第6話:スライムスレイヤー来店の巻

 わたしはトラブルシューターチームの一員というだけでなく、喫茶室兼バーのマスター兼バーテンダーでもある。


なので今日も予約のあるお客さんを迎える準備をしていた。


今日のお客さんは、酒が飲める人であるそうなので、ぜひ出してみたい特別な酒がある。


……、通常なら喫茶室やバーというものは注文されて飲み物や軽食を出すところなのだが、この店はわたしの、あらゆる法則を超越した美しさにモノを言わせて、何を出すのかをわたしが決めているのである。


この店はわたしを見ながら飲食できる店なのであるが、メインはわたしを見ることのほうなのだ。


つくづく通常の飲食業の人たちが聞いたら怒られそうな、実に舐めてふざけた商売をしていると自分でも思うが、なにしろわたしのフィジカルは7歳の女の子のそれだ。


取り柄は人知を超越した美貌だけであり、これを駆使して世を渡ることを許して欲しいものである。




 とはいえ、地球・日本で得た職歴学歴資格技能が世渡りに使えないこのシャイタンパーにおいて、キャラクターメイキングで得たものをフル活用して世渡りするため、わたしも様々な方法を検討している。


この身の美貌に磨きをかける…、メイクアップ術を身に着け、ファッションに工夫をこらすということも考えたが、早々にこの考えは破棄した。


相談したメイクアップアーティストさんに言わせると、わたしの美しさはこれ以上メイクで何かを付け加えることはできないそうである。


もっともこれはわたしだけではない。


多元宇宙一というレベルの美貌の持ち主である、他の少女絢爛のメンバー全員に言えることだ。


美しさには閾値があり、それを越えるとメイクアップが意味をなさなくなるようだ。


閾値を越えると美貌は異能の中に入り、超自然のものとなるのである。


それにわたしは汚れたりしない特性を持っている。


化粧品を肌に塗るということはこの特性に触れるらしく、試してみるとわたしの肌は化粧品を受け付けないのであった。


たぶん変装するのも無理かもしれない。


また、美貌も閾値を越え、さらに不老である美少女というものは、美しさを維持するための努力がほぼ不要となるようである。


エミリーさんも博士もルンさんも、毎日顔を洗って歯を磨いてたまに風呂で体を洗うくらいのことしかしていないそうだが、その超絶的な美しさは簡単に保たれ衰えることなど無い。


汚れないわたしはそれすら不要である…、顔は洗っているし歯は磨いているしお風呂にも入っているが。


ファッション…。


アパレルショップの店員さんに言わせると、美貌が閾値を越えているわたしたちにとって最も映えるのは全裸であるそうな。


どうせ何着ても同じで似合うからTPOや自分の好みでファッションを適当に決めて構わないそうである。


それに、考えてみれば髪の毛一本爪一枚ですら、そのあまりの美しさに人に絶大な衝撃を与え固まらせてしまうわたしが、これ以上美しさを増しても活動が不便になるだけである。


美貌を活かすべくダンスとか、美声を活かすべく歌とかはどうだろうと考え、練習に時間を割り振っている。


五年くらいしたら成果が出るかもしれない。


もっともこのシャイタンパーにおいて、ダンサーや歌手としてお金を稼ぐのはなかなか大変なことだ。


わたしがシャイタンパーの路上で見たストリートダンサーは、何か変身能力と思しき方法で腕を6本、顔を正面と両側面の3面と化し身長は5メートルほどに巨大化、顔はそれぞれに一瞬で変面して口から火を吹いたりしてた。


それだけではない。


6本の腕で空気をかき回して旋風を巻き起こしてそれに乗り宙に舞う。


何処を見渡しても音源が見渡らない謎の音楽にあわせての、地球では決して見ることのできない神々の舞踊の如き素晴らしいダンスだった…。


ダンスが終わると周囲から飛び交う大量のおひねり!


