王の委任

 委任と委譲。

 似たような言葉だけど、根本的に意味が違う。

 この二つのどちらを取るかですごく揉めたんだ。ぼくとしては全権を譲り渡す「委譲」でよかった。でも、皆はあくまでぼくが全権を保持した上でそれを臣下にゆだねる「委任」の形を求めた。

 委譲とはつまりぼくの退位、ルロワ朝の終わりを意味するからだ。それはあまりにも大きな変化だ。


 ぼくは一通りの利害関係者と内閣制について話をしてきた。

 全権の委譲ならいざ知らず、委任であれば、それは”大がかりな人事異動”といった認識で、特に大きな反対に出会うこともなかった。確かに表面的には現状と大差ないからね。

 今の段階でもサンテネリの政治的決定にぼくが口を挟むことは稀だ。自分の意見を述べることもあるけど、その多くはよくよく考えたら見当外れということで却下されている。おもにぼくとぼくの閣僚達によって。

 だから重要なポイントはこれまで中央政治から排除されてきた、あるいは自ら望んで遠ざかってきた外様の諸侯達が本格的に参画する点のみ。


 それでいけると思ったんだ。でも、ぼくの提案に強く反対した人物が二人いる。

 一人は家宰フロイスブル侯爵。

 これは当然だよね。彼は事実上のサンテネリ王国宰相だけど、正式にはルロワ王家の家宰なんだ。マルセルさん自身やフロイスブル家の権力が弱まることよりも、外様諸侯の参入に反対の立場。それはつまりルロワ家の権威低下を意味するからだ。

 彼とは本当に長く、年単位で討論を続けたよ。


 で、もう一人がアキアヌ大公だった。




 ◆




 ぼくが彼に構想を打ち明けた時期は結構早い。暗殺未遂に関する諸々が落ちついて旧城の転用を決めた頃かな。

 ピエルさんは旧市街の開発に積極的だったからね。折角の機会、一度話をしようと旧城に呼んだんだ。彼もルロワの一族、自分のルーツとなる場所が負傷兵宿舎に変わるとなれば色々思うところもあるかもしれない。だから形だけでも話を通しておきたかった。


 旧城の大食堂で昼食を取りながら、ということにした。

 あの薄暗い石造りの広間は本当に雰囲気出るね。

 使われていないとはいえ王城、ちゃんと手入れがなされているはずなのに何となくかび臭い。ジメッとしているというか。

 ルロワの一族はここで何百年も生活してきたのかと思うと感慨深い。


 巨大な木製のダイニングテーブルはどことなく素朴な感じがする。豪華絢爛な光の宮殿とは全く違う、土の匂いがする。


 ぼくとピエルさんは対面し、軽食を食べて酒盛りを始めた。

 互いにこの後も仕事があるんだけど、まぁ飲もうか。そんな感じ。基本ピエルさんと会うときは飲んでるので、妙な飲み友達感すら出てきた。


 ちょっとだけ酔いが回ってきた頃合いでぼくは聞いてみた。


「ピエル殿に一度お聞きしたいことがあった」

「なんだろう、グロワス殿。私に何でも聞いていただきたいな。旧市街は我が庭のようなものよ」


 彼は旧城への感傷を特に持っていなかった。負傷兵宿舎への転用も特に問題視しない。まあ彼が何を言っても決定が覆るわけではないからね。

 問題視どころか、むしろ乗り気なんだ。一口かませてくれときた。そうだよね。ここに大量の兵士が住んで、年金ももらうことになる。ということは彼らは消費者になるんだから、商売をやるにはもってこいだ。

 そんなわけで微妙にご機嫌なピエルさんだった。


「ピエル殿は”王の器”というものが存在すると思われるか?」

「それは存在するでしょうな。人には分というものがある。正教流に言えば”物語”というやつだ」

「では、私は”王の器”を備えているだろうか」


 一瞬で真顔になったよね。ピエルさん。

 急に周囲を見渡し何かを確認しはじめる。


「——陛下、私は謀反人ですかな?」


 そして落ち着き払って言った。この人度胸あるよ。


「ピエル殿、そのような意味ではない。兵を潜ませてもいない。あなたを逮捕した後に起こるであろう大混乱を収める能力も持ち合わせていない。近衛も手放してしまった。だから単純に、あなたから見た私の評を聞きたいのです」


 彼は杯を静かに置いてぼくの顔をじっと見つめる。大きく息を吸い込み、そして吐く。


「陛下は”王の器”にはないと私は見る」

「理由は?」

「兵を潜ませなかったから。——もしそこの物陰に潜ませていて、私の答え次第で逮捕する心づもりであれば、あなたには”王の器”があると見ますな」


 明確な政敵なんだけど、ぼくはアキアヌさんのことが嫌いではない。とてもいい答えだよね。本音を言い、かつ逮捕されても抗弁できる筋を作ってくる。咄嗟の発想としてこれ以上はない。


