無能な王のお買い物

 オフという言葉を知っているだろうか。

 久しぶりのオフだ! とかみんな言うでしょ。そのオフ。


 このオフ、新人の頃は比較的多い。

 それがね、立場が上がっていくと徐々に少なくなっていく。上司が暇そうに見えたとしたら、それはまさにそうだけ。

 役員とかになるとオフが極小になる。

 そして社長になると、無くなる。


 そんなわけないだろ、と思うかもしれない。部長とか取締役とかいつもゴルフ行ってるか飲みに行ってるかじゃん。出社も適当だし。そう思うかもしれない。

 社長なんかもう、そもそも会社来ないじゃん。そうだよね。


 でも、ちょっとオフの定義が違うんだ。身体的拘束は確かに少なくなるんだけど、精神的にね。仕事にまつわる諸々を頭の中から追い出していられる時間をオフと定義すれば、出世すればするほどオフは減っていく。

 社長になるとさ、誇張ではなく、朝起きてから夜寝るまでどこかしら仕事のこと考えているんだ。人生と仕事が癒着して離れない状態。

 これは意外としんどいよ。

 崇高なことを考えているわけじゃない。経営計画とか。ああいうのは人集めて時間決めて一気に作ればいい。

 そうじゃなくて、ひたすら不安がポップしてくるんだ。「アレは上手くいったかな」「コレは大丈夫かな」「あの人はうまくやってくれるかな」。キリがない。

 最後はね「明日空が堕ちてきたらどうしよう。まず店舗閉鎖のお知らせを出して…」みたいなことを考え出す。


 でね、王も全く同じなんだ。

 朝から晩までどうしよう? どうしよう? が続く。日常の些細な行動にも仕事が入り込んでくる。


 精神の平衡を保つためには没入できるものが必要なんだ。

 つまり、趣味が必要。

 ないと狂う。


 だから許してほしい。ぼくは今、新しい時計を発注しようとしている。




 ◆




 ぼくが愛用する時計はアブラム・ブラーグさんという技師が作ったものらしい。はこと時計に関して素晴らしい趣味をしている。


 ケースに何の装飾も施されていないシンプルな金の本体。

 蓋をあけると美麗なギョシェ彫り。三針のスモールセコンド。あー、秒針が小さくて6時位置のちょっと上あたりについているやつね。


 恐らく昔のぼくのことだから、こういう身の回りのものに拘らないことが英雄の証と考えていたんだろう。で、お付きの人がこれを用意して、ぼくは使った。

 ぼくの審美眼は関係ないように思えるけど、気に入らなかったら違う物を要求しただろうから、使っていた時点でこのシンプルさを認めていたことになる。


 で、も欲しくなった。

 というのもね、これ、機械が見えないんだよ!


 ありえん。

 王家に納品してる時計師なんだからサンテネリでも一、二を争う大物に決まってる。しかも王に渡すとなれば本人のハンドメイドのはず。弟子に作らせるわけない。

 それを、機械が見えない? 

 それはないでしょ。


 高い時計ってね、見えない部分も偏執的なまでに磨かれて装飾が施されてるのよ。仕上げの種類とか語り出すと止まらないからやめておくけど、とにかくそこらの宝石なんて目じゃない美しさ。

 そして宝石をはるかに凌ぐ価格。これはまぁそうなる。人に働いてもらうのが一番コストが掛かるんだ。人間国宝みたいな職人さんを月単位、場合によっては年単位で拘束したコストが全部乗っかってるんだからね。


