無能な王と王様係
「陛下、おはようございます」
絶対に遅刻できない朝、目覚まし時計がなる直前に目が覚めることってないかな。
ベッドサイドのテーブルを見たらアラームがなるちょうど一分前だったり。
もう一週間近く、ずっとこれ。
「ああ、おはよう。ブラウネ殿、メアリ殿」
例えばぼくが起きなければならない時間が八時だとしよう。大体三十分前くらいにもう居るんだよね、寝室のどこかに。
寝室といっても学校の教室一つ分くらいは軽くあるから、隅の方に佇まれるとほぼ分からない。でもね、気配を感じるんだ。
これ、前からそうだったんだろうか。
いつからかおじさん達が姿を消していて、代わりに二人のご令嬢がいる。
実際に体験しなければぼくだって、”なんてうらやましいやつだ”と思っただろうね。
現実はすごくプレッシャーだよ。
最も無防備な朝を家族でも恋人でもない、でもあんまり格好悪いところを見せたくない女の人複数名にじっと観察されるのって。
一度侍従長さんに、担当をおじさんたちに戻してくれと言ったことがあるんだ。やんわりね。語気が強いとまた色々起こるからね。
ソフトに言った。”ブラウネさんとメアリさんはいずれも大切なご婦人方だから、賓客として扱うことにしよう”、って。
まぁシンプルに「無理」って返されました。規則でそうなっているそうです。なんの規則だよ。
就業規則か。それなら全従業員が読めるところに置いておけよ。法律で決まってるだろ。
なおしつこく食い下がったら、上司に相談すると言われました。上司はブラウネさんのお父さんだよね。で、お父さんの上司がぼくなんだ。でもぼくの言うことは聞いてくれない。
軍隊かな?
軍隊って直属の上司の命令が全てで、階層を飛ばした命令は一切通らないらしい。ぼくも何かの本で読んだだけだけだから本当のことは分からないけど。
で、埒があかないので本人達に言おうと思ったんだ。そして言い出せずに早一週間が過ぎました。
分かってもらえるだろうか。
「朝お二人に部屋に居られると、精神的にしんどいのでご遠慮ください」と言いたい。これを一点の誤解も起こらぬほど明瞭に、かつ全く相手を傷つけぬように伝えたい。
無理でしょ。
つい先日大失態を犯したばかりだ。
落ち着いていればやりようは色々あった。でも感情的になって放言した結果、今がある。
大げさでも何でもなく、自分の一言がどこをどう通ってどう波紋を広げるのか分からない。ブラウネさんはまだギリギリ大丈夫かもしれない。メアリさんは確実にだめ。
言い方一つ誤ると死に繋がる。
実際あの日も本当に紙一重だった。詳しいことは聞いていないけど(こわいので!)、
決断が早い。
でも、経験者として言わせてもらうと、本当にマズいのってそういうパターンだよ。逡巡したりしない。流れるようにいくから。
で、夜、ご家族に伴われて光の宮殿にやってきたようです。
ぼくは寝落ちしてた。
侍従さん達が再発防止のために寝ずの番で見張ったらしい。
次の日に話をしたんだけど、ぼくも精神的にあまり余裕がなかったんだ。
なんでってブラウネさんが早朝から来たから。何か吹っ切れた感じで。
◆
「私の気が回らず放置して申し訳なかった。メアリ殿が素早く止血してくれたおかげで大事に至らずすんだ。傷口が塞がれば指も元通り動くようになる」
「陛下、罪人に厳罰を下していただきたく存じます」
もう初手からこの会話。最初ぼくを刺した人を処罰しろという要求かと思ったんだ。
「それは私の領分ではないんだ。内務卿殿とサンテネリの法が判断するだろう」
「死を賜りたく存じます」
普段と変わらず言葉は明瞭。でも唇が真っ青だし、なによりも目が怖い。腹を決めた目。
近衛軍装には袖や胸の辺りに黒い血染みがついたまま。前日から着替えてもいない様子。これはもうカウンセラーのところに連れて行くべき案件だと思うけど、残念ながらサンテネリにそんな職業はない。
「その可能性もある」
「いつでしょうか」
「それは分からない。捜査が終了するまでは…」
「捜査が必要でしょうか?」
「当然必要だ。背後関係を調べるのだから」
なにを当たり前のことを聞いてくるんだろうと思った。法もなにもなかった古代ではあるまいし、捜査するに決まってる。
「背後関係などございません」
もうこの辺りから意味不明。
「なぜそう言い切れる」
「自分のことでございます。私には背後関係などございません。死を賜りたく存じます」