この都市では超自然現象を起こせないと芸でお金をもらえないらしい。


歌い手もものすごい。


わたしがその歌を鑑賞した歌手は、本業は精神科の医師だそうで、いわゆる『神業』が本当に神の力の如き現象を起こすという法則の世界から来たそうで、あらゆる精神疾患をその超絶技量の歌であっという間に治療することができるそうな。


それだけでなく肉体的な疲労も驚くべき速さで回復させることもできるとか。


精神や肉体を歌で癒やすのみではなく、狂気、恐怖、勇気、感動といった、歌に合った様々な感情を聞いた人に吹き込むことも可能だ。


もちろん、その歌を聞いたわたし達は彼女の思うがままに感情を操られ…わたしは精神と魂への作用に対する完全耐性を持っているのであるが、これは感情の振れ幅がとんでもなく尋常ならざるだけであり、何らかの手段で精神を直接操作されているわけではなく、芸術作品の鑑賞により感動したりするのと同じことであるので普通にわたしにも効くのである。


単に技量がとてつもなく、人知を超越してしまっただけなのだ。


彼女の独演会の最後では、感動と安らぎの感情に満たされ、歌を聞いた全ての人の拍手で持って幕を閉じた。


この都市では超自然現象を起こせないと芸でお金がもらえないらしい。


大切なことなので二度言いました。


まあ、わたしにも人知を超越した美しさの肢体と美声というアドバンテージが有る。


日々研鑽を怠らなければいつかはモノになるかもしれない。


料理やカクテルのレシピ本を見つけたらとりあえず読んで、記憶力を活かし暗記していたりもする。


レシピを覚えるのは一瞬だが、実際に作ったことは無いため、知識としては知っているというレシピがどんどん増えていく。


他には数学の勉強だ。


わたしがキャラクターメイキングの際買った演算力の特技は、問題の意味するところを理解してさえいれば有限時間内に解ける問題であれば一瞬で計算ができる。


なんならグラハム数でも巨大数庭園数でも、算出方法を理解できれば最初から最後まで一瞬で計算するくらいの芸当がたぶんできる。


記憶力もあるので、計算結果の収納も問題ないはずだ。


キャラクターメイキングの夢では記憶力は20ポイントで演算力は10ポイントだった。


ポイントの基準はわからないが美貌を買うのに使ったポイントが9000ポイントなのでたぶん安い。


なかなかお買い得だったと言えよう。


しかしわたしはグラハム数の出し方も巨大数庭園数の出し方も理解していないので残念ながらそんな真似はできないんだけど。


ひとえにこれは数学の知識がないからである。


数学の問題を理解するにも、理解した問題を解くための式を正しく立てるにも数学の知識が必要なのだ。


『算数』が『数学』になる境目…、中学生辺りから、購入した参考書を読みつつおさらい中である。


せっかくなので、中学のおさらいが終わったら高校数学、大学数学と学習を進め、最終的には数学で研究を行い博士論文が書けるレベルを目指している。


中学と高校で計6年、大学で4年、大学院で6年となると計16年位はかかるが、独学というものは能率がよろしくないし、数学漬けで過ごせる数学科の大学生や大学院生と異なりわたしは他のこともしなければならないとなるとその3・4倍位かかると思ったほうがいいかもしれない。


学問に王道はないそうだしね、仕方ないね。


数学は長期的に見るとかならず役に立つ…、世界は無数にありその法則も様々だが数学だけは共通している。


地球から見ればどれほど変わった世界の出身者が相手であっても『2』『3』『5』『7』とかは誰にとっても素数なのである。


ちなみに世界によっては元素の周期表なんかは違ってたりするそうな。


ファンタジーが好きな人は、試しに地球に存在する元素だけではなくミスリルだのオリハルコンだのヒヒイロカネだのアダマンタイトとかの魔法金属の元素がある元素の周期表などを一つ想像してみていただきたい。


原子が電子と中性子と陽子ではなく『火』『水』『土』『空気』からできている世界も本当にあるそうな……。


なおシャイタンパーの法則では元素の周期表は地球と同じだし、原子は電子と中性子と陽子からできているということだ。


ほかにも、以前勧められた神仙道の修行…、不老長寿、あるいは不老不死者の必須技術、死より深い眠りに入る術である『神ノ眠リハ死ヲ越ユル』を身につけるためのいろいろとか。