 機械を見たい。


 そんなわけで、我慢できなくなってブラーグさんを呼びました。

 本当はお店に行きたかったけど、無理なものは無理なので。


 一応侍従の皆さんに相談したはした。

「すぐに調整いたします」

 と言ってくれた侍従長さん。ぼくを見る目が生暖かい。恐らく脳内で「行きたい」の部分は完全消去されている。調整、つまりいつ呼ぶかということのようだ。

「頼む」

 と答えてふと気づいた。


 このおじさん、ぼくがちょっとした空き時間に時計をいじくり回しているのを観察しているはず。つまり、ぼくが時計に「しかるべき」関心を抱いていることを分かっている。


 今は就寝前のひととき。

 あ、これ放っておくと明日ブラーグさん来るな。

 それは流石に不味い。だって、もう23時過ぎだよ。ここから従僕をブラーグさんのところに派遣して、寝ている彼をたたき起こして言うわけだ。

「陛下のお召しである。明日14時に宮殿に参るように」

 と。

 で、侍従長さんは侍従長さんで明日のぼくの予定を調整し、時間を空けなければならない。関係各所に早馬が飛ぶ。

 それはさすがにまずい。


「ああ、急ぎではないんだ。皆に無理のかからぬよう空いた時間にでいい。…本当だぞ」




 ◆




 で、今日のこの日を迎えました。

 ぼくがいつものお茶部屋に入ると、隅の方に少し小柄な壮年の男性が両膝をついて控えています。

 この部屋、無駄に広いだからね。最初何かの置物かと思った。


 すごいことだよね。

 現代日本だとね、このクラスの時計師さんって本当に神のような存在なのよ。本来こっちがお客さんなんだけど、完全に立場が逆転してしまう。ぼく以外にも買いたい人がいくらでもいるんだからそうなるのも当然。需要と供給の関係です。


 そんなすごい人が部屋の片隅でじっとぼくの「お声がけ」を待っている。

 サンテネリ感ある。


 えー、そして、本日は特別ゲストもいらっしゃってます。

 正直いなくてもいいんだけど。


 時計はさ、孤独に買いたい。

 でも断れない特別ゲストの皆さんです。


 まずゾフィさん。

 成り行きで時計を見せたときのことをしっかり覚えてくれていたようで、後日「もう一度見たい」と乞われて見せた。その時に新しいものを買うこともポロッと話しました。しょうがないね。人は趣味の話になると饒舌になるからね。

 すると、ゾフィさんも時計を欲しいと思っていたところだと言う。ナイスミドルのお父さんに頼めばお抱えの職人さんが作ってくれるよ。そう返したいところだけど、また俯かれると困るからね。

 あとね、やっぱり自分の好きなものに興味を持ってもらえるってうれしいのよ。時計みたいな限界趣味を極めた分野に同好の士は少ない。

「では、ゾフィ殿も共にブラーグ氏に頼むと良い」

 まぁやってしまいましたね。

 お金はなんとかなるでしょう。ガイユール家はルロワ家うちよりお金持ちだからね。


 さて、まだ続きます。

 ブラウネさんも参加することになりました。

 ぼくが手渡した時計を見て以来その美しさに惹かれていた、ということのようで。

 そうか。それはうれしいな! ——傍目には時計とか全く興味なさそうに見えるんだけどね。

 結婚したら真っ先に「ねぇあなた、腕は二本しかないのに、なぜ10本も20本も時計が必要なんですか?」と言って旦那を詰めそうな片鱗すらあるのに。

 そもそも、ぼくがブラーグさんを呼ぶことをどこで知ったんだろうね。

 想像は付く。

 だって、ブラウネさんのお父さん、ルロワ家うちの家宰だからね。家宰は実質的なサンテネリ国宰相だけど、文字通りルロワ家の使用人頭でもある。つまり侍従長の上司なわけで。


 そしてメアリさんもいるわけです。

 ぼくがぬいぐるみ見せてと言ったからだろうね。後日逆に「陛下の”今の”ご趣味は?」と聞き返されて素直に答えました。

 即座に「軍において時計はとても大切なものなのです。私も一つ持っていますが最近調子がよろしくありません。陛下、どうすればよいでしょうか?」

 いや、お抱えの技師さんに…。そう言いたいけど見事先手を取られた。

「家の恥をさらすようで恐縮ですが、バロワ家は代々武門。装飾品の伝手などほとんどありません」

 少し寂しそうに呟かれるとグッとくる。

「では今度共に見るか」

 と言ってしまうぼく。冷静に考えればおかしいよね。軍にとって時計は重要なものなのなら、お抱え技師いるでしょ。

 バリキャリ怖いね。そして多分、彼女もまたどこからか情報を得てる。


 皆さん裏で繋がってるんですかね。やっぱり。




 ◆




「よく来てくれた、ブラーグ殿。無理を言ったな。さぁ、こちらへ来てくれ。今日は貴殿の時計の素晴らしさに興味を示してくださった貴婦人の皆さんもお招きした。場が華やかになって嬉しい限りだな」


 ブラーグさんに声をかけ、ソファーとテーブルが備え付けられた一角に招く。


「陛下、この度はお目通りをお許し戴き、誠に恐悦至極に存じます」

 結構本気で畏まられている。こういうのしんどいね。


「いやいや、礼を言うのはこちらの方だ。希代の時計師と評判のブラーグ殿を呼びつけてしまった」

 ニコニコ顔で返す。真顔だとプレッシャー半端ないだろうからね。

 ついでに”時計の素晴らしさに興味を示してくださった貴婦人の皆さん”も紹介しておこう。彼女たちもクライアントになるかもしれないしね。


「こちら、ブラウネ・エン・フロイスブル侯爵令嬢」

 ぼくは右隣を占めるブラウネさんから紹介を始める。もうここからブラーグさん目を白黒させてるからね。彼のような高級時計を製造する技師はクライアントに貴族も抱えているはずだから、フロイスブル家の名前を知っていてもおかしくない。


