王と戦争
ぼくは戦争について何も知らない。
知っているのは戦国時代の有名な戦いや日清、日露戦争。第一次世界大戦、第二次世界大戦。それも大体年号くらいしか覚えていない。後は、映画やドキュメンタリーで見た兵士突撃の映像とか。
まぁそんなもの。
そんなぼくが「はい」と国から手渡されたのがサンテネリ国軍の交戦決定権と全面的な指揮権なわけだ。正気の沙汰ではない。
では、今から勉強するべきかといえばそれも無駄だろう。現代日本の感覚から乖離しすぎている。
まずね、軍の中心単位が連隊とかいうもので、それは要するに連隊長が自分のところの領民やら放浪する人々やらを集めてくるんだよね。国はその連隊長に金を渡し、連隊長がその金を使って兵士に給料を支払う。で、ここからがもうアレなんだけど、その金の結構な部分が連隊長の懐に消える。横領なんて日本でも普通にあったけど、あくまで「例外」だった。ここサンテネリにおいては横領が基本。だから、それを防ぐための監察官がいる。そして監察官自体を統括する組織がある。導入されたのがグロワス11世の代らしい。
あ、その監察官達もカジュアルに買収されます。でもないよりはマシ。
監察制度は建前上サンテネリ全土に及んでいるけれど、まぁ、いわゆる「国の中の国」においてはあまり効果を発揮しない。
横領はさておき、連隊の構造を見てみよう。一行で終わるよ。
連隊長がいて士官がいて下士官がいて兵がいる。
以上。
中佐とか少尉とか軍曹とか、そういうのはない。連隊長とその部下の一団が貴族。下士官と兵が平民。下士官は職業として兵士を選んだ人々で、彼らが実働の要になってる。兵を訓練するのも基本彼らの役割。じゃあ士官は何をしてるかといえば、突撃の先頭に立ってる。弾が飛んでくる中先陣を切って突っ込むのが彼らの役割なんだ。
あ、後で話すけど、そもそも弾が飛んでくる状況自体がほぼないので、普段はひたすら偉そうにしているだけの模様。
さて、そんな連隊の集合体が軍なんだけど、そこの上下関係も結構緩い。連隊長同士の上下構造が曖昧。そもそも細かい階級がない。だから基本は爵位で定まる。昔ならそれで何とかなったんだろう。領地の規模や権威と爵位がある程度一致していたからね。でも今は結構ズレてる。だから命令がしっかり行き渡らない。
大きな方向性を決めたら、そこからは皆さん独立心旺盛に戦われる。第二次大戦の映画で見たようなかっこいい作戦計画とか無理です。やれるのは「とりあえずあそこの砦を落としましょう」の繰り返し。
この状況を理解してぼくは結構驚いた。よくそれで戦争できるな、って。
ただね、相手も変わらないんだ。サンテネリだけがアレなんじゃなくて、大陸全体がアレ。そもそも実際の戦闘をやるのを嫌がるからね、各部隊が。だって自分のところの兵士が死ぬと損でしょ。
だから遠くから砦を囲んで大砲を撃つ。控えめに。撃つ量が少なければその分連隊長の懐が潤うから。100発撃ったことにして実際は50発。残り50発は横流しして換金。国には100発の補充を要求、みたいな。
で、頃合いを見計らって砦が明け渡される。そして進軍。これを延々繰り返していく。
なんかしょぼいな。そう思ってた。だって比較対象が世界大戦とかだから。
でも実際はしょぼくない。大砲撃たれたら砦は壊れるし人も死ぬ。壊れたら治さなきゃいけない。擦り傷から滲んだ血がずっと止まらない状態に近い。
この出血がそろそろ不味いと双方感じ出すと講和。
でね、こういうパターンが大半なんだけど、時々軍同士が本気モードでぶつかる瞬間もある。会戦ね。統制はほぼ取れないので、陣形を自在に操って戦うとか無理です。
