ネヴァーモア

川谷パルテノン

アンヌ

 君には花の香りがわからないだろう。夢の中のひとは言った。これがはっきり夢であるとわかるのは、この男がもうとっくの昔に死んでいて言葉を持たないからだ。それでも久しく見た顔はあの頃のままで、声も佇まいも、何から何まであの男のままだったので、私はこのまま夢が覚めないでほしいと思った。


 「おはようございます アンヌ」

 「おはよう ディートリヒ」

 「朝食の準備に取り掛かります 所要時間は一〇分と三九秒 その間に洗顔、着衣を推奨します」

 「まったく莫迦丁寧だね」

 「莫迦丁寧 それは難しいニュアンスです 凡そ〇.三三三三三三パーセントの皮肉を含みます」


 私の名前はアンヌ。気づいた時からそうだ。かつてならこのディートリヒと同じメイドロイドでしかなかった私はとあるきっかけで呪われた。おかげで粗暴なドヤ街に身を置いて人間の真似事をしながらジャンクショップの店主をやる羽目になった。先代が亡くなって五年。今や私は店主を任され、ならず者達にも随分顔がきくようになった。世はサイバネティクスが当然の時代。ただ歩くにもメンテナンスの欠かせない愚鈍さはかつての人類が想像したであろう理想郷とはかけ離れ、屑鉄屋でもそこそこ愛されていた。


 「アンヌ! 頼む! 右脚がイカれちまってよ すぐに診てくれ!」


 片足を引き摺った男が騒々しく店に入ってきた。こいつはヒュー。三流の賞金稼バウンサーぎ。


 「ヒュー 見てわからないか 今メシ食ってんだわ」

 「そんなもんエナドリですぐ済むだろ 今どきヒトの真似なんてどんだけ物好きなんかね」

 「人間だって機械に夢をみた 結果はどうだ あんたの右脚がイカれた それが現実」

 「なあ頼むよ これじゃ仕事もままならねえ」

 「なら辞めたらどうだい バウンサーなんて莫迦のやるこった」

 「何言ってんだ この世でイチバン利率のいい仕事さ」

 「リスクとリターンが見合ってない このキズ、光波で焼き切られてる 溶接じゃ神経を戻せない 再換装するなら高くつくね」


 私は見積もりを書き殴って差し出した。

 「んだよこんなの払えるか! 顔馴染みだろ そこをなんとか」

 「なら真面目に働け 右脚が動かないくらいでも出来ることは沢山あるよ」


 ヒューは結局悪態をつきながら退店した。バウンサー制度。殆どの種が絶滅した今の大陸で最も危険な害敵はヒトだった。智慧や思考は時に発展を生んだが厄介なのはそこに感情や性格が介在することだ。どれだけ社会が変容しようとも善悪の概念は常に対立する。荒廃は不満や憎悪といった負の感情を増長させ犯罪の温床となった。膨大なそれらを警察組織だけで取り締まるには限界が生じ始め、国家は犯罪処理を民間に委託する法案を打ち立てる。野放しになった犯罪者達には懸賞が設けられたのだが、これは貧困を極める現代社会において、犯罪の種類による程度差こそあれど、法外な報酬ともあって多くの市民が参加することとなった。とはいえ犯罪者を一般市民が相手取ることはヒューのように負傷も覚悟のうえで一歩違えば命に関わる危険性を孕んでいた。また仮にバウンサー業における負傷や死亡事故に対して国家はなんの保障も持たない、いわば自己責任が原則としてあった。確かに治安は最悪だった。弱者にとっては死活問題なほどに。それでも自ら危険を冒さねば生活もままならない時代に必要なのが果たしてバウンサーかといった疑問が残る。国家が本来担うべき責任と今の在り方は大きく乖離しているように思う。かつて私が仕えていた男は常々世を憂いていた。彼は彼なりに国を変えようと画策し、それによって命を落とした。私にはそれとバウンサーに従する者たちが重なる。過去の経験からか私自身はリスクを見誤ることを強く恐れていた。かつての私はそれが正義であると信じ、そして行使してきた。主は国を変えると言い、私は疑わなかった。本来であれば私はあそこで終わっていた筈である。太陽を目指し、その光と熱で翼を焼かれた愚者と同じく、主の死によって未来を見失ったのだ。

 「でもねディートリヒ」

 メイドロイドは聞こえないフリなのか返事をしない。

 「今だってそんなに悪くない まだこうして空高くには陽が昇り、私はどうやら生かされている ディートリヒ、あなたとは違う道で」

 「アンヌ それはワタシに向けられた言葉である可能性が一パーセントを満たしておりません よって回答を断念します」

 「かしこいね お前は 誰かとは大違いだ」



 ヒューの遺体が担ぎ込まれたのは彼が店を訪ねてきた日から数日が過ぎた頃だった。ヒューのガールフレンドだったミシェルが遺体を警察から引き取りここまで運んできたのだ。ミシェルは目尻に涙をためてヒューを生き返らせてくれと嘆願した。私は修理屋であって医者でもなければ神でもない。出来ない相談であると伝えればミシェルは、あの日私がなんとしてでもヒューの右脚を治していればこんなことにはならなかったと捲し立てるように言った。彼女を宥めるのには苦労したが、しばらくして落ち着きを取り戻すと、最近巷を騒がせているある人物について語り始めた。

