無能な王の節目

 新書ってあるでしょ。

 著名な学者が一般人のために特定の分野を分かりやすく解説してくれる本。

 あれ、素晴らしいよね。

 膨大な情報の中から重要なものをピックアップして、それをつなげてストーリーにしてあるから、畑違いの人間にも分野の全体像をイメージできる。肝心なのは情報の取捨選択。削ってはいけない情報、削って良い情報。その選定が信頼できるのが、素人がつくる「10分で分かる〜〜〜」みたいな動画との違いなんだ。


 でね、ぼくの生活はその新書を毎日読んでいる状態に近い。

 サンテネリ王国という対象の「政治」「軍事」「経済」「文化」「社会」「芸術」、その他諸々のテーマについて、ざっくり概要を理解する。

 閣僚会議や高官達との質疑応答がつまり読書だ。

 それはぼくだって、その道のプロが要点を絞って説明してくれればある程度は掴めるよ。

 だから、何かの顔をすることができる。


 でもね、本当は何も分かってないし、何も出来ない。

 例えばぼくが飛行機の構造について一冊新書を読んだとする。読み終えて何となく概要は理解した。

 じゃあ、すぐに飛行機を設計できるかな。どう考えても無理でしょ。

 全体設計は無理でも細部に対して意見を言うことはできるかな。例えば尾翼の形状をAの形にするかBの形にするか。それも無理だ。AやBがどんな意味を持つのかはぼんやり分かっても、それを変更したときにどんなことが起こるかなんて全く分からない。

 分からないまま適当に変更したら、飛行機墜落するでしょ。

 それは怖いね。


 具体的な話をするとね、ぼくはサンテネリここで目覚めてからいくつかの決定を行った。一つは段階的な軍縮。次に外交姿勢の転換。最後に婚姻。これら全てに無数の選択肢があった。その利点欠点を新書よろしくプロに解説してもらい何となく理解して、最善の案を作成してもらい、承認した。

 上手くいくかどうかは分からない。そもそも上手くいくってどういう状態を指すのか。定義からして不可能に近いのがぼくの立場だ。

 ぼくがベッドの上で老衰による死を迎えるのが「上手くいった」ということだろうか。個人としてはそうだけど、国としてそれが良かったかどうかは分からない。王は幸せな一生を送ったけど国は滅茶苦茶、なんてことが普通に起こりうる。逆もまた然り。


 なんでこんな話をしているかというとね、家臣の皆さんが誤解しているっぽいからなんだ。ぼくに何かが出来ると思っている。もちろん彼らも政務の細部をぼくが担えるなんて期待してないだろう。でも、何かをしてほしがってる。

 おそらく、大まかな方向性を示してもらいたがっている。

 ほら、ビジネス書によくあるでしょ。「リーダーの役割はビジョンを示すこと」って。

 ビジョン。

 いやいやいや。無理でしょ。

 怖すぎる。


 まともなビジョンを作り出すためには経験と信念が必要なんだ。

 実務に長く携わり、良いところ悪いところを体感した上で「こうしたほうがよい」が生まれる。あるいは、まず「こうあるべき」という強い信念があって、現実をその信念に合わせるべきだと考える。

 王も経営者も、有能な人はこの二つの混合体を心に抱えてる。

 ぼくの場合はどちらも全然足りない。前者は新書レベル。ただ、今後の成長に期待できる。何年もやっていれば本格的な学術書を読めるようになるかもしれない。先生達臣下が有能だしね。

 ただ、後者は致命的だ。無いからね、「こうあるべき」。

 例えばさ、名前だけはかろうじて聞いたことがあるアフリカのある国について「こうあるべき」を考えられるかな? そういうことなんだ。ぼくの場合はその上を行くからね。そもそもサンテネリ、地球ですらない。


 だからぼくが示せるビジョンはせいぜい「こんな風になったらいいね」というものでしかない。

 ぼくが描く国家の理想像は、結局のところ自分が生まれ育った21世紀の日本というモデルに囚われている。全ての人が平等と自由を「原理的には」保証されている。国民一人一人が選挙を通して政治に参加する。そういうザックリした方向性。

 でもこれは、あくまでもぼくが生きやすい社会というだけでしかない。唯一の正解では全くない。他の道もたくさんあるだろう。冷戦が終わり、良くも悪くもイデオロギーの支配が崩壊した後の世界に生きていたぼくには「こうあるべき」を定めることができないんだ。


