第25話(終)


 ぼくは、頭を打ったかもしれない日から、〝急に性格が変わった〟ように見えるらしい。

 それを良い変化として受け入れてくれる人もいるけれど、「じつは宇宙人と入れ替わってるんじゃない?」なんて言って、怖がる人も少しいる。

 ぼくがあの楽園での日々を黙っていれば、宇宙人説で怖がる人だけですむ。

 でも、もしあの日々を口にしたら、どうなるだろう。

 きっと、いっそうにぼくのことを怖がる人が増えるだろう。と、思うから、ぼくは言わない。

 あそこで過ごした時間は、心のなかにしまっておく、大事な大事な記憶だ。

 ぼくは、変わった。自分でもびっくりするくらい、変わった。

 それでもやっぱり、ぼくはぼくのままだ。宇宙人と入れ替わったわけではなくて、ぼくという人間が生きてきた道は、今も確かに残っている。

 今は稀だけれど、今でもときどき、息の仕方を忘れることがある。

 そういうときに、それを強く感じるんだ。

 もしも、昔の自分に戻るように、息の仕方を忘れたら。

 ぼくは、ウオくんたちと過ごした時間を、思い出すことにしている。

 そうすると自然と、身体中が酸素を吸いだす気がするから。


「ほーんと、病院行ったほうがいいと思うけど?」

「なんで?」

「だって、河川敷でびしょ濡れの状態で寝てからでしょ? 水族館にハマったの」

「ああ」

「まさか、年間パスポートを買わされるとは思ってなかったわよ。それで? 将来は飼育員さんにでもなるの?」

「んー」

 ぼくは、水の中に潜って、長い間過ごすことができない。酸素ボンベがあれば少しは居続けられるだろうけれど、いつかは水から顔を出さないといけない。

 でも、水族館は、なんとなく。空気の中にいるのに、まるで水に潜ったような感覚を味わうことができるから、すごく好きだ。

 まるでウオくんたちと過ごしたあの場所のように思えて、すごく落ち着くから。

 暗い空間。厚く透明な板は、時に来館者の姿を映す。

 板の向こうで、大きな魚のヒレがふわり、と動いた。

 その時、板に映る女の子が、ふ、と、メイに見えた。

 ヒレの持ち主が、すいすいと泳いでいく。

 その先には、ウオくんのように優しい顔をした魚と、ビタローさんのようにきれいな色をした魚がいた。

 ぽちゃん、と水が揺れた。

 水中服を着た飼育員さんが、泡を上へと吐き出しながら、降りてくる。

 ぼくはその姿に、ヒデトさんを重ねて、目を閉じた。

「そうだね。飼育員さんになるのも、いいかもしれない」

 飼育員さんになっても、魚たちと会話することはできないのだろうし、魚人も人魚もここにはいない。

 ここは、あの楽園ではないからだ。

 けれど、ここは今、たしかにぼくの二番目の家で、ぼくが見つけた、ぼくの心の楽園だ。

「さぁ、そろそろ帰ろうか」

 お母さんが笑った。

「うん」

 ぼくはそっと微笑みを返すと、「またくるね」と心の中でひとりごち、歩き出した。







 ――了――




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ぼくと泡の楽園 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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