ごうう。

家の中ではクーラーが唸り声をあげながら

室内をじんわりと冷やしている。

私はリビングの食卓で問題集を広げ、

その近くのソファには

兄のてるが座っていた。


七「暑い!宿題はおわんない!もー!」


輝彦「うるさいな。静かにしてくれないか。」


七「だってもうすぐ夏休みが終わっちゃうんだよ!?」


輝彦「数日いなくて何事かと思えばふらっと帰ってきてこれだよ。」


てるは呆れたように言って

何やらまた難しい本を読んでいる。

自己啓発本、と言うのだろうか。

今日は部下への接し方についてのものを

眉を顰めながら文字を追っている。

そんなものを読む前に

もっと表情を柔らかくすれば

何とかなりそうなのに、と

きっとてるには理解されないだろうことを

思い浮かべた。


私と麗ちゃん、いろはちゃんは

確か17日の夕方に根府川駅の方へと向かった。

しかし、浜辺に打ち上げられた時は

昨日の朝だったのだ。

2晩留守にしていたせいで

パパも、そして珍しいことにてるも

酷く慌てたらしい。

麗ちゃんからは事前に

海底に行ったって言っても

当然信じてもらえないから、

家出したとか私の家に泊まってたとか

適当言って切り抜けて、と言われていた。

本当のことを言って、

海の中の感動を伝えたかったのだけど、

頭がおかしくなったと思われても癪なので

麗ちゃんの言うとおりにした。

すると、てるはため息をついて

「事前に連絡くらいしろ」と愚痴をこぼし、

パパは心底安心したのか

言葉を失って立ち尽くしていた。

その日までは食べ物が

あまり喉を通らなかったらしく、

久々にしっかりご飯を食べた気がする、と

細々呟いた。


七「事前に分かってたら教えてたもん。」


輝彦「事前に決めて行ったんじゃないのか。」


七「滞在は気まま!」


輝彦「計画性がないところはどうにかしてくれよ。」


七「そっちの方が楽しいもん!」


輝彦「はぁ…。だから宿題も終わらないんだよ。手伝わないからな。」


七「えーっ!」


てるは本を閉じ、

出かけてくる、と一言残し去って行った。

私が家にいると落ち着かないらしい。

どうしたら兄妹でこんなにも

性格が違ってくるのだろうと疑問に思う。


それからしばらくの間

問題集と顔を突き合わせ、

答えがあるものは

躊躇なく写して宿題を進める。

勉強をする意味を考えろ、と

てるはよく言うけれど、

勉強って楽しくないしわからない。

1人でやっているからなのだろうか。

それこそ、麗ちゃんとやったら

楽しかったりするのかな。


そんなことを考えていると

パパが帰ってきた。

事務所での相談がひと段落したらしい。

お昼休憩だ、と

遅めのご飯を食べにきていた。


パパ「もうお昼は食べたかい?」


七「うん!てるも食べて、どっか出かけちゃったよ。」


パパ「そうかそうか。」


冷蔵庫を開けて、

いつぞやにコンビニで買った

蕎麦を取り出していた。

私とてるは作ったご飯を

食べることが多かったが、

パパは昼食だけはいつもずれてしまうので

こうして簡易な食事になることが多い。

勉強道具を広げている食卓には座らず、

さっきまでてるが座っていた

ソファにどっかりと腰を据え、

ローテーブルに昼食を置いた。

つるつる、と麺を啜る音がする。


七「ねーねーパパ。」


パパ「ん?」


七「あのさ、なんか昔、事件ってあったの?探偵事務所の事件、みたいな。」


途端に、麺だか麺つゆだかが

喉に引っかかってしまったのか、

むせて咳き込んだ。

ティッシュをとって口元を拭い、

「急にどうしたんだ」と

平然を装うかのように言った。

誤魔化そうと思ったけれど、

どうにも良さそうな嘘が浮かばない。


七「詳しくは知らないんだけど、そんなのがあったんだーってちょっと聞いて…?」


パパ「どこまで聞いた。」


七「事務所での事件…くらい?」


パパ「そうか。」


パパは真剣な声色になった。

箸を置いて、足をこちらに向ける。

何だか落ち着かなくて

私もペンを置いた。


最近まで記憶が

ぐちゃぐちゃになっていたこともあり、

いつに何が起こったのか

自分でもわからなくなっていた。

順番に思い返してみる。

まず、初めに事件が起きる。

きっと私が小学生の頃のことだ。

電車の中に落ちていた記事には

2015年、とあっただろうか。

それからしばらくして

麗ちゃんとスイミングスクールで出会う。

私が地区大会に勝って、

麗ちゃんが水泳をやめたのが、

彼女が高校1年生の夏らしい。

帰りの電車で聞いた時そう言っていた。

その後、高校1年の夏から秋頃に

例の先輩と出会っている、という。

その時の私は中学1年生。

彼女が水泳を止める手前、

麗ちゃんのママは私のことを調べた。

地区大会を進んだ後、

全国大会もろもろに私は出れなかった。

パパに辞めさせられたためだ。


もしかしたら、事件のことが引っかかって

水泳をやめさせたのかも、と

今になって思う。

単純に経済的な問題だったり、

他の何かだったりする可能性もあるけれど、

今の私の頭の中じゃ

自然と結びついてしまう。


パパは神妙な面持ちで口を開いた。


パパ「そのことなんだが…今は詳しくは話したくない。」


七「何で?」


パパ「何でもだ。ただ、自分で調べることもやめてほしい。」


七「駄目なの?」


パパ「今は…だ。いつかパパから話す。だから待っていてくれないか。」


七「絶対?話してくれる?」


パパ「あぁ。約束する。」


七「いつ話してくれるの!」


パパ「…わからない。もう少し大人になったらだ。」


向き合うことが恥ずかしくなったのか

目を伏せてまた箸を取り

つるつると麺を啜った。

それからパパが言葉を発することは

なかったけれど、

でも、パパが言うんだもの。

話してくれるその時まで

私は大人しく待っていよう。

それがきっと大人になることの

1歩なような気がするから。


七「分かった、待ってるよ!」


パパ「ありがとう。」


飾り気のないひと言だったけど、

パパは安心したのか

口角が少し上がっていた。

それに反するように

眉が下がっているのを見逃さなかった。


昼が終わり夕方に近づく頃、

麗ちゃんから連絡が入った。

今日も偶然、

例の先輩に会う予定があったらしく、

その時思い切って

会うことが負担になってないかと聞いたらしい。

すると、

「毎度会うのを楽しみにしているし

首が天井を突き破るんじゃないか

ってくらい首を長くして待ってるって

いつもの如くオーバーな表現で返ってきた」

という。

起こった出来事を

感情抜きして書かれた文章だったけれど、

実際にはきっと涙目になりながら

聞いたんだろうな、なんて思う。

付け加えて、

どうしてこの人のことを

疑えたんだろうね、と

自虐的なメッセージがあった。


どれだけ信じていても

ちゃんと言ってもらわなきゃ

信じられない、信じたくないことだってある。

思ったままに、

「帰って来られてよかった」

「また会おうね!」と返事をした。

勉強を教えてほしい、

宿題は…今回は自分で何とかしよう。

そんな気持ちも込めて、ひと言で済ます。


じじ、じじ。

蝉の声がする。

夏休みの終わりが近づいている。

夏はぽとぽととかけらを落としていく。

球体だったそれは

1枚1枚ガラスのような膜を剥がされて

やがて粒になって消えていく。

なくなってしまうまで蝉が鳴いているといいな。


窓を開け放って

その声に耳をすませた。











あの夏の忘れ物 終

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