第4節

 夏がはじまった。日中、太陽が天高くある時間帯は外での作業が禁止された。暑いということもあるが、なにより光が強すぎる。肌に当たれば刺されたような痛みを覚えるほどだ。


 牧場の牛や羊、ニワトリたちも人間と同じだった。日中の数時間は屋内に閉じこめられる。だが、畑の作物にとってはもっとも喜ばしい時期のようだ。彼らは強い陽光を浴びて、すくすくと育つ。そういう品種が栽培されている。ただ、雑草もすくすく育つため、畑を管理する村人は朝夕と草取りに追われていた。

 春の一時期に比べて仕事量は幾ばくか少ないが、それでも十分忙しい時期と言える。


 アディルたちがこの村を訪れて二か月近くが経過した。

 ここ数日、彼らの評判はよろしくない。むしろ、すこぶる悪い。

 持ちこんだ鉄素材をとうに使い切って、新しい道具を提供できていないことに加え、村の男衆ほぼ全員に追加の仕事を――正確には、仕事の練習――を課したことが原因だろう。


 そのきっかけはアディルの製鉄炉が完成したことにある。その操業に必要な人手には、ある程度の訓練が必要らしい。


 村の一番はずれにある鍛冶小屋のさらに砂漠側に、アディルは屋根だけの建物を建設した。さらに、そこの中心部に、耐火レンガと土で構成された、彼の背丈ほどの高さを持つ、もしくはのようなものを造り上げた。それの下部から左右に何本かのパイプが伸びており、その先には人ほどの大きさの平たい道具が設置されていた。上部で逆Vの字はちのじに組まれた二枚の木板どちらかを踏むと、の中に風が送り込まれるようだ。短く言うなら、足踏み式のふいご


 日中、畑仕事ができない時間帯を見計らって、アディルとリチャードは男衆をこの建物に呼び寄せた。まずは、アディルがバスタブの使い方を説明した。「鉄鉱石と木炭を入れ、火を点け、風を送り込むことで、鉄を製錬する」。つまり、バスタブは簡素な製鉄炉であるらしい。


 そして、その風を送り込む作業に人手が必要なことと、そのために多少の訓練が必要なこと、日中の時間帯にそれを行うことを告げると、場内からは不満が噴出した。


 曰く、「なぜ流れ者ワンダラーズの仕事を手伝わなけれはならないのか!」「お前たちが楽をするためじゃないのか!」エトセトラエトセトラエトセトラ。


 リチャードが説明に当たるも、口だけで説得するのは難しく、なかなか収められない。


 そんな中、頼れる小麦肌の村長あんちゃんの登場である。長いこと村をまとめているだけあって、威厳たっぷりに一喝した。美麗なる微笑みのオリザも有無を言わさない雰囲気で説き伏せた。なにより、その場を鎮静化できたのはウィステリアの働きが大きかったのではないか。


 彼女のような可憐な少女から、涙ながらに「手伝ってくださいお願いします」と頼まれたら、男は誰も逆らえな――、……心中に不満があっても口に出せない空気にもなろう。


 こうして、その場は収拾がついた。男衆も訓練を了承してくれた。言うことない結果である。

 建物から男衆を送り出して、アディルはウィステリアに声をかけた。


「……感謝する。君のおかげで話がまとまった」

「いえ、お役に立ててなによりです。……それで、お願いがあるんですけどいいですか?」

「……なんだ?」

「アディルさんがここで仕事をしている姿を見たいなー、って。危ないなら、遠くからでも」

「……。……すまないが、やめておいてほしい。村の女性たちに、火が入っているうちは近づかないよう徹底させるつもりだ。危険だからな。それなのに君が見ていては説得力がなくなる」

「……そう、ですよね。ごめんなさい。無理を言いました」

「……すまない。ほかのことでよければ、俺ができる範囲で願いを聞こう」

「え!? それ、本当ですか!」

 安請け合いの恐怖を、アディルはまだ知らない。


   ……


 製鉄の考え方自体は簡単で、『鉄鉱石から酸素と不純物を取り除く』だけ、つまり、原料から邪魔な成分を除去し、鉄の純度を上げてやるわけだ。その方法は主に二種類ある。


 一つは、高い温度で鉄鉱石と炭を反応させて酸素を奪い取った後、完全にかした状態で不純物を取り除く方法だ。二十年前、この村を訪れた鍛冶師の一団はこの方法を取ったらしい。鍛冶小屋の外、今はアディルの製鉄炉がある土地に、彼らが造った二つの施設のがあった。