 「アンヌ さっきはごめんなさい あなたの所為じゃないのはわかってる ヒューは莫迦でどうしようもない奴だったけど でもこんなことって」

 「ヒューがその "ネヴァーモア" ってのにやられたのは間違いないのかい」

 「ここ最近バウンサーの間で噂になってる 理由は分からないけどネヴァーモアは急に挙がってきた高額帯の賞金首で ヒューは人生変えるって躍起になってて あいつ、その日はネヴァーモアの居所を掴んだって言ってて 私は止めたけど、もしネヴァーモアの首が獲れたら一生安泰だって 私にも楽させてやれるんだって説得されて でもこんなことになるならもっと私が必死に」

 「ミシェル 自分を責めちゃダメだよ ヒューが突き止めたネヴァーモアの居所ってのはどこだい」

 「何年も前に封鎖されたオペラハウスがあるでしょ 買い手付かずでいつ崩落してもおかしくないからって立ち入り禁止されてる ヒューはそこに行くって言ってた」

 「ありがとうミシェル」

 「アンヌ あなたもしかして」

 「考え過ぎさ 私はしがない修理屋だよ あんたみたいに悲しむ人間をこれ以上出したくないからさ それにバウンサーの莫迦達はお得意様なんでね 夢なんて見ないように警察には私から情報提供しておくよ」


 ヒューは頭の足りないどうしようもないダメ男だったのは間違いない。そうは言ってもそれなりのベテランバウンサーだ。たとえ脚を怪我してたってヒューを返り討ちにしたのならネヴァーモアってのも只者じゃないだろう。そんなことはいい。ヒュー友達だった。私がこの町に流れ着いた時、それ以上はもう動けないズタボロの私を、先代が営んでいたこの店に引き摺って運んでくれたのは誰であろうヒュー本人である。今があるのは間違いなく彼のおかげでもある。私には救われた恩義がある。それを果たせないままヒューを死なせてしまった。もう二度とこの力を使うまいと、先代に制限を施してもらった。ところが私はどうやらあの爺さんから全てを受け継いでしまったようで、今やそのリミッターの構造もわかってしまった。無論、解除方法についても。今の私にとっては自戒よりも受けた恩を全うすることのほうが何倍も大事なことだった。

 「ディートリヒ 今日で店じまいだ 爺さんにも謝らなきゃな」

 「明日は午前九時の開店となります アンヌ、本日もお疲れ様でした」

 「そういうことじゃないんだけどな ありがとう じゃあ行ってくるよ」


 その夜、有志によるヒューの告別式が開かれた。彼と関わりを持っていた連中が集まっている。ドラム缶に火を焚べた灯りの傍らにヒューは横たわっていた。遺体は思ったより綺麗なままで残っていた。バウンサーという職業柄、凄惨な最後を迎える者は少なくない。それを思えばヒューはまだ恵まれた死に方だった。ただ元々改造義眼だった目は両方くり抜かれている。

 「気になるか?」

 「ネイサン 来てたんだ」

 「今日くらいはな ヒューは弟みたいなもんだ ミシェルだってまだ若いのに無茶しやがって莫迦がよ」

 「ミシェルのことはあんたに頼むよ 落ち着くまで支えてやって」

 「それは アンヌ、お前さんまさか」

 「私はヒューに恩がある ロリコンのろくでなしだったとしてもアイツのおかげでちんけでどうしようもないクサくて汚いこの街で楽しくやってこれたんだ 借りは返す」

 「俺は正直お前のことをよく知らない 知ってるのは整備屋のネーチャンってことくらいだ ただ時々、俺たちバウンサーでも腰が引けちまうくらい冷たい目をしてる時があった 何者かを聞くつもりはない だが やれんのか? 相手は素性もしれない これまでに何人ものバウンサーがやられてる怪物だ お前にやれんのか?」

 「何度も言わせんなよ 私は借りを返すだけさ」

 「ミシェルの面倒なんてごめんだ 必ず帰って来い あとな 目を狙うのはネヴァーモアの手口だ 気をつけな」


 ネヴァーモア。今になってその名を聞くなんて随分皮肉な人生だと思った。かつて私が所属した組織、それがネヴァーモアだ。ヒューを襲った相手がそこの関係者かはわからない。主が死んで、私は街に流れ着き、他の隊員がどうなったのかも知らない。生まれながらにして革命のために育ち志しを共にしてきた連中のことを思えば、今の暮らしに後ろめたさもあった。私の中にはまだ思想と理念の火が灯っていて、日々の中で忘れようとも思ったが捨てきれなかった期待もあった。けれど、もう動かないヒューを抱き上げて静かに嗚咽するミシェルを見て、それを招いたのがかつてのネヴァーモアだというのなら、私は始末をつけねばならない。私たちが追いかけていたものなんてもう過去の夢なのだととっくに気づいていながら私は目の前にある小さな輝きを守ることすら出来なかったのだ。


