無能な王の選択 1

「婚姻の費用が…ない…?」


 財務監モンブリエさんの顔色はすこぶる悪い。頬の肉が揺れている。震えているのかな。

 今日の御前会議、参加者の皆さん一様にお通夜みたいな雰囲気を漂わせていたのはこれか。


 じゃあもう写真撮って終わりにしようよ。結婚指輪とかどうせ滅多に着けないんだしさ。あ、新婚旅行も無理だわ。仕事抜けられないからね。

 それでいいよね。ぼくは別に拘らないよ。愛さえあれば。


 そう言って終わりにできたらどれだけいいか。


 モンブリエさんはぼくが怒り出すことを危惧しているようだけど、そろそろぼくのメンタルを信用して欲しい。立腹する理由はかけらもない。個人的には結婚式とかやりたくないし。

 ただね、これは確実に多方面に波紋を広げる案件なので。政治的に。

 どちらかというと頭を抱える系だね。


 しばし黙り込んだぼくの姿を勘違いしたのか、モンブリエさんが今にも倒れそうになってる。


「財務監殿、貴殿を責めてはいない。無いものは無いんだ。——誰か打開策をお持ちの方はあるかな?」


 お歴々の顔を見回してみるけど、皆うつむき目を合わせてくれない。敗戦直前の軍司令部みたいになってる。


「臨時の税を課す方向性で考えております」


 本当に渋々といった体で家宰さんが答えた。

 臨時の税。いやいやいや。要するに徴税請負人組合から引っ張ってくるってことだよね。その引っ張ったお金の埋め合わせは当然一般人への過度の徴税によって為されるわけで。


「借用では無理かな?」

「可能ではありましょう。しかし、利子分も含めて返済を考えますと…」

 家宰さんって損な役回りだよね。皆が言いたくないことを代表して言わなければいけないんだから。


 結婚式自体はまだいいんだ。ケーキ入刀とかないしね。

 王国の島イレン・サンテネリ大聖堂でぼくと新婦が一枚の証書にサインするだけ。極言すれば本当にそれだけ。国中の貴族を根こそぎ呼ぶけど、彼らはまぁ手弁当で来てくれる。

 問題はその後のパーティだったり、結婚を記念しての国民への祝賀金下賜だったり、そういうやつなんだ。


「なるほど。もう本格的な検討段階か」

「すでに試算は。組合との折衝も近々開始を予定しております」


 だよね。ぼくのところまで話が上がってきているということは、そういうことだよね。

 サンテネリではもう何十年もこのパターン。戦争で金がなくなったときも同じようにして乗り切ってきた。今回は外国から金を借りない分まだマシと言えないこともない。


 でもね、時期が悪いよ時期が!

 ただでさえあまり評判が良くない婚姻なのに、そこに来て臨時課税となれば国民の皆さんの怒りは燃え上がるばかりだ。じゃあ、課税しない代わりに祝賀金配らなかったら? それはそれで皆憤慨するでしょ。これまであったものがなくなったらそりゃ、ね。

 ボーナスと一緒だよね。法律上ボーナスは配らなくても問題ない。でも、今まであったものが無くなったら法的正当性はどうあれ人は確実に不満を持つ。

 加えて不安も醸成される。あれ、これはいよいよサンテネリ危ないのかな、って。


「分かった。私は常に諸君の結論を尊重したいと願っている。これまでもそうだったように。ただ、この問題は私の結婚、つまり私事でもある。少し考える時間をもらいたいが、いかがだろうか」

「もちろんでございます、陛下。我ら一同、陛下のご下命をお待ち申し上げます」


 あれ? 家宰さん、ちょっと元気戻ってきた感あるね。声に張りが出てきた。


「では散会しよう。——家宰殿と内務卿殿は少し残って欲しい。いくつか確認したいことがある」




 ◆




 このパターンはあれだよね。腹案があるにはあるけど言うと不敬になっちゃうからぼくから言い出さなきゃいけないタイプのやつだね。もう不敬とかそういうのいいからストレートにやって欲しい。


 皆が執務室を退出するのを待って、まず内務卿さんに問いかけることにする。大前提を確認せねば。


「内務卿殿。先ほどの話とはまた違うが、有望な書き手は見つかったかな?」


 サンテネリ王国にぼくが感じた違和感の第一は、政府がメディアを持っていないことだった。勅命や布告の類いは全国の街の役所と広場に掲示されるのみ。

 昔はそれで良かったんだろうね。こういう命令はごく一部のいわゆる町の名士に届けばそれでいい。

 一般人に伝えたい場合は? 例えば募兵とか。

 暇そうにしている人を軍が攫ってきます。国家公認の人さらい。それで済んだ。


 でも、現在のサンテネリはもうそういう段階ではない。印刷物が徐々に普及して識字率も向上した。名士でも貴族でもないけどある程度の知的活動を行える層が確実に存在する。中堅どころの商家、平民官僚、学生、弁護士。こういった人々。そして、彼らの動向が「世論」を作りつつある。それはまずシュトロワで起こり、地方に拡散していく。


