エピローグ

 正式に王と認められるためには、実に多くの手続きを必要とした。

 サフィルはそれらをひとつずつこなしていく。


 神々に誓いを立て、先祖の霊廟へ報告をし、最後に謁見の大広間で両親に挨拶をし玉座を譲り受けることで、永遠に続くかと思われた即位の式典はほぼ終わった。

 最後に残っているのは、イゼルアの民に王の姿を見せること。


 この日のために新しく誂えた、滅多に袖を通すことのない特別な正装で身を固め、精一杯着飾ったサフィルは、バルコニーに通じる扉の前でカーテンに隠れてゆっくりと深呼吸をしていた。

 胸には二つの花をあしらったピン。エルデ城市のアクセサリー職人に頼んで、指輪そのものを加工しなくても巧く留められるよう工夫して作ってもらった。


 サフィルは今までにない緊張を噛みしめている。

 今日は特別に王城の前庭が解放され、ひしめくようにイゼルアの国民が集まっていた。新しい王の姿を一目見ようと。

 その熱気は、色ガラスを填めた窓をびりびりと震わせるように城内に伝わってくる。


「兄上! 捕まえてきました!」


 溌剌とした声が聞こえ、サフィルが振り向くと。

 ミシェイルが義理の兄ロイの捕獲に成功し、袖を掴んで引っ張って来てくれていた。

 この二人は意外とうまくやれている。ミシェイルは何故かロイに良く懐いているし、ロイも、サフィルの家族に対しては過剰な人見知りが発動しないようだ。

 自分には価値がないと思い込んで自信をなくしていた自称『役立たずの第二王子』は、最近少し明るくなった。王嗣という重責が良い方向に作用しているようだ。産まれた順番より大切なものを、ロイに学んだのかも知れない。


