無能な王の選択 2
家宰さんは押し黙ったまま。あごひげをしきりに撫でる。癖なんだろうね。
人は無くて七癖。
ぼくにはどんな癖があるだろう。自分ではなかなか気づかない。
ああ、自覚してるのが一つあるね。
気分が落ち着かないときに、懐中時計の蓋をパチパチやっちゃう。ポケットの中だからそこまで音が響かないのは幸い。ちなみに今この瞬間もいい感じのリズムを刻んでいるよ。執務室のBGMみたいになってる。
「
今日の家宰さんは眉間の皺がすごいね。ぼくが”昔のぼく”とはまた違ったタイプのアレなやつであることをかみしめているのかな。
「そうだ」
「陛下、陛下。それはいけません。今は住む者もありませんが、あの場所はまさにサンテネリの誇り、ルロワ家の象徴なのです。ただの城ではございません」
分かるよ。京都御所みたいなものだからね。
でも、ぼくにはなんの思い入れもない。
「では、
「一体何を…」
家宰さんの言葉は、もう疑問形じゃなくてつぶやきに近い。
ぼくもサンテネリに染まったな。こういう大仰な言い回しが段々気持ちよくなってきた。
絵になる。
家宰さんでも内務卿さんでもいいから日記に書いておいてくれないかな。この場面。
その資料を元に200年後ぐらいに映画化されたいね。
「我が国の本当の誇りを入れよう」ってキャッチフレーズで、そのとき一番人気の若手俳優に演じてもらいたい。
「兵だ」
「兵? 兵舎になさるということですか?」
何をこいつは馬鹿なことを、そう物語る表情が露骨だよね。眉を寄せるというより、もはや顰めてる。
「勇敢にもその身を投げ打ち祖国を守った兵士達。戦に傷つき不具となり、帰ってみれば日々の生活もままならぬ。人々は彼らを半ばごろつきのように扱う。野犬のごとく扱う。国は何も報いない。王はねぎらいの言葉一つ掛けぬ。貴族達はその存在すら忘れている。道ばたの汚れた小石だ」
「陛下、恐れながら!」
口を挟もうとする家宰をぼくは手で遮った。
演説をしているので。聴衆二人を前に。
「家宰殿、言わせてくれ。彼らは誇りではないか? 我が国の剣であろう? 旧城に眠るルロワの宝剣など彼らに比して何の価値も無い。彼らこそが我が国の剣だ。剣は鞘に収めねばならない。そして、鞘にふさわしい場所は教会の傍らに立つ粗末な小屋などではない。我が国の最も偉大な場所がふさわしい。わたしはそう思う」
言い切って満足した。
ぼくは負傷兵のことなど何も知らないし見たこともない。ただ、その数が膨大であり、治安悪化の要因であり、社会不安の原因であり、兵の質の劣悪さのもとであることは知っている。観念として。
将校として先陣を切る貴族達は死んでも名誉が残る。家が栄える。負傷すれば手厚い看護を受けられる。でも、兵達には何もない。公然と攫われてきた浮浪者や職にあぶれた者達。社会の最下層で生きる人々。あるいは社会自体からはじかれた人々。彼らは嫌々銃を持たされ負傷して野垂れ死ぬ。運の良い者は教会にたどり着き施しを受け生き延びる。少しだけ勇気のある者は群盗になる。
彼らのその末路を善しとする社会において、精兵は決して生まれない。兵に誇りも将来もないからだ。
「家宰殿、どうぞ」
満足したぼくは彼に促す。どうぞコメントを。
「陛下の慈悲のお心には感銘いたしました。——しかし、あえて申し上げます。陛下はお分かりでいらっしゃいますか。その道をゆけば、我が国は破綻します」
マルセルさんの目が爛々と輝いている。その反応は嬉しい。ぼくが考えたことがちゃんと伝わっている証だから。
「計算なさったか? 精密に。戦後の兵の生活保障にかかる額と、傭兵に払う大金、恒常的な
「するまでもなく分かります。——陛下がおっしゃることは理想論に過ぎませぬ。我々はその理想郷にたどり着く前に破綻します!」
家宰さんのこういう感情むき出しの姿はいい。殴りかかられそうだもん。内務卿さんなんて何かあったら止めに入ろうと身構えてるからね。
「では計算されよ。——ああ、付け加えるのを忘れていた。教会に払う
要するに、兵の福祉業務を
ちなみに、今後他の分野でも寄付をお願いすることになるかもしれません。その時はお願いします。
そんな絵を描いてみた。一気に進めることは不可能だ。まずはシュトロワから始め、王領で改革を進めていく。
