無能な王と家族
幸か不幸か日本では経験しなかったことを、またもや
ぼくは独身のまま死んだ。だから結婚を経験していない。でもここではどうあがいても結婚することを求められる。それは政治の最たるものだから。
結婚自体はいいよ。実体験が無いからただの空想に過ぎないけど、上手くいけば幸せになれるんじゃないかな。でも、それに付随する諸々にはゲッソリするだろうな。
まだ式も挙げていないのに今から疲れてる。
嫁姑問題です。
ぼくが日本で家業の造園会社を継いだ話はしたね。
元々うちは祖父が起こした小さな街の園芸屋だったんだ。それがどんどん大きくなって、父の代でも拡大を続け、ぼくがバトンを渡された。ぼくは三代目だ。つまり二代目の妻が母にあたる。
で、母と祖母の仲は決して友好的なものではなかった。
大体さ、初代って旦那も妻も腹を括ってるところがあるんだよね。豪快というか強気というか。祖母もまさにそれ。今だと差別にあたるかもしれないけど「男勝り」とか「女傑」みたいな言葉がピッタリくる。で、その息子、つまりぼくの父はインテリだ。商才があり度胸もある、だけど学歴はない創業者は大体子どもに学を付けさせようとする。父は東京の結構有名な大学を出て、そこで出会った都会のお嬢さんと恋に落ちた。お嬢さんもインテリ。豪快と正反対の理屈っぽい性格をしている。まぁぶつかるよね。
だからぼくに嫁を連れてこいと言わなかったのかもしれない。部下の皆さんにはちょくちょく言われたけど、両親から強く示唆された経験は無い。
いずれにしても、あまり楽しい話じゃないね。
そして不思議なことに、ぼくにはもう一人母が居る。
ぼくにというか、グロワスに。
つまり、父グロワス12世の正妃にして現在の母后。
マリエンヌ・エン・ルロワ。
40代半ば。ぼくと同じ金髪の、少しふくよかな美人。親にこういう感覚を持つところが、ぼくがグロワスの脳内に入り込んだ、あるいは自然発生した別人格である証拠なのかな。
なんというか、ゆったりした、穏やかな感じの人だよ。
ぼくは決して嫌いじゃない。多分若きグロワスもお母さんが好きだったんだろう。
で、政務も一段落ついて、久しぶりに母后のお部屋でお茶をしてきたわけです。
◆
「陛下はしっかりとお休みを取られているのかしら。母にはそれが一番の心配事なの」
「休みですか。毎日が休みのようなものです。ご心配には及びません」
「今日もしっかりお祈りしてきましたの。陛下のお身体がいつまでも壮健でいらっしゃるように、と」
包帯が取れたぼくの手をじっと見ながら優しく語りかけてくれる。
「それはありがたい。母上の願いならば、必ずや神もお聞き届けくださるはずです。私は果報者です」
オルリオ家の次女として生を受け、長じて王太子時代のグロワス12世、つまりぼくの父に正妃として嫁いだ。
オルリオ家はサンテネリ南東部に領地を持つ小領主だ。アキアヌ家やガイユール家はおろか、近衛のバロワ伯家とも比べものにならない小身で、政治的存在感は皆無に近い。
ただし、ルロワ傍流最大の名門。
よって公爵位を保持している。
これも長い話になるんだけど、サンテネリの南部って昔、小さな諸侯領が林立してカオスな地域だったんだよね、それを例の大王グロワス7世があの手この手で吸収して一つの領域にまとめ上げた。そして、自身の正妃第三子を封じて創建したのがオルリオ家。
でも実はこの家、残念なことに継承が上手くいかず何度か断絶している。その度に王が息子達を送り込んで家名を維持し、引き換えにその領地を削り取りルロワ公領に併呑していった。
結果生まれたのが、領地といって街一つなのに家格としては諸家を圧倒する不思議な公爵家なんだ。ようするに「ルロワ王家のスペア」。
幸いなことに本家が断絶することはなかったから、王朝がオルリオ朝に変わることもなかったけど、代わりにこの家は王の正妃を頻繁に出している。
サンテネリが排外主義的傾向を持つって前に言ったよね。ルロワ王家は基本的に他国の王族と交わりたがらない。少なくとも嫡流はまずやらない。国内の貴族と結ぶ。
で、どこと結ぶかとなると候補があまりない。ガイユールやアキアヌと結んだこともあったしデルロワズともある。でも、実家が太いって結構やっかいなんだよね。その存在が政治的に隠然たる影響力を持つことになるから。
王自身がしっかりしていれば問題ないんだ。でも、ちょっとアレな感じになると自然正妃の実家に頼り過ぎてしまう。まぁ、夫婦仲が良ければの話だけど。
その点オルリオ家はちょうどいい。家格は申し分なく家の力もほぼ皆無。正妃の実家として理想とも言えるポジション。