 にもかかわらず、ビジョンを示さなければならない超巨大な問題の岩石が二つ、目の前に転がってる。


 一つはね、国体維持政策。

 つまりぼくの結婚について。

 カッコよく言葉を飾ったように聞こえるかな。全然そんなことはない。ぼくの結婚は国体維持そのものだ。

 結婚はもう決まった。エストビルグ家のお姫様が相手。ただ、ここサンテネリでは相手は一人じゃない。

 当事者の気持ちはどうなるんだ。旦那さんが他の人とも婚姻関係を結ぶとか奥さんにとって悪夢でしょ。それは分かりやすいね。でも、同時に男の方もかなりキツい。

 種馬か。

 そういう関係各人の感情を全て無視して遂行することが求められるから、これは国体維持政策なんだ。


 ブラウネさんとメアリさんが光の宮殿に住んでいるって話をしたよね。侍女として働いてるって。彼女たちの生活費、誰が出していると思う。給料出すのは当然だと思うかな。

 出してるよ給料。普通の侍女さん達と同じくらいの額は多分。

 日本でね、例えば額面で月三十万くらいだとしよう。それで青山のタワマンの最上階に住めるかな。お手伝いさん4〜5人雇って。無理だよね。というか、光の宮殿パール・ルミエって皇居だからね。

 じゃあ差額はどこから出ているんだろう。


 宮廷費から出てます。つまり王家のお金です。

 この財政難の折、結構な額がバンバン出ているけど、誰も何も言わない。

 彼女たちの身分が低ければ話は全然違ったはずなんだ。それは愛人だから。家臣一同にチクチク言われる。他の侍従さん侍女さん達もあんな風に畏まったりしない。表面上は丁寧を装いつつ超事務的なはず。

 でも彼女たちは光の宮殿パール・ルミエに巨大な部屋をもらって、使用人をたくさん従えて暮らすことが「当たり前」だと見なされてる。上は家宰から下は下男下女に至るまで、みんなに。

 分かるよね。

 ぼくも分かってるよ。

 自分が何をしたか。

「ただ手の世話をしてもらおうと思っただけなんだ」なんてとぼけたことは言わない。それを言ったらかなり悪辣な政治的行為になるから。


 で、”そういうことだ”というのが貴族社会に広まると、次の動きが出てくる。

 例えばある公爵家の娘さんが地元に帰らずシュトロワここに残るとか、そういうことがね。




 ◆




「後見とはまた急な話だ」


 家宰さんから状況は聞いていたし、将来的に”そういう方向”に進むしかないだろうとは思っていた。

 ブラウネさんを引き取ったことは、ぼくが現政権の方針を今後も堅持するというメッセージとして受け取られる。メアリさんを引き取ったことは、例え国軍と合流しても近衛軍をおろそかにしないぼくの姿勢として理解される。本心など関係ない。国内は当然として、他国の大使館も同様の分析を本国に上げているはず。

 どちらも既定路線だった。ただ事情と時期が急になっただけ。

 だからゾフィさんとぼくの関係もまた、当事者の思いとは関係なく一つの政治的メッセージとして受け取られる。逆をいえば、我々は何を伝えたいのかが重要になる。

 これも方向性は決まっている。ただ、時期が少々、というかかなり前倒しになった。


 今来るのか…。


 ザヴィエさんが帰郷の挨拶に来るという話だった。最初はね。

 公的なものだから謁見の間をセッティングするはずだったのが、先方の要望でぼくの居室の応接間になった。

 こちらもその方が都合が良い。楽で良い、そう思ってた。

 謁見の間だと王冠かぶらなきゃいけない。あれ滅茶苦茶重いからね。金って重いんです。


 で、応接間にはザヴィエさんと、まぁいるよね、ゾフィさんが。


「娘はまだ14、一人シュトロワに残すのは恐ろしいのです。愚かな親心ですが、娘を傷つける輩がいるのではないか、そう思うと安眠もままなりません」


 どこの誰がガイユールの姫を襲うんだよ。聞いてみたい。

 でもまぁ、王を襲う人もいるからね。確率的にゼロではない。


「もちろん物理的にではありません。ゾフィも年頃です。各家の様々な催しに誘われるでしょう。その際に万が一があり得ます。取るに足りぬ軽輩にたぶらかされるやもしれません」


 気さくさを見せつつも押しの強いザヴィエさんの言葉を聞きながら、隣に座るゾフィさんを見る。父の顔をぎろりとにらみ付けるその態度が色々表してるよね。

「はぁ? 余計なこと言わないでくんない。私がビッチみたいに思われるじゃん」的なね。


「まさか、ゾフィ殿に限ってそのようなことはあるまい。ゾフィ殿は淑女の中の淑女。ザヴィエ殿の心配も過ぎよう」


 確かに淑女の中の淑女だよね。ぼくの腕引っ張ってきたりするけどね。まぁ、活発でいらっしゃるけど淑女なんだろう。


「過分なお言葉をいただき恐縮です。しかし、ゾフィはまだまだ幼い。その幼さに乗じて近づこうとする者もいるでしょう。しかし、もしこの娘が陛下の御許に庇護されていることがならば、悪漢どももそのご威光に恐れをなして近づきますまい」