日本での職歴とか学歴とか資格とか色々リセットされたので、この地で新たに学ばなければならないことは多いのだ。


一日がもっと長くなってくれば有り難いのだが、ほぼ不老不死と言える身となったらしい今であるし、とりあえず口を糊する仕事はある。


焦りはすまい。


ああ、話がズレてしまった。


閑話休題。




 今日これからくる客は酒が飲める人で、当日はベロベロになるまで酔っ払っても構わないそうなので、普通の家では飲むのが難しい酒を出すつもりである。


用意したのは、主に研究機関で試料の保管に使われるマイナス40度まで冷却できる小型冷凍庫とアルコール度数60%のシャイタンパー風ウォッカ。


……、デンプンの多い植物を発酵させて蒸留して作っていることは間違いないので、ノーポロキュールなんて酒の名前を言ってもわかりにくいし、わたしがウォッカと言ったらウォッカなのである。


アルコール度数60%の酒精が凍結するのはマイナス44.5度である。


マイナス40度まで冷やされた酒はとろりとした液体となる。


ショットグラスに注がれたそれを一息に飲み干してもらうのだ。


普通ならアルコールの刺激が強すぎてそんな真似はできないのだが、ここまで冷却すればするっと飲めるのである。


飲み干した瞬間は喉から食道から胃の腑までが氷の塊に貫かれたような感触を覚え、時間を置いて胃の腑から熱が込み上げてくるというこの飲み方でしか味わえない唯一無二の飲み心地が特徴だ。


どんな酒豪でも2杯続けて飲めばそのまま倒れかねないという、地球でも一部のバーで裏メニュー的にしか出されていない飲み方だそうである。


これを最初に一杯出して、あとは適度な酩酊具合になるまで、そこそこのアルコール度数のカクテルを出すことにする。




 軽食は……、これは地球で言えば焼き餃子に近い料理にすることにした。


レシピ本によれば、酒によく合うらしい。


薄切りにしたシャイタンパー風のハム……、もちろん豚肉ではないが、作る工程はハムに近い。


これで挽き肉とみじん切りの野菜を主としたタネを包んで油で焼くのである。


ちなみにこの料理名はウンギョロモンゲであるが、わかりにくいし、もうシャイタンパー風焼き餃子でいいよね。


この料理は店で出す前に一度作ってチームの皆にも試食してもらったが好評だった。


地球の焼き餃子より炊いた白米に合うと思うが、今のところ似たものを手に入れる術はない。


そのため、エミリーさんの得意技である何でも美味しくする魔法は使わないことになった。


曰く、ここまで美味しく仕上がった料理に魔法は不粋とのことである。


まあ、肉で野菜をくるんで油で焼けば美味いに決まっているからね。


勝ったなこれは。


皮に使ったハム自体に味があるので何も付けずに食べるか好みでスパイスを付けるのが一般的とレシピ本には書いてあった。


あとは焼くだけというまで出来上がった状態で冷蔵庫にしまってある。


焼きたてを食べてもらうためにお客さんが来てから焼くのだ。




 わたしが準備を終えお客さんが来るのを待っていると……、ちなみに記憶力を買ったわたしはパラパラめくるだけで本の内容を暗記し、後で記憶の中から取り出しじっくり『読んで』理解するという技が使えたりするので待機時間は記憶の中の本を『読んで』いたりする……、獲物を丸呑みして数ヶ月がかりで消化する蛇みたいなものだ……、やがてお客さんがやってきた。


「おじゃまするわよー」


「いらっしゃいませー」


今日のお客さんは知的な雰囲気の美女だった。


そして当然ながらお客さんはもちろんわたしの姿を目にすることになる。


「きゃぁあああああああああ?!」


今日のお客さんはわたしを目にした途端、身体を大きく震わせ目を見開き滂沱と涙を流し始めた。


「こちらへどうぞー」


服の袖を引っ張り客席へと案内する。


「ああ……、実物はポスターよりとてつもなく凄まじいわ…。なんて…なんて美しいの…」


ここに初めてくるお客さんは同じようなことを言う。




 「本日はわたしのお店へようこそおいでくださりましたー。お酒・お茶・軽食のみならず人生相談とかよろず承っておりますー。お客様のことをお話していただければ、お代が半額になるサービスがありますので、ぜひお話くださいー」