銃剣を持った一団がいて、大砲の一団がいて、騎兵の一団がいる。それぞれその場の空気で「おっ、いけるな」と思ったら大砲撃ったり突っ込んだりを繰り返す感じらしい。
いや、もちろんそれなりの軍事理論はあるんだけど、実態となるとそんな感じ。
ただ、そんな中でも規律を維持してある程度複雑な行動を組織的に取れるグループがある。例えば
近衛軍も同じだね。ルロワ家の中核領から抽出された兵とバロワ家の将校達が束ねる。どちらも何百年も親から子へ続く将校集団があって、兵達もある程度の目的意識を持って参集している。
中核部隊が相手に衝撃を与え、他のアレな集団がその場のノリで突っ込んでいく。
こう言うと中核部隊以外は不必要に思えるかもしれないけど、サンテネリが先々代、先代と大陸を荒らし回れたのはまさに中核部隊「以外」の分厚さなんだ。
結局兵士の数が最終的にはものを言う。相手が例え戦争の天才であっても、手駒として使えるのはうちと大差ない軍隊なわけで、その才能を完全に発揮することはできない。最後は数で押し切る。
あと、もう一つ要素があるね。
戦場における王の存在。これ。
簡単に言えば、王がいると連隊長達の規律がしっかりするんだ。王なので。
普段ならば「おれはそこを攻めない」「私はここを攻めたい」みたいに司令官の命令に平然と反抗する彼らも、流石に王の指示には従うしかない。いや、これは正確じゃないな。
厳密には「面子が立つ」。
同格の諸侯である司令官の命令に従うのは風下に立つようでしゃくに障るけど、王の命令に従うことは恥ではない。むしろ忠義の発露、貴族の誇りになる。
そんなわけで、軍全体として少しだけましな運動が可能になる。
でも、基本、大国の王は戦場に行きません。うちも帝国も親征なんてまずやらない。あるとしたら「皇国の興廃この一戦にアリ」みたいな状況かな。起こらないでしょ。
だから、逆に言えばプロザンみたいな小国が妙に強かったりする。あそこは名目じゃなくて実質的な総司令官が王で、かつ国土の小ささから配下諸侯の統制も効きやすい。うちで言えばデルロワズ公領とガイユール公領が合体して一つの国になったようなものだから。
若いグロワスくんが憧れるのも分かる。男たる者精鋭部隊を配下に揃えて戦場で鮮やかな包囲殲滅を決めたいよね。分かる。
あ、包囲殲滅は比喩です。大陸の戦いでそんなことが出来た試しはほぼ無いです。
これ以外の要素としては傭兵がいるね。傭兵はプロ軍隊。レムル半島の小王国とか帝国内の半独立諸侯とかがやってる。帝国の一部なのにサンテネリに雇われてエストビルグと戦ったりとか普通にある。
どういう使い方かといえばシンプルに、遠方で敵と戦いたいとき。うちからエストビルグ近辺まで行こうとしたらすごい距離だからね。補給は続かないし脱走兵は出まくるし、効率が非常によろしくない。だったら例えばエストビルグ南部と接するレムル半島の傭兵を雇って戦ってもらった方が結果的に安く付く。とはいえお金は死ぬほどかかります。彼らの武器弾薬糧食その他必要経費に加えて報酬も上乗せするわけなので。
あれだね、直接雇用と派遣使用の違いみたいな。メリットもデメリットも大して変わらない。メリットは遠方での戦闘が可能なことと永続雇用の必要がないこと。デメリットは単純に「高い」。
実はメリットの後半、永続雇用の必要がないって結構大切だったりする。国内に大量の武装集団が常在してるのって実はかなり怖いことなんだ。これは現代日本の感覚と大きく違うところかもしれない。
デルロワズ軍や近衛軍のように統制が取れていて社会からも尊敬を勝ち得る集団ならいいんだけど、残念ながらサンテネリ軍の大半は社会の鼻つまみ者、落伍者、犯罪者の集まりと見なされている。真っ当な市民は関わりたがらない。社会からそういう扱いを受けている集団が武装している状態だよ。
