第1部「自由への道」 第2章 力への意志
王と正妃
ぼくは結婚式に出た経験が結構豊富な方だ。若い頃は新郎あるいは新婦の友人として。父の会社を継いでからは従業員の結婚式の主賓として。
スピーチを頼まれることもあった。前日から一言一句原稿を書いて何度も練習した。
場所も色々だ。
都内の有名ホテルだったり地元の結婚式場だったり。稀にだけど神前式もあったな。
懐かしい思い出。
20代の頃は漠然と、自分もこうやって結婚式を挙げるんだろうなと思っていた。ホテルのチャペルでそれっぽい誓いの儀式をやって、披露宴ではひな壇に座って。友人たちが出し物をやってくれて。二人のなれ初めムービーが流れたり。
そんなありふれた催し。
今ぼくはまさに、人生初の結婚式のただ中にいる。
自分の。
何の因果か全くの異世界で。
サンテネリ最大の威容を誇るイレン大聖堂、巨大な尖塔を備えた大伽藍の真ん中にいる。
幸いなことに7月の空は晴れ渡り、ぼくたちが立つ中央祭壇をスポットライトよろしく陽光が照らす。後ろに控える参列者たちは闇の中に沈み、壇に立つ三人だけが浮かび上がる。そうなるように設計された建物で、そうなるように時刻を設定したのだから当然だ。
ぼくは膝丈の白い貫頭衣とこれまた白い長ズボンを身につけ、腰元をルロワ家伝来の腰留で締め上げている。肩から首にかけて
そして腰留から剣を垂らし、頭には王冠。
隣の女の人は、くるぶしまで覆う純白の貫頭衣をぼくと同じくベルトで絞り、肩口から緩やかに黒い大判布を羽織っている。紋章は背中合わせに配置された二頭の獅子。剣を身につけてはいないが、ぼくのものよりも一回り小ぶりな金の冠を被っている。
彼女が獅子紋章の
大僧卿の短い説教を聞き、背の高い書見台に備え付けられた冊子に自分の名をサインする。
隣の女性も同じようにする。
終わると侍従長がその冊子を受け取り、臨席の貴族達に掲げる。
大僧卿が声を張り上げ宣言する。
「神はグロワス・エネ・エン・ルロワとアナリースを引き合わせ、結び合わせるべく、その物語を描かれた。神の御裾の元それは成就した。グロワス・エネ・エン・ルロワとアナリースの婚姻を、御名の下に宣言する」
正教は人の世を「神が描いた物語」であると定義する。現代風に言えば「運命」だろうか。その運命はこの世の初めから定まっているのだという。つまり、ぼくと隣の女の人は夫婦になるよう、天地開闢より定められていたわけだ。
とても甘美な思想だと思う。もし神が我々の結婚を意図していたのだとしたら、ぼくにはなんの責任もないのだから。
ただ、唾棄すべき発想にも思う。それはぼくの意思を無価値なものとしてしまう。横で何かに耐えるように口を真一文字に結んだ彼女の意思も。
ぼくは日本の結婚式の方が好きだ。規模も豪華さも今回の100分の1くらいかもしれないけれど、そこには確かに新郎新婦の意思があった。
——両性の合意のみに基づいてなされる結婚。
現実にはそうでない場合も多々あるけど、建前だけでもいいからそうありたい。
王冠の重みで今にもへしゃげそうな首を少し回して隣に立つ女性の顔を見た。彼女はぎこちない笑みを返す。去年見た肖像画と同じ鳶色の瞳がぼくと出会った。
脇からサンテネリの女官が二人静かに進み出る。一人が彼女から小さな王冠を取り去る。もう一人が獅子の大判布を取り去る。
こちらにも侍従が一枚の布を携えてやってくる。ぼくはそれを受け取り彼女の肩に掛けた。
踵の高い靴を履いた彼女の背丈はぼくとあまり変わらない。女の人としては大柄な部類に入るだろう。でも、華奢な肩幅と貫頭衣から覗く細い腕が、彼女がまだ少女であることを言外に主張していた。
だから慎重に、怖がらせないように。
大蛇紋を彼女の身体に巻き付けた。
それで終わり。
式は終わった。
正教新暦1715年7月3日、「正教の威光のもと諸王を束ねる権威を与えられた人界の君主が領する地」第一皇女にしてエストビルグ王国第一王女アナリース・ヴォー・エストビルグはその名を変えた。
彼女は「正教の守護者たる地上唯一の王国」国王グロワス13世正妃アナリゼ・エン・ルロワとなった。
◆
儀礼的に手を握ったら奥さんが鳥肌を立ててる。全身硬直気味だけど、表情だけはぎこちない笑顔。そんな対応をされた旦那の気持ち、分かるかな。
控えめに言って地獄だ。
サンテネリは身体的接触が比較的多い文化だ。同性同士でも手を握り合うことがあるし、夫婦や親子ならば結構頻繁に抱き合ったりする。未婚の男女の場合好意の意味合いが強くなるのであまり近づかないけれど、まぁないこともない。
つまり、ここの文化において、夫婦となったぼくとアナリゼさんが手を繋ぐことは至極当たり前なんだ。手を繋がなければ逆に、それはある種の政治的メッセージとして解釈できる。
「アナリゼ殿、お分かりであろうが、これは儀式だ。辛抱して欲しい」
「なんのことでしょうか? 陛下」
心底分からないと言った顔でアナリゼさんが聞き返してくる。平坦な声で、生真面目な顔で。
「私が御手を握ると緊張されたであろう」
「はい。緊張いたしました」
素直に返してくる。ごまかすこともない。彼女にしてみればごまかす必要がないんだろう。彼女の実家はエストビルグ。ルロワ家と対等な王家だ。彼女はぼくの家臣でもなんでもない。
「済まないことをした。アナリゼ殿も色々思うところがあるだろうが、少しずつ慣れてもらえればうれしい」
「そういたします。慣れればなんとか乗り越えられそうですので」
淡々と返すアナリゼさん。
ぼくはもう無言。敵意と言っていいのかなこれは。
彼女はしょうがない。まだ18歳。好きでもない男に触られたらそれはゾワっとするだろう。でも、上手くごまかす術くらい教えておくべきだと思うよ、エストビルグ家。
初手から悪印象とか和約の意味がなくなるとは思わなかったんだろうか。
普段自重しているだけで、サンテネリの意思決定のかなりの部分は王の意思に依るんだよね。だからぼくの心情は国の外交政策を大きく左右する。
それを分からないとしたら、帝国の外交官達はちゃんと仕事しているんだろうか。あるいは足下を見られているのかもしれない。ちょうど軍縮中だし。
一度呼び出してそれとなく嫌みを言うなり釘をさすなり…。
「陛下」
「なんだろう、アナリゼ殿」
「私はこれまで他の方に触れられた経験がほとんどありません。話には聞いていましたが、サンテネリでは普通のことなのですね」
「帝国とは少し風習が異なるかもしれない。帝国は全く?」
「はい。父上や母上に触れることもありません」
あー、そういう…。
ようするにあれだね、欧米の人たちが頬をくっつけ合う挨拶をする姿をテレビとかで見て知ってはいるけど、いざ自分がされてみると緊張するという。
「なるほど。では、少し驚かれてしまったかな」
「そのようです。あらかじめ学んではいたのですが、やはり勝手が違います。…ですが、慣れるよう努力します」
「ならば良かった。アナリゼ殿は私がお嫌いなのかと早合点してしまった」
冗談めかして笑いかけてみる。少し場の空気を和らげたい。
「私は陛下を嫌っていません」
「そうか、では好意を持ってくれそうかな」
相変わらず真剣な面持ちでザクザク返してくるアナリゼさん。何とか軽口に持っていこうと努力してみた。
「いえ。分かりません」
あー、分からないか…。
「これは手厳しい。
「エストビルグでは皆、グロワス13世陛下は英君であると噂しておりました。父も母もそう教えてくれました。ですが、私が実際にお会いしたわけではありませんので」
「では、今顔を合わせてみてどうかな」
「まだ分かりません。お会いして数時間も経ちませんから」
ぼくは今すごく新鮮な会話をしている。
これは二択だ。
