王と正妃と波紋

 小柄で細い、しかし強い目をしている。

 深紫の衣裳を纏った目の前の女性は、どうみても包容力系ではない。でも、締めるところは締めつつも話は聞いてくれそうな雰囲気がある。こういうタイプ、なんといえばいいんだろうか。まともな社会人? 


「これはフロイスブル侯爵夫人。朝からご足労いただき感謝する。家宰殿からお話しは?」

「伝え聞いております。正妃様の女官長とは、身に余る光栄に存じますわ」


 笑顔を見せて快活に返事をしてくれる。ありがたいね。

 フェリシアさんの横に立つ家宰だんなさんはいつもより少しだけ小さくなってる。まぁ分かるよ。夫婦同じ職場って微妙に嫌だよね。でも、軌道に乗るまでは何とか我慢して欲しい。


「フェリシア殿の良妻賢母ぶりはご息女よりよく聞いている。私の心を知り日々助けてくれるブラウネ殿を見ているのでね。彼女が尊敬して止まぬフェリシア殿であれば何とかしてくれるのではないかと藁にもすがる思いで無理を言った」

「陛下にいただいたそのお言葉、私の生涯の誇りといたしとう存じます。そしてどうぞブラウネもよろしくお願いいたしますね」


 王の前で堂々と語るその姿は彼女の体躯を何倍にも大きく見せた。


「もちろんだ。アナリゼ殿の件が落ち着き次第、できる限り早く側妃として迎え入れたい」

「では、アナリゼ様とブラウネにも仲良くなってもらわねばなりませんね。正妃と側妃の仲はとても重要ですから」


 フェリシアさんが家宰さんの正妃付き侍女であったことはブラウネさんから聞いた。二人の妻の仲が良好であったであろうこともその様子を見れば分かる。ブラウネさんにとってフェリシアさんは継母にあたるんだけど、隔意は全く感じられない。ときに母に向けたちょっとした愚痴がもれるのも距離が近い証だろう。つまり、フェリシアさんは正妃の娘を実の娘として育て上げたということ。実の母である正妃と仲が悪ければまず無理だろう。


「家宰殿は私のお守もり、フェリシア殿は正妃のお守もりと、ルロワの家はフロイスブル家に頼りきりだ。なぁ家宰殿」

「とんでもないことでございます。それに、陛下のお世話はブラウネがいたしますので、私はお役御免となりましょう」


 そう。マルセルさんには家宰の座を退いて貰うことが決定している。政権の構造を大きく変える。1年掛けて彼と計画を練ってきた。

 アナリゼさん問題が落ち着き次第、つまり今年の冬には新体制を発足させることになるだろう。


「ではフェリシア殿、我が正妃アナリゼ側妃ブラウネのこと、お頼み申し上げる」

「全霊をもちまして。陛下」




 ◆




「フロイスブル侯爵令嬢殿、バロワ伯爵令嬢殿、こちらへ


 結婚式の翌日、光の宮殿パール・ルミエでささやかな宴を催した。

 国を挙げてのパーティをやらないことは帝国側にも伝達済みだけど、歓迎会の一つくらいは催さなければ流石に格好が付かない。主立ったサンテネリ貴族と各国大使を招き、お披露目会のような形で非公式の祝宴を開いたんだ。

 ぼくがアナリゼさんを紹介し、軽く今後の抱負を述べて後はフリートーク。各貴族家に婚姻外交の場を提供する意図もあった。


 ぼくはひっきりなしに訪れるご機嫌伺いのお客さんをさばくので精一杯。アナリゼさんに付いていることもできない。だから彼女の方には就任ほやほやの正妃女官長に付いてもらい、貴婦人方の挨拶を受けさせた。


 一通りの面通しが済んだとき、アナリゼさんの声が、少し離れたところにいるぼくの耳にも飛び込んできた。

 彼女が特に大声を出したわけでもない。

 ただ、幸か不幸か硬い声質と若干の帝国訛りも相まって、その涼やかな台詞が賑やかな会場を見事に貫き通した。


 一瞬にして場内が静まりかえる。


 ぼくもそこそこお酒が入っていたんだけど、一瞬で酔いが覚めたよね。

 これは不味い。


 二人がぼくの側妃となることはサンテネリではほぼ既定路線として受け取られている。たとえそうでなかったとしても、方や家宰の娘、方や近衛司令官の娘だ。いかに正妃といえど居丈高に命令を下せるような身分ではない。

 取りあえず、すぐにアナリゼさんの元に向かい何とか場をごまかさねばならない。


 この場には主要なサンテネリの貴族が勢揃いしている。

 ガイユール大公もアキアヌ大公もデルロワズ公も、それぞれ夫人を伴ってご臨席。上は大公から下は伯爵家まで、ガイユール有力者の集いだ。アナリゼさんはそんなお歴々の前で、サンテネリ有数の大家の娘を召し使いよろしく呼びつけたわけだ。