 新興のメディアである新聞は「世論」の方向性を定める切っ掛けになる。新聞と言っても現代日本のような紙を折った形ではなく単純に一枚の大判紙で、週に数回の発行が基本。中には日刊もある。

 内容は、ちょっと前はどうしようもなくアレなゴシップとエロ一辺倒だったんだけど、最近本格的な政治論評を載せたものが発行されるようになってきた。元々は貴族のサロンとかでひっそり回し読みされてたものが広く世間に出回り始めたんだろうね。

 今のところ、そこまで厳しく言論弾圧してないので。


 で、目端の利くアキアヌさんなんかはしっかり自前の新聞を持ってる。まだ会社組織とも呼べないような規模だから、書き手を抱えていると言った方が正確かもしれない。


 印刷出版系のお仕事は揺籃期。しかしこれから絶対に伸びてくる。

 この状況で政府系の言論伝達手段がないのは不味い。

 現代日本に生きたぼくは当たり前のように危機感を覚えた。にもかかわらず、閣議で話を振ったら皆あまりピンときていない。日々平民を取り締まるのが業務のはずの内務卿さんさえ反応は微妙。

 この官高民低っぷり。


 要するに、栄えあるサンテネリ王国の政府が平民共に歩み寄るなどもってのほか、的な。まぁ歴史を考えれば分からないでもない。

 忘れてはいけないのは「サンテネリの王権はその正統性を民に依っていない」ということ。ルロワ王家と臣下の諸侯達はその立場を先祖の膨大な血によって築き上げたのであって、選挙で選ばれたわけではない。むしろ民は「守ってやるもの」なんだ。

 王や貴族の世界と民の世界は交わらない。そうして互いに不干渉でいることは統治の手段としてある意味正しい。距離が近づけば粗もよく見えるようになる。離れていれば粗は見えない。

 でもね、こっちが嫌だと言っても向こうから近づいてくるんだ。ならば受け止めるより他はない。受け止めて、なんとかしかない。


「比較的ましな者を数名見繕っておりますが、筆力はさておき内容は多少の見識を備えた者からするといささか悪趣味に過ぎましょう。我らもさることながら、ご婦人方になどとてもお見せできぬ代物です」

「それでいい。そちらはあくまで民の目線からの補助。本命は我らが発行する」

「しかし、民は果たして読みましょうか。発行するのはいわば官報です。興味を持ちますまい」


 内務卿さんのご意見は尤も。大本営発表なんて政権に近い人々にしか需要はない。それも内容をそのまま受け取るのではなく、行間を読むタイプの使われ方だ。

 だからこそ客寄せと誘導がいる。


「内務卿殿の意見はもっともだ。ああせよこうせよと命令が書かれただけの紙など発布する当の本人たる私も進んで読みたくはない。——どうすれば人々は読んでくれるだろうか」

「民間の新聞に関して言えばが重要ですな。有名な発行人のものに人気が集中する傾向にあります」

「貴殿が見繕った者たちのような、か」

「はい。中には少々過激な思想を抱く者もおりますが、大体は金と安全さえ確保されれば転ぶでしょう」

「民間はそれでよい。我々はどうする。最も有名な者が筆を執れば良いのかな。であれば、きら星のごとく居るな。我が臣下はいずれも見識深く世評も高い」


 ぼくの台詞に内務卿さんが困ったような顔をして肩を落とした。ああ、この感じ、会議で見当外れの意見を言ったときの役員の皆さんと同じ。


「恐れながら陛下、民は我ら貴族の名など知りません。彼らにとってまつりごとは日々の生活と何の関わりもないのです。唯一皆が知る名前といえば、御身グロワス13世陛下くらいのものでしょう」


 ぼくね。確かに。

 中小企業でさえ正社員じゃなければいちいち役員の名前なんて覚えてない。いや、正社員でも規模によっては覚えてないね。パートさんたちになると社長の名前ですらかなり怪しい。それが我がサンテネリ株式会社は代表者の連帯保証すら外せない中小であるにもかかわらず、社員3000万名。つらい。


「なるほど。では、まずは私が書こう」

「陛下のお名前で…」


 布告系の文章は全部ぼくの名前で出されるのだから、これまでと何が変わるのか。内務卿さんはそう思ってるよね。いや、違うんだ。官報社内報の文章自体を書くんだわ。ぼくが。サンテネリ会社に対する熱き思いを。