と、口上を述べる。


ちなみにこの店の料金は高い。


シャイタンパーにおいて骸骨模型が主に働く酒場や喫茶店はチェーン店で安く、人間が主に働く個人経営の店は高い。


この都市では骸骨模型ではなく人間の働く店というのは、わたしの店がわたしの美貌をウリにしているように、働く人間の異能を駆使した、ウリになる特別な何かがほぼ確実にあるのだ。


「あら…、そんなことでそんなに安くなるの? いいわよ。話してあげる」


「あたしはヴラドリェーナ=アヴィス=アクサーコフ。ラドリェーナが名でアクサーコフが姓よ。まぁ、ヴラドリェーナでもアクサーコフでも好きに呼んでね」


「ありがとうございますー。ポスターでもうご存知かもしれませんが、わたしはここのマスターで時夢未来ですー。時夢が姓で未来が名ですー。マスターでも時夢でも未来でもお好きにお呼びくださればー」


「ならマスターと呼ぶわね」


「はいー、わたしはアクサーコフさんとお呼びいたしますー」


「それではまずこちらのお酒をお試しくださいー」


さっそくあらかじめ用意しておいた、マイナス40度まで冷やしたシャイタンパー風ウォッカを出す。


「酒精はとても強いですが、徹底的に冷やしているので水みたいに飲める特別なお酒ですー。一息に飲み干すのが飲み方のコツですー。どうぞー」


「いただくわ…」


「あら、面白い感触ね。もう一杯もらえないかしら?」


「お気に召してなによりですが、このお酒は二杯続けて飲むとたいていの人は倒れるので、一杯しか出さないことになっていますー。ただいま肴も用意いたしますのでー」


酒精が弱めのカクテルを出す。


これはシャイタンパー風ウォッカを、わたしが内心シャイタンパー風コーラと呼んでいるもので割ったものである。


シャイタンパー風コーラは味はコーラだが香りは正露丸だ。


コーラが最初、薬として生み出されたそうだがこのシャイタンパー風コーラも胃腸を整える薬効があるとされているそうな。


実際、このシャイタンパー風コーラの独特な風味は正露丸の薬効成分、木クレオソートによるものである。


そんなものが美味いのかと聞かれると、なかなか美味しい。


だいたい地球のコーラも日本に入ってきたばかりのころは、日本人から『薬臭い飲み物』とか言われていたそうだし、独特な香りは受け入れられれば個性的な美味しさなのだ。


「お客様に合わせたカクテルですー。ウリョーヌクリュートと言いますー。ノーポロキュールをズーズルジュースで割ったものですー」


地球の人たちには意味不明である。


お客様に合わせたカクテルと言っているが、経験を積んだバーテンダーさんはどうだかともかく、わたしにはお客さんをひと目見て合ったカクテルを判断するような真似は当然できない。


しかし、わたしには経験はなくとも4500ポイントで買ったレベル400のカリスマがある。


数字の基準はわからないが。


このカリスマが『お客様に合わせた』という言葉に謎の説得力を齎すのだ。


なのでわたしがお客様に合っていると言えば合っているのである。


真面目なバーテンダーさんに知られたらきっと怒られる。


シャイタンパー風焼き餃子を焼く。


「肴のウンギョロモンゲですー」


「うん……、なんだか薬みたいな匂いのお酒ね……。口当たりは良いし肴は美味しいわ」


「慣れればこの匂いが癖になりますー」




 「そうそう、あたしの話だっけ? あたしは故郷ではスライムスレイヤーの称号を与えられていたわ。大学院で博士号をとった後、国の研究機関に就職してスライムの研究をしていたんだけどね」


ほぉ、スライムとな。


まぁ、わたしの万能翻訳能力ではスライムと訳されている。


日本ではスライムという言葉は粘液状の不定形のモンスターという意味と、どろどろ・ぬるぬるしたもの全般を指す意味、あるいは玩具の一種としての意味とがあるが、万能翻訳能力は彼女の言うスライムが粘液状の不定形のモンスターという意味であることをわたしの意識に伝えてきている。


とはいえ、モンスターとしてのスライムも色々である。


地球で言う、モンスターとしてのスライムは歴史はそう古くないらしい……、アメーバや粘菌が発見される以前の時代に不定形の怪物についての伝承は、どうやらないらしいのである。