「では、私は間違いなく”王の器”ではないようです。——ピエル殿ご自身はどうです」

「今日の陛下は手厳しい。最近なにか嫌なことでもおありか?」


 苦笑しながらピエルさんは置いた杯を再び取り、葡萄酒を飲み干した。


「純粋に知りたかったのですよ。こんな質問一つするにも相手に命の危機を感じさせてしまうような、そんな立場をあなたが望まれるかどうか」

「ではお答えしよう! 他ならぬグロワス殿のご質問だ。私は王位など望まぬ。何の楽しみがありますか。王は何でも出来るがその実何もできない。窮屈な立場でしょう」

「これは意外なお答えだ。腹を括りさえすれば王はなんでもできますよ。アキアヌ公国を滅ぼす覚悟を持てば、あなたを処刑することとて出来る。民衆は反発するでしょうが、それも弾圧すればよい」

「グロワス陛下、あなたも分かっておられるはずだ。先王陛下の御代ならいざしらず、現在のサンテネリ王国において、それは覚悟ではないだろう。国を滅ぼす暗愚にすぎない。自分の身体を切り刻み、それに耐える体力はもうこの国にはない。——分かっておられますな?」


 ぼくは幸せ者だと思う。忠義から言いづらいことを言ってくれる家宰さんがいて、なぜだか分からないけど言いづらいことを言ってくれる親類がいる。


「私は最近一つ考えることがあるのです。先ほどあなたが言われたように、私には”王の器”はない。だから、この国の舵取りを他者に任せたい、と」

「お止しになるが良い。ルロワ家自体が御身の敵に回る」

「ああ、譲位ではないのです。私はこの位を手放せない。だから実権をお渡ししたい。あなただけにではない。私よりも優秀なすべての者に」

「アングランのごとく?」

「その通り」


 額に滲んだ汗を袖で拭い、彼は答えた。


「陛下は私が予想するよりもずっと”王の器”にないようだ。はるかに悪い。サンテネリの王はこの国の柱。皆王の下に生きている。その意味を噛みしめられよ。ご存じの通り私はアキアヌ公を名乗るが、血はルロワのもの。その私に実権を渡すとなれば必然的に王朝の交代に繋がる。私はあなたを逮捕し処刑するかもしれない。——サンテネリの王は唯一の柱なのです。それを切り倒せば建物は崩れ落ちる。一度王を弑すれば、次の王もまた弑逆されます」

「だから制度化したい。王の権限をされる組織が制度として存在すれば問題ない。アングランの内閣のような」

「なるほど。私を掣肘する第三者を交えて、ですな。摂政のような形でない分、ましではある。ただ、一つ陛下にお聞きしたい。その立場をお引き受けしたとして、私になんの利点があります」


 ここは正念場だったね。言いたいことをぶちまけた。


「アキアヌ公領を富ませ、”民の護り手”と讃えられて田舎の明主として生涯を終えるか、サンテネリをまさにその手で動かすか。後者は危険な道だ。破綻寸前の国など誰も背負いたくあるまい。あなたもそうか?」

「当然ですな」

「だとすれば、アキアヌ公は私が予想するよりもずっと”王の器”にないようだ。はるかに悪い。あなたは先ほど長広舌を振るって私に王の意味を説いた。言い訳としては素晴らしい。だが、本当のところは責任を負えぬだけだ。その重荷を背負えぬものが、現在背負うものに向けて王の意味を説く。お笑いぐさだな」


 シンプルに、おまえ自信がないのか、と挑発した。

 でも、ピエルさんにずっと感じていた苛立ちを吐き出したというのが本当のところだった。彼は市井の者ではなく、王に最も近く、最も力を持ち、最も富裕な存在だ。それが野党気取りなのが気に食わない。


「あなたは色々な手を使って絶えず私を批判してきた。それが私に取って代わりたい、暗愚なグロワス13世を引きずり下ろして自分が政治を担いたいが故であれば、私はそれを素晴らしいと思う。だが、あなたはその機会を提供した私に言う。”自分に何の利点がある”と。ではあなたはなぜ私を批判し続けるのか。民を煽るのか。ただの気晴らしか?」