 ブラック企業っぽくていいでしょ。社長の熱き思いが長々綴られた社内報。傍から見るとアレな感じがするね。でも読み手の属性によっては結構効果があるんだよ。ああいうの。


「いや、署名の話ではない。——私が書く」




 ◆




 結婚式は超質素にする。お披露目パーティーとかは一切やらない。ただし祝賀金は頑張って出す。

 出費割合が最も大きい祝賀金は出すわけだから、結局お金をどこかしらから調達してくるしかない。多少ケチっただけ。これだとただの吝嗇だ。

 だから、この吝嗇に「意味」を付け加えてやる必要がある。


「家宰殿、この財政難の折りだ。披露の宴は必要なかろう。ただし、国民への祝賀金は是が非でも調達しなければならないと思う」

「不敬ながら我らもそのような検討をいたしました。しかし、やはり陛下のご結婚は国家最大の慶事。さらに今回、お相手は帝国の姫君です。この度の式典は大陸におけるサンテネリの国威そのものなのです」


 と反対を表明しつつ、最終的にはぼくの案あたりを落とし所にする予定なんだろうな。確かに臣下からはなかなか言えないよね、王に向かって「結婚式をしょぼくしろ」なんて。不敬だ。だからぼく自身が言いだすしかない。

 でも、今回はそれだけでは足りない。


「一つ聞きたいのだが、民にあまねく慈悲を垂れる王は、国の誇りとならないだろうか?」

「それはもちろん、仁王こそが国の誇りです。憐れみ深く偉大な王の下にのみサンテネリは栄えましょう」

「ああ、家宰殿、私が聞きたいのはそこではない。民は”そう感じるか”を問うている。彼らのために身を削り肉を分け与える者を、サンテネリの民は”弱者”とみるか”仁者”とみるか。どうだろうか」


 ”みんなのために身を削って!”みたいなのって確かに日本では好まれる。でも、それが美徳にはならない地域も当然のことながらある。純然たる「力」を信奉する度合いが強ければ強いほど、その姿勢は指導者の弱さに映る。自分たちを蹴飛ばしてすり潰す、しかし強力で冷酷な指導者が支持を得る。

 ピンとこないかもしれないけど、そういうタイプって変に頼りがいがあるように見えるんだ。カリスマっぽさというか。


 まさにグロワス11世や12世がそうしたように。

 彼らは民衆のことなど考えていなかった。ただの数字だ。取るに足らない領土や権益、ときには名誉のために彼らはたやすく戦端を開いた。その果実を民衆が得ることはなかった。ひたすらすり潰された。にもかかわらず、彼らは支持された。「自分たちの王は大陸一強い。それが誇らしい」という、ぼくの感性からは理解しがたい感情が民の中にはある。もちろんぼくが正しくて彼らが愚かだとは思わない。ただ、現実にそういう差異が存在する。

 見たところサンテネリでは「力」への信仰は依然根強い。でも一方で「民を慈しみ守る王」への希求もあるように感じるんだ。

 ぼくはアキアヌさんからそれを学んだ。彼のアプローチはまさにそれだ。彼は「サンテネリ王国を最強国家にする」とかそんなことは言わない。ただ「民を護る」とアピールし、人々の目に見える形で慈善事業を行う。そんな彼は現在


 受け入れられる素地があるのなら、全力で真似させてもらおう。

 そして婚姻の「貧相」を「王の慈愛」に置き換える。


 家宰マルセルさんはぼくの問いをどう感じただろうか。

 過去にもこれをやって失敗した王はいるだろうからね。タイミング次第では本当に危ない。単純に「弱い王」と見なされ王権の低下を招く。民衆も貴族達も王を軽んじるようになる。

 ただでさえ国軍の縮小にエストビルグ和約と弱腰に映る政策を取ろうとしているところ。王権の失墜が加速度的に進む可能性がある。


「アキアヌ大公様の人気を鑑みれば、受け入れられる可能性はあるかと存じます。ただし、大公様は民衆にを与えております。言葉ではありませぬ」

「やはり家宰殿は慧眼であられる。私は思いも寄らなかった。官報で私の思いを伝えれば民はそれを理解してくれるものと、なんとも都合のいいことを考えていた」


 とぼけた返しをしたけれど、実際同感でした。結局リアリティなんだ。あともう一つ、インパクト。


「では家宰殿、私はどのようにすれば民にを与えられようか」

「祝賀金、でしょうか」

「それでは少し足りない。祝賀金が多少増えたところで、いつも貰っているものがほんの少し増えただけだ。より派手に、分かりやすくやりたい。王が文字通り身を切り、その肉を彼らに与えるような」


 家宰さんも内務卿さんも押し黙ってしまう。

 たぶん困惑しているよね。今までこんな風にぼくが積極的なことを言いだした例はほとんどない。内心恐れてもいるかな。”昔のぼく”が戻ってきた、って。


 でも、そろそろ腹を決めるべきだ。「何もしない」を達成するためには「何かをしなければならない」。


 ブラウネさん曰く、ぼくは「勇敢な殿方」だから。

 責任を引き受けなければならない。



旧城シュトゥール・エン・ルロワを手放す、というのはどうだろう」

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