第2節

 この惑星フロンティアⅫにおける製鉄業は、母星ちきゅうでの形態とは大きく異なる。その理由は主に二つある。


 一つは、輸送コストが非常に高いことだ。集落間に横たわる砂漠は広く、移動は危険が伴う。そのため、輸送に重きを置いた母星ちきゅう古来の『鉄鉱石を集積させて鉄工所で製錬し、鉄板や鋼材といった製品に加工して流通させる』手法を取ることは難しい。


 もう一つは、良質な鉄鉱石の入手が容易なことだ。どの集落、どの都市でも数キロメートル圏内に露天掘り可能な鉄鉱床が存在するといわれている。これは何ら不思議なことではない。人類は豊富な鉄資源を目当てにこの惑星ほしに入植したのだから。


 『高い輸送コスト』『鉄鉱石の入手が容易』、この二つの主要因から、この惑星ほしでは独自の製鉄業態が発生した。〝流れの鍛冶師〟である。


 集落の形成や維持に鉄器は欠かせない。だが、鉄器の状態で運ぶとなると、重く、かさ張る。そこで、『各集落で事前に鉄鉱石を採掘、貯蔵してもらい、鍛冶師にんげんが訪れて、その場で鉄を製錬、鍛造たんぞう、成形まで行う』という業務形態が生み出された。これにより、トラックに詰め込むよりも多くの、そして、集落に合わせてカスタマイズされた鉄器を届けることが可能になった。

〝流れの鍛冶師〟がこの惑星ほしの、特に辺境集落の鉄器流通における標準スタンダードとなっている。


 アディルたちが訪れたこの村も、その標準スタンダードに則っていた。倉庫には山積みの鉄鉱石があり、製錬に使う木炭や耐火レンガも積まれていた。その光景を見たリチャードの表情からも、その量が尋常ではないことがわかる。これが、二十年という長い歳月の重みなのだろう。


 それでは、アディルはさっそく鉄の製錬を始めたか?

 まあ、語り口からもわかるように、そんなことはなかった。

 鍛冶師としては珍しく、彼らは車に棒鉄アイアン・バー鋼板スチール・プレートを積んでいたのだ。


 この惑星フロンティアⅫにおいて、すごく珍しいことである。

 それらは本来その場で作るものであって、貴重な積載重量を使って運搬するものじゃない。

 その分を使って、塩でも医薬品でも、それこそ酒でも運んだほうが喜ばれるのだ。


 ただ、今回はそれがいい方向に作用した。

 この村の鉄器は軒並みボロボロだった。そんな中、少数ながらも新品の道具が供給されるのは、村人にとってありがたいことだろう。


 というわけで、アディルたちが来訪して一週間が経過した朝。村はずれの鍛冶小屋からは、今日もトンテンカントンと響いてくる。もちろん、赤く熱した鉄をハンマーで叩く音だ。

 小屋には小型ながらも風車が備えてあって、南向きの朝の風を受けてクルクル回っている。搬入用の大扉が放たれており、そこから鍛冶場を覗くことができた。


 そこではアディルが一人、金床かなとこに向かっている。シャツ一枚で鋼鉄のごとき筋肉にくたいを行使し、ハンマーを振るう姿は威風堂々。加熱炉から発生する煤が彼の顔を黒く染めて、右目の布との境も曖昧になっていた。


 アディルが扱うのはいくつかの鋼を圧接させた複合材だった。硬いがもろい高炭素鋼ハイ・カーボン・スチールを、丈夫な軟鋼マイルド・スチールで包み込んである。三センチメートル幅にしたこの鋼板を、炉に敷き詰めた炭の上に置く。それから手押し式のふいごを使って風を送り込むと、木炭が灼熱に色づき、遅れて鋼板が赤に染まり出す。それを金床の上で叩き、形を作り上げていく。


 今回作っているのはくわのようだ。正確には平鍬。薄く曲面を描く鉄板に刃が付き、木の長柄を留める部分がある。畑の土を掘り起こしたり、うねを作ったりする道具だ。


 アディルの元にはまだまだ素材がある。季節は春、農作業が本格化する時期。ほかにも新しい農具を作れば、村人たちはさらに喜ぶだろう。

 まるで、がこうなることを計算していたかのようだ。


 ちなみに、砂漠に放置した車はリチャードが取りに行った。燃料になる砕いた木炭と反応用の蒸留水ボトルを背負った重装備で、極寒の真夜中に出かけたのだ。夜明け前には車を運転して戻ってきたのだが青い顔をしていた。そして、温めてくださいオリザさんとのたまった結果、沸き立つケトルからお湯をぶちまけられそうになっていた。その顔はなぜか幸せそうだった。