「そしてこちらはゾフィ・エン・ガイユール公爵令嬢」

 ブラーグさん、うわぁ、みたいな表情を隠せない。ギョロリとした黒目が今にも裏返りそうだ。ガイユールの名を知らない人はサンテネリにはいないわけで。だって日本に例えるなら「北海道」みたいなものだからね。

 分かる。こういう有名人に突如エンカウントするのって、結構しんどいよね。


「さらに、私の後ろに控えておられるのがメアリ・エン・バロワ伯爵令嬢」

 これは別に身分違いゆえに立っているわけじゃない。近衛の準礼装を身にまとった彼女は、他の二人とは異なり軍の将校という役職を持っている。そしてぼくの警護役でもある、というわけだ。


 この位置取りの瞬間、結構怖かったよ。三者目を見合わせてしばし無言。それまでは和気藹々だったのにね。


「さて、ではブラーグ殿、時計の話をしよう。さぁ掛けてくれ」


 対面の椅子を彼に勧めながらぼくも座った。同時に皆さんも着席。メアリさんは椅子の後ろから出て、ぼくたちの脇に移動した。




 ◆




 この光景、どっかで見たことあるな。

 あー、イケイケのIT社長が駆け出しのモデルさんとか女優のを引き連れてブティックに来るやつだ。


「でさ、おれにはどれがイケてるかな? ○○ちゃんどう思う?」

 とか女の子達に聞くわけだ。


「えー、○○さんならこれかなー」

 みたいな返しがエコーのように店内に響く。


 そんな光景を尻目に店長さんとぼくは延々マニアックトークに花を咲かせる。おっさん二人でキズミ虫眼鏡持ってムーブメント機械を観察しながら「ここのコード・ド・ジュネーブ仕上げ、浅くていいですね。これは手仕上げかな。さすが△△」みたいな感じ。


 まさかここに来て

「おれにはどれがイケてるかな?」

 をすることになるとは。


 しかも、横にいるのモデルさんでも女優の卵でもないからね。

 下々のものが無礼を働いたら即座に首と胴が分離されてしまうタイプのエグい権力者の愛娘たちなわけで。しかも皆控えめに言って「卵」ではない女優さんレベルの容姿なので。


 でも、ぼくは決めている。

 ここはブラックカードとランボルギーニの鍵をチラつかせながら金持ちマウントトークをする場では断じてない。

 申し訳ないが、ぼくはぼくの流儀で行かせてもらう。


「ブラーグ殿、私は貴殿が作った時計をとても気に入っている。文字盤の彫りも極めて繊細。そして針の青焼きの美しさ。歩留まり悪いだろう?」

「歩留まり…ですか」

「ああ、つまり、綺麗な針を作るのに失敗することも多いだろう?」


 彼の顔がパッと明るくなる。

 分かる。マニアは通じ合うんだ。サンテネリでも。


「陛下のご慧眼、まことに感服いたします。まさにその通りでございまして、こちらの針は鉄を焼き上げて作るのですが、温度調節を少しでも違えれば色が濁ってしまうのです」

「針も貴殿が作られるのか?」

「左様でございます」

「それはよい。針の造形は時計の印象を決める。…文字盤の地板は真鍮を?」

「とんでもございません。陛下にご使用いただくものでございますれば、純金にメッキを施しました」

「なるほど、白銀色なので金ではなかろうと思ったが、メッキか。これも貴殿が一から作られたのか」

「いえ、こちらの文字盤は帝国の…」


 ブラーグさんの饒舌に急ブレーキがかかり目が激しく泳ぎ始める。なにが起こったのか。


「ブラーグ殿、陛下はまつりごとと技術を峻別される英明なお方。心配なさらなくともかまいません」


 メアリさんがそう声を掛けたことでやっと気がついた。

 あー、ぼくは帝国を毛嫌いしていたんだった。そういえば。

 今のぼくがそうではないことをブラウネさんや他の皆は知っているけど、市井の者にまで情報が下りていくのはまだ先だろう。


「はっ…まことに…」

「ブラーグ殿、バロワ令嬢が言うとおり、私は帝国の技術に偏見を持たない。良い物は良い。それは事実だ。貴殿は最高の物を作りたいのだろう。ならば最高の部品を使うべきだ」