 もう二人とも酒なんか完全に抜けていたね。無言でにらみ合ってた。お酒を注いでくれる給仕の人たちも不穏な空気を察して近づいて来ない。

 やがてピエルさんが折れた。大きく息を吐き両手のひらをテーブルに載せて力を込め、上体を大きく反らす。


「なるほど。理解しました。陛下はそのようにお考えか。——即答は出来かねます。少し考える時間を戴きたい」

「もちろん。じっくり考えてみて欲しい。まだ先の話です」

「——では飲みましょう! 仰せの通り、まだ時間はあるのだから」


 話は終わりとばかりにピエルさんが空の杯を掲げると、素早く給仕さんが寄ってくる。ぼくのところにも。

 この切り替えの早さはありがたい。

 有能な経営者って瞬時に自分の気持ちを切り替える能力持ってるよね。日本でも見たことあるけど、あれは本当にすごい技だと思う。ぼくはもう一週間くらい引きずるからね。

 ピエルさんは間違いなく”王の器”だ。そう思った。

 でも、多分最後の最後まで油断できない。気持ちの切り替えが早い分、豹変するのも早いからね。

 他人をそう形容するのは憚られるけど、こういう経営者の皆さんって大体サイコパスっぽいんだ。




 ◆




 ピエルさんとは別の意味で緊張したのは、ブラウネさんとメアリさんにこの話をしたときだった。

 彼女たちが実権を持ったサンテネリ王の側妃であることを望むのであれば、恐らくぼくはその期待に応えられそうにない。別れを切り出されても仕方がないことだ。


 本音では離れるのが嫌だった。

 ぼくをギリギリのところで生かしてくれたのは紛れもなく彼女たちで、その存在をぼくはとても好ましく思っている。だけど条件が変わった以上、それを伝えないのは卑怯だ。

 実権を持とうが持つまいがあなたはあなた。そんな台詞が通用しないことは分かっている。王であることはぼくの存在と分かちがたく結びついている。王でないあなたという仮定自体が本来なら成り立たないし、彼女たちも予想しないだろう。だからといってそれを不実とは全く思わない。

 よくドラマとかで金や地位目当ての結婚が批判的に描かれてるけど、実際それの何が悪いのかぼくには分からない。だって金を稼げることはその男の人の能力だったり生まれだったり、何らかの美点の結果なわけだから。顔が好みとか身長が高い方がいいとか、そういうのと大して変わりがない。

 ちなみに、周りの社長仲間を見ていると、金を目当てにした結婚ってなかなかない。やっぱりなんだかんだ女の人もほだされてる。だから商売が上手くいかなくなっても、金の切れ目が縁の切れ目になることは意外と少ない。


 ぼくもそれに賭けてみた。


 ブラウネさんはあっさりしてたね。

 あなたはあなたでしょう、みたいな。

 でも、それほどロマンチックな話でもなくて、王ではあり続けるのだろうという確認も含まれているっぽい。流石に一庶民になりますとかだったら話は違ってたはず。彼女がよくてもフロイスブル家が許さない。


でいらっしゃる限り、ブラウネは変わらずお側におります」


 ”陛下”でいることがしっかり前提になってる。基本ほんわかしているのに、時折鋭い言い回しをしてくる彼女への愛おしさがすごい。だから、ぼくは少し意地悪をしたくなった。


「しかしブラウネ殿、ひょっとしたら歳費を内閣に制限されて、今のような贅沢な生活はできなくなってしまうかもしれないぞ」


 別に今現在それほど贅を極めた生活をしているわけではないんだけどね。もちろん地位相応の暮らしぶりだけど、それ以上でもそれ以下でもない。

 ちなみにここだけの話、ブラウネさんはキッチリ将来設計して貯金とかするタイプだと思ってる。ぼくのお小遣いは三万円で、後は住宅ローンの繰り上げ支払いと子どもの学費のために貯金される未来が見える。時計を買うとか、そんな舐めた真似は許されない予感がある。


「それは大変。陛下のお世話をする人が減ってしまいますね。——でもかえって幸い。ブラウネはその大判布カルールを締めて差し上げたくてうずうずしておりましたから、仕事を頂けてむしろ嬉しいくらいです」


 まぁ彼女も分かって冗談で返してくれた。

 ただ、大判布は本気で締めたそうな感じを受ける。義理のお母さんフェリシアさんが元侍女ということもあって、稀にマルセルさんの大判布カルールを締めてあげてるらしい。彼女にとってその姿が身近な幸せの証なのかな。



 で、メアリさんはちょっと面倒だった。

 遠回しな「おまえはいらない」宣言と受け取られたっぽいね。でもぼくはもはや彼女のアレな早合点を見抜くエキスパートなので、これは不味いとすぐ察した。


「メアリ殿はまた勘違いしている。私はあなたに居て欲しいと思っている。だがそれは私の望みだ。メアリ殿の望みも聞かなければ卑怯だと思ったのだ」


 ぼくの言葉に彼女は一瞬きょとんと目を丸くする。一瞬の間を置いて、ほんの少しだけ、薄い唇に笑みを浮かべた。


「陛下は近衛軍を手放されたのですから、もとより私には政治的価値などありません。——ですから私は今、陛下をお助けしたい一心でここにいます。すでにお助けしていますので、三度目もきっと私が必要になります」


 暗殺未遂事件の後、彼女がぼくの胸で眠ってしまったとき、ぼくは確かに独り言を言った。それをしっかり聞かれていたらしい。ちょっと恥ずかしいね。


「聞いていたのか。てっきり眠りにつかれたと思っていた…」

「もし眠ってしまっていたら、目を覚ましたあと、きっと私は再び自分を責めて、最後には死を選んだでしょう。あのお言葉を戴いたからこそ、今私は生きています」


 かなり甘い場面だと思うんだけど、メアリさんいつものようにキリッとしてる。でもさり気なくぼくの手のひらを撫でてる。縫い跡がしっかり残った手のひらを。

 ちなみに結構くすぐったい。



 最後はね、ゾフィさん。


 彼女の話は結構長いよ。

 何せ一緒に行ったからね、ガイユール公領まで。

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