無能な王の儚い夢
前に、付き合い上やむを得ず出席した若手経営者の会の話をしたのを覚えているかな。
すぐキャバクラに繰り出すアレね。
あそこ、思えば不思議な世界が広がっていたなと今になってしみじみ思う。
欲望むき出しの金と人脈自慢。そこに耳障りのよい道徳が無理なく共存する世界。
「社員あっての自分」とか「社長こそが最大の奉仕者であるべき」とか「日々感謝を忘れるな」とか。なんと形容すればいいんだろう。
一つ一つは素晴らしい心構えだと思うんだ。
でも、何となく本能が嘘くささを感じ取る。
あれ。
あのうさんくささはどこから来ているのかと考えてみる。
何の因果かぼくはサンテネリの王だ。王として配下のみんなを尊重するし、彼らに思う存分力を発揮して欲しいと思っている。
では、ぼくが把握しきれる「みんな」の範囲はどこまでだろう。これは直感だけど、平民の富裕層までだろう。おそらくそこが限界だ。
この間ブラーグさんに来てもらって時計を発注したとき、名だたる大貴族のご令嬢方の彼に対する態度はぼくと大体同じだった。ブラーグさんの人格を認め、ちゃんと敬意を払って丁寧に接していた。王たるぼくが彼に対してそうしたからかそれに倣っただけかとも思ったけれど、観察する限り、彼女たちは自身に仕える女官や召使いにも相応の敬意を払っている。もちろん絶対的な身分の差はある。でも、同じ人間として接している。
ぼくも、彼女たちも、ぼくの部下達も、皆大体同じ感覚を持っている。小説に描かれるような傲岸不遜な「悪役」にはなかなかお目にかかれない。
皆こう思っている。「民を慈しまねばならない」「民を保護することこそ支配者の義務」。
耳障りのいい道徳だね。
でも、ぼくを筆頭としたこの国の——どこの国でも同じだろうけど——支配階層の人間が考える「民」は観念に過ぎない。恐らく今この瞬間にも旧市街の路地裏でのたれ死んでいる民がいる。それをぼくたちはかわいそうだと思うし救いたいとも思う。
いや、もっと正確に言うべきだ。ぼくたちは貧民という「観念」を救いたいと願っているだけだ。現実の彼らを理解することは出来ない。
ぼくがある日突然道徳心に目覚めて、衝動的にその路地裏に出向いたとしよう。そこで運良く「かわいそうな貧民」に出会えたとする。そして彼らと何か話したとして、ぼくは彼らと通じ合えるだろうか。恐らく無理だろう。彼らを理解するためには彼らの世界に入っていかなければならない。それは不可能だ。
にも関わらず、あたかも彼らのことを知っているかのような顔をして「観念」を振り回すその姿に、ぼくはうさんくささを感じるんだ。
今ぼくの目の前で熱弁を振るうこの男はそれを分かっているんだろうか。
ピエル・エネ・エン・アキアヌ。
ルロワの分家であり、ガイユールと並んで広大な領地と富を占めるアキアヌ公領の当主。ルロワ家が断絶したならば、サンテネリの継承法において王位請求権の第一となるアキアヌ公爵家の主だ。
開明的な思想の持ち主、平民の護り手。そう呼ばれるこの男は、自身の「うさんくささ」を理解しているんだろうか。理解した上で”そう”振る舞うならば構わない。
でも、もしそうでないとしたら、それは一種の不幸だ。
◆
「陛下はご存じか? このシュトロワで日々貧苦にあえぎ、人知れず道ばたで死んでいく者達のことを。彼らには人として生きる権利は与えられないのか?! 乳飲み子を抱えて途方に暮れる母親の嘆き。
この葡萄酒おいしいな。今日のご飯はお客さんが来てるからちょっと奮発したのかな。
「この国の貴族は本道を見失っている! 我らは本来民の護り手であるはず。民無くして王無し。我らは国家の僕であるべきなのに、何やら主人と勘違いしている」
「なるほど。おっしゃることは誠に理を得ている。さすがはアキアヌ公。国家の柱石であられるな」
毒にも薬にもならない返事を返しながら葡萄酒をちびちび飲んでいる。
酔うと演説始める人、いるよね。もちろん
「グロワス殿はお若い。まだまだ学べることがたくさんある。にも関わらず
このピエルさん、30代後半。元々は筋肉質な体型だったのかもしれないけど、そろそろ中年太りも本格化する年頃らしく、ぽこりと出た腹が隠しきれない。
分かる。
あれは何なんだろうね。お酒ばかり飲むからかな。若い頃より明らかに食べる量は減っているはずなのに。
「街といえばピエル殿、旧市街に大きな土地を取得されたようですが、どうされるのです?」
「おお、よくぞ聞いてくださった! 旧市街にはうち捨てられた古い屋敷が山ほどありましょう。あれらをまとめて再開発をするのだ。最近の平民どもは金を持っているからな。我ら貴族のように洗練された遊びも出来ぬ。そこで、彼らが金を使える場所を作ってやろうというわけだ」
