おじさんと女神のファニーゲーム

 いわゆるシャイニングうんこ小説なのですが、個人的にこの作品の魅力はうんこではないと思います。未読であればまずは何も考えないで読んでもらいたいです。不条理やホラーを得意とする作者の魅力が存分に出ていると考えました。「うんこを光らせる」ということを目的に執筆されたと思うのですが、うんこを光らせるためにその他が存在している構図のナンセンスさに脱帽です。

 まず主人公が台所でカレーを作っているという平凡な描写から始まるのですが、そこに女神が突然現れて「異世界を救え」と言います。ここまでで読者の頭の中は「正常な主人公と異常な女神」と認識されます。しかし、次の文で唐突に「俺は持っていた鉈で女神を名乗る女の横っ面を殴った。」と続きます。

 ここで読者は混乱します。カレーを作っていた主人公が何故鉈を持っているんだ、鉈でカレーを作っていたのか!? と驚いている間にも凶行は続き、「ぎ、犠牲者?」「防音のキッチン!?」となって「あ、これ主人公のほうが異常なんだ」と理解できます。この「カレーから鉈」の落差が凄まじく、あまりの脈絡のなさにこういう不条理なものを読みなれていないと振り落とされてしまうでしょう。

 ここで読者はこれが不条理なコメディであることを受け入れることができるので、その次の女神の惨殺シーンも主人公の異常性癖もするりと飲み込むことができます。そしてこれが大事なのですが、あくまでもこの作品でやりたいことは「うんこを光らせる」ということであって、女神の惨殺も主人公の性癖も実は踏み台であり特に意味がないのです。別に女神をあっけなく殺してもいいし主人公が女神を食べてもよいのです。しかし執拗なグロシーンや主人公の偏執という言葉では済まされないこだわりが「このシーンは全て踏み台である」と訴えかけてきます。うんこを光らせるためだけに!

 この作品を読んで映画「ファニーゲーム」を強く想起しました。何気ない日常から突然暴力の非日常にぶち込まれる理不尽、ひたすら凄惨な画面なのにそれを見つめる観客を巻き込んで「お前らどうせこんなのが見たいんだろう、現実はそうじゃないぜ」と突き放すような制作側からの視点、特に教訓も感動もなく訪れる幕切れ。映画と違って本作には明確にオチが用意されていますが、本質的には「うんこを光らせる舞台」だと思われます。

 映画「ファニーゲーム」では平凡な家族のもとに異常な襲撃者がやってくるのですが、本作では異質な存在が異常な存在の元にやってきて返り討ちにあいます。そこに更に異常な存在が到着し、本来異質であるはずのものがごく平凡なものとして立ちはだかります。この構図がとてもナンセンスで面白いです。

 この作品には教訓やメッセージ性はありません。ただ「うんこを光らせる」ためだけの作品です。しかしその突出した不条理さが最高に突き刺さりました。「そこまで考えてないよ」と言われそうで怖いのですが、開幕5行目の鉈だけで3日くらい幸せです。ありがとうございました。

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