では市民たちが悪いのかといえばそうともいえない。だってカジュアルに自国内で略奪とかするからね、彼ら。じゃあ軍が悪いのかといえばそうでもない。略奪しないと食えないから仕方なくやってるんだ。
結局のところ最終的に悪いのは国だね。国が兵を直接雇用してまともな待遇を保証することができれば、連隊長という名の諸侯に丸投げしなければ済む。でも、それを実行すると待っているのは破産しかない。破産を避けるためには? 直接雇用によって必要なくなった人たち、ようするに諸侯達からしっかりと経費を取る。
ならそうすればいいのに。ぼくもそう思った。
でもさ、諸侯は中抜きするけど、先陣を切って敵に突っ込んでいくのも彼らなんだよね。あの人達、会戦になるとちょっと人格が変わるんだ。「名誉と栄光」を求めて命知らずになる。
砦攻めてるときは中抜きのことしか考えてないのに。
◆
で、このような状況において、ぼくは
ぼくが即位する三年程前の出来事。
エストビルグ家のゲルギュ5世が側妃の子であることを口実に、フライシュ3世が突如ゲルギュ5世の帝位正統性に疑義を示した。もう即位してそこそこ経ったところにこれだから、本当にただの言いがかりでしかない。
正統性承認と引き換えにプロザンとエストビルグの中間にあるシュバル公領の併合を求めてのこと。プロザン国土の真ん中辺りにいい感じでシュバル公領が食い込んでるから、プロザンは半飛び地状態で東西に分かれてしまってる。それを解消したかったんだろう。
もちろんエストビルグは拒否。フライシュ3世も受け入れられるなんて全く思ってなかっただろう。あまりにも無理筋だから。
で、プロザンはシュバル公領に進軍、即座に軍事占領した。エストビルグも軍を出したけど会戦で大敗を喫して今に至る。もちろん旧シュバル公領は係争中です。具体的には小競り合いがずっと続いてます。
この状況は要するに、サンテネリがプロザンに好意的な中立を保ってきたが故なんだ。エストビルグが本気でプロザンとやりあえば、いかにフライシュ3世が戦巧者といえども厳しい。国力が違いすぎる。
では、なぜエストビルグは動けないか。
大軍を動員すれば、帝国大嫌いな我が国がエストビルグのがら空きになった脇腹を滅多刺しにするから。
それが、サンテネリとエストビルグの間に事実上の同盟が成立して状況は大きく変わった。
お嫁さんをもらっておいて義父の国の脇腹は刺せない。むしろエストビルグとサンテネリが双方からプロザンを攻める形になる。
フライシュ3世も馬鹿じゃないから当然両国接近の危険性は理解している。ただ、サンテネリとエストビルグは長年の敵同士だから手を握る可能性はそこまで高くはないだろうと予想していた模様。でも一応対策は打っておこうと次代の
王太子がフライシュ王ファンになるのも納得出来る。戦の天才と名高いフライシュさんに「ともに手を携えて大陸の新秩序を打ち立てましょう」みたいなこと言われたらさ、くらっと来るでしょ。
だからフライシュさんには申し訳ないことをしたね。
いきなり中身がぼくになったので。
まぁ、アナリゼさんとの婚姻を決めたときに参戦自体は織り込み済みなんだけどね。問題はどこまでやるか。それに尽きる。
うちとしてはできる限り小規模にやりたい。エストビルグはできる限り引きずり込みたい。
仮にエストビルグの要望に応えるなら、働き相応の分け前が欲しい。例えばサンテネリと東部国境を接する帝国諸侯シュトゥビルグ王国における我が国の優越、あるいは応分の併合。
で、向こうは最小限の分け前で済ませたい。
叶うなら「
◆
「外務卿殿、先方の大使殿のご様子はいかがであった」