「メアリ殿のこと? 私を刺しに来た者とメアリ殿に何の関係がある」
乱れた髪もそのままに、メアリさんは微動だにしない。
「私は警護を怠たり、陛下のお身体が害されました。死を賜りたく存じます」
もうこれは厳しいかもしれないね。そう思った。
つい昨日まで楽しく話していた人がおかしくなっていくのを見るのは本当に辛い。ぼくはなんとか言葉を探す。助けたいとか慰めるとかそういうのじゃない。ただ、何か言い返さなければならないと思ったんだ。
ぼくもね、もう限界だったんだろうね。
「…そうか、では私も死ぬ。ともに死ぬか」
「…陛下?」
ぼくはソファに寝転んだ。身体が溶けていく。椅子と一体化していく。
昨晩の激発とは違う。なんというか、もういいかなって。
出口のない部屋に入れられてる。そこに上から天井がプレス機よろしく降りてくる。最初は頑張って抵抗する。力を入れてつっかえ棒のように。あるいは押し返そうと頑張る。このままだと潰されてしまう。死んでしまう。
でも、天井はびくともしない。どんどん生存空間が狭まっていく。
そして最後の瞬間「ああ、もう無理だな」って力が抜けるんだ。そんな感じ。
「メアリ殿。もうよい。たかだか手の平を切られたくらいであなたに死を与えねばならないのなら、私はこの世の害悪だ。髪を刈ってもらう度に床屋を死刑に処さなければならん。もう馬鹿馬鹿しくなった。メアリ殿は悪人なんだろう。私は存在が悪だ。ともに消えよう」
「…陛下のお身体はサンテネリそのものにございます」
「そうか。ではわたしと共にサンテネリも滅びればよい」
おまえが死ぬならぼくも死ぬ。
こういう卑怯なことを言えるということは、多分ぼくはメアリ殿に心を許していたんだろう。偉いおじさん達には絶対に言えない。
落ちてくる天井をイメージしたからか。息苦しくなって首元の
「メアリ殿、息苦しい。…
演技ではない。息が詰まっている。肺に空気が取り込めない。目の奥がパチパチする。
思い返せば、あれは過呼吸だろうか。これまで一度も経験がないから本当のところは分からない。ぼくが知っている中で一番症状が近いのは、吐く直前のあの感じ。
「…メアリ…」
極限まで矯められたバネが弾けるように、彼女がぼくに飛びかかってきた。そう見えた。血走った瞳。首に取り付く女の手。
あの時のぼくらは傍から見ればかなり不味い体勢だったね。寝椅子に転がった男にすがりついて、その首に両手を伸ばす女。浮気した夫を睡眠薬で眠らせて絞殺する妻かな。実際は締めるのではなく、ほどいてくれてたんだけど。
「陛下っ! へいかっ!」
涙のしぶきが顔に飛ぶ。昨日と同じように震える手で、メアリさんがぼくの大判布をほどいた。
「…ああっ。…ありがとう。もう…もうすぐ、もうすぐ落ち着く…」
答えはない。メアリさんは低いうなり声を上げて依然全身を震わせている。
人ってどんなときでも、どこかで必ず周りの目を気にしている。例えば親父の死を病院で看取ったとき、ぼくは声を上げて泣いた。それは心から悲しかったよ。でも、脳内のある隔離された領域だけは明瞭だった。自分の姿が周りにどう映っているか冷静に観察してた。
メアリさんはそれすら手放している。涙も鼻水も出放題。ドラマの美しい落涙シーンじゃない。これは多分、絶対に他人に見られたくない姿だわ。男のぼくでもそうなんだから、女の人ならなおさら。
ぼくの胸に顔を埋めてなすりつけるメアリさん。ときどき唸る。そのままにさせておいた。
ここまでくると理屈ではないんだ。
どのくらい経っただろうか。
人払いしてあるので部屋には二人だけ。メアリさんは微動だにしない。緊張の糸が切れて眠ってしまったのかもしれない。
だからぼくは起こさぬように極小の声で囁いた。
「メアリ殿は私を二度救ったぞ…。昨日血を止めてくれた。今日は息を蘇らせてくれた」
自分の視界の大半を遮る女の金髪。ふと撫でたい衝動に駆られる。前から思っていたことなんだけど、メアリさん、ゴールデンレトリバー感あるんだよね。
でもそれをやると労基来る。
この状態が既にアウト寄りだから。セクハラだからね。
◆
そんなわけで、現在二人には新部署で働いてもらっている。家宰さんに相談して新設した。課員二名。以上。
だって二人ともやる気に溢れてるからね。
たくさんいる侍女の皆さんの中でも身分が圧倒的に高いので、彼女たちに注意できるのも指示できるのもぼくだけなんだ。ベテランっぽい