 ぼくは努めて感情を抑えた。いくら何でも限度というものがある。アナリゼさんにではない。彼女を教育した者たちに対する怒り。

 この会場のどこかにいるであろう帝国の大使を大声で呼びつけて、思いつく限りの語彙で罵倒してやりたいところだ。


 鬱屈した思いを努めて表に出さぬよう、いささかこわばった笑顔を貼り付けて歩みを進める瞬間、もう一条の声が会場に流れた。


「アナリゼ様、このような場合、”こちらへいらしてくださいませ”と仰った方がよろしゅうございますわ」


 フェリシア女官長だ。あえて周囲に聞かせるように声高に言葉を継ぐ。

 18歳の少女はきょとんとしている。


「そうなのですか? サンテネリ語の丁寧な依頼表現と学びましたが」

「ええ、左様です。アナリゼ様は我が国の言葉を立派にご習得なさっていらっしゃいます。ただ、ここサンテネリでは言葉の流行がいささか早うございます。重厚にして正統的な帝国のお言葉に比して、サンテネリのそれは洗練と軽妙を旨としますから」


 フェリシアさんは少女を励ますようににこやかに答えた。


「分かりました。では改めます。フロイスブル侯爵令嬢殿、バロワ伯爵令嬢殿、こちらに。一緒にお話しをいたしましょう?」


 少し緊張気味にそう述べたアナリゼさんの姿にぼくは胸をなで下ろす。

 サンテネリと異なり、帝国の作法では上位の者が下位の者に声をかけることは基本的にない。にもかかわらず、今回は彼女の方から動いた。そうするよう女官長がアドバイスして、アナリゼさんもおっかなびっくり初体験してみたのだろう。


 呼ばれた二人は隔意なく、にこやかに彼女に近づいていく。


「まぁ、正妃殿下。ご指名光栄でございますわ。是非お話しいたしましょう!」


 ブラウネさんが殊更に明るく答えた。続くメアリさんも大人の余裕を見せて、柔らかい表情で少女の元へ歩みを進める。


 これはまた…。

 ようするにあれだ。例えば英語でPleaseは依頼の丁寧語と習うけど、ネイティブの人が聞くと高圧的に聞こえる(らしい)のと同じパターンか。


 サンテネリ語は大陸の外交公用語としての地位を確立して久しい。

 帝国諸侯の中には宮廷の日用語としてサンテネリ語を使用するところも多いけど、さすがに総本山のエストビルグ王宮においては帝国語が使われているはずだ。アナリゼさんは恐らく幼い頃からサンテネリ語を学んでいる。だけど、彼女の母語はあくまで帝国語であって、サンテネリ語は第二言語に過ぎない。


「アナリゼ殿は偉大なるエストビルグの姫であられるにも関わらず、我が国に溶け込まれようと敢えてサンテネリの言葉を熱心に学んでこられた。我が国の文化を大切に思われるそのお心! そのような素晴らしい心根をお持ちの姫を妃に迎えられようとは、私は幸せ者だ!」


 そうと分かればフェリシアさんの危機管理アクションに全力で乗っかっていくのみ。ぼくは独り言の体をとりながら、明らかに周囲の貴族達に呼びかけた。


「陛下の仰せのとおり! かように我が国を愛してくださる正妃殿下をお迎えできるとは、なんと幸せなことでありましょう。我ら臣下一同感喜に堪えませぬ」


 呼応してくれたマルセルさん、ありがとう。夫婦の絶妙のファインプレーだね。


「これまでは帝国の華、そして今後はサンテネリの華となられるアナリゼ殿、我が正妃にしてサンテネリの王妃に杯を捧げよう!」


 ぼくは芝居がかって杯を掲げた。

 戸惑いながらも見よう見まねで杯を掲げるアナリゼさん。自分への乾杯に自分で杯を掲げるその姿は、ぼくの目には滑稽に映らない。とてもかわいらしいと思った。容姿よりも、その心情が。

 彼女もなんとかがんばってる。





 ◆





 そして翌日、ぼくは再び最悪の気分を存分に味わうこととなった。


 閣議前に内務卿さんが報告してくれたんだ。

 アナリゼさんを揶揄する新聞記事が少量ながら流布しているという。無記名なので新聞というより告発ビラに近い。


『昨夜光の宮殿において催された宴において、帝国の皇女アナリゼ姫は、我がサンテネリの誇るさる貴婦人方を、取るに足らぬ召使いに対するかのようにように呼びつけたのだ。”こちらに参れ”と。不躾にも誇りを踏みにじられた我らがサンテネリの貴婦人方は、しかし高貴と尊厳を失うことなく、笑顔でその命令に従われた。このような無法があろうか! この世の中心サンテネリで最も尊敬を集め、洗練と美を極めたご婦人方——消息筋に依ればそれはさる侯爵家と伯爵家のご令嬢だという——が”東の田舎娘”にあなどられるなど!』