 廃墟と化した劇場。文化は遺産となりかつての栄華は今、静寂によって訪客を迎え入れる。半壊した舞台の上に影が揺らいだ。

 「沈黙を破っていみじくも発せられたこの答えに驚き呆れ」

 「あんたか ヒューをやったのは」

 「どこかの不幸な主人に教わり 今尚貯えとなって残ったものか 主人は無慈悲な悪運に追われ」

 「答えて 何者?」

 「遂にその人の歌がただ一つの句を繰り返すまでに 遂にその人の望みは絶えて挽歌がその句を繰り返すまでに」


 「「即ち 最早 最早無ネヴァーモアい」」

 

 私はその詩を知っていた。あるひとがよく口にしていたから。

 「久しぶりだね 

 「ありえない だって あなたは 私の目の前で」

 「相変わらず綺麗な目をしているね この暗夜でもよくわかる」

 「もう我々は 私の理想は」

 「ずっとその輝きを求めていた やっと見つけた 私は遂にこの夜を終えられる」

 「よりによって なぜ貴方なのですか ディートリヒ」

 「さあ 私と行こう レノア あの日の続きを 共に成そう」


 両手を握り込み、脚の神経回路を瞬間負荷をかけた反動で間合いを詰めた。相手はそれを見越したうえで私の真空派で生成した刃を体勢を仰け反らせて躱す。その姿勢のまま手にした杖を私の腹部目掛けて突き立てる。あと数秒判断が遅れていればそれは私の身体を貫いていた。再び距離が開く。

 「私には輝きが必要だ それが君だよレノア」

 「私はもう レノアじゃない」

 長らく封じてきた格闘術に素体が追い付かず輪をかけて力が出しきれていない。相手は亡霊とはいえ私に全てを授けたかつての主。形勢は不利。このままでは消耗戦だった。

 「右腕の神経を切った もう動かないはずだよ レノア これ以上君を傷つけたくないんだ」

 「なぜヒューを殺した」

 「君からそんな問いが出るとはな 弱きは生き残れない 君にも教えてきたはずだけれど」

 「そんなことは聞いていない!」

 「驚いたな 感情か 理屈がまるで通って 再構築の必要がありそうだ」

 「ディートリヒ もう 私とお前の道は違う 私はここで終わらせる」

 勝ち目はゼロに近い。それでも私は為さねばならない。

 「レノア、悪い夢はここで覚める 次に目覚めた時、ふたたび革命の灯が宿る」

 「私を その名で呼ぶなあああーーーッ」


 眩しいまでに白い部屋。それは境界がわからない。私は死んだのか。身体の自由が利かない。遠くで足音がする。人影。それはゆっくりと形を成した。

 「アンヌ こんなところで寝てねえで早く修理してくれよ」

 「ヒュー ごめん 私が治していれば」

 「ハンッ バカ言ってんじゃねえぜ 俺が修理してほしいのは俺じゃねえ これだ」

 「これって ペンダント」

 「ミシェルがくれたんだ あのバケモンとやりやって千切れちまった なあ アンヌ ミシェルを頼む」

 ヒューの影は蝋燭の火に息を吹きかけたように歪んだ。その揺らぎはそのまま別の形になる。

 「爺さん?」

 「儂ゃお前さんをそんなヤワに拵えたつもりはないぞ」

 「どこがだよ もうボロボロだ」

 「まだまだじゃな 儂が仕掛けたリミッターの構造を何もわかっちゃおらん」

 「負け惜しみ?」

 「この期に及んでそんなちんけなプライドなんぞあるかい じゃがまあ 後悔があるとすれば弟子に全てを教えきれんかったことかの」

 「爺さん」

 「お前さんはまだ立てる 今回は特別一回限りのサービスじゃ 儂が弄ってやる 悔しかったら生きて解明してみい」



 「ネヴァーモア 最早ない か 見事だ」

 左腕の刃はディートリヒの胴を分断した。崩れ落ちた彼の向こうから日が差した。朝か。意識が保てない。私は上手くやれたかな。



 「おはようございます、アンヌ」

 「おはよう 帰ってきちゃったね」

 「本日の営業開始時間は」

 「まだ無理だよ」

 「では本日休業の案内を更新します」

 「私は何日寝てた?」

 「本日で七日と六時間二四分になります」

 「それは破産だね お前をぶっ壊してマーケットに売っちゃおうかな」

 「非推奨」

 「冗談だよ ディートリヒ これからもよろしくね」

 「ジョークである確率を算出 三・二パーセントの疑念を含みます これより避難準備に移行します」

 「ああ どこでも行きな 夕方には帰ってきなよ 明日からは営業再開だ」


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ネヴァーモア 川谷パルテノン @pefnk

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