時期を少しだけずらしてもう一つ進めることがあるよ。
人さらいではない「正規の徴兵」。
◆
言いたい放題言って、難題を「計算しとけ」って部下に投げてきた午後。清々しいね。
まぁ、自分で発案したものなんて皆無だけど。
兵士の待遇改善や戦後の保障についてはデルロワズ領で既にある程度行われているものだし、正規の徴兵はプロザンの制度をパクっていく所存。グロワスくんはプロザン王フライシュ3世ファンだったからね。彼なりに研究してたんだろうね。
旧城を手放して負傷兵の療養・生活施設への転換を図る。場所もお金も王が出す。国に尽くした哀れな兵達を救うために、王は家伝の
だから式は超簡素で宴会もないけど、それは決してケチだからじゃなくて、民を思う御心のため。清貧な王。民の慈父。
そういうストーリーを煽り口調で書いて官製新聞で流します。同時に買収した民間新聞で王の姿勢を讃えさせます。直球で讃えるものとちょっと批判をいれつつ総論賛美のものと何種類か。頃合いを見計らって「あれ? そういえば貴族達は何してるの? 王を見習わないの?」みたいなプチ煽りを入れていきます。
ちゃんとコントロールできるかな。無理かな。
で、こういう諸々をやっていくためには根回しが色々と必要なんだ。その一つのとっかかりとして午後のお茶会はメアリさんと二人きり。
前にデルロワズ公と夕食会したでしょ。メアリさんは彼と面識があるって話で盛り上がった。いや、盛り下がったのかな、あれは。
だから何も考えずに聞いちゃったんだよね。
「メアリ殿はデルロワズ公のことをどう見られた?」って。
「とても有能で洗練されたお方とお見受けしました」と答えてくれた。
大体予想通りの答え。ちなみにぼくの印象は、有能で洗練されている、だけど信頼に値するかは未知数、かな。デルロワズ公は軍制改革の成否を左右する要ともいえる人物だから、できる限り結びつきを強めたい。
「そうか。それは良かった。私から近衛軍監殿に伝えておこう」
「何をお伝えに?」
メアリさんが不思議そうに軽く首をかしげる。
「ああ、メアリ殿も先方を気に入ったようだ、と」
ちょっと間があった。不意にメアリさんが微笑んでね。
そして涙がね。
背筋を伸ばして気丈に振る舞ってるけど、不意に一筋の涙が頬を伝ってね。
それは驚いたよ。部下の女の人に泣かれるのって本当に困るんだ。どう言葉をかけていいのか悩む。叱責の場面なら対応パターンはいくつかあるけど、何気ない雑談の最中に泣かれると色々考えてしまう。無自覚のセクハラかな、それとも何か過去にあってその地雷踏んだのかな、とか。
で、ぼくも固まってしまった。
そしたらメアリさんが言うんだ。
「…それが陛下の思し召しでしたら、私はご下命に従います」
もう一筋涙が流れて、膝に揃えた拳が握りしめられていて。メアリさんは無理を圧してぼくに微笑みかけてる。
はい。ここで察しました。
違うんだ。
メアリさん妹いるから。まだ未婚だから。
妹さんをデルロワズ公に紹介するのはどうかなと思ったんだよね。彼はまだ正妻一人しか持たない。年はちょっといってるけど、あの”凜々しい”出で立ちと世評、能力、家柄を考え合わせるとかなりの優良物件。しかも彼の方がバロワ家と縁を結びたがってる。
だから妹さんと仲良くなってもらって上手く縁が結べればいうことない。
近衛軍監に話を通しつつ、後日メアリさんに妹さんを連れてきてもらって、ぼくがデルロワズ公を呼んで、後はお二人で、ってやるつもりだったんだ。
「ああ、メアリ殿。メアリ殿。あなたの想像はおそらく誤解だ」
「陛下。申し訳ありません…。醜態を…」
そう言いながらついには両手で顔を覆い突っ伏してしまうというね。
「メアリ殿、違うんだ! 聞いて欲しい。私の言葉が足らなかった。違うぞ」
「いいえ…陛下…私はもう…」
微妙にしゃくり上げながらぼくの言葉を聞いてくれない。顔を覆ったまま首を左右に振って拒絶。
これは良くない。この状況はよくない。
ぼくは席を立ち、彼女の座る長椅子に腰掛けた。隣り合わせで。
ドレスの半袖から伸びた彼女の腕。肌がぼくの上着に接すると、うっすらと体温が伝わってきた。
「メアリ殿。実はあの夜、デルロワズ公から打診があった。近衛と軍は今後一体化する。そこで、近衛を司るバロワ家と親密になりたいと考えたんだろう」