定例閣議を終えたぼくは執務室に外務卿さんを招いている。先日バダン宮中伯より外務卿さんを通じて対プロザン戦の正式な打診があったところ。
我が国の外務卿ベルノー・エネ・エン・トゥルームさんの家領はサンテネリ南西部、アキアヌ家領の南部に位置する。元はアキアヌ公家を牽制する軍伯として封建された譜代の家だ。数代前に伯爵から一つ登り侯爵となった。
外見も雰囲気も、バダン宮中伯と同じく「職場にいそうなおじさん」。
垢抜けないおじさん。いつも微妙にサイズが大きいスーツを着てる感じ。仕事ぶりは真面目で基本的にお堅い。冗談を言ったりもしない。ただ、部下の面倒見はそこそこいい。仕事と家庭にしか興味がない雰囲気が大人としての安心感みたいなものを感じさせる。
同じ真面目なおじさんでも
でも実際は超優秀で、実は女好きだったりする。
「バダン伯とは旧知の仲ですので、特に気負ったところもなく」
「私の前ではわざとらしくはしゃいでくれたが」
「帝国外ゆえに気を抜いているのでしょう」
七三に分けたグレーの髪を整え直す仕草が彼の癖かもしれない。サンテネリに眼鏡が普及していれば、きっと眼鏡も直したんだろうな。
「外務卿殿がエストビルグ大使の職を離れられてからもう結構経つかな」
「先王陛下の時分ですので、大分前のことです」
「その頃バダン伯と知り合われたか。ベルノー殿は彼をどう見る?」
「とても有能な方です。そして常識を重んじます」
常識。そこがちょっとよく分からない。ぼくの不思議そうな表情を読み取って外務卿さんは言葉を付け足してくれた。
「つまり、定まった土台の上で物事を動かそうとする方といいましょうか。皆が思う常識の範囲内で、皆が納得出来る解決策を導き出す方です」
「それは誰しもが同じでは?」
「いいえ、ごく稀に土台自体をひっくり返そうとされる方もいらっしゃいますので」
ぼく自身のことを言っているんだと分かる。こういう台詞って少しニヒルな笑みを浮かべながら吐くものじゃないかな。外務卿さん真顔だからね。
「私のことかな」
「はい。左様でございます」
「普段はいざ知らず、今回の件については認めよう」
ぼくは今回、プロザンへの積極的関与を選択しない。
お付き合いで軍を出しはするが、プロザン国境を軽く侵す程度。エストビルグがプロザンの勢いをくじくのを軽く援助はする。だが主体にはならない。プロザンが弱りすぎるのも困るからだ。出来ることなら永遠にエストビルグと争い続けて欲しい。
エストビルグが勝ちすぎた場合、アングランが介入するだろう。そうなればサンテネリもむしろそちらに乗る心積もりだ。
「エストビルグと上手く折り合いを付けるのは骨が折れそうです」
「先方の姫を娶っておいて、厚顔無恥にも働かぬ婿だ。先方もお怒りになるだろう。しかし仕方ないな。私は実権を失うのだから」
そう。あと数ヶ月でぼくは念願の置物になる。
アキアヌ大公を首班に、ガイユール大公もデルロワズ公も揃った正式な内閣が発足する。そしてぼくは国王大権を内閣に委任する。
ぼくは先祖伝来のサンテネリ王国を諸大公、そして諸侯に奪い取られてしまった正真正銘の暗君になる。
「国の中の国」を破壊吸収することはすぐには不可能だ。ならば彼らにサンテネリの主になってもらえばよい。サンテネリ王国はもう巨大なルロワ家領ではなくなる。彼らが自ら舵取りをする「自分たちの国」になる。
ぼくはアナリゼさんの夫として、ルロワ家の主としては義理の実家を助けてあげたい! でも残念なことにサンテネリはルロワ家領ではなくなるので、それは出来ないんだ! 残念なことに。
文句は内閣にどうぞ。
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