「ご苦労だった、ミシェイル」

「あ、あのねえ、僕は——」


 とにかくこういう華やかな場が苦手なロイが逃走を図ったのは朝食後。それから今までどこに隠れていたのか、遂にミシェイルに見つかって腕を掴まれ連行されてきた。

 不満そうな表情だったが、ふと顔を上げてサフィルを見、そして、大袈裟に仰け反る。


「……どうした」

「いや。綺麗だなと思って」

「それで合っているのか? 他に言い方があるだろう」

「うーん。偉そうとか、格好良いとか? でもやっぱり、君は綺麗だよ。最初に会った時から印象が変わらない」


 サフィルは口角を上げた。

 自分が『綺麗』である意味は分からない。それが必要であったとも思えない。

 だが、城主の傍に寄り添う妃としての己には、誇りを持っている。


 始まりはただの戦略だった。

 だがもう違う。


 華やかなファンファーレが鳴り止み、辺りを静寂が包んだ。

 城に詰めかけた市民も固唾を呑んで、王の登場を待っている。


「ロイ」

「うん?」

「残りの二つを、そろそろ数えようと思う」

「ええと、つまり、終わりにするってこと?」

「そうだな。夢の中に留まるのはもうやめにして、ここからまた新しく数え始めよう」


 今度は二人で、永遠に続く時を数えていこう。

 ロイはサフィルの言葉の意図を汲み、苦笑しつつ頷く。


 九つ。カーテンが開かれ、色ガラスの窓も開け放たれた。

 と同時に、潮の香りのする風に乗って空を割らんばかりの歓声が沸き上がり、城内に吹き込む。

 外は眩しかった。イゼルアを祝福するように、すっきりと晴れ渡っている。

 風は強く吹き上げ、この国には咲かない内陸原産の薄桃色の花と浜白百合、それに金色の環をデザインした新しい王の紋章旗が、青空を泳ぐようにおおらかに翻っている。


 十。バルコニーへ一歩、踏み出して、サフィルは立ち止まった。

 そして振り返り、手をロイの方へ差し伸べる。

 とびきりの笑顔で。


「行こう」

「え? む、無理だよ。初対面の時の意趣返しなんだろうけど、僕には君の隣にいる資格が——」

「いいから! ほら行って下さいロイ義兄さん!」

「——ちょ、ちょっとミシェイル君っ!?」


 ミシェイルが強く背を押したため、ロイはたたらを踏んで転がるようにベランダに出て来る。

 王を迎える歓声に、ほんの少し、不思議そうなどよめきが混ざった。

 見るからにイゼルア人ではない赤毛の男が、王と共に現れたことに、戸惑っている。


 サフィルはロイの手を取り、バルコニーの先端まで引っ張るように連れて行った。

 ロイは驚嘆の表情で前庭を見渡し、しきりに眼鏡の位置を直しながら、新しいものが大好きなその目にイゼルアの民を映していく。


「私の国はどう見える」

「そうだね。とても楽しそうで、幸せそうだ。皆、君が王になったことを喜んでいる。こういう明るい即位式も良いね」

「お前のところでは違うのか?」

「アルス=ザレラの王は死ぬまで玉座を降りられない。新しい王の即位は、先の王を弔う儀式の一部なんだ。悲しみの中、しめやかに行われる」


 サフィルはゆっくりと頷いた。

 アルス=ザレラには存在しない、イゼルアの王のみが持つ『譲位』の権利を、ロイは巧みに利用した。

 王権の委譲に生命を賭す必要がないからこそ、サフィルをイゼルアから引き離して運河を防衛する戦略を実行できた。

 心優しい策士は、先王を犠牲とするような手段はきっと取らない。


「ねえサフィル、もう良いかな。視線に耐えられないんだけど」

「気にするな。私が隣の国に嫁いだことは周知の事実だ。そのお陰で運河が救われたことも。私の主君を、この国の恩人を、紹介しない訳にはいかないだろう?」

「それとこれとは別の——」


 ロイの首に腕をかけ、引き寄せて、つべこべと文句ばかり言う口を優しく唇で塞ぐ。

 そのさまを目の当たりにした市民の、一瞬の静寂。そして湧き起こる、祝福の拍手と割れんばかりの喝采。


「サフィル」

「私はこれからも二つの国を行ったり来たりして、一年の半分は城を空けるだろう。その理由を国民に理解して欲しいんだ。隠したくない。私には大切にしたいものがもうひとつ在ることを知って欲しい。エルデ城主の妃である私を理解し、そして、認めてくれたらと願っている」

「……大丈夫。君はとても誠実な人だ。分かってもらえるよう、これから二人で努力していこう。全力で君を支えるから」


 観念したロイの腕が、王の腰に回る。

 そしてもう一度、今度はロイの方から唇を重ねる。


 万雷の拍手の中、二人は互いを生涯の伴侶とすることをイゼルアの民の前で誓った。

 心から愛し合っていることが伝わる、深い接吻けをもって。


 唇を離すと、ロイの頬を両手で包み、サフィルはふふと微笑んだ。


「波はお喋りだ。噂はすぐにエルデに届くぞ」

「僕が君のものになったことが?」

「お互いにお互いのものになったことが」


 南北の緊張は緩和し、戦争は免れた。

 絆を偽るための政略結婚を続ける必要はなくなり、ここから先は二人の、真実の愛のみが紡がれる。


「……でも具体的にどうするつもり? こっちの国だと法的に無理なんだよね?」

「安心しろ。私は王だ。イゼルアにおける最終的な決定権を持っている」

「わあ。これは、とんでもない暴君が誕生してしまった」


 そんな軽口を叩くロイに、サフィルはほんの少し悪戯っぽく微笑んだ。


「たまたま我が国の法には、婚姻は『男女』によると明記されている。そこを削除するだけだよ」

「ああそれなら、幸せになれる人が僕達以外にもいるだろうね。良い判断だ」

「お前が気付かせてくれたことだ。礼を言う。我が君」

「どういたしまして。我が妃」

「力になってくれたことに感謝する。総帥閣下」

「力にならせてくれて感謝するよ。国王陛下」

「……その言い方はどうなんだ」

「変かな?」


 額をぶつけて笑い合う二人を煽るように、一陣の強い風がどうと音を立てて、運河から丘の上の王城めがけて吹き上げた。

 撒かれた祝福のための白い花弁が、雪のように舞い上がる。

 港では船が次々に祝砲を鳴らし、驚いた海鳥が一斉に翔び立った。純白の翼が、群れをなして街の上空で孤を描く。


 王城の前庭に、歓声が止むことはなかった。

 全てが、共に生きていくことを決めた二人の、新しい出発を祝福していた。






総帥閣下の笑わない麗妃

— The End —

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総帥閣下の笑わない麗妃 ゆきむら燎 @ykmrkgr

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