 鉱石から酸素と、ケイ素といった岩石成分を取り除きつつ融けやすい銑鉄せんてつを作る『高炉こうろ』と、

 その銑鉄からリン、硫黄といった不純物を取り除きつつ鋼を作る『平炉へいろ』。


 なるほど。その二十年前の一団というのは優れた技術を持っていたらしい。そして、その二つの施設の跡地を見たリチャードは顔を顰めて、「詐欺師だな、そいつら」と言い捨てた。


 『高炉』と『平炉』は大量生産に向いている。燃料あたりの生産量も悪くない。だが、どうしたって規模が大きくなり、九大都市ならまだしも、小さな村にはふさわしくない。無駄に大きな施設を造り、報酬を割り増しした、だから、リチャードは『詐欺』だと表現したようだ。


 そして、施設がことも、心象を悪くした一因だろう。次に来た鍛冶師に技術が盗用されないよう、破壊して去って行く鍛冶師は案外多いものだ。だが、これもリチャードに言わせれば「村のことを考えていない」行為であり、反吐が出るのだそうだ。


 夏の太陽が西の砂丘へと沈んだ。

 アディルにとって、そして男衆にとって、長い夜がはじまる。


「……これから炉に火を入れるが、終了するまでの間、俺の指示は必ず聞け。どんな指示でも即座に動け、疑問は持つな、口答えはするな。炉内の状況は刻一刻と変化する。無駄にできる時間は無い。再度念を押す。俺の指示は必ず聞け。時間を無駄にするな。以上だ」

 右目を黒い布で覆ったアディルの顔を、手に持った松明が照らしている。


 屋根だけの建物の、その中央部に鎮座するバスタブ状の製鉄炉の近くに彼はいた。周囲にはリチャードをはじめ、オリザほどの年齢の男衆が六人。皆、緊張した面持ちで持ち場に立っている。左右の足踏み式ふいごに一人ずつ、山と積まれた砕いた鉄鉱石や木炭、石灰をバケツに入れる役割が二人、そこから炉への運搬し、踏み台から炉に原料を入れる役割が二人。

 リチャードは手の足りないところを補う役割らしい。


「……火を入れるぞ」

 アディルはそう告げると、手に持った松明を炉へと投げ入れた。

 しばらくすると、炉の内側からの灯りで覗き込む彼の顔に光が射す。

「風を送りはじめろ。最初はゆっくりでいい」

 それがアディルの最初の指示だった。


 先ほど挙げた製鉄法が、一度、鉄を完全に融かしきるものだとすれば、もう一つの方法は、半分融けた状態を保って不純物を取り除くものだ。鉄鉱石と炭を比較的低温で加熱することで、不純物が鉄へと溶け込むのを抑えつつ、直接的に鋼を作り出すことができる。


 アディルが用いる製鉄炉も、この手法を利用したものだろう。

 彼は自分の炉で鋼が出来上がる過程を、次のように表現した。


「融けた鉄滓てっさいの湯船の中で、純度の高い鋼がゆっくりと成長していく」


 これが的を射ているかどうかは不明だが、アディルとしてはかなりわかりやすい表現だろう。

 鋼の塊をゆっくりと少しずつ成長させるには、鉄鉱石と木炭を追加投入するタイミングと、なによりも、半熔融はんようゆう状態になる温度を維持することが重要だ。

 そのためには温度を計らなければならない。だが、比較的低温とはいえ、炉の中は千℃を超えている。それだけの高温を計測する機器は、この小さな村には存在しない。


 では、どうするか?