 ブラーグさん、そろそろ汗を拭いた方がいい。炎天下にハーフマラソンした後みたいになってる。


「ああ、ところでブラーグ殿、今日は何か見本のようなものをお持ちか」


 王侯貴族向けの時計に既製品はない。全てオーダーメイドだ。基本形となる見本を見ながらカスタマイズを施していく。もちろん完全新規でデザインを起こすことも可能だけど、素人が「ぼくの考えた最強の時計」をやると大体しょうもない仕上がりになる。


「もちろんでございます! ただ、陛下の御為のみと考えましたため、ご婦人向けのものはあいにく…」

「構わない。こちらが勝手に押しかけたのだ。見せてもらえるかな?」


 いそいそとカバンの中から箱を取り出すブラーグさん。

 その手元を凝視するメアリさん。

 メアリさんが仕事してる…。このおじさんがそのカバンの中からいきなり短銃取り出すかもしれないもんね。

 でも多分、この部屋に来るまでに荷物検査されていると思うんだ。

 念のため、ということか。




 ◆




 テーブルに並べられた懐中時計は5つ。

 ぼくはそのうちの一つを手に取って観察モードに入ろうとした。


 そこでふと視線を感じる。右を向くとブラウネさんと視線が合う。

 ブラウネさん、ぼくじゃなくて時計を見よう。興味ないのは分かる。分かるけど、ひょっとしたら気に入るものがあるかもしれない。


「ブラウネ殿、こちらを見られよ。この文字盤に空いた小窓の部分だ」

 無理に連れてきたわけでもないので気遣う必要はない。でも、ずっと退屈させてしまうのはかわいそうだ。ぼくは手に取った時計の見所を解説しようと彼女の方に身体を傾け…。


「陛下! 陛下! これ、見てくださいませ! 文字盤の月にお顔が描かれています!」

 いきなり腕をつかまれて引き戻される。

 ゾフィさん結構あるね。

 って文字通り筋力と、そして権力ね。


 王様の腕をいきなり引っ張るとか普通なら結構大事になる可能性が高いんだ。でもガイユールのお姫様だからね。そのくらいは許される。

 貴族って怖いね。


 そして横目にチラリと映るブラウネさんの眼光。イイ感じで鋭い。口元は笑ってるんだけどね。

 怖いね。


「ああ、ゾフィ殿。それは月齢を表す仕掛け。そうだな、ブラーグ殿」

「はい。おっしゃるとおりにございます」

「ブラウネ殿もメアリ殿も見てみるとよい。この月面に描かれた顔、どことなく間抜けな表情がまた面白いぞ」


 こういうときはね、皆呼ぶ。呼んで巻き込んで全員で体験を共有しよう。


 それしか道はない。




 ◆




 次にブラーグ氏と会うときは、絶対一人で。

 ぼくはそう心に誓った。


 やっぱりキツい。これ。

 皆さん(たぶん)心根優しいお嬢さん方なんだけど、ふとした瞬間に見せる能面のような表情がね。その、ね。


 社長と王は結構似ている。でも、明らかに違うところもあって、それがまさにこの問題だ。一夫一婦制って偉大な発明だと思うよ。男として心底そう思う。


 ぼくの場合、主に政治的要因から正妃は既に決まっている。

 でも、この中央大陸には側妃の制度があるんだ。男の精神を大根よろしく”おろし金”のようなシステムだ。ただ、これがあるからこそ王朝の命脈がやたら長いともいえる。我がルロワ家にしてからがマルグリテ女王のときに一度傍流に流れたものの、そこからは直系で700年以上続いてる。これは側妃制度あったればこそだろう。


 いっそ戻って、正教の熱烈な信奉者を装おうか。

 実はちょっと本気で考えた。

 でもダメだ。それをやるとパニックが起こる。だって、だからこそエストビルグとの和約にこぎ着けたわけで。ぼくがに戻ったと皆が感じたが最後、サンテネリの上層部には極度の緊張が走る。疑心暗鬼が充満する。


 結局のところ、時計一つ買うのすら政治なんだ。

 仕方ないね。王だから。


 あ、ちなみに2つ注文しました。一つは懐中。もう一つは…。

 サンテネリで使える唯一の現代知識、ここで活用させてもらう。国の発展には全く貢献しません。主に自分のためです。


 あ、お嬢様方も皆ぼくと同じ懐中時計を注文してました。

 色々言いたいことはある。

 ペアルックじゃないんだよ! 時計はね、絆を感じるためのちょっとした小道具とかじゃないんだ。遊びでやってるんじゃないんだよ!

 もちろんそんなことは言えないので「これはうれしいな。皆との絆がまた一つできた」と微笑んでおきました。


 納品が楽しみです。

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