スライム状の怪物が夢想されてからまもないころの小説に見られるそれは、すべからず強力で厄介である。


強力な消化・同化力と貪欲な食欲を持ち次から次へと人や獣を喰らい際限なく増殖し続け、不定形のその体は銃だの刃物だの打撃武器だのが一切無効である。


手に負えないまでに増殖するまでに対処しなければ、どれだけの被害が出るかわからない恐ろしい怪物がスライムであった。


しかし地球の架空の怪物としてのスライムは、ゲームにおいて弱体化することになる。


テーブルトークロールプレイングゲームにおける、数字において管理されてプレイヤーに倒されなければならないというゲームの都合上、際限もない増殖能力や対処不可能な巨大さという性質は失われたのだ。

それでも銃や刃物、打撃武器を無効化するという特性は保持されていたし、なかなか手ごわい怪物ではあるが、それでも5、6名程度の、剣だの魔法だので武装した戦闘の専門家がいれば対応できる程度のものである。


そしてやがて、地球のコンピューターゲームにおいては、スライムは最弱と言える雑魚敵とされることになったのだ。


そのようなスライムは粘液というよりは弾力のあるゼリーのような質感に描写されたりして、攻撃も消化や同化ではなく、おそらくは単なる体当たりだったり魔法攻撃だったり様々な毒を使ったりとなかなかに多様である。


それだけではなく、今のスライムは知性があったり人の言葉を話したりもするようであり、実に様々だ。




 「スライムについては詳しいかしら?」


「いいえー」


彼女の世界の現実のスライムが、どのようなものであるかわたしにはわからないので正直に答える。


「スライムというのは原生動物のアメーバから進化したと考えられている生き物で、群体を作るアメーバと思ってくれればいいわ。まあ、アメーバから進化したと証明するものはないけどね。スライムは特異な生物で、あたしの故郷の生物学の世界では、ほとんどの生物はこの惑星で進化したがスライムは宇宙から来たなんて言葉もあるくらいよ」


スライムの専門家らしい彼女は、生物学の素養のないわたしにもわかりやすい平易な言葉で説明してくれるつもりのようだ。


「想像するとかなり鈍そうな生き物のようですがー」


「動きは遅いわね。まあ、スライムの移動速度は……、例えるならイモムシが這うくらい? だから、スライムは主に動物や昆虫を捕食するんだけど、待ち伏せたりおびき寄せたりして獲物が引っかかるまで待つのが生存の戦術である罠みたいな生き物ね。木の上とかで待機して獲物が下を通ると落ちてくるとか、臭いで昆虫をおびき寄せて捕食するとかがスライムの獲物の捕り方」


「どんなふうにして食べるのですかー?」


「そりゃあもー、群体を構成するアメーバが消化液を分泌して、獲物の身体に食い込み、侵食し吸収し、その分細胞分裂で増殖しやがては獲物は完全に食い尽くされ、残るのは食べた獲物の分増大したスライムが残るだけよ」


「恐ろしい生き物に聞こえますがー」


「恐ろしいのよ、スライムは。こいつらが分泌するのは消化液だけじゃないの。神経の伝達を阻害する一種の毒も分泌するわ。これがまた厄介で、小さいスライムでも獣や人に付着した場合、その表皮を消化液で冒しながら、痛覚を含む触覚を麻痺させ獲物に最初気づかれずにじわじわと食い進め増殖するの。そしてこの毒の役目はそれだけではないわ。やがては血流に乗り全身にまわり……、増殖した分、分泌した毒の量も当然増えるわけよ……、獲物が気づいたときにはもう為す術もなく身体が麻痺して、生きたまま食い尽くされるのを待つのみとなるわ」


「それだけでなく、スライムの表面を構成するアメーバからは餌となる昆虫を惹き寄せる臭い成分が分泌されてるわ。腐肉の臭いとか糞便の臭いとか蜜の香りとかいろいろ。だからスライムは臭いのよ」


嗅ぎたくはない。


「スライムってどうやって獲物を感知して、どうやって動くのでしょうかー」


「スライムを構成する個体の一部が感覚器官の役割をして、主に振動と熱と、空気中或いは接触している物体の表面の化学物質を感知するのね。そうして入手した情報はどうなるかというと、構成する個体の一部が神経細胞に似た役割を果たし、群体内に散在神経系を構築しているのでこれで処理していることが研究でわかったわ。そして個体のかなりの割合が筋肉の役割をするのね。互いに細胞膜の表面を変化させて強くくっつき合い自在に変形して筋肉のように伸縮するの。驚くべきはこの役割が固定でないことよ。それぞれの個体は化学物質により周囲の個体とコミュニケーションを取っているわ。例えば『自分が何の仕事をする細胞であるか』ね。これにより、各個体は自分が群体の為に何の仕事をするべきかをそれぞれが判断して状況に応じて必要な役割を果たすの。まあ、司令塔となる神経の役割をする個体は、役割が変わりにくくなっているわ」


「スライムを構成する個体はずいぶんと万能のように思えますがー」


「そうなのよ。通常の多細胞生物だとありえないくらいに、一つの細胞が時と場合に応じて必要な役割をこなすわ。あたしはその変幻自在さに魅せられてスライムの研究者を志したのよ」


どうにもスライムという生き物は聞けば聞くほど奥深いようだ……、彼女の話には好奇心がそそられる。




 「それにしても研究者の称号がスレイヤーって変わっていますねー」


「そうね、それを説明するためには、あたしがフィールドワークで発見した新種のスライムについて語らなければならないわね」


「新種ですかー?」


「そうよ。一見普通のスライムと同じような色なんだけどね。ああ、多くのスライム種の見た目はヘモグロビンにより赤色をした粘体だけど、あたしの発見した新種もそれは大して変わらないわ。大きな特徴は一つ一つの個体にあったのよ。この新種を構成する個体はそれぞれがバラバラに寿命を持ち、驚くほどの早さで死ぬという能力を持っていたのよ。寿命で死んだ個体の残骸は群体を構成する他の個体が喰って肥大化して分裂して…、だから群体を構成する個体の数は減らないわけね」


「寿命で死ぬのが能力なのですかー?」


「生物にとって寿命で死ぬのはもちろん能力よ。生まれて死んで生まれて死んで、世代交代を繰り返すことで変異は蓄積し種の多様性を増し、環境と変化に適応できる可能性は高まるわ」


「まあ、新種スライムは同じ群体の中で、世代交代を繰り返しているわけだけどね。元々スライムの個体は細胞分裂の際、近くの他の個体と遺伝情報を交換し合うので一つの個体が得た変異はやがては群体の殆どの個体に伝播することになるのね。あたしは新種スライムが、今までのスライムとは比べ物にならない驚異的な早さで変異する能力を持っていると結論付けたわ。そしてあたしは一つの可能性に思い至ったのよ」


「スライムはセルロース、ヘミセルロースやリグニンを消化吸収できないわ。ようするに草や木を食べることはできないの。でも変異の結果草木を食べることのできるスライムが現れたらどうなるかしら? スライムは貪欲な生き物よ。食えるものがあれば際限なく増殖しようとするわね。いつか森林を食い尽くし草原を食い尽くしそして人も獣も虫も食らうスライムが世界の生態系を一変させる可能性があるわ」


「もちろんこれはその時点ではただの想像に過ぎなかったわ。自分の考えを裏付けるべく、あるいはこれはただの空想だと安心するために、あたしは研究室でスライムの品種改良実験を行ったのよ。大量にセルロース、ヘミセルロースやリグニンで囲まれて尚且つスライムに与える餌を制限した環境下で薬品を使ってスライムの群体の体積の半分くらいを殺して……、もちろんこの薬品で死んだスライムの部分は、生き残ったスライムが再利用できる形で残るからすぐスライムは元通りになるわ……、こうすることにより更にスライムの変異の早さを上げたのよ」


「残念なことに実験は成功したわ。失敗だったほうが良かったんだけどね。スライムは草や木を食べることができるように進化したのよ。これは時間の問題でいつか自然の中で同じことが起こる……。それだけではなくプラスチックを食べることができるスライムや海水に適応して海に進出するスライムが、おそらくいつかは現れる。手をこまねいていれば、やがてスライムは世界の生態系を一変させるのは時間の問題……、それも人間に非常に都合の悪い方に」