 のだ。


「ここから温度を上げる。風量を増やせ。鉄鉱と木炭の量もだ」

 炉を上部から覗き込んだアディルから指示が飛ぶ。運搬役は元気よく返事をしたが、鞴を踏む男たちは返答する元気もないようだ。だが、風量は上がった。炉の上部から炎が踊り出る。


「よし。もうすぐ交代要員が来る。力を振り絞れ」

 そして、アディルはおもむろに右目の布を外しはじめた。

 そのことに気づいた運搬役の二人が、彼へと注意を向ける。

 誰もが気になっていたはずだ。その黒い布の下に何があるのかを。

 アディルが布を外し終えた。彼がしゃがみ込んで、炉に顔を近づける。

 そこには穴が開けられていた。そこからなら炉の内部をことができる。

 鞴が大きな風を送ると、炉内の炎が輝いた。穴から洩れた光が一瞬、彼の顔を照らした。


「……化け物め」

 と誰かが言った。


「おい! 今言ったのはどいつだ!」

 リチャードがバケツを投げ捨てて怒鳴った。

「そんなことより温度が下がっている。足を動かせ。もっと風を送り込め」

 アディルは赤黒い炎を右目で視ながら指示を出す。やはりその表情には変化がなかった。


   ……


 炉に火を入れてから、三回目の日没だった。

 その屋根の下には、焼ける炭と、錆びた鉄の臭いが充満していた。その場にいる誰もが疲労困憊している。当然だろう。炉には常に火が入れられ、常にその維持に当たっていたのだから。


 そして、これも当然というか、もっとも消耗しているのはアディルだった。目の下にはクマ、血走った眼球、顔には幾か所もの火傷があり、濡らした手ぬぐいを右目に押しつけている。

 彼は三日間、常に炉内に気を配り、常に的確な指示を出してきた。彼は一睡もしていない。


「よし。風ももう止めていい。全員炉から離れていろ。危ないからな」

 アディルはそれだけ言うと、隣にある鍛冶小屋へ向かった。そして、戻ってきた彼の手に握られていたのは、先端が二の腕ほどもある金槌ハンマーだった。


 気色ばんだのは男衆だ。中でも年長の壮年男性が一番うろたえている。

「バルトゥスさん! そんなもの、何に使うんです!? まさか壊すつもりですか?」

「……そうだ。この炉は簡素な分、使い捨てだ。内壁は薄くなり、次の操業には耐えられない」

「そっ、そうなんですか? それは失礼しました」

 男は存外簡単に引き下がった。ただ、アディルと一度も目を合わせなかった。


 アディルは金槌ハンマーを担いで炉の前に立った。

「……全員離れたな? よし」

 彼は金槌ハンマーを振りかぶり、炉の下部に打ち込んだ。甲高いと同時にレンガが割れ、赤く光放つ液体がドロリと流れ出してきた。それはレンガ敷きの床に何本もの筋となって広がる。

