夜明け前の憂い

じゅじゅ/limelight

日の出

 1月中旬。少し肌寒い中、目が覚めてしまった私は二度寝をしてしまう前にふとんから出る。この時期のふとんは本当に悪魔だ。すぐに出ないとこの暖かさに支配されてしまう。

 

 普段はスマホで目覚ましを設定するのだが、今日は目覚ましなしで起きることができた。

 いや、そもそもあまりよく眠れていない。後頭部が少し重たく感じる。心臓の鼓動がはっきりわかる。いつも通り、制服に着替えて身支度をし、簡単に朝食を済ませる。そう、いつも通りに。


 時刻は6時半過ぎ。カーテンを開けると辺りはまだ暗く、窓を開けると冷たい風がエアコンで温められた部屋の空気と混じり合う。いくら冬とはいえど、目覚めの風はやはり気持ちいい。

 

 机に向い、筆箱を開けると、聞き慣れた声がした。


「おはよう、元気か? 」


 シャーペン君だった。高2の春に買って、それからあまり日数は経たないうちに急に喋り始めたシャーペン。

 それだけじゃない。なぜか私の持っている勉強道具は軒並み、言葉を話せるようになっていた。最初は驚いたけど、3年生の今ではもうすっかり慣れてしまった。


「うん、今日が本番だよ」


 本番。そう、今日は入試の日だ。私のこの早起きも、高鳴る心臓の鼓動も、全てこれのせいだろう。

 今日は絶対に失敗できない日。必ず全力を出し切らなければならない。


「そうか、がんばれよ」

「うん」


 たくさん話しかけてくれるシャーペン君にしては素っ気無い返事だった。私は最後の復習に英単語帳を開いた。

 何重、何色にも引かれたマーカー。ページの端には付箋の痕が残っている。けれど、ページをめくる自分がどこかぎこちない。


 あと少し。あと少しでこの勉強漬けの日々から解放される。けれど、なんだろう。この感情は。

 単語帳をめくりながら、これまでの自分を思い返す。



 そういえば、私は今まで何のためにここまで頑張ってきたんだろうか。


 

 入試のため? いい大学に入るため? 将来のため? 学校の成績のため?

 そもそも、今勉強しているこの知識たちはみんな社会に出たら役に立つものなのだろうか。

 前に友達が嫌味に「古文とか、今は使わないのになんで勉強するんだろうねー」と言っていたのが脳裏をよぎる。


 まず、ここで成功していい大学に入ったとして人生は必ずよくなるものなのだろうか。

 夢を叶えるため? なら、少しだけ納得がいくが、生憎だが私に明確な夢はない。

 

 私は今まで何のために勉強してきたのだろうか。

 疑問符が次々と浮かび上がるが、解消されるものはない。


 友達が青春しているのが羨ましかった。みんなで遊びに行って、写真もいっぱい撮って。どれも彼女らにとって大事な思い出だろう。

 そんな中、私は一人勉強をしていた。

 

 私だって、もうちょっと遊びたかった。正直、勉強から逃げ出したいと思ったことは数え切れないくらいにある。

 でも、本当に逃げ出したらと思うと、自分の将来が不安になるばかりだった。


 「あぁー」


 乾いた声が無意識に発せられる。私は単語帳を机に叩きつけるように置いて、椅子にもたれかかった。



 なにやってんだろ、私。



 今日は本番の日だ。本来なら、意気揚々と自分のこれまでの努力を発揮し、悔いのない戦いをしてくるものではないか。

 けれど、今の私はその真反対。こんな大事な日に限って、抱えていた感情が爆発してしまうのは、やはり私が人間だからなのだろうか。


 椅子にもたれかかり、天井を向いたまま私は投げやりにシャーペン君に問いかけた。


 「ねぇ、シャーペン君。私って、今まで何のために勉強してきたんだろうね」


 自分でもなぜ、こんな問いを投げかけたかわからない。別に自分の気持ちをわかって欲しいわけじゃない。そもそも、彼は『シャーペン』なのだから。


 しばらく、部屋に沈黙が流れた。風は窓を開けてから一向に吹き止むことはなく、少し寒くなってきた。外を見ると少しだけ空が明るくなったような気がする。

 

