エピローグ
東の空に片耳の太陽が昇った。
大小の砂丘の群れは赤い砂海に影を落とし、
この村を離れていく車の影も、西に向かって伸びている。
「ほら、ウィステリアも手を振って。元気よく送り出してあげましょう」
そういったのはオリザだった。普段着よりも少し上等なブラウスに、首には青のストールを巻いている。その笑顔は走る車へ向けられ、右手は緩やかに振られている。
姉の言葉に従って、ウィステリアも手を振りはじめた。彼女はいつもの服にマフラーと
屋敷前は静かだった。そこからリチャードとアディルが乗った車を見送るのは彼女たちだけ。
ほかに人影はない。宴の跡が残る大通りにも、並ぶ家の窓辺にもない。皆、息を潜めている。
静かに見送ってほしい、とリチャードが望んだからだ。派手なのがイヤなのか、それとも、村人の心の奥底にある鍛冶師への嫌悪を感じ取ったのか。いずれにせよ、ウィステリアとオリザの二人だけで見送れるのは、彼女たちにはありがたいことだったろう。泣き顔を他の人に見られなくて済む。……まあ、結局、二人とも泣いてはいないのだが。
「そうだ。あなたにも早めに伝えておくわね。たぶんそのほうがいいから」
とオリザは言った。砂煙を上げる車に手を振ったまま、顔だけを妹に向ける。
「リチャードたち、報酬のほとんどを置いていったわ」
「……えっ!? どういうことですか?」
ウィステリアの反応は存外大きかった。爆ぜるように、姉へ向き直る。
「あ、もちろん、報酬はいらない、って言ったわけじゃないのよ? ただ、この村で用意してほしいものがあるから、その対価として先に支払っておく、って」
「……それ、大丈夫ですか? すごく不平等な取引だったりしません? あの、姉さんには悪いですけど、ゴシュラーさんはあまり信用してはいけない人だと思います」
「信用も信頼も置けるわよ。ただ、ふざけるだけ。まあ、それは置いておいて。リチャードは、鉄鉱石や木材、レンガをたくさん用意してほしいって言ったの。できる限りたくさんね。鉄道を引く材料の足しにしたいんですって」
「……鉄道ってなんです?」
「砂漠に道を作って安全に早く移動できるようになるもの、らしいわよ? ここは
「なんだかよくわからない話ですね?」
「詳しくはまたあとでね」
「今言いたいのは、報酬を置いていってくれたから、今年の
「あっ」と、ウィステリアは短い声を上げた。彼女の心の声は、なぜすぐにそのことに気づかなかったのだろう、というところか。そして、彼女は贈り物の箱を胸に、ぎゅと押しつけた。箱の中にあるそれが、壁にぶつかりカランと音を立てた。
「ウィステリア。あなた、ずっと悩んでいたでしょう。たしか、アディルさんとリチャードが出発の時期を秋の終わりごろに決めたときからよね? たぶん、そんな時期に報酬を渡したら、『大冬に食べ物が無くなって大変なことになる!』と不安に思った、そんな感じでしょう?」
「……はい」
「それはもう解決したから、可愛い笑顔であの二人を送ってあげましょう」
「はい!」
ウィステリアは元気よく返事をすると、手を大きく振りだす。
砂煙を上げて車がどんどん小さくなる。まもなく、砂丘の影に消えるだろう。
その寸前、車が止まった。
故障かしら、と不安まじりに言うオリザ。
ウィステリアに至っては、すでに助けへ向かっている。
そのとき、車の側面からニョッキリと人間の上半身が生えた。運転席側だ。リチャードが窓から身を乗り出したのだろう。彼は両手を振っては投げキッスをしている。
当然ながら、ウィステリアは嫌悪の表情を浮かべ、さっさとやめろと手を振るった。
ただ、彼女は期待もしていたに違いない。もう一人の男が似たようなことをしてくれるのを。
だが、あの唐変木の朴念仁のことである。車から出てきたのは腕だけだった。
腕はぎこちなく左右に揺れている。
「まったく。もうちょっと未練があってもいいと思うんですけどねー」
そんなことを呟いて、自分は大きく手を振るウィステリア。
彼女には見えていないのだろう。アディルの行動を見たリチャードが戦慄しているのを。
「また来てくださいね! 絶対ですよ!」
砂丘の影に消えていった車に、笑顔で声をかけるウィステリア。愛おしそうに目を閉じたそのまぶたに浮かぶのは、別れの際「また会おう、ウィステリア」と不愛想に笑った男の姿。
二人の
(完)
流れ者たちのフロンティア ~Wonderers' Frontier~ 蒼井藤野 @aoi_huji
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