   ……


 この日も、トンテンカンテンが始まってから結構いい時間が経過した。アディルのハンマーを振るう腕も動きが鈍い。ムッとした暑さの中で作業を続けているのだから当然だ。

 そしてついにその瞬間が訪れた。

 小扉をノックする音が鍛冶場に響き渡ったのだ。アディルは顔を上げ、シャツの袖で頬を拭う。

「アディルさん。休憩の用意ができましたよー」

 小扉の向こうから妹ちゃん、もといウィステリアの元気な声が聞こえてきた。


「……わかった。すぐに向かう」

 アディルは手を動かしたまま答えた。ここで、『キリの良いところまでやってしまおうとした結果小一時間経過してしまいウィステリアに呆れられ混じりの溜息を吐かれてしまうという流れ』が脳裏をよぎるが、彼はちゃんと作業をやめた。優秀な職人は休憩をきちんと取るものだ。


 小扉の向こうは休憩室だった。鍛冶場と対比するような白木の壁で、大きな窓は二つある。居心地よく、ゆっくりと休める雰囲気になっており、真ん中に鎮座するテーブルにはクッキーの皿やら水差しやら水盆やらが載っている。


 扉の脇では、ウィステリアが可愛い笑顔を見せながら、絞った手ぬぐいを差し出していた。今日のブラウスの襟先には、愛らしいスミレの刺繍。髪留めの鉄飾りがさらりと揺れる。アディルは感謝を述べて手ぬぐいを受け取ると、自分の顔を拭き出した。それはすぐに黒くなる。


「今日のおやつは姉さん謹製のクッキーです。はちみつの甘さいっぱいで、美味しいですよー」

 ウィステリアは銀の水差しからグラスへ薄く色づいた液体を注いだ。水にオレンジの果汁とはちみつ、少々の塩を加えたものらしい。たしかに、汗をかいたあとの水分補給に最適だろう。


 アディルは席に着くと、まったりとしはじめた。時折、手にしたグラスを口へ運び、時折、思いだしたようにクッキーへ手を伸ばす。視線はウィステリアに向かっているが、彼女を見ているわけではないのだろう。ある種の放心状態、もしくは無我の極致か。


 そんな様子をウィステリアはニコニコしながら眺めている。はじめてアディルがこの状態になったときは心配の面持ちを浮かべていたが、なにぶん、四六時中一緒にいるので慣れたのだ。


 そう! アディルとウィステリアは四六時中一緒にいる!


 これは強調表現ではない。とりあえず食事の給仕は言うに及ばず、アディルの仕事中ですら、ウィステリアはこの休憩室に機織り機を持ち込んで、作業をしつつ待機している。呼べばすぐ駆け付ける専属の使用人といったところか。村長から鍛冶師アディルへの期待の高さともいえよう。


 そして、四六時中には夜間も含まれている。

 アディルが村に来て二日目の夜、部屋にウィステリアが現れて専属使用人的なことを説明した。いつでも御用が聞けるよう、この部屋に泊まります。本人はわかっていない様子だったが、有り体に言えば夜伽の相手である。鍛冶師に限らず、砂漠を行く者への接待によくあることだ。その意味はさまざまなものが考えられるが、今は割愛。ただ、目の当たりにして気持ちの良いものでないのは確か。


 で、そんなことを知ってか知らずか、アディルは俺が床で寝る発言をし、ウィステリアがお客様を床で寝させるわけにはいきませんと必死に反論し、議論が紛糾したうえで、ベッドが広いから一緒に寝ればいいのでは? という結論となり、二人は枕を並べて寝ることになった。


 初心うぶだなー、と思う人もいるだろうし、どうせ裏があるでしょ、と考える人もいるだろうが、そんなことがアディルの寝起きしている部屋で起こったのは確かだと明記はしておく。

 今夜も二人、枕を並べて寝るのでしょう。

 だが、アディルは動力が落ちたように眠るので、色事は何も起きない。


「……この前は、すまなかったな」

 と、突然アディルは言った。休憩室に隕石が落ちてきたようなものだ。

 で、当然ウィステリアは反応できない、と思いきや、的確な対応を始めた。


「すまなかった、ですか? 謝りたいこと……。ええっと、どれのことです?」

「……。……二日前、……いや四日前か。あのときは強く言い過ぎた。すまなかった」

「ああ、あのときのですか。……あれは、私が悪かったんです。あっ、でも、言われてみると?」

 納得したと手を打ったり、となったり、はたまた唇に指をやって視線を逸らしたり。なんとまあ、よく表情が変わる娘さんである。


 四日前というと、あのことだろう。あれは、アディルが鍛冶小屋で仕事を始めた日のこと。今日と同じように、ウィステリアは十時のおやつスコーンをお皿に並べ、グラスの準備を済ませると、今日と同じように、鍛冶場にいるアディルへ用意ができたことを元気な声で伝えた。しかし、その日は返事がなかった。そこで、彼女は鍛冶場への扉を開けた。


 ウィステリアがムッとした熱気に顔を背け、また視線を戻したとき、彼女の視界には仁王立ちするアディルが映っていたはずだ。いつものように無表情で、しかし、鍛冶場を覗かせはしないという強い意志を感じさせて。