 「まあ、君が何のために勉強してきたかはわからないけど、俺は今日のために勉強してきたと思ってるよ」


 『今日のため』という言葉が私の耳から離れない。シャーペン君は続けた。


 「大丈夫、そう緊張するなって。きっとうまくいく」

 「……! 」


 私は筆箱からシャーペン君を取り出して、ノートに置いた。

 きっとうまくいく。なぜ彼にそんなことが言えるのだろうか。私ですら今、半ば絶望していると言っても過言ではないのに。


 「シャーペン君、なんでうまくいくと思ってるの?」


 怒っているわけではない、はずなのに、口調が強くなってしまう。続けて問いを投げた私に今度は間髪入れずにシャーペン君が答えた。


 「君がこの日のために努力してきたことを知ってるからさ。誰よりもね」

 「でも、それでも! 私がうまくいく保証はないじゃない!! 」


 怒鳴り、というより悲痛な叫びだったと思う。顔に水滴が流れる感触がする。2年間、たまりに溜まった感情という火山が爆発したのを身をもって感じた。

 両親がどうしても外せない仕事でいないからよかったものの、もし両親がいたら確実に起きてしまうくらいの声量だ。

 

 大声を出したからか、はたまた泣いているからか。急に胸が空っぽになった。心なしか、さっきより身体が軽い。


 机を見ると、すぐにさっき怒鳴ってしまったシャーペン君が目に映り、「ごめん」と謝ると、シャーペン君は再び話し始めた。


 「大丈夫か? 」

 「うん、さっきはごめんね」

 「繰り返して申し訳ないけど、俺は君が今日うまくいくと思ってる。君が努力してきた間、ずっと一緒だったから」


 思えば、シャーペン君を買ってすぐに受験勉強が始まった。

 だから、シャーペン君も同様に私のために毎日働き続けてくれたのだ。なんなら、シャーペン君が一番私のことをわかってくれているかもしれない。


 「そう思ってるのは俺だけじゃないぞ。そうだよな! みんな!! 」


 シャーペン君が他の文房具を呼ぶように叫ぶと、筆箱がガサガサと揺れ始めた。

 私は筆箱に入っている文房具を全て取り出して、ノートの上に並べる。


 つい最近、年末に買った新しい消しゴム。ずっと使ってる傷だらけな透明なプラスチック定規。何度も詰め替えてずっと同じものを使ってきたシャー芯ケース。筆箱に入ってるだけであまり使わないテープのり。


 並べた文房具がみんな、私を励ましてくれている。あたかも人からかけられる言葉と似ており、私の目から涙が再び溢れ出した。もしかして彼らは前世、人間だったりするのだろうか。

 ティッシュを取り出し、拭き取ろうとした瞬間、一筋の光が私たちの間に差し込んだ。


 「見て! 日の出だよ! 」

 「すまん、俺たちからするとただただ眩しいだけなんだ……」


 どうやらあの素晴らしい景色は見えないらしい。やっぱり、彼らは文房具のようだ。

 時計を見ると、すっかり7時になっていた。


 「じゃ、私もうすぐ行かなきゃだから」


 そう言って私は彼らを筆箱の中にしまう。最後にシャーペン君は砕けた口調で私に言った。


 「もし本当に不安になったら小声で俺に言ってみ? もしかしたら力になれるかもしれないぞ」


 そう言って彼は笑った。試験のルールは前に話したことがあるため、知ってて私をからかっているのだろう。

 けど、今はそれが嬉しかった。


 「大丈夫、きっとうまくいく。そうでしょ? 」

 「おう、頑張れよ! 俺は最後まで君を支えるから」

 「ありがとね」


 2年間、ずっと私を支えてくれたシャーペン君にお礼を告げ、彼も同様に筆箱に仕舞った。

 

 私の家から試験会場までは少し遠いのに加え、渋滞に巻き込まれたくないため、今日は早めに家を出なければならない。

 夜が明けたばかりの空は、まだまだ暗いけど、太陽がだんだん黒を赤く染めていく。


 風はいつも通り私に吹きつけるが、そんなものはどうでもよかった。

 いつも通り電車に乗り、復習をする。

 そう、いつも通りだ。いつも通りのテストだと思おう。そうすればちょっとは良くなるかもしれない。


 あっという間に試験会場に着いた。想定通り、人が多い。先に家を出て正解だったようだ。

 自分の席に座り、再びシャーペン君を取り出す。私語はしてはいけなかったため喋ることはできなかったが、私とシャーペン君話すまでもなく通じ合っていた。


 『行こう、一緒に!! 』


 

 試験が始まると同時に、私はシャーペン君を握りしめ、問題用紙をめくる。

 青空の下、私たちの戦いは幕を開けた。不安はない。

 ーーきっと、うまくいくから。

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜明け前の憂い じゅじゅ/limelight @juju-play

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画