ブラウネさんもメアリさんも至極丁寧に尋ねているだけなんだろう。でもまぁそうなる。
方や宰相の娘、方や近衛軍司令官の娘。
爵位もさることながら握っている権力が半端じゃない。それは怖いよね。
分かる。
うちみたいな中小はいざ知らず、大企業でさ、そこの役員の娘が自分の部署に入ってきたりしたら嫌でしょ? しかも自分が教育係とかしんどくてしょうがない。
侍従さん侍女さん方の苦労が忍ばれる。
その娘が性格悪くて舐めた態度だったら陰口一つ叩いて憂さ晴らしできるけど、真面目な良い子だったりしたらもう…。
で、新設部署です。名前は特にありません。
強いて付けるなら「王様係」とかだろうか。
王様係の仕事は基本的に秘書のような何かなんだけど、アポイント系は従来通りベテランの皆さんが捌くし書類仕事も従来通り。
これまではベテラン侍従侍女の皆さんが業務を実行し、直にぼくのところに報告してくれていたのを、ベテランの皆さんから王様係へ、王様係からぼくへ、という形に変更しました。
分かるだろうか。時々あるよね、「この人に任せる仕事がない。でも辞めてもらうわけにもいかないから無理矢理仕事を作る」のパターン。あれ。
あ、本当の意味での身の回りの世話、つまり服の着替え介助とか髭をそったりとかそういうのはプロのおじさん達がやってくれます。風呂は自分で入ります。
ブラウネさんとかちょっと興味ありげだったけど、二人とも、そもそも自分の身の回りの世話からしてできないんだよね。お姫様なので。侍女が全部やってくれる。その状態で他人の世話は無理でしょ。
また、王様は朝起きてから寝るまでがあらゆる意味で仕事なので、本気で王様係をやると彼女たちも休みがなくなります。
完全にアウト。義務づけられた年間有休取得日数を満たせない。労基案件です。
そこで比較的暇なお昼から午後の時間帯は食事も含めて休憩時間にした。二人とも趣味とかあるだろうし、そこは自由に使って欲しい。会社からのお願い。
で、結果ゆっくり休んでくれるようになった。
ぼくの部屋のお茶の間で。
自室に帰れよと言いたい。
彼女たちを住まわせる場所を決めるのも少々面倒だったんだ。二人とも侍女部屋でいいと言う。いいわけないよね。彼女たちのためじゃない。侍女部屋の元の住人のため。気苦労が大変なことになる。
侍女は基本貴族の娘さんなので、中にはメアリさんと同格の伯爵家出身とかいらっしゃる。でも、そういう方達は侍女部屋を使いません。実家から通いです。位が高くなればなるほど屋敷も王宮に近いし、例え遠くともお金に余裕があるから馬車を気軽に使える。
よって、侍女部屋に住む人たちって、大体富裕な平民か地方の男爵の娘さんあたり。上京して住み込みのパターン。日本で言えばなんだろう。シェアハウス的な?
そこに侯爵令嬢と伯爵令嬢、それぞれ凶悪な権力付きが居着いたら嫌でしょ。
最終的には貴賓室を二つ用意した。
貴賓室だから大きい部屋なんだ。さっき言ったけど、二人とも実家から専属の侍女が何人も付いてきてるんだよね。だからその人達が住める部屋も合わせて。
もう、ほぼ家だよ。
だから自室に帰れと言いたい。
ぼくはお茶会も仕事なので、他の家のお嬢さんをお呼びすることがある。
そんなとき、普段は絶対にやらない——というよりも周囲がやらせない——給仕係として二人が入ってきたりする。お茶の相手は王が呼ぶくらいだから結構な大貴族の娘さんなんだ。で、慣れない手振りでお茶を入れてくれる侍女もまた同レベルの大貴族の娘さんというね。
怪獣頂上決戦みたいになってる。
もちろん表面上はお互い上品に「お久しぶり! 元気だった?」みたいな挨拶してる。そのあたりの娘さんたちって皆知り合いだからね。
表面上は仲よさそうだよ。
お茶会がないとき?
お茶の間で趣味に没頭してるよ。編み物とか手芸とか。サンテネリには娯楽のバリエーションがあんまりないからね。二人でおしゃべりしてるときもあるよ。というか大体してる。執務室の隣だから、うっすら声が聞こえてくるんだ。
「〜〜〜陛下が〜〜〜」「まぁ! それは〜〜〜」
みたいなのが。
思わず動悸が激しくなる。
部屋でやって欲しい。
職場にいられると「これ実質勤務ですね。社長、これは不味いですよ」って詰められるんだよ。
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