五話 海の中の同胞

青年は刀鍛治のもとを去り、その高弟と共に海底にある魚人の国 パーチレイムに行くことにした。パーチレイムは最果ての地に位置する。そこから先の土地には知性あるものは存在せず、獣の地と呼ばれた。龍の会盟の一員であるパーチレイムの王は三叉の矛テンタニルを持つ。テンタニルは獣の地に蔓延る大海蛇を撃退するために作られた。パーチレイムはいわば獣の地と龍の地の防波堤である。そしてその国土の海底鉱山ヘーメルはパーチレイム一の鉱山であり、青の宝石ブルリタイトの一大産地である。ブルリタイトは別名青海の輝石と呼ばれ、水の精霊の加護を持つそれは、刀剣や防具に加工される。これをスーサリアの刀鍛治は火をもって刻印する。相反する二つの属性は複雑に絡み合う。それこそが炎渚刀である。その刀剣は相対する敵に応じて属性を反転させる。刀鍛冶は毎年決まって高弟にブルリタイトを買いに行かせた。だが青年が来たのはブルリタイトを買いに行く高弟に付いていくためではない。この国の王に会うためである。

パーチレイムへは船が出る。沿岸の技術国家リースの潜水艦である。潜水艦にはブルリタイトによって水の紋章が刻まれ、風の紋章も刻印されている。純白で流線型をした艦の姿は凛々しい。金の縁取りとブルリタイトの青の刻印は降り注ぐ太陽に照らされてきらきらと輝いていた。潜水艦内部の呼吸は風の加護によって確保され、水の加護によって推力が生まれる。沿岸国リースの技術の結晶であり、定員八十名を誇る勇壮な潜水艦である。これはリースが太古の戦争を模して作った最高の模造品でもある。リースは太古の戦争で海に戦った勇敢な戦士の末裔である。その戦争でリースの潜水艦は美しく光り輝いた。その光は邪悪な者たちの目を眩ませた。その隙に戦士たちはパーチレイムの勇者たちと共に攻撃して勝利を収めたのだ。そんな神話のような史実の後数千年間に渡って二つの国は同盟関係にある。

さて、潜水艦は海を進んでいった。遠くには半透明の境界が見える。蜃気楼のようにうねうねと動くそれはさながら膜のように広がり、ドームのように城を覆っていた。海底の城は小高い丘のようになり、城のまわりはサンゴ礁に覆われている。整備された道の途切れ目には膜が結界のように張られ、そこから下の海とは文字通り別世界である。海のなかであれば当然あるであろう藻や水草、サンゴの類も無かった。潜水艦の風の紋章が光のあまり差し込んでいない深い海の中でまばゆい緑色に輝きはじめた。あの蜃気楼のような膜をするりと通り抜けた後、艦はシューっと言う音ともに宙を浮き上がった。そしてそのまま空中にしばらく静止してからゆっくりと地面に着陸した。

ようやく魚人の国に足を踏み入れたのだ。魚人の国の照明は明るく、水の中でゆらゆらと揺れ、ボーッと霞がかかったように青く光っている。不思議と呼吸は出来るようだった。空は淡い群青色である。リースの潜水艦から出たあと、彼はパーチレイムの首府に行くことにした。パーチレイムの首府は海洋種族の楽園であった。街には街灯が整備されている。タコのような魚人は手先が器用なのか青色に光る絨毯や織物を売っていた。深々と毛で覆われ、目が隠れたようになっている魚人はケルプを売っているようである。時折、サメのような顔を持つ魚人が槍を持って巡回している。魚によく似た二足歩行の生き物が黒地に金の紋章の刻んである輿を担いでいた。そんな中に緑色の肌の恰幅の良い魚人がいる。彼は時折輿から外を見て、露店のめぼしいものを買っているようであった。海底鉱山の鉱夫をしている魚人たちは大きさは様々だが剛腕で、鉱山仕事にも十分に耐えうる。この国に富をもたらす海底鉱山の熱気はこの首府にも吹き付けているようであった。海の中だが少し暑い。人間の商人が買い付けを行っている。熱帯魚のような魚人たちが見世物を催したり、魚人たちを遊郭に客引きしていったりしている。

パーチレイムでは魚人と人間が共存している。国策によって蜃気楼の膜の外にたくさん植えられたケルプの森は、観光に訪れた者たちの目を楽しませるばかりか、水と風の精霊の加護によって空気の取り換えを効率よく行うことを助けている。パーチレイムのドーム内の空気は複雑な術式によって各種族に必要なだけの空気と、そしてまた水を供給していた。そのようにして危うい均衡を保っているような魚人の国は、海洋世界の覇権国であり、近隣の小規模な海洋種族には盟主と仰がれていて、獣の地で多数の魔物を服属させ使役しているとの噂もあった。この幻想的な大国には強大な魔法使いがいるという。それが国王のエイナヤである。エイナヤの宮殿の四方にはサファイアで作られた結界用の菱形の柱がおかれ、ブルリタイトの甲冑を着た魚人族の衛兵が規律よく並んでいる。真ん中で一際目立つ勿忘草色の細身の長剣を持っているのはパーチレイムの英雄アクスウィックである。刀鍛治の高弟はアクスウィックの剣を見て恍惚とした表情を浮かべた。パーチレイムの優秀な刀鍛冶が七日七晩寝ずに打ち続けたというその剣には不思議な魅力があり、青年も剣を見ているだけで優美な刀の切っ先に吸い込まれてしまいそうな幻覚にとらわれた。この剣に切られても痛くはない、そう思えるほど美しかった。衛兵たちは高弟を見ると畏まって敬礼し、丁重に宮殿の中へと招き入れてくれた。エイナヤはサファイアの宝玉が埋め込まれた金の笏杖を持ち、深い青色の王の祭服を着ている。魚と人間を丁度二で割ったような顔というと適当であろうか。濃い青色の顔には薄い金色の線が五つほど流れており、靴は履いておらず、水かきのついた足が露わになっている。エイナヤは顔を綻ばせて言った。「よく来たなスーサリアの刀打ちよ」高弟は跪いて頭を垂れた。そして青年の方を見ると興味深げに目を輝かせた。「よく来たな風の加護を持つものよ。お前のことは水の精霊が教えてくれたよ。」宮殿のサファイアの装飾は青の光を放った。燦々たる光の中でエイナヤは「余は幾千年もの時をこの海底の宮殿で暮らしてきた。その最中にある国は滅び、ある国は栄えた。旅するもの、汝には風の加護がある。そして今私から水の加護を得た。終末の時を伝える角笛はもう鳴った。鳴ってしまったのだ。残された時間はあまりない。シルキートの学士が汝の訪れを待っておる。風の加護を持つ者にのみ龍は応える。祀り人のもとを回り、龍を深く長き眠りから覚ますのだ。方法はシルキートの学士が知っておる。」と言うと短刀を差し出した。「これを持っていくといい。また来い。パーチレイムは汝を待っておる」その瞬間エイナヤは手をかざした。青年の体は水に包まれ、視界を気泡が覆った。そのなんとも暖かな感覚に身を委ね、青年の意識は消えていった。

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よしこう @yakatu

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