「つい先日もイレネのお堂に足を運んで陛下のことをお祈りしてきたのですよ。最近陛下がいらしてくださらないと大僧卿さまがお嘆きでらしたわ」
くすりと軽い笑いを込めて
さすがオルリオの娘だと思う。政治に口を挟まず、ただ状況はある程度理解している。ぼくが置かれた立場の微妙さを分かってくれているんだろう。本当にこの人は正妃のプロ。プロ正妃だわ。
この中央大陸で信じられている最大宗教勢力が「正教」。レムル半島に総本山を構え、中央大陸全域を網の目のように覆う教会をその配下におさめている。
サンテネリにも大量にあるよ、教会。何しろ我が国の正式名称が「正教の守護者たる地上唯一の王国」なので。
で、中でも最大の教区が
この王家のお膝元イレン教区の首座は大僧卿が占めるのが慣例になっている。大僧卿って正教会を治める僧王の一つ下の位階なので、宗教界のほぼ頂点。
宗教の偉い人というと何となく身構えてしまうけど、要するに老練な政治家です。正教会という巨大組織で成り上がるには政治力がなければ無理なんだ。
とはいえ、今代の大僧卿が生臭坊主だというつもりはないよ。それなりにしっかりと教学を修め、説教の技術も高い。政教両面のバランス感覚がある人だね。
「大僧卿殿には申し訳ないことを。ここのところやっかいごとが続きましたから」
「その旨、母からお伝えしておきました。陛下がお怪我をなさったゆえに、お気軽に行幸叶わぬことも」
「皆大げさなものです。ちょっと小刀で切っただけなのに」
ぼくはもう一度念を押す。
「大げさではありません。母も含め、皆、陛下のことを心から案じているのですよ」
幼子に言い聞かせるようにマリエンヌさんが語りかけてくる。普段柔らかい口元が少しだけ尖る。言外に本気度を主張しているようだ。だからぼくもちょっと俯いて反省の雰囲気を見せる。
その様子に満足したのか彼女は話を進めた。
「そう、切り傷といえば、大僧卿様より喜捨のご要望がありましたわね」
「母上…お分かりのように現在の状態ではなかなか難しい。情けない話ながら、このグロワスの頭に踊るのは寝ても覚めても赤い数字ばかりといったありさまで」
「もちろん存じています。変な約束などしていませんからご安心くださいね。——ただ、一信徒としてはとても心が痛みます」
悲しそうな顔をさせたら天下一品だな、このお母さんは。もう痛烈に申し訳ない気分になるもん。
「それほどの窮状なのですか?」
「ええ、不具の者達でお堂の別館は溢れかえっています。戦続きでしたでしょう」
「傷病兵か…。それは確かにご負担だろう」
戦争をすると負傷者が大量に出る。身体のどこかしらに大きな切り傷を負うだけならばまだいいほうで、酷くなると四肢のどこかが欠損したり目や耳が潰れたりする。不可逆の障害を負って社会復帰が出来ない彼ら。もう何千年前から続く人類の「必要悪」を正教会は救済してきた。負傷兵達の面倒を見ることは布教と並び正教会の主要業務の一つなんだ。
「大僧卿様はじめ正教会の信徒達は皆、彼らに精一杯の手当を施し日々の糧を与えています。でも今や施設はどこも満員。新たに神の救いを求めてやってくる兵士達を追い返す日々が辛くてならないと、そうおっしゃっていましたわ」
多分この辺りの感覚が合わなかったんだろうね、
でも
こうして考えてみると、若いぼくはやっぱり
さらに、父方は当然として母方の先祖もかの英雄グロワス7世に端を発し、自分の名もグロワスだ。運命を感じたのかもしれないね。
正教の示す清浄な世界への憧れと英雄達の戦いという男らしさへの渇望が、若い少年の頭の中でぶつかり合っていたんだ。そして先鋭化していく。
「分かりました。今すぐには叶わぬかもしれませんが、考えておきましょう」
「ええ、そうしてくださいな。大きな行事も控えていることですから、色々とご入り用でしょう。母の言葉はほんの片隅に置いておいてください」
「そういえば、陛下は最近さる高貴なご令嬢方と親密な関係をお築きと聞きます。とてもよいことですわ。聖句典にもありますから。”山に住むものは山に。海に泳ぐものは海に生きよ”と」
◆
「というわけで、今度暇なときにでも、お二人で母后様の無聊をお慰めしてもらえないだろうか」
定例となった王様係お茶会の席上、ぼくは恐る恐る火種を投げ込んでみた。
絶妙にセンシティブな話題なんです。これ。
まず、
同時に、側妃の存在も手放しで歓迎してはいない。
でもね、よくある「夫の愛人が目障り!」みたいなパターンではない。
彼女も由緒ある名家の娘として育てられたわけだから、側妃の存在は当たり前のこと。しかも数居るグロワス12世の妃達の中で子どもを産んだのは自分のみ。さらにその子が男子なので後継争いも必要ない。彼女の地位は盤石だ。