彼女は何も答えない。だから彼女の手を握り、力尽くでぼくの方を向かせる。そして両の手を捕まえて顔を開かせた。
充血した翆の瞳をぼくは見た。前に見た錯乱の色はない。純然たる悲嘆がそこにあった。
ぼくたちの付き合いは長い。昔のぼくも今のぼくも彼女は見ている。彼女はぼくのことをどう思っているんだろう。
彼女にとってぼくは王太子であり王だ。家の習いとして王と近衛軍を繋ぐ役割を与えられ、そうやって育ってきた。でも、その役割もじきに消滅する。つまりぼくは自分の立場に甘えることはできない。彼女を繋ぎ止めておくためには行動が必要だ。
「私はメアリ殿を手放さない」
こういう言葉を伝えるのをぼくはずっと恐れていた。
王の側は快適な空間では決してない。自由もない。ぼくの存在は彼女の自由を奪う。
ぼくは彼女から自由を強制的に奪い去ることができる。ぼくが望んだことを彼女は拒否できない。ぼくが自分の立場に囚われているように彼女もまた実家を背負っているからだ。大きな荷物、大きな人質。
彼女がぼくに好意を持っていることは推測できる。ブラウネさんが教えてくれたように、他人の心内を覗くことが出来ないぼくにとって彼女の行動こそがすべてだからだ。
死を願う彼女、ぼくの大判布を震える手でほどく彼女、凛とした口ぶりで軍の内情を講義してくれる彼女、近衛軍装を止めて少し恥じらう彼女、ぼくの下手くそな褒め言葉に驚き恥じらう彼女。
まだ子犬のぬいぐるみを見せてくれないメアリさん。
そんな彼女の姿を、ぼくは今後も見たいと望む。
この女の人の本心を知りたい。
王としてのぼくではない、ぼく自身のことをどう思っているのか知りたい。でも、それは無意味だ。そもそも
疑いだしたらきりがない。ぼくの五感が観測した、つまり外から見た彼女は確かにぼくに好意を持っている。
同様に、ぼくも彼女に好意を持っている。
それでいい。
そして、彼女がぼくに好意を示しているのなら、ぼくは彼女を手放さないと決めた。王の決定だ。
だからぼくは彼女の意思を聞かない。選択できない状況に置かれた人にそれを迫る行為は卑怯だ。選択できない人に責任は押しつけない。責任はぼくが負う。
「ぼくは王だ。王はあなたを手放さない」
◆
「陛下は時折お言葉が不足なさいます。絶望的に不足なさいます」
泣き止んだ彼女にぼくはお説教されている。キリッとしているときのメアリさんは結構怖い。いい加減自分の席に戻ろうとするも、手を握ったまま放してくれない。
彼女の指は長い。女性にしては大きい手。でも、とても細い。
手は彼女そのものと相似形をなしている。
「陛下、しっかりお聞きください。どこをごらんになっているのです。私の目をご覧ください」
「メアリ殿、分かった。私は言葉が足りない。時々短慮だ」
「そうです。陛下は短慮です。そして傲慢です。私の気持ちを確かめてくださいません」
その通りだ。ぼくは傲慢だ。
「私では嫌かな。——嫌であっても構わない。あなたを手放さない」
だから同じことをもう一度言った。
メアリさんの手に力がこもる。ぼくの手のひらがそれを感じる。ひんやりした、滑らかな肌の触覚。
たぶん彼女はぼくの手のひらから熱さを吸っている。熱が混じり合って平準化するまで、そう時間はかからない。
「では…陛下にとって、私の価値を教えてください」
正直に話すことにする。それが真実かどうかを確かめる術を彼女は持たないけれど、少なくともぼくは正直に話す。
「私はメアリ殿に兵士であることを望まない。ただし、あなたが培ってきた経験が欲しい。私は今後、この国にとってより良い選択を少しずつ重ねていきたいと思っている。その選択を助けて欲しい」
「軍の、でしょうか」
「そうだ」
メアリさんはそれきり黙ってしまった。
何か言いたげな、でも言い出せない素振りでぼくを見てはそっぽを向く。そんな行動を何度か繰り返した末に、彼女は絞り出すように呟いた。
「…他には、ございますか」
「ある」
「それは?」
これも正直に言う。言葉を濁しても意味がない。
「女として。欲しい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます