無能な王は生を選ぶ
年間収入の10年分。
収益じゃない。収入の10年分。
簡単に言えば、それがサンテネリ王国に積み上がった負債額。
返済はまず無理だよ。
ぼくは経済を専門に学んだわけではないから本当にざっくりとしか分からないけど、例えば、現代日本は税収70兆円に対して国債残高が1100兆円。10倍を超えているね。
なんだ、まだましじゃないかと思うよね。
でも、サンテネリはこの負債の結構な割合を海外の金融資本家から調達している。さらに、日本のように膨大な資産を持つわけでもない。借金が多くて資産も多いなら何の問題もないんだ。でもサンテネリの場合、資産は大してない。負債だけがある。
ただ、企業と違って国は潰れないからね。
もう借金返せませんと宣言したところで、資本家の皆さんが攻め込んできたりはしない。でも国家レベルでは別。例えば自国の資本家が被害を被ったことを口実に戦争をふっかけられることはある。
実はそんなとき、サンテネリは強い。
うちは中央大陸でも随一の人口を誇るからね。人々がサンテネリを自分の国と認識して、それを防衛しようと考えてくれたら結構長い時間戦える。
ただし、そのためには彼らにサンテネリを「我が国」だと思ってもらわなければいけない。国がルロワ家というちっぽけな一家の所有物で、自分たちには関係ないとなれば人々は戦ってくれない。別に所有者がルロワからアングランに変わろうがエストビルグに変わろうが、究極的には他人事だから。
サンテネリはありがたいことに排外意識が強い。だから地球で言うところの国民国家体制に切り替わらずとも、外から侵入者がやってきたら取りあえず追い出そうとする動きもあるだろう。
国民達がサンテネリを「我が国」と思わず、敵が会戦に勝ち続け、ぼくたちが負け続けてついにシュトロワが落とされるに至ったとしても、完全な占領統治なんてできない。せいぜい自分たちに都合がいいルロワ家の係累を王位に就けて影響力を増すくらいかな。それでも反乱祭りが始まる可能性がある。
ようするに、サンテネリはいくら負債が積み上がろうが滅びない。大陸全ての国を敵に回して戦争をしてもなんとかなる。戦争をするってことは相手も膨大なお金と人員を消費するわけで、手打ちをする見込みがない、つまり征服しか終わりがない状況を戦い抜ける体力を持つ国なんてどこにもないんだから。
だから、そうなったとき、滅びるのは国ではなくぼくなんだ。
財政破綻して周囲の国々と戦争になって、会戦に負け続け、シュトロワが落とされたとき、誰かが責任をとらなければいけない。
現状だとすぐに殺されることはなさそうだ。退位を強いられ、どこかの館に軟禁されて終わりかな。変に求心力があると反乱祭りの神輿に担ぎ上げられる可能性があるので、数年後に「病死」パターンだろう。
求心力がなければ放置されて終わり。
ぼくにとって最悪のルートは財政破綻から戦争、敗戦、退位、暗殺。
これを避けるための方策はバラエティに富んでる。まず財政破綻を避けて自転車操業を延々と続けるパターン。次に破綻はしたけど戦争には勝つパターン。それも無理なら、暗殺する必要もないくらいどうでもいい存在になる道がある。
ちなみに敵ってどこかといえば、現在の大陸で、サンテネリと大規模で戦争を継続できるのは三カ国しかない。海の向こうのアングラン、最近売り出し中のプロザン、そして積年の仇敵エストビルグ。
まずアングランは除こう。大軍をうちの国に揚陸する能力はないし、そもそも陸軍力自体がほとんどない。
だから陸上の戦いはプロザンとエストビルグが本命だね。
まずエストビルグは婚姻と和約によって一応の安定を得ました。プロザンはそもそもサンテネリと戦う大義名分が弱い。うちが破綻したところでプロザンからお金を借りているわけでもないし、資本家から引っ張ってきてもないからね。
うちの破綻で最も迷惑を被るのはアングランなんだ。お金たくさん借りてる。でも彼らは自力で攻めてくることはできない。だから現状できることは一つしかない。プロザンを煽って代わりに戦って貰うというね。
じゃあアングランと結んだプロザンに勝てるだろうか。
勝てはしないだろうけど負けもしない。いくらアングランの援助があるとはいえ国の規模が違いすぎる。あそこガイユール公領よりちょっと大きい位なので。エストビルグとサンテネリの二大国を相手に回して戦い、連戦連勝したとしてもシュトロワを落とすなんてまず不可能。
フライシュ3世も十分それを分かっているだろうから、うちと直接ことを構えるなんてしないんじゃないかな。むしろエストビルグとやり合いつつ周囲の小公国を傘下に収めるのが本命のはず。
我々は攻め込まれることを案ずるよりも、逆にエストビルグに引っ張り出されることの方を警戒しなければならない。
そんなこんなでよほどのことがない限り、うちが今すぐどうにかなることはない。だからこそ金が借りられるともいえる。グロワス11世、12世がこつこつ積上げてきた国威と外交政策が生きてくる。
皮肉な話だよね。
で、この機会に何をすればいいかといえば、ぼくの死を招くもう一つのルートを上手く受け流すことなんだ。
革命のルート。
この中央大陸で真の意味での市民革命が起こったことは有史以来ない。だからそもそも概念すらない。でも、兆候は至るところにある。
富裕な平民層に加えて中間層も厚みが増してきた。さらに共同体に吸収されない都市下層民も増加の一途。宗教を背景にした身分制度の正統性は弱まる一方で、貴族達は弱体化しつつある。
まさに過渡期なんだろうと思う。旧来の常識は依然強い力を持っているけれど、新しい思想も勃興しつつある。王は神聖にして不可侵、やら、魔力、やらが信じられる一方で、人の本質的平等とか財産権の保護とか、そういう観念も根付きつつある。矛盾のるつぼみたいな状態だ。
ぼく個人としてはサンテネリ旧来の世界観の方に強い違和感を持つ。光の宮殿に住まう王も旧市街の路地裏にたむろする人々も、本質的には平等の存在だと感じる。それが常識の世界で生まれ育ってきたからだ。
人は時代を超えられない。時代の鋳型にはめられている。そこから抜け出すことが出来るのはごく少数の人々だけ。ぼくはごく普通の人間だから、結局鋳型の中にいる。
正直ね、ブラウネさんとメアリさん、二人に執着する自分を内心強く嫌悪しているよ。不正だと感じる。ぼくは社会の常識を言い訳にして、二人の女の人を自分の意のままに拘束している。汚らしい男だと感じる。その上今後エストビルグのお姫様やガイユールのお姫様とも関係を持つことになる。ある意味では、ぼくの人権が踏みにじられているとも感じる。
そう感じることが当然の鋳型にはめ込まれてきたからだ。
でも、逆に言えば、彼女たちはぼくとは全く異なる枠にはめられて育ってきた。彼女たちは自分が子どもを産む装置であることを当然と見なしている。そして、ぼくが子どもを産ませる装置であることも。
家臣の皆さんも同様だ。彼らはぼくなんかと比べるのもおこがましいくらいに優秀。でも、やっぱり時代の枷からは逃れられない。
遠からずぼくと彼ら、彼女らの齟齬は表面化する。あるいはもうしているかな。
このやっかいな衝突を上手くいなしながら、溺れ死ぬことなく流されていく。それを狙っている。成功することを祈る。
でも、失敗したときのために、保険も掛けておこう。
◆
ぼくは内務卿さんを呼んで、新しい”人道的な”処刑装置の開発を指示した。現代知識の有効活用。
だって嫌でしょ、斧で首切られるの。
実際に見たことはないけど、切腹と介錯については本でちょっと読んだことがあるから分かる。結構失敗が多いっぽいんだよね。
こんな感じ、とざっとラフスケッチのようなものも示した。
不思議そうな顔をされたよ。どう考えても王が関心を持つ分野じゃないからね。苦し紛れに”罪人に対しても人道的でありたい”と説明したんだ。
内務卿クレメンスさん、察しがいいのか悪いのか「ああ、こいつも最近流行りの人権思想に引っ張られてるのか」と半ばあきれ顔だった。
違うんだ。
ぼくと将来の妻達、子ども達が広場に引き出されたときの保険なんだ。自分も嫌だけど、ブラウネさんやメアリさんが首を落とし損ねられて苦しむ姿を見るのは御免被りたい。
その一心です。
◆
”ぼく”とは一体なんなんだろう。
最初はね、身体が地面に衝突して、脳髄がコンクリートに飛び散る前のほんの一瞬、ぼくの意識が見せる走馬灯の物語なのかと思っていた。
でもね、最近逆なのかもしれないと考え始めている。
ぼくはグロワス青年が妄想したもう一つの人格なのかもしれない。SF小説を見れば分かるように、人間の想像力は無限大だ。
彼は頭の中で見たこともない世界の見たこともない社会を空想し、そこに生きる一人の人間を生み出したのかもしれない。ひょっとしたら、秘書課の三沢さんはブラウネさんをモデルに、総務の小林さんはゾフィさんをモデルに作り出されたのかもしれないね。
だとすれば、彼はそれこそ「時代の枠を超える」ことができる少数者なんだろう。
光の宮殿の二階、居室の窓から外を眺めながらそんなことを考えた。この建物はかなり大きいから、二階といっても普通のマンションの三階以上の高さがある。
ちょうどあの時のように葡萄酒もある。
いい感じに酔いが回ってきた。
不意に確かめたくなる。衝動が生まれる。
ここから飛び降りたらどうなるんだろう。
地面にたたきつけられる直前に今度は何を見るんだろう。
ただ、残念ながら高さが足りない。全身骨折するだけできっと即死できない。サンテネリの医療水準を考えれば明日か明後日には結局死ぬだろうけど。苦しいのは嫌だ。
あとね、色々と責任を背負ってしまったから。
大学生の頃に、ある小説家のエッセイを読んだ。その中で彼はこんなことを主張していた。
”人は生まれながらにその世界に責任を負う。なぜなら、世界から去らないという選択をしたことによって、世界を引き受けたのだから”みたいな。
そう、ぼくがここで飛び降りないということは、この世界を引き受けたということなんだ。
人間にとって本当に重要なことは一つしかない。自死を選ぶかどうか。それだけ。選ばないのであれば、それは世界を認めたということだ。
ぼくは死なないことによってサンテネリという国を認めた。だから、背負う義務がある。
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第1部第1章が終了しました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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