「それは素晴らしい。アキアヌ公ほどの資金力が無ければ到底なし得ぬ大事業。——さぞかしいい儲けになるでしょう」
演説拝聴もそろそろ疲れたので話題を変えてみた。
意識高い系道徳から流れるように俗な金儲けへ。この切り替えの早さが魅力だよね。一種の才能なのだと思う。
「聞いてくれるかグロワス殿。まぁ儲かるぞ。土地は大きくまとめなければ意味がない。大規模にやれば効率も上がる。これは秘訣ぞ」
確かに。アキアヌ公領はサンテネリの大規模農場経営の先駆けとなった地域。アキアヌ領の成功を見て、土地持ち諸侯の多くが程度の差はあれそのトレンドに乗った。
まぁ、ありがたいことだ。
大量の穀物を安く作れるようになったおかげで軍もだいぶ助かっている。加えて軍に大量の人間も送り込んでくれた。
土地を失った元自作農の皆さんを。
「ピエル殿がおっしゃると説得力が違う。何せ結果を出しておられる」
あ、軍だけじゃないよ。人を供給してくれた場所は。
都市にもたくさん送り込んでくれたよ。彼らは元農民。都市で生きるための技能を持たない。だから道ばたや廃屋に住み着いている。
「ところで、古い屋敷の住民はどうなさったのです?」
「住民? そんなものはおらんよ。不法に住み着いている者どもは立ち退かせた」
まぁこんなところだろう。
要するに、昔ながらの高コスト体質経営をしていた零細農家が大資本に潰され、行き場をなくした彼らが軍と都市に流入。前者は戦争ですりつぶされ、後者は都市の無産市民としてその日暮らしを強いられている。
そしてぼくは肥大化した軍を養いつつ、土地に根付かず守るべきもののない大量の群衆をなんとかしなければならないというわけだ。
軍の規模を縮小すれば居場所を失った兵達は路頭に迷う。遠からず都市の無産市民に溶け込んでいく。
ぼろぼろの軍。悪化する治安。そして、失う物のない大量の人々。ダイナマイトの導火線の前でライターカチカチやってる感じだね。
ついつい批判的に考えてしまうけど、アキアヌ大公のせいというわけではない。彼や彼の先祖とてこんな結末は予想しなかったはずだ。彼らもまた必要にかられてそうしたのだから。
もう、そうなるしかなかったという他はない。
誰が悪いというわけでもない。
いや、それを考えるのは本当に嫌なんだけど、実は悪いやつは存在する。
目の前の彼が追い出した貧民達は道ばたで野垂れ死ぬだろう。死を前にして誰を恨むだろう。ピエル氏か? そんなわけはない。彼らは不法に廃屋に居座った犯罪者であり、ピエル氏は私兵を率いて街を浄化した篤志家だ。しんどいことに、ピエル氏本人も、追い出された貧民達ですらもそう思っている。
じゃあ誰か。
王だよね。
ぼくがその日暮らしの貧民達を観念でしか理解できないように、彼らもまたぼくを観念でしか捉えられない。国を治めている存在としての王。
だから、国が治まっていないのは王のせいだ。
そんなことは分かりきっているから、有能な
彼らを生贄に捧げればよい。例えば目の前で気持ちよく酔っているこのような男を。
さらにもう一歩進んで、平民の中にも溝を作れるとなお良い。富裕市民 VS 無産市民。
分割し、統治せよ。
高校の教科書で習ったよね。
ただ、考えるのはたやすいけど実行するとなるとすごく繊細な動きが必要になる。生贄にされる側も黙ってないからね。彼らが気づかぬようにうまくやる必要がある。そして、気づかれたら力尽くで黙らせなければならない。
ぼくにはそれをやる能力もやる気もない。
ピエル氏は自身が祭壇に供される可能性を分かっている。だから「平民の護り手」を謳う。いや、多分素かな。
こういうタイプの経営者は強いよ。
搾取と篤志が無理なく同居できる精神構造。これ。
ピエル殿は王位に就けばきっと名君になる。”それはそれ、これはこれ”で「大胆な改革」がやれるだろう。
でもぼくは無理だ。応急処置を繰り返しながら息を殺して嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
何か思いつかないかな。
この行き詰まりをひっくり返す何か。
職にあぶれた大量の平民達については軍に吸収した結果財政を圧迫。
それならば新大陸に送り込もうとするもアングランとの紛争に発展して財政を圧迫。
新産業を起こそうにも人手を必要とする大規模なものなんて生えてこないし、そもそも大量生産したところでそれを受け止める市場がない。
中央大陸以外に市場を求める? やってはいますがここでもまたアングランとぶつかり財政を圧迫。