 要求は分かった。

 ゾフィさんをぼくが「後見」することを、貴族社会にということね。

 これは完全に政治案件です。


「ザヴィエ殿の心配は分かった。——ところで、ご当人はどう思われる? 私が後見するとなると、少々になるかもしれないよ」


 ゾフィさんに話を振ってみる。特に意味は無い。

 この会談に臨む時点でガイユール家としての意思統一はなされているわけで、彼女がいくら「嫌だ! 自由に生きたい」と願ってもそれは叶わない。


 ぼくは14で将来を定められた少女をじっと眺める。


 ゾフィさんは多分青が好きなんだろうね。少し前にガイユールの夜会で着ていたのも青系のドレスだった。今日も青い服を着ている。女の人のドレスなんてほぼ見分けが付かないから、分かるのは色くらい。

 今日の方がより鮮やか。

 確かによく似合っている。深い茶の髪にロイヤルブルーは最高の組み合わせだ。高貴と落ち着きを表す。中身は元気いっぱいだけど。

 そして胸元に垂らしたネックレスは、彼女が自分で選んだ例の小鳥さんだ。

 ”自分だけのもの”を欲した彼女が、14歳で自由を喪失する。

 憐憫の情がないとはいえない。


「窮屈などとは思われません! シュトロワでの生活は憧れておりました。だから今回のお話しも私からお父様にお願いしたんです」


 膝の上で握りこぶしを作り、身を前に乗り出して少女は答えた。


「そうか、ならばよかった。あいにく私は気軽に外に行ける立場でもない。ゾフィ殿が色々と見聞を広め、それを聞かせてくれるのが楽しみだ」

「はい。色々なところに行って陛下にご報告します。しっかりとお勤めを果たしますね!」


 ぼくは深く考えるのを止めた。

 満面の笑みで力強く頷くゾフィさんを見るのは少しだけ辛い。

 誘導されていたということもあるのだろうけれど、彼女がそう在りたいと願ったのも事実だろう。サンテネリはそういう世界であり、ぼくも彼女もその枠から逃れることはできない。


「ガイユール大公殿。貴殿手中の最大の宝玉、ガイユールの誇りたるゾフィ殿は私が責任を持ってお護りしよう。——ご息女のルロワ領滞在時における後見を引き受ける」

「ありがとうございます、陛下。何卒娘をお引き立て下さい」


 軽く頭を下げる大公。ぼくの大仰な言い回しに大公は至極あっさりとした謝意を示した。

 今日は内輪の話だ。内定といったところ。正式な披露は数年先になる。ただ、ぼくが彼女を「後見」するという事実は広める。


 そして見返りに、我々が望むものを差し出してもらう。これは政治の話だから。


 ここからが本番だ。


「ああ、ゾフィ殿、私はお父上と少し仕事の話がある。終わったら久しぶりにお茶でも飲もう。隣の部屋で少し待っていてくれないだろうか」

「はい、陛下。お待ち申し上げます」


 ゾフィさんは立ち上がり、勝手知ったるお茶の間に向かう。去り際父に釘をさして。


「お父様、陛下をあまりお引き留めなさらないでくださいね。陛下はお忙しいんですから」




 ◆




「長話になるとゾフィ殿に叱られてしまう。——単刀直入に話そう。税のことだ」


 少女の姿を見送るとぼくはすぐに口火を切った。

 ガイユール公も予想していたのだろう、娘の前で柔和な色をたたえていた表情が少し精悍に引き締まる。


 そう、税の話。

 国体維持と並んで、もう一つの巨大な問題。


 軍縮は支出削減の施策だ。無駄を減らし——ときには無駄でなくてもとにかく減らし、財政の健全化を図る。でも、それだけでは足りない。同時に収入を増やす術も考えなければならない。

 これが為されない限り、維持は出来ても発展はない。


 近衛軍の縮小解体、海軍の縮小、王国軍の縮小。すべて危険性が高い政策だけど、税の世界に手を付けることと比べればまだマシだ。


 税制の変更とはつまり、他者の懐に片っ端から手を突っ込む行為だ。やり方を誤ると本当の殺し合いになる。


 でもやらなければならない。

 本来であれば、もう少し時間をかけて詰めていくはずだった。でも、ぼくの浅慮が引き金を引いてしまった以上、尚早ながら進むしかない。


 全国統一税制の確立。

 徴税請負制の改正。


 その最初の一歩を踏み出さなければならない。


 こういうのが形になる頃にはぼくはもうお爺さんだろう。玉座の老王。壮年の息子が摂政として政治を動かしていて、ぼくの楽しみは孫の成長を眺めることくらい。


 あるいはその頃には国名が変更されているかもしれないね。

 サンテネリ共和国に。

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