仮定その1は、ぼくと距離を縮めるつもりが一切ないと言外に強く訴えているパターン。ここまで露骨ということは帝国も承知の上のはず。サンテネリとの和約はその場しのぎの方策程度にしか考えておらず、本命は別にあると予想できる。
仮定その2は、彼女がまれにみる素直なお嬢さんであり、言動が素であるというパターン。
様子を見る限り恐らく2だろう。
「アナリゼ殿の言うとおり。我々はまだ顔を合わせて数時間。今後互いを知り、好意を育てていきたいものだ」
「はい。私もそう願っています」
うん、相変わらず表情は変わらないけど、真面目さは伝わってくる。
多分パターン2なんだろう。生まれからいって仕方ないのかもしれない。アナリゼさん皇帝正妃の長女だからね。思ったことを飾らず口に出して、例え誰かの気分を害しても取りあえずは生きていける。これが男だと政治が絡んでくるからまた違ったんだろうけど、彼女は最終的には他家に嫁ぐお姫様だから。
パターン2であろうと仮定しよう。そうすると結構不味い。
何がってサンテネリの皆さん、ぼくも含めて息を吸うように無意識に言葉の裏を読むからね。もう習慣みたいになってる。ストレートしか投げてこないアナリゼ投手に比べれば、サンテネリでは比較的直截的なメアリさんでさえも多彩な変化球の使い手だ。
これ、そのまま放り込むと即座に反感買うよね。
翻訳係が必要だわ。
◆
「妻を正妃様の女官長に、ですか」
「家宰殿の奥方の噂はブラウネ殿からよく聞いている。私の
光の宮殿にたどり着いてまずやったことが家宰さんとの密談というのも新婚としては悲しいところだけれど、事は急を要する。
家宰さんの妻フェリシアさんは元男爵家の娘で、性格的にも肝が据わったところがある人らしい。本気モードに入ったブラウネさんの大胆さって継母とはいえ彼女に似たんだろうね。
「陛下にそのような過分の高評価をいただき光栄でありますが、妻の出自は決して高いものではございません。もちろん私個人としては妻の人格・心根ともに強く信を置いております。しかし宮廷勤めとなると、いささか無作法があるやも」
「なにをそのような。あのブラウネ殿を育てられた母君であろう。心配はあるまい。そして、出自がどうあれ今のフェリシア殿はフロイスブル侯爵夫人。サンテネリ王国宰相の妻ではないか。アナリゼ殿を大切に扱うという我らの強い意図を帝国に伝えられる」
帝国との和約を進めた中心人物として、分かるよね。そう言外に含ませた。例のごとく家宰さん髭をなで始める。
「家宰殿、私が求めるのはサンテネリの完璧な宮廷作法などではない。アナリゼ殿の意図を理解し、周囲にそれを翻訳できるもの。そして、アナリゼ殿にサンテネリ風の振る舞いを”少しだけ”教えられるものだ。頭ごなしに命令するような形は好ましくない。分かるだろう」
「理解しております。帰宅次第妻に話しまして、意向を確認し…」
そうじゃないんだ。危急のことなんだ。ゆっくりしている暇はない。
元々は専属の女官長など置くつもりはなかった。アナリゼさんには故国からお付きの侍女達がいるし、うちはうちで宮殿全体を管理する女官長がいる。だから、日常のことはそれで回しつつ、ブラウネさんやメアリさんと交流の場を作りながらゆっくり馴染んで貰う予定だった。二人とも、王室内では”上手くやりたい”というぼくの希望をある程度理解してくれているから、それでなんとかなると思っていた。
なんとかならない。
ブラウネさんもメアリさんもまだ若い。このままでは初対面から亀裂が入り
「いや、いや、その暇はない。急で申し訳ないが、明日フェリシア殿にお越し願いたい。今度は変な誤解の余地はないな。サンテネリ国王正妃の女官長だ。これ以上の地位はない。——よろしく頼む」
ぼくは問答無用で話を打ち切った。
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