貴族達は一部の商才溢れる家以外没落一途。だから彼らは公務員を目指します。軍であったり国家官僚であったり。で、色々なポストで彼らを国が抱え込んだ結果、財政を圧迫。
商売に携わる富裕市民のみなさんは個別には上手くやってる。貴族も一部は上手くやってる。だから、彼らにどんどんお金を使ってもらって、その恩恵を裾野に広げたい。そしたら国全体の景気が良くなって政府も税収で潤う。足りないけど。
じゃあどうやってお金を使わせるかといえば。
富裕な平民達に国政への道を拓く(代わりにお金を出してもらう)というのは最近サンテネリで流行りの改革案。
彼らに安心して商業活動をやってもらうためには、その活動が「守られる」という保証がなければならない。誰から? ぼくや貴族達から。
それはつまり
そこでは王や貴族は存在を定義されて、その権限を限定される。
限定で終わることを願うよ。
でも、これはつまりサンテネリが建国時から積上げてきた身分制社会の破壊を意味することだからね。原理的に。
現実的にはもう崩壊しているんだけど。
だって、中央大陸の身分制度は正教の教えを源泉にしているんだ。
”「魔力」の大きいものが小さいものを支配する”っていう。
で、「魔力」なんて存在しないことはもう常識になりつつある。つまり(まだ魔力とか信じてる熱狂的正教信者を除いて)皆、なぜ王や貴族が偉いのか説明できない状態なわけだ。現状は「よく分からないけど王や貴族には従わなければいけない。だって”昔からそうだった”から」というふわっとした雰囲気が社会に残っているだけだ。あと暴力ね。
でも、暴力装置たる軍だって「皆」の一員だから、「なんでこいつらの言うこと聞かなければいけないの?」となる可能性は十分にある。
そういう意味では法律でそれぞれの立場を明確にするのは決して悪いことじゃない。ただね、作るときに誰かが気づくんじゃないかな。
「王は神聖にして不可侵」っていうけど、なにを根拠に? って。
その気づきはきっと広がっていく。
一度始まったら行くとこまで行く可能性がある。
似たような事例、何となく高校・大学で勉強した。細かいところは全然違うけどね。
歴史って面白い。小、中学校では「歴史上の偉人」をたくさん習うでしょ。卑弥呼とかから始まって織田信長とか豊臣秀吉とか。で、高校になるとちょっと趣が変わってくる。より遠景から「歴史の流れ」みたいなものを学ぶようになる。で、大学になるともっとわけが分からない。超個別に特定の時代の特定の資料を読むか、あるいはそもそも「歴史」ってなんなのか、とか概念的な方向に行くか、一言で纏められない多様な世界が広がっている。
日本で暮らしたぼくは、与えられた社会の枠の中でただ自分たちが生き残ることだけを考えればよかった。でも、今ぼくはサンテネリここで”より大きな世界”を見なければならない。にもかかわらず、残念なことにそんな教育を受けてもいなければ天賦の才もない。
新しい技術、新しい制度。
それはぼくの思いつきからは生まれてこないし、たとえ生まれてきたとしても結末がよいものになるかは分からない。多分「えっ、そこに行くの?」って感じで明後日の方向に飛んで行ってしまうだろう。
◆
結局この徒労感が全てなんだろう。
いっそもう、
旧城の宝物庫に昔の剣とかあるでしょ。そのどれか一本を持って。
自分で気づいていないだけで、この世界でぼくだけは「魔法」を使えるかもしれない。あるいは、ひょっとしたら剣の才能が眠っているかも。
旅の途中で困ってる村人を助けたり盗賊に襲われてる高貴な姫君を助けたりしてね。ドラゴンとかも倒す。
ぼくを慕う仲間が出来て、姫から熱い視線を向けられてね。
最終的にはなんか悪いやつを倒そう。なんか悪いやつ。魔王とか?
で、最後は高貴な姫を娶って王になる。
あ、あと、姫を守る男装の騎士令嬢もぼくに惚れていてやっぱり恋仲になる。道中ドラゴンが暴れてた地域を治める大領主の娘さん(妹感ある)もぼくに憧れてることにしよう。さらに、王になったぼくの能力を認めてくれたた宰相と信頼関係が生まれてね、自然その娘さんにも懸想される。
今のぼくだわ。これ。
高貴な姫(仮想敵国との和約を象徴して贈られてくるある種の生贄)もいるし、男装っぽい騎士令嬢もいるね。宰相の娘もいるし妹みたいな大貴族の娘さんもいる。
残念なことに、足りないのは魔王だけ。
魔王欲しい。
赤い国家財政とか無産市民とか新大陸紛争とかそういう無敵の何かじゃなくて、剣と魔法でちゃんと倒せるやつ。
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