 「あたしは自分の考えが杞憂でないことを確信して、世界からスライムを根絶させることを決意したわ」


「それからは研究だけではなく政治があたしの人生に加わったわ。スライム根絶の手段を研究する傍ら、世界のために人類は総力でスライムを根絶しなければならないと言う方向に国々を動かさなければならないの。最初は同じ研究機関の同僚に、あたしと同じく、スライムは根絶させなければならないという考えを持ってもらうことから始まったわね。そして学会発表を通じて世界中の研究者にも同じ考えを広めたわね。一般人にスライムが世界を一変させる危険性を知らせるため本も何冊か書いたわ。講演会も何度行ったかもう覚えてないくらいね。もちろん最後には世界各国の政治を動かして実際にスライム根絶の行動を起こすことが目標だったわ」


「そして成功なされたのですねー」


「ほんと、あたしに協力してくれた多くの人たちのおかげねぇ。もっともこれはスライムが不快で危険な生き物だったことも大きいわ。これがすくなくとも不快ではなかったり美しかったり可愛らしい生き物だったら、スライム根絶の動きなんてたぶん起こせなかったわ。あの不快な生き物が世界を滅ぼす可能性があるなら今のうちに根絶してしまえ……、そう考える人が増えたのよ」


「実際に政治が動く頃には、あたしのスライム根絶法の研究も実を結んでいたわ。スライムに致命的で、かつ、生態系を構成する様々な昆虫をキャリアとする感染力の強いウイルスを作ることに成功したのよ。あたしの専門はスライムで、最初はウイルスなんて専門外だったからね。政治活動もしながらの研究だったし、我ながらよく完成させたものだったわ」


「新種スライムの変異スピードは早いから、世界で足並みをそろえて一気呵成にスライムを根絶しないと、せっかくのウイルスに耐性を持つスライムが現れる可能性があったわ」


「十分にウイルスが増やされ世界中に撒き散らす準備が整ったところで、ついにスライム根絶作戦が実行されたのよ」


「そして、ウイルスは想定された役割を果たし、やがてスライム根絶宣言がなされたわ」


「これによりあたしの二つ名は『スライムと結婚した女』から『スライムスレイヤー』になったわけよ」




 「世界は救われたのですねー」


「物語ならそれでめでたしめでたしで終われたんだけど、現実だとそうもいかないのよ。スライムが根絶されて当然スライムが生態系の中で果たしていた役割は失われるわけね。まあ、スライムを絶滅させた事による生態系の変化は人間に許容できる範囲だったからこれはそこまで問題ではなかったわよ。……、問題はウイルスなのよ。スライムだけじゃなくてウイルスっていうものも変異するものだからね。最初は昆虫にしか感染しないし、虫に対しては致命的じゃなかったんだけどね。感染した昆虫を殺すような変異をしたウイルスが現れて昆虫が大量に死んで……、スライム根絶よりも生態系に与えた悪影響は大きいわね。世界各国は生態系の変化に対応するため、スライム根絶に費やしたより多くの予算をつぎ込むことになったのよ。更に悪いことは続いたわ。ウイルスは更に変異し、家畜や人間に感染するようになったの。新しい疫病が生まれたわけね。ワクチンを開発して普及させるため更に多くの国家予算が注ぎ込まれたわ。あたしが転移する前にはほとんどの人にとって『スライムスレイヤー』は、ありもしない危機を妄想して新しい疫病を世界に撒き散らし多大な損失をもたらした大馬鹿者、という意味になってたわね」


彼女はカクテルを飲み干して付け加える。


「あたしは後悔してないけどね、……、でも思うことはあるわ。もしあたしが予見した危機が妄想だったらって」




 「危機が起きてからそれに対応すると評価されますが、危機が起きる前に気づいて事前に防いでも正しく評価は非常にされにくいものですからねー。でもわたしは不老不死で、絶対忘れない記憶力も持っていますから、世界を救ったスライムスレイヤー・ヴラドリェーナ=アヴィス=アクサーコフの名を永遠に記憶し続けますー」


「あらありがとう。嬉しいわ」


彼女は微笑んだ。

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TS美少女の超多元宇宙旅:魅惑の回廊都市 うどん魔人 @Spirits90ABV

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