 そして一言、「」と口にした。


 決して強い口調ではなかった。

 強いて言えば、いつもよりは感情が籠っていたと思わせる声だった。


 ほかの人なら、ただ注意されただけだと、そこまで気にしないだろう。

 だが、ウィステリアはかなりの衝撃を受けたようで、ひどく哀しそうな顔をした。その日はもうアディルに顔を向けることもなかった。


 おそらく、彼女には「見るな」と言われたように思えたのだろう。

 その日以降、ウィステリアが扉をノックして声をかけると、アディルから返事が戻ってくるようになった。そして、それ以降、彼女が鍛冶場を覗こうとしたことは一度もない。


「あのときはすみませんでした。そのあとの態度も、まるで子供みたいで……。本当に、ごめんなさい!」

「……なぜ君が謝る? あれは俺が謝るべきだ。事前に、鍛冶場を見るなと注意すべきだった。あのとき君が顔を背けたのは、不幸中の幸いというやつだろう」

「……? えーと、どういうことです?」

 ウィステリアの声と顔が困惑に色づいている。「見るな」の意味が、彼女が思っていたものと違うからだろう。


 アディルはグラスに特製ドリンクを注いでもらいながら少し悩み、それから視線を戻した。

「……そうだな。それも説明しておくか。……鍛冶場には神がいる。もちろん、鍛冶の神だ。大層な女好きで、その姿を見た女を魅入みいるといわれている。だから、鍛冶場には女性を、特に未婚の乙女を入れてはならない。鍛冶師おれたちの間では、そう言い伝えられている」

「――」

「……どうした? どこがわからない?」

「いっ、いいえ、大丈夫です! アディルさんがこんなに喋るなんて! とか思ってないです!」


 慌てふためいて、変なことを口走ったウィステリア。それを聞いたアディルも「……そうか」と頷き返すだけだった。意味を理解したうえで、気にしないのだろう。


 休憩室内に不思議な静謐が訪れた。聞こえるのは外の風車が軋む音や、きね木臼きうすを突く音、ドリンクを飲む音ぐらい。ウィステリアの笑顔からニコニコという擬音が聞こえそうな静けさ。


 テーブルに両肘をついて、両手に顔を乗せていたニコニコウィステリアが突如、はっとした。なにかに気づいたらしい。が、視線が泳いでいる。そろりとアディルを見ては、また外した。

 あざとい。あざといが、相手が相手アディルなので、これぐらいしないと気にしてはもらえまい。


「……どうした?」

「あ、いえ。思ったことがあるんですけど、訊いていいか迷いまして」

「……なんだ? 俺で答えられるなら、答えよう」

「アディルさん。さっきの話、信じています?」

 真剣な顔で尋ねるウィステリア。信仰の話は、たしかに訊きにくい。

「……面白い質問だな。そんなことを訊かれたのははじめてだ」

 そう言って、アディルは口角の端を少し上げた、ような気がした。

「――っ!?」


「……そうだな。まず質問に答えると、俺はその話を。鍛冶は科学だ。代々受け継がれ、改良されてきた人類の英知の結晶だ。そこに神は関与していない、と俺は思いたい」

「――」


「だが、伝承に関してはまた別だ。さまざまな理由によりしてはならないことを効率よく守らせるために、神が持ち出されたのだと俺は思う。神の名の下では、誰もその言葉に逆らえない。疑問を持つことも許されない。が禁忌として残り続ける。だが、そこにはしてはならない理由が存在していたはずだ。だから、俺は禁忌を禁忌として扱う」

「――」


「たしかに、鍛冶場に女性を入れるな、とは時代錯誤なものだ。だが、鍛冶場には危険が多い。燃える炉もそうだし、金床の角も鋭い。転んだら大怪我をするだろう。君が着るスカートは裾が引っ掛かって転びやすいだろうな。だから、女性を入れさせない、となったのかもしれない。もしくは、過去、鍛冶師の多くは男性であり、女性がいると集中が乱されたから、なんて理由も考えられる。これなら、なぜ『未婚の乙女』が駄目なのかも説明がつく。ほかにも、もっと合理的な理由や、もっと理不尽な理由が、いくらでも考えられるだろう」

「――」


「どれが大元かは、正直俺にはわからない。ただ、危険があるとわかっている以上、俺は君を鍛冶場に入れたくはない。見せたくないし、近づけさせたくない」

「――」


「……もう一度謝らせてもらう。すまなかった。事前に注意しておくべきだった。なにより、神を持ち出すよりは、きちんと『鍛冶場は危険だから近づくな』と伝えるべきだった」

 すまなかった、とアディルはもう一度頭を下げた。

 そして、グラスをあおった。クッキーはすでにゼロ。


「……仕事に戻る。次は昼食時によろしく頼む」

 そう言って、黒い手ぬぐいを水盆へ戻した。澄んだ水が色づいていく。

 アディルが扉の向こうへと消えると、カン、カン、カンと甲高い音が響きはじめた。

 風車の回る音、杵と臼がぶつかる音。それらに混ざって、鼓動の音が微かに聞こえる。

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