よって、他の側妃達との関係は実際のところそこまで深刻なものではなかった。
現在父の側妃達が光の宮殿を退去している理由は母ではない。
ぼくなんだ。太子時代から側妃の存在を蛇蝎のごとく嫌っていて、それを隠しもしなかった。
で、順当にぼくが即位した。
新王に目の敵にされるとか最悪でしょ。幸いなことに即位してからは戦争準備に夢中で具体的な排斥行動に出ることはなかったけど、やっぱりどこか微妙な雰囲気が生まれるよね。
そんな中で皆さんは空気を読んで、自発的に退去してくれたというわけだ。
ちなみに
じゃあなんで側妃を「歓迎していない」のかといえば、つまり正教なんだ。
正教の教えでは男女は一対であることが至高とされているからね。側妃はしかたないこととはいえ「ちょっと道から外れた」感覚がある模様。
「もちろんでございます! 母后殿下のお話し相手ですもの、これほど名誉なことはございません。ブラウネが参りますね!」
やる気満々のブラウネさんは頼もしいね。普通ちょっと尻込みというか緊張というか、そうなりそうなものだけど。
「ありがとう。ブラウネ殿。——メアリ殿はいかがか?」
一方で黙り込んでしまったメアリさんに水を向けてみる。
「陛下…私はご遠慮したく存じます」
「なぜ?」
何となく理由は分かる。気にする必要はないと言いかけたところをブラウネさんに押しのけられた。
「一緒に参りましょう、メアリ殿」
「しかし、ブラウネ様、私は…」
俯いて口ごもるメアリさん、普段のキリッとした姿からの落差が可愛いんだけどそんなことも言っていられない。近衛としてぼくの警護に失敗し、傷を負わせた自責の念はそう簡単に消えないだろう。息子を傷つけた女にその母親がどのような態度を示すか、怖く感じるのも分かる。
実のところ
これを直球で伝えれば話は終わる。だけど、メアリさんには近衛のプライドがある。”あなたは女だから頭数に入ってない”と言った場合、致命的な状況に陥りかねない。
「メアリ殿は陛下の侍女でしょう? 二人で参りましょう。侍女として」
少し離れて座るメアリさんにブラウネさんがにじり寄り、触れんばかりに身体を接してそう告げた。
「ブラウネ殿の言うとおり、母后様は是非私の侍女であるお二人にお会いしたいとおっしゃっていてね。どうだろうか、メアリ殿」
ブラウネさんの絶妙な言葉選びにぼくも乗っかってみた。素晴らしい言い回しだよね。こういう繊細な心配りはぼくをとても安心させてくれる。
それにしても、この二人の関係は不思議だ。時々殺意高くなるくせに時々いい感じで団結してる。
今回だってメアリさんにわざわざ助け船を出す必要なんてなかったはず。なのに今、しょんぼりしている妹を慰める姉のように距離を詰めて座り、やさしく励ましていたりする。
ブラウネさんは依然何かをささやき続ける。声を潜めて。時々二人の視線がちらりとぼくを伺い、そしてまた伏せられる。
あまり居心地が良くない。身の置き所がないというのかな。
手持ち無沙汰のぼくがカップに残ったお茶を飲み終えたあたりで、どうやら二人は通じ合った様子。メアリさんがパッと顔を上げた。なにやら決意に満ちた顔をしている。
「ブラウネ様の仰るとおり、私たちは侍女として陛下をお助けするのがお役目です。陛下の危機はお身体のものばかりとは限りません。陛下の内なる御憂慮を払いのけ、お心を守護するのも役割の一つ。サンテネリ随一の淑女と名高い母后殿下に是非その術をご教授いただかなければ。——私もお供いたします!」
「その意気ですわ。ブラウネたちは陛下の”お世話”係ですもの。務めを果たさねばなりません」
二人して怪気炎を上げている。
マリエンヌ母さんがサンテネリ随一の淑女とか初めて聞いたよ。どこからどうみてもおっとりしたおばさんだし、権謀術数からほど遠いところにいる。そんな彼女から何を学ぶのか。
それに、ぼくの”内なる御憂慮”って一体なにをさすのか。”御憂慮”が多すぎて、どれを指すのかが不明なんだ。
だから状況を整理してみる。ブラウネさんとメアリさんは表面上はどうあれ、立場としては微妙な対立関係にある。王の近くにいる二人の女の人だからね。二人だけになると若干ひんやりする瞬間もある。
そんな彼女たちが今、手を組んでいる。一般的に、人が団結するのってどういうシチュエーションかな。
不意に
”山に住むものは山に。海に泳ぐものは海に生きよ”。
ようするに、地元が一番だよ、という教えなんだ。
つまりはこれ、
明らかに1年後揉めるやつだわ。
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