない。傷を付けたら大変だから早く鞘にしまいたいと願うだろう。
同様に、この研ぎ澄まされたルロワ家の剣を振るいたいとも思えないんだ。
そんなわけでかなりの衝撃を受けたものの、2時間も続くとね、ちょっとね。
立場上ぼくは微動だにせず彼らを見ていなければならないんだけど、女性陣はメアリさん以外耐えられそうにない。
本格的な冬の寒さが始まる時期だったから、場合によっては体調を崩してしまう可能性もある。留守番してもらって正解だった。
館に帰ると女性陣の皆さんが出迎えてくれた。
夜はバロワ家の総力を挙げての夜会。バロワ家親族の皆さん、家臣の皆さんは当然として、市の有力な商人達や市外の有力者も集まっている。
もちろん主役はぼくとメアリさんだった。ここメアリさんの実家。お集まりの皆さんからすれば「我らが姫」でもある。
近衛軍監さんが冒頭挨拶の中で、娘が「陛下のお側に親しく侍る関係」であることを告げ、ぼくが「メアリさんは現在とてもよく自分を補佐してくれており、今後もずっとぼくを助けてくれることになっている」旨を演説した。
誰に対して? 近衛軍が国軍に合流することに不安を抱いている人々、つまり会場にいる人々全員に。
要するに、近衛は国軍に吸収されるけどバロワ家とルロワ家の縁はずっと続くよ、というメッセージを伝えなければならない。側妃云々を明言はしなかった。そもそもまだ正式にプロポーズしてなかったからね。このとき。
でもまぁ、正直ほぼ結婚披露宴だった。ぼくとメアリさん並んで座ったし。
彼女の白いドレス姿、初めて見たよ。ちなみに、たまたまだけどぼくは黒いスーツ着てた。
翌日デルロワズ公領行きの馬車の中でブラウネさんに言われました。
「陛下、夏になったら高地に避暑に参りましょう」
高原の避暑地として有名らしい。
行かない選択肢はあるんだろうか。
無いよ。皆無。
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