 内務卿さんが手渡してくれた原本を眺めながら、内心ため息をつく。


「クレメンス殿、これはアキアヌ公か?」

「いえ、我々が把握する限り、大公の息のかかった者ではありません。動向は監視しておりますので」

「そうか。ではどこだ。少なくとも昨夜の宴に参加したものの差し金だ。推測はつくかな」

「恐らくアングランでしょう。確たる証拠は掴めておりませんが、利害を考えればかの国を措いて他には考えられません」


 まぁそうだろう。うちと帝国の紐帯を嫌うのはアングランとプロザン。帝国の中小諸侯の中にも相応の動機をもつところはあるだろうけど、こういう絡め手に及ぶには至らない。プロザンも候補ではあるが、あそこはこういう小技があまり得意ではない。


「もう対策はお済みかな?」

「はい。昨夜の”ちょっとした誤解”とともに、かねてより正妃殿下が”我が国の洗練された文化に強い憧れを抱かれ”ており、サンテネリ語を熱心に学習されてきた旨を賛美する記事を書かせました。夕方には配布させます。同時に各所で噂を広めさせます」

「素晴らしい。だが少し足りないな。今後は母后様にもご登場願おう」


 今回は恐らく何とかなる。だけど、これからも似たような工作はしつこく続くだろう。抑えていくためにはある程度長期のキャンペーンが必要となる。


「母后殿下に」

「飾らずに答えて欲しい。母后様の世評はどうだ」

「誓って申し上げますが、母后殿下は国母として尊崇を集めていらっしゃいます。正教の信仰篤きお姿、民を案じ喜捨をなさるお姿は強い印象を民衆に残しております。先王陛下への御批判を耳にすることはあれど、母后殿下に対する批判の報告を聞いたことはありません」


 内務卿さん、いいよね。”先王陛下への批判”とかしっかり言ってくれるところが特に信用できる。彼が怪しいとなると本当に困るから。

 ただ、それはそれとして情報のソースを複数確保しておく必要はあるね。こういう機会は今後も増えるだろうから。


「であれば、母后様がアナリゼ殿を”実の娘のように”可愛がってくだされば、民に良い印象を植え付けることができそうだ」

「左様です。——しかし母后殿下はご承知くださいますか。帝国の妃殿下を快くは思っていらっしゃらないかと。」

「母后様はああ見えて、しっかりと政治を理解されている。心配はいらないよ。——それに、アナリゼ殿自身を気に入ってくださる可能性も十分ある」


 マリエンヌさんはプロ正妃だからね。息子の苦境を助けてくれるはず。そう読んでるんだけど、大丈夫だよね…。

 まぁ表向き上手くやってくれればそれ以上は望まない。


「問題はアングランだ。釘を刺しておく必要がある」

「大使を召還なさいますか?」

「いや、外務卿殿にお任せしよう」


 ぼくが出て行って恫喝するには証拠が足りない。公式に騒ぎ立てれば足下をすくわれる可能性がある。


「私はまだ22の若者だ。恋い焦がれた新妻を悪し様に罵られ怒り狂っている。このような卑劣な嘘をまき散らす輩は記者のみならず、誰かは知らぬがも決して容赦しない。そう閣議で喚き散らしていたことにしよう」


 いっそ本当に今日の会議で騒いでみるか。その情報は数日内に宮中に広まるだろう。そして当然アングラン大使の元にも。

 でも、噂としてアングラン大使の耳に入るのでは効果が薄いかな。

「これ、君たちの仕業だと王はお考えだよ」と言外に、しかし確実に伝えるためには、敢えて外務卿が直接話をする方が効果的だろう。


「アングランは外務卿にお任せするとして、私は帝国の大使殿と少し話をしよう。アナリゼ殿のあの様子を見る限り、先方もうちと同じく一枚岩ではない可能性があるからね」

「それがよろしいかと存じます。今回着任されたバダン宮中伯はエストビルグ宮廷の大物です。なかなか一筋縄には行きますまいが…」


 エストビルグの宮中伯といえば政治における実務の要の一人。

 うちでいえばまさに目の前の内務卿さんのような立場の人だ。結婚式の二週間ほど前、アナリゼさんご一行がシュトロワに到着した折りに儀礼的な挨拶を交わしている。


 人の良さそうな五十代くらいのおじさんだったね。

 うちの内務卿さんがカミソリみたいな雰囲気なのとは正反対。会社にもいたよね。まったりした感じの、可もなく不可もなくなおじさん。

 で、ああいう人が意外と怖いんだ。エグいコネをもったコミュ力お化けだったり、ほんわかしているように見えて実は信奉者を多く抱える一大派閥のボスだったり。

 しんどい。

 そんな宮中伯さん。彼もまた昨日の出来事に頭を抱えているのか、それとも想定内のこととして我々の対応を観察しているのか。


「なんとか上手くやっていきたいものだ…」


 何もかも、なんとかしたいものだよ、本当に。

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