 自然と、どこかから歓声があがった。

「……これは鉄滓。不純物が融けたものだ。鋼を育てる湯船と思えばいい」

 解説を加えつつ、鉄滓が流れ終わるのを待つ。そして、アディルは炉壁面の破壊に移った。


 打ち付けるごとに、辺りに火の粉が飛んだ。それを数回繰り返すと、炉の底が見えてくる。そこに鋼の塊はあるだろうか。誰かの喉が鳴った。それはアディルのものだった。

 彼は最後のひと振りを下ろした。

 そして、大きな歓声が村じゅうへ響き渡った。


   ……


 微かな水音。泣き声。床が軋む音。泣き声。鼻をすする音。衣擦れ。泣き声。椅子が軋む音。

 ベッドに横たわる彼がもし起きていたら、これらの音が聞こえていただろう。


 ここは、アディルの部屋だった。

 正確には、彼とウィステリアが寝起きしている部屋。

 製鉄炉から鋼の塊を取り出した後、彼は部屋で眠り続けている。

 三日間の死闘を乗り越えた彼にはゆっくりと休む権利があるはずだ。


 そんな彼を、ウィステリアは長い時間ずっと看病している。

 ベッドのとなりに椅子を置いて、彼のそばから離れようとしない。彼の顔を覗き込んでは、時折、彼の右目を冷やす濡れた手ぬぐいを交換する。

 彼女は長いこと泣いており、その目は赤く腫れていた。


 そして、彼女は何十回目にもなる「ごめんなさい」を呟いた。その瞳からまた涙があふれ、頬を伝ってこぼれ落ちる。小さな雫は彼の頬へ着陸して、小さな衝撃を生み出した。

 微かなうめき声を上げて、彼が左目を開ける。周囲を窺い、彼女の顔へと視線を向けた。


「……どうして、泣いているんだ?」


 そう口にして、彼は手で彼女の頬を拭った。

 その手を握って、彼女は彼に微笑みかける。


「……アディルさん。目覚めてすぐに私の心配ですか? 私としては、あなたのほうがずっと心配だったんですよ。全然目を開けてくれないから」

「……すまない。心配をかけた」

 彼は体を起こそうとして、濡れた手ぬぐいがベッドに落ちた。彼は緩慢な動作で、それを拾い上げると、右目にあてがう。

「……不気味なものを見せた」

「そんな言い方はやめてください。その右目はあなたが立派な鍛冶師である証なんですから」


 彼女は新しい手ぬぐいを水に浸すと、彼が持っているものと交換した。

 冷たい感触が気持ちよかったのかもしれない。彼は心地よさそうに目を閉じた。


 柔らかな静寂。

 温かな息遣い。

 窓の外では夜のとばりがすでに降り、

 第三衛星サード・ムーンが南の空に昇っている。

 彼女が小さく息を吸って、祈るように話しはじめた。

「村の人がアディルさんに酷いことを言ったって聞きました」


 彼の右目についての噂は、すでに村全体へ広まっていた。

 そして、実際にそれを見た者が『化け物』と口にしたことも知れ渡っていた。


「アディルさんは火傷の痛みを顧みず、私たちのために力を尽してくれました。それなのに、あんな酷いことを言ってしまった。謝って済むとは思いません。それでも、私は言わずにはいられませんでした。ごめんなさい。私たちを許してください」

 彼女は涙を浮かべつつも、毅然と彼を見つめて頭を下げた。髪飾りの鉄細工がさらと揺れる。


 彼は、彼女が顔を上げるまで待つと、ゆっくりと首を振った。

「……謝る必要はない。もう慣れた」

 彼は抑揚なくそう語る。それはまぎれもない本心なのだろう。


 そして、彼女は立ち上がった。衝撃で椅子が倒れ、けたたましく鳴る。

「待ってください! ? ってどういうことですか!」

「……そのままの意味だ。行く先々で何度言われたかわからない。だからもう慣れた」

 彼は冷然と語る。これも嘘偽りなく本心だろう。


「っ! なんで! なんでそんな淡々と言えるんですか! 気にしないだとか、どうでもいいって言うならわかります! でも、ってことは、苦しいって……、悲しいって、ってことじゃないですか。じゃないですか! そんなの……、そんなの酷すぎます!」


「……すまない。何が酷いのかわからない」

「あなたは、あなたの気持ちをないがしろにしすぎなんです! 苦しいなら苦しいって言ってください! 悲しいなら悲しいって言ってください! 一緒に分かち合いますから! 一緒に分かち合えますから! 私じゃなくてもいいです。誰でもいいんです。分かち合ってください。お願いです。もっと……、もっと、あなたを大切にしてあげてください」


 全てを言い切り、肩で息をしながら、瞳に大粒の涙を溜めて、次の言葉を待ち、


「……。……すまない」


 そう謝る彼のを見て、彼女は力なく床にへたり込んだ。そして、泣いて懇願していたことが馬鹿馬鹿しく思えたのか、袖で大げさに顔を拭い、くすりと笑みをこぼす。

「そうですよね。あなたはそういう人です。期待した私がバカでした。いいです。いいです。私は私で、勝手にあなたを大切にしますから。精々あなたは私に大切にされてください」


 彼女にしてみれば、思いついたことを適当に並べ立てただけなのだろう。だが、

「あ……、そっか。だから私は――」

 何か思うところがあったようだ。まあ、そういうこともある。


 床にいる彼女は、ベッドにいる彼のほうへ手を伸ばした。さすがの彼でもその意味を理解したらしく、手を取って力を込めた。難なく彼女は立ち上がり、スカートに着いたほこりを払う。

 そして、ベッドの彼に視線を合わせると、身体を寄せて、次のセリフを口にした。


「ちょっと目を閉じてくれますか? 大丈